王都の商業ギルド 1
アヴァロン国中の商業ギルドの支部を取りまとめ、商人同士を繋ぐ役割を持つ商業ギルドの中心が王都の商業ギルドである。
商人が扱う商品は多岐に渡っているため、商業ギルドの中にもたくさんの部門が存在する。働く人間も多いが、訪れる人間はもっと多い。そのため、王都の商業ギルドは、広い敷地に複数の建物で構成されており、ソフィアが訪れたのは『本部棟』と呼ばれる商業ギルドの役員執務室などがある建屋だ。なお、一般の窓口などがある建屋のことは『総合棟』と呼ぶらしい。
本部棟に足を踏み入れると、商業ギルド職員の制服を着た男性が迎えてくれた。
「ソフィア商会の会長であるソフィア様ですね」
「ええ、その通りよ」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
職員の後についていくと、応接室へと案内された。王宮の晩餐室と比較しても遜色無いレベルの豪奢な部屋である。
『なるほど、私の反応を見たいってことね』
応接室の正面には既に初老の男性が座しており、その傍らにも2名の男性が座っているのが見えた。ソフィアが入室すると、彼らは一斉に立ち上がってソフィアの方に歩み寄り、にこやかな表情を浮かべながら歓迎の言葉を掛けた。
「商業ギルド本部へようこそお越しくださいました。私がギルド長のハーヴェイ・ウォーターストーンです」
「お初にお目にかかります。グランチェスター領において、小規模な商会を経営しているソフィアと申します」
貴族令嬢として訪れているわけではないので、ここでの挨拶は握手である。
「そのような謙遜は不要ですよ。アヴァロンの社交界で、ソフィア商会が話題にならない日などありませんからな」
「私のような駆け出しの商人を気にかけていただけるなんて光栄ですわ」
「ははは。駆け出しの商人は、王都に着いた早々に王宮に参内したりはしませんよ」
「残念ですが、私が参内したのは貴族のご令嬢のおまけのようなものですわ。商人として呼ばれたのであればとても喜ばしいのですが……」
ソフィアは語尾を濁しながらハーヴェイを見つめ、親し気な表情を浮かべてにっこりと微笑んだ。これは『お前のことは知っているぞ』というハーヴェイからの圧力を、『あっそ』と言わんばかりにソフィアがあっさりと受け流したということなのだが、もちろんハーヴェイもそのまま引き下がったりはしない。
「いやいや。見たこともない程の巨大な魔石を国王陛下に献上したそうではありませんか。おそらく御用達をいただけるのも時間の問題でしょうな」
「そうであればとは思いますが、何しろ私はまだ商業ギルド本部に登録のない、地方の小さな商会に過ぎません」
「おお、それは問題ですな。陛下の御心に沿うためにも、我らの隣の席を空けねばなりますまい」
「駆け出しの身に過分なお心遣いをいただき、恐縮してしまうばかりでございます。本日は王都における商売の認可を頂戴したく参上いたしましたが、手続きは通常通りに行うつもりでおりますの。末席から皆様方のような素晴らしい先達に倣いたく存じます」
「しかし、それでは本店を構えるにも不都合があるのではございませんか?」
「ソフィア商会の本店をグランチェスター領から王都に移す予定はございませんわ。王都では小規模な商店と、執務用の手ごろな屋敷を構えられれば十分ですの」
「小規模というのがどの程度をイメージしていらっしゃるのか計りかねますが、商業ギルドに近い店舗ともなれば、登録したての商会が入るのは難しいかと。我らから口添えしたほうがよろしいかと思うのですが」
『要するに、魔石の利権を握っているのは知っている。御用商人として一等地に店を構えたいならそれなりの見返りをよこせ。登録したての商会が一等地にいきなり店を出せると思うなよってことかしら?』
ソフィアはハーヴェイの意図を正しく理解した。だが、ソフィア商会は王都の一等地に大きな店舗を構える予定はまったくなかった。準備期間がまったく足りていないため、大きな店を構える余裕がないのだ。だが、受け付け窓口を設けないわけにもいかないため、庶民が日常的に買い物をする市場近くの商業地区に小規模な店舗を構えつつ、グランチェスター家が所有していた貴族街の端の方にある小さな邸宅を事務所兼ショールームとして利用するつもりでいる。
この邸宅は亡くなった侯爵夫人の持参金の一部であり、夫人が亡くなった後はロバートが相続していた。ところがロバートは過去にこの邸宅を女性との逢瀬でたびたび使用しており、その事実を知ったサラが購入の交渉を持ちかけたのだ。『お母様には内緒にしておくからソフィア商会に売って』という少しばかり恐喝に近い交渉ではあったが、相場通りの金額を支払った。登記変更の手続きは昨日終えたばかりであるため、ハーヴェイたちも情報は把握できていない可能性が高い。なお、この売却益からロバートはソフィア商会への借金を完済した。
「店舗もなく、商品をどのように販売するおつもりなのでしょう」
「先程も申し上げましたが、私どもは地方の小さな商会でございます。独自に開発したさまざまな商品が幸運にも尊い方々の目に留まりましたが、製造の方がまったく追い付いておりません。大きな店舗を構えたとしても、商品を満足に並べることもできないでしょう」
「それでしたら、他の商会と提携して製造を委託する手もございます」
「独自性の高い商品ですので、なかなか提携先を見つけるのは難しいかと」
すると、ハーヴェイの左側に座っていた男性が、身を乗り出してソフィアに尋ねた。
「製造委託が無理ということであれば、販売委託はどうでしょうか。ソフィア商会の商品の取り扱いを希望する商会は少なくありません」
「それにも同じ答えを返すしかありません。何しろ販売できる商品が少ないのです」
「で、ですが、小麦はどうされるおつもりなのですか!?」
『おっと、小麦のことは知らない顔をしてるつもりなのかと思ったわ。我慢できなかったのかしらね』
ソフィアはくすりと小さく笑った。
「それこそ店舗は不要でしょう。契約書を取り交わし、倉庫から倉庫に小麦が運ばれるだけのことです。もちろん、さまざまな事務的な手続きのために執務室は構えますし、応接室も設けるつもりです。それに、業務契約の締結は商業ギルドの施設を利用することもできると伺っておりますが?」
「確かにそうですが、店舗の有無や規模は、そのまま商会の信頼度に大きな影響を与えるとはお考えにならないのでしょうか」
「逆にお伺いしたいのですが、皆様は『一等地に店舗を構えているから一流』などと取引先を安易に判断されますか? 一般のお客様ならともかく、商人同士であれば取引先の情報を多角的な視点から判断するものだと私は考えております。もちろん、店舗の所在地、規模、支店の数、売上なども重要であることは承知しております。だからこそ、私どもは『身の丈にあった』商売を心がけたいのでございます」
「身の丈ですか。グランチェスター領の小麦を買い占めることのできる商会の会長の発言とも思えませんね」
ハーヴェイの右脇に座っていた男性が笑みを浮かべながら発言したが、その目はまったく笑っていない。
「私もまさか小麦を買い占めることができるとは思っておりませんでしたわ。いろいろなご縁があったお陰で今年の小麦を買い占めることはできましたが、さすがに何度も同じ手が使えるとは思っておりません」
「ほう」
「ましてや、ミッドラン商会のような大きな商会と争うつもりもございません」
「ふむ。私のことをご存じでしたか」
ハーヴェイの右側に居た男 - ミッドラン商会の会長であるアーチボルトは、意外そうな声を上げた。また、他の二人もソフィアを見る目つきが変わった。
「アーチボルト様のことを知らずに、この国で麦を扱うことなどできるでしょうか。麦だけではございませんね。大豆、綿花、トウモロコシ、フラックスまで幅広く商われていらっしゃるのですから」
「もう10年近く前から商売は息子に任せ、私はギルド本部の役員の仕事ばかりをして居るものですから、王都以外からいらした商人の方は私の顔を知らない方が多いのです」
「まぁ! それは大変失礼なことを申し上げました。ご子息のジョージ様と一緒にグランチェスター領で、コジモ様の宴会に参加していらしたので、てっきり現役でいらっしゃるとばかり思っておりましたわ」
「…っ!」
コジモの談合に参加していたことを指摘され、アーチボルトは二の句を継ぐことができなかった。何年も続いていた談合が前触れもなく失敗に終わってしまったせいで、ミッドラン商会は必要な小麦を買い付けられていないのだ。
「ソフィア商会は、アヴァロンの民を飢えさせるおつもりなのでしょうか?」
「そんなつもりは毛頭ございませんが、販売先を選んでいることは否定できませんわ」
「それはどういった基準なのでしょうか!」
「グランチェスター領の代官であるロバート卿は、以前から小麦の価格を不当に操作されることを快くは思われておりませんでした。故に私どもの落札が決まった際、ロバート卿から小麦の価格操作に与した商会との取引はしないでほしいと依頼されたのでございます」
「なっ! それでは!」
焦れたアーチボルトが、先に冷静さを失った。
「ソフィア殿、頼む。小麦を売ってくれ」
アーチボルトが動揺しているのは、ミッドラン商会が半年も前から沿岸連合にある商会に小麦を売る契約を結んでいるからである。このように将来の決められた期日に、特定の商品を取り決めた価格で売買する取引を「先物取引」と呼ぶ。多くの商人が参加できる取引所こそないものの、この世界でも先物取引のような商売は存在している。
つまり、ミッドラン商会は期日までに必要な小麦を確保し、約定を交わした相手に納品しなければならない。そのためには、なんとしてでもソフィア商会から小麦を買い付けなければならない状況なのだ。
正確に言えばミッドラン商会だけではない。大勢の仲買人たちが連日ソフィア商会の本店に足を運び、小麦の買取りについて交渉を持ちかけてくる。ソフィア商会が断るたびに、彼らが提示する買取価格がどんどん上昇しており、既にソフィアが購入した価格の2倍近い価格にまで高騰している状況であった。
「取引の最終日まで10日もあるのですから、反対売買すれば宜しいだけではございませんか?」
「既に小麦の価格はとんでもない勢いで高騰している。いまさら反対売買などできるはずがない。取引が成立したのは半年も前なのだ。差額でうちの商会が倒れてしまう!」
反対売買とは、自分が売る契約をした商品を買い戻す取引である。当然、高騰している今の値段で買い戻すことになるため、売値と買値には差額が発生する。つまり、この差額がとても大きいと、アーチボルトは悲鳴を上げているのだ。
ミッドラン商会は、独自の調査で今年の小麦は豊作だと予測していた。そのため、契約した小麦の売値は例年よりもやや安価であった。事実、グランチェスター領だけでなく、アヴァロン中の小麦が大豊作であり、ミッドラン商会の予測は正しかった。しかし、談合が失敗することまでは想定していなかった。しかも、沿岸連合の商人たちが先を競うように小麦を買い付けており、小麦の価格は想定していた以上に値上がりを続けている。
「アーチボルト様、私どもがミッドラン商会に小麦を売るとして、売値はいかがいたしましょう。まずは交渉からになるとは思いますが、ここでその話は適切では無いかと存じます」
ソフィアはレベッカ直伝の優雅な微笑みを浮かべた。もちろん、目は笑っていない。
『ふん。大袈裟ね。差額を払ったところで、傾くような商会なわけないじゃない』
セドリックによって、既にミッドラン商会の内情は筒抜けである。大きな損害を出すことは間違いないが、商会が倒産するような事態にはならないことは把握済みであった。
いよいよ王都の商業ギルドに突入しました。