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嵐の前の……

ソフィアには、貴族家からお茶会や夜会への招待状がどっさり届いていた。


だが、これは異例中の異例である。本来、貴族家は爵位が低くても、商人を『呼びつける』ものであり、余程の深い関係になければ『招待』はしない。実際、多くの貴族家はソフィア商会を自宅まで呼びつけるつもりであった。ところが、ソフィア商会はグランチェスター領にしか店舗を構えていないため、呼びつけることができなかった。


そこで多くの貴族家は、普段自分たちが贔屓にしている御用商人たちを呼びつけ、ソフィア商会の商品を買い付けるよう指示した。もちろん、商人たちはソフィア商会に値引きの交渉を持ちかけた。一定数以上の商品を購入する代わりに値段を下げてほしいといった内容である。だがソフィア商会はこうした交渉をすべて断った。


設立したばかりであり、商品の生産体制も整っているとは言い難いソフィア商会は、そもそも大量に販売するだけの在庫を抱えていない。需要に対して供給が追い付いていないところに、大量購入を約束されてもソフィア商会のメリットは薄い。今は入手困難な商品であることを前面に押し、値引き交渉には一切応じないという姿勢を貫いている。


そのため、貴族家から依頼された商人たちは、ソフィア商会の本店で手に入れられるだけの商品を定価で購入し、大事に抱えて王都に戻って貴族家に納品するしかなかった。当然、手数料や輸送にかかった費用が上乗せされるため、グランチェスター領にあるソフィア商会から直接購入するよりも割高になる。


商人たちも転売で暴利を貪ることはできない。ソフィア商会は商品カタログを配布しており、商品本来の価格を貴族たちも知っているため、どれくらいのお金が商人の懐に入るのかが明らかになってしまうのだ。御用商人たちにとってソフィア商会の商品の取り扱いは、顧客に対するサービスのようなものにしかならず、損をしない程度に手数料を上乗せするのが限界であった。


そんな状況で社交界に一気に広がった噂があった。


『サラ嬢の誕生日パーティーに出席するため、ソフィアが王都にやってくる。滞在先はグランチェスター邸の離れらしい』


実は意図的にグランチェスター侯爵が流した情報である。口の軽そうな知り合いに「孫の誕生日パーティーを王都でやることにした」「会場としてアールバラ公爵家が所有するホールを借りることにした」「準備のためにソフィアも王都にくる」という情報を普段の会話の中にさりげなく混ぜたのだ。また、これ見よがしにグランチェスター邸の離れの準備を始め、庭園の整備や室内の模様替えに王都の業者を積極的に利用した。


ここで重要なのは『ソフィア商会が王都に出店する』のではなく、『ソフィアが王都にやってくる』という点である。おそらく親戚であろうサラを祝うために、ソフィアという個人が王都にやってきたという形を取っている。グランチェスター家の客人として招かれているため、他の貴族家がソフィアを呼びつけることは、グランチェスター家に対する侮辱と受け取られても文句は言えない。つまり、ソフィアと繋がりを持ちたいのであれば、彼女を丁重に自宅に招待しなければならないのだ。


「予想以上に数が多いわね」


ソフィアが滞在しているはずの離れでは、サラは8歳の姿のままで積み上がっている招待状を一通ずつ吟味していた。隣にはクロエがおり、三柱の姿を模したゴーレムたちも控えている。


「サラと一緒にというお誘いも多いわね。やっぱり、ジャスミンドレスのお茶会に参加したことが大きいでしょうね。ちょっとやらかしたけど」

「最初にエヴァンズ嬢とやらかしたのは、クロエじゃないの」

「あんなのはただの挨拶よ。やらかしには入らないわ」

「だから社交界ってイヤなのよ……」

「まぁ私も焦り過ぎたと反省しているわ。準備不足のままソフィア商会のドレスを披露しちゃったものね。サラもイヤな気分になったよね。ジャスミンがあんなに失礼な態度をとるとは思ってなかったわ」


