王都の商業ギルド 3
「申し訳ない。こちらから話し過ぎたようです。この会合はソフィア殿からの申し入れがあって行っているのですから、ソフィア殿のお話も聞かねばなりませんね」
ハーヴェイが居住まいを正して、ソフィアに向き直った。
「お話ししたいことは色々あるのですが、もっとも重要な案件からお話しさせていただきますと、高名な錬金術師であるパラケルスス師がグランチェスター領に再び現れました。妖精の恵みを受けられているため、大変長命でいらっしゃるようです」
「「「は?」」」
同席していた三人は、ポカーンと口を開けたまま固まった。
「本人が仰るには、自分はアカデミーを卒業していないので自称錬金術師とのことですわ」
「まだご存命でいらしたのですか。しかも妖精との友愛を結ばれている方だったとは……」
ひとまず気を取り直したハーヴェイが辛うじて言葉を紡ぐと、ソフィアは大きな爆弾を落としにかかった。
「今後、当商会はパラケルスス師が発明したものを独占的に販売する契約をいたしましたの」
「何と、それは素晴らしい!」
「実に羨ましい」
「ソフィア殿は金脈を発見する運に恵まれた方なのですね」
『確かにリヒトも乙女たちも金脈であることは間違いないけど、それにしたって言い方が露骨過ぎない?』
ソフィアは少しだけイラっとしたが、表情に出すほどではない。そんなことよりも、今はもっと重要なことがあった。
「ですが、最初にパラケルスス師から提示された”薬”については、当商会で独占すべきではないと考えるに至りましたの」
「薬と仰いましたか?」
「然様です。パラケルスス師は類稀なる叡知によって、熱病の特効薬を発明されました」
「なんですと!?」
冬になると流行する熱病は、毎年多くの人命を奪っている。この病には特効薬がないというのが定説であり、薬師たちにできるのは対症療法だけだと思われている。
「商人として利益を独占することを考えないわけではございませんが、当商会にアヴァロン国内の需要を満たすだけの余裕がないのでございます。というより、どの商会であっても無理だと私は考えております。商業ギルド、錬金術師ギルド、薬師ギルドなど関係各所が協力しないと難しいのではないでしょうか」
「む……確かにそうだが、しかし……」
「事態は一刻を争うのでございます。パラケルスス師は、今年は例年に比べて熱病が大流行する兆しがあると予測されております。既にグランチェスター領では熱病が流行しているため、パラケルスス師は臨床実験を兼ねて特効薬を患者に服用させております」
「それで、ソフィア商会はどのような協力を要請したいとお考えですか?」
「薬のレシピや熱病対策についての知見などを公開するつもりです。商業ギルドには、素材の価格統制をお願いしたいのです。需要が見込めるタイミングで値上げしたい気持ちになるのが商人ではございますが、さすがに多くの人命が掛かっております」
「なるほど」
「これについては、不当に値上げした商人を法的に処罰していただけるよう、国王陛下にも奏上申し上げるつもりでおります」
「そこまでするおつもりですか!」
「この件が明らかになれば、おそらく私どもが奏上しなくても国王陛下は勅命を出されると私は予想しております。商業ギルドが率先して『人の命と金を秤にかける商人が現れないよう監視する』と宣言すれば、陛下もあまり厳しい対応を取らないのではないかと愚考いたしますわ」
「ふむ……」
ソフィアの意見を聞いた三人は、一斉に思考に沈んだ。だが、ソフィアは追い詰めるように言葉を重ねていく。
「正直なところ、レシピを公開せずに少量の特効薬を販売し、当商会だけが暴利を貪るのは簡単なことだと存じます。ですが、その結果、多くの人命が失われることを私は良しといたしません」
「実に高潔なお考えでいらっしゃいますね」
「高潔ですか……」
ソフィアはくすりと笑ってから言葉を続けた。
「ハーヴェイ様、私は聖女ではなく商人でございます。私はこれから顧客になり得る方々の命を惜しんでおり、命を救った方々からの好感度を重視しているに過ぎません。目先の暴利よりも大きな利益を得たいと考えておりますの」
「な、なるほど」
ハーヴェイたち三人は、目の前に座っている小娘にしか見えない女性から商人としての心得を改めて学ばされた気持ちになった。いや、実際には彼らも若い頃に『商売とは世のため人のための奉仕であり、利益はその当然の報酬である』と学んでいるのだ。だが、長く商売を続けていると、少しずつ理想や理念は失われていく。
「承知しました。商業ギルドは全力で協力することをお約束しましょう。錬金術師ギルドと薬師ギルドへこちらから協力を要請いたします」
「ありがとうございます。それでは私の方は、グランチェスター侯爵を通じて国王陛下に奏上させていただきますわ」
「そうですね。実際に熱病が流行している地域の領主様ですから、説得力も増すことでしょう」
「詳細については、追って別の者からお伝えさせていただきますわ」
これで話は終わったかと三人が納得しかけたところに、ソフィアはさらに爆弾を投下した。
「そういえば、忘れるところでしたわ!」
「な、なんでしょうか?」
だんだん恐ろしいモノを見るような目でソフィアを見るようになってきている商業ギルド関係者に向かって、ソフィアは大変いい笑顔を向けて言い放った。
「ソフィア商会は、グランチェスター領以外でも新しいお酒を造ろうと思っております。というか、実はちょっと造ってみました」
ソフィアはくるりと後ろを振り向き、ほぼ空気になっていた護衛のダニエルと馭者兼秘書を務めていたゴーレムのマルカートに目を遣った。マルカートの足下に置かれた木箱から、二人は協力して大きさのまちまちな4本の瓶を取り出してテーブルの上に並べていく。
「ハーヴェイ様から向かって一番左がシードル、その隣がエルマブランデーですわ」
「グランチェスターの狩猟大会でお披露目されたお酒ですね?」
「然様でございます。そして、その隣の2本が新しいお酒でございます。まだ名前はつけておりませんわ」
実はハリントン領のワインを樽で買い付け、こっそり造っておいたスパークリングワインとブランデーである。
「試飲なさいますか?」
「よ、よろしくお願いいたします」
ハーヴェイは使用人に命じて試飲用のグラスを用意させると、自らの手でシードルの栓を開けた。発泡酒であるため、栓を抜いた瞬間にいい音が鳴った。
「これがシードルですか。噂には聞いておりましたが、本当に発泡しているのですね」
「冷やしてお召し上がりいただきたいので、魔法で瓶ごと冷やしておきました」
「ほう」
三人がシードルを口にした瞬間、炭酸が舌を強く刺激した。
「こ、これは!」
「なんとも刺激が心地よい」
「風味も素晴らしい」
するとマルカートがテーブルに近寄り、スパークリングワインの栓を開け、先程とは別のグラスに注ぎ入れた。
「こちらもシードルと同じ製法で造られているのですが、原料が異なりますの」
ソフィアに勧められるままスパークリングワインを口にした三人は、それがワインから造られた酒であることに気付いた。
「こ、これはワインなのか!」
「確かに白ワインだ」
「おそらくハリントン領のワインだろう」
『あら、さすがに一流の商人たちは舌が肥えてるわね』
「ご明察でございます。シードルはエルマ酒から造られますが、こちらはワインから造られるのです」
ソフィアがマルカートに目を遣ると、マルカートは軽く会釈してエルマブランデーとハリントン領のワインから造られたグレープブランデーをそれぞれのグラスに注いだ。
「次のお酒もエルマブランデーと飲み比べていただくのが一番わかりやすいかと存じます」
「つまり、これらもそれぞれエルマ酒とワインから造られているということですか?」
「仰る通りでございます」
おそるおそる三人がエルマブランデーとグレープブランデーを口にすると、最初はその酒精の強さに驚き、その後は目を閉じて豊かな風味に酔いしれたような表情を浮かべた。
「ふむ……これは素晴らしい酒ですな」
「正直なところ、エルマブランデーよりもこちらの方が好きかもしれません」
「いやいやどちらも捨てがたい」
試飲が一段落したところで、ソフィアは再び話し始めた。
「このように、私はさまざまな酒類を造って販売したいと考えておりますの。将来的には造り方も公開するつもりでございますが、当分の間は独占させていただこうと思っております。もっとも、あまり長い間は秘密にできないことはわかっております。酒造りにはどうしても人手や設備が必要になりますから、探られたらすぐにわかってしまうでしょう」
「そうなるでしょうな」
「ただ、お酒は熟成にそれなりの時間が掛かります。競争できるようになるのは数年先になることでしょう。それに、私自身は他所からも美味しいお酒が造られることを願っておりますわ」
「理由を伺っても?」
「競争があれば、もっと美味しいものを造りたくなるではありませんか!」
「ははは。実にソフィア殿は酒好きでいらっしゃるようだ」
「否定はできませんわ」
次の瞬間、ハーヴェイは真面目な表情を浮かべてソフィアに向き直った。
「ですが、あまり市場を独占してしまうと、他の商人から恨みを買いかねませんよ」
「そうした方々がいらっしゃることは承知しております。もちろん、双方にメリットがあれば協業することもあるかと存じますわ。それに市場を独占しているというよりも、私どもは新たな市場を開拓する側だと自負しておりますの」
「ソフィア殿のお眼鏡にかなうのはなかなかに難しいようですな」
「どうでしょう。少なくとも私どもの商品を買い取り、加工してから高値で販売するような方とはご一緒できる気がいたしませんわ」
この台詞に、宝石商のセシルは軽く身じろぎをした。実はソフィア商会からシンプルなデザインのシュピールアを買い入れ、外側の木箱に彫刻を施した後に宝石を嵌め込んだ物を高値で販売したのはセシルの親戚が営む商会であった。
「そ、そうですね」
「そういえば、当商会が販売しているハーブティを、そのまま別の箱にいれて2倍近い値段で売ってるのを見かけたときには本当に驚きましたわ」
これにはアーチボルトが反応した。彼自身はそんなみみっちい商売はしないが、妻の弟がソフィア商会のハーブティを転売して利益を得ていることは知っていた。もっとも、ソフィア商会の商品を転売している商人は多いため、アーチボルトの義弟を特定して言っているわけではないと高を括ってもいた。
「そんなことがあったのですね」
「そうなんですの。そうだ、アーチボルト様、奥様の弟君に『一部の男性用ハーブティは当商会のカウンセリングを受けた方にしか販売できません』と伝言をお願いできませんでしょうか」
「うっ、あ、はい………」
完全にアーチボルトは撃沈した。もちろん、それぞれに何を当て擦られたのかは三人とも正確に理解しており、背中を冷たい汗が滴り落ちていた。
「それでは、私はこの辺りで失礼させていただきますわ。この後、総合棟で登録手続きをしなければなりませんの」
「い、いえ、それはこちらでも手続き可能です」
「私は皆さまにお口添えいただけるような立場ではございませんので」
「何を仰っているのですか。ソフィア商会は王都の商業ギルドにおいても、最優先の権限を有する商会として登記されることでしょう」
ソフィアは優雅な笑顔を浮かべつつ、心の底から三人の商人たちを嗤った。
「どうかお気になさらず。王都の一等地に店舗を構えることも、製造委託や販売委託も今のところはまったく予定しておりませんので、私に便宜を図っていただく必要はございません」
ソフィアはそれだけ言い残し、唖然としたままのギルド関係者を置いて、総合棟でソフィア商会を登記してからグランチェスター邸に戻った。もちろん通常の手続き通りだ。
『最優先の権利? 商人たちの中にもヒエラルキーがあることにうんざりするわね。本当に馬鹿みたい』