クロエは少しだけしょんぼりとした態度を取った。


「それは気にしなくてもいいわ。正直、ちょっと他のデザイナーに浮気しただけで、上得意だったはずのクロエやその周辺の人間にあんな態度をとるのは、それだけジャスミンに余裕がないって証拠よ。ドレスコードを事前に設定していたのならともかく、こっちが文句言われる筋合いなんてないもの」

「あら、それくらい私の影響力が大きいと思ってたってことじゃない?」

「ジャスミンのドレスは、クロエやサラのような少女ではなく、成人女性向けのデザインが大半よ。確かにクロエは侯爵令嬢で影響力も大きいけど、目くじらを立てるようなことじゃなかったはず」

「確かにそうね」

「自分がトップデザイナーだと傲慢になっているのかもね。些細なことが気に入らないからって、大口の顧客をあっさり斬り捨てた。他にも自分を支持してくれる貴族女性は多いって高を括っているんだろうけど、あの雰囲気じゃアールバラ公爵家もジャスミンから離れてしまうのではないかしら。それに、こちらの技術が足りていないことを指摘するなんて、わざわざ敵に塩を送るようなものよ。一時の優越感を得るために、敵を利するなんて愚か者のすることだわ」

「ってことは、その尻馬にのってグランチェスター領の職人たちを馬鹿にしたパトリシアは、もっと愚か者ってことよね。うふふふふふ」

「待ってクロエ、顔が怖い」


ニンマリと腹黒い微笑みを浮かべたクロエに、サラはドン引きである。


「ねぇサラ、私がジャスミンのお茶会で言ったこと覚えてる?」

「どれのことだろう?」

「えーっと『民のための産業を活性化させる』の部分かな」

「あのカッコいい台詞ね」

「売り言葉に買い言葉ってことはわかってるんだけど間違ってはいないでしょう?」

「そうだけど、技術がいきなり身に付くわけでもないから、『顧客の意見を聞きながら職人を育てる』って姿勢を全面に押し出すしかなくなった気がするわ。もうちょっと水面下でバタバタしてからデビューさせたかったのに」

「そのあたりは申し訳ないって思ってるわ。だから提案なんだけど、一緒に流行を作ってくれる”少数の”令嬢のグループをつくるのはどうかな?」

「どういうこと?」

「所属している令嬢たちに商品のアイデア会議に参加してもらったり、先行して商品を試してもらったりするの。貴族って”特別”が大好きな生き物だから、自分たちにしか手に入らないモノがあると知ったら大騒ぎだと思う。限定品の香水とか化粧品とか」

「特別会員の制度を作るってことか。でも、揉めたりしない?」

「会員限定の商品販売は他の商会でもやってるわ」


『確かに他の貴族令嬢たちから意見を直接聞ける場があるのは良いわね』


サラはクロエのアイデアが気に入った。前世でも商品開発には先行モニターに協力してもらうことが多い。会員制度もよくあった。


「それって、王子妃争い用にクロエの派閥を作りたいってこと?」

「ソフィア商会にも悪いようにはしないから協力してよ」

「さすがに美容部門で売り出す商品を全部ってわけにはいかないわ」

「当たり前じゃないの。一般販売している商品が素晴らしくなかったら、限定品を誰も喜ばないわよ」

「つまり『厳選された最高品質の商品は、限られた人にしか販売しない』って感じにしたいわけね?」

「さすがサラね。よくわかってるじゃない。それとお願いがあるの」

「なぁに?」

「会員にはランクを付けたいの。最高ランクの会員には、若返りの施術を受ける権利を持たせたいんだけど」

「クロエ……あなたって本当に王子妃の素質があると思うわ。商売人の才能もありそうだけど、そのあたりはクロエの目指す方向とは違うから置いておきましょう。でも、まだ魔法薬は完成していないし、カウンセリングできる体制も整っていないから慎重に段階を踏みましょう」

「そうね」


クロエと会話しつつも、サラは招待状を次々と開封し、リストを作りながら返書する作業を淡々とこなしていく。もっとも、サラが開封した招待状を確認してリストを作成するのも、ソフィアそっくりの文字で返書を(したた)めるのもゴーレムたちである。9割方は丁重にお断りしているのだが、一部の貴族については検討してから決めたいので保留である。


「あら、その招待も断っちゃうの?」

「夜会は負担が大きいのよ。パートナーも必要だし」

「パートナーに名乗りを上げる貴族も多いでしょうに」

「だから面倒なのよ。グランチェスター城の夜会でも、愛人のお誘いを受けたしね」

「あれ、ダニエルがパートナーじゃなかった?」

「平民の元騎士なんて眼中にないって感じで声掛けられるのよ。立場的にダニエルも強くは言えないし、ソフィアも平民だから愛想笑いを浮かべないといけないし」

「なるほど。美女をやるのも大変ね」

「クロエだって他人事じゃないわよ」

「あと数年は猶予があるから、それまでに王子妃の最有力候補になっておかないと」


そこに突然ミケとポチがにゅるんっと現れ、クロエがいることに気付いて普通の人間にも見えるように魔力を纏った。


「ちょっとサラ、空間収納の中に変なヤツがいるわ。どういうこと!? 」

「あのキモいヤツはナニ??」


いきなり空中に現れた妖精を見て、クロエは大きく目を見開いて固まった。


「サラ、なんか犬と猫が浮いてるんだけど、私疲れてるのかな?」

「クロエは正常だから安心して良いわよ。この子たちは私と友愛を結んだ妖精なの」

「あぁ祖父様とお酒を飲んだ妖精ね?」

「それは私よ!」


ミケがクロエの肩の上に飛び乗った。それを見たポチは、サラの肩の上で伏せの姿勢を取った。


「で、慌てて何よ。なんで私の空間収納を覗くのよ」

「ちょっとお酒を貰おうかと…?」

「なんだかなぁ」

「そんなことより、毛むくじゃらのヤツが外に出せって大騒ぎしてるわよ」

「大騒ぎ…………あ、武蔵のことケロっと忘れてた!」

「アレなんなの? 人間でも妖精でもないわ」

「私の転生に巻き込まれたというか、勝手についてきた向こうの魂なの。放っておいたら消えちゃいそうなくらいボロボロだったから、ひとまずぬいぐるみ型のゴーレムに収めたのよ。当分の間は魔力を注いで修復しないといけないの」

「うーーーーん? 受肉してないから転生者じゃないけど、人ってことであってる?」

「概ねあってるけど、どっちかっていうと幽霊とかお化けの類かな」

「ひぃぃぃぃ」


サラの説明を聞いて悲鳴を上げたのはクロエだった。


「ちょっとクロエ、びっくりするじゃない」

「びっくりしたのは私よ。サラは幽霊まで飼ってるの?」

「好きで飼ってるわけじゃないわよ。行きがかり上、仕方なく拾うことになったんだけどさ、拾っちゃった以上は責任を持たないとダメかなと」

「幽霊を捨てられたペットみたいに言うのはサラだけよ」

「まぁとにかく一度連れてくるか」

「いやぁぁぁぁ」


クロエは近くで書き物をしていたマエストーソの後ろに隠れ、こっそりとサラの方を窺うような姿勢を取った。そんなクロエを横目で見つつ、サラは空間収納に手を突っ込んで武蔵を引っ張りだした。


「お嬢ちゃん、やっとかよ」

「ごめん、すっかり忘れてた」

「で、ここはどこだ?」

「王都にあるグランチェスター侯爵邸の離れよ」

「あぁ、嬢ちゃんはグランチェスター家の令嬢なんだっけな」

「正確には違うわ。私の父はグランチェスター侯爵の三男だから、グランチェスター侯爵の孫ってだけ。私の身分は平民よ。本物のグランチェスター侯爵家の令嬢は、あそこにいるクロエの方」

「あぁ晩餐会の時にも見たな」


武蔵はトコトコとクロエの方に歩いて行き、短い手足ながらもボウアンドスクレイプのような姿勢をとってお辞儀をした。


「はじめましてグランチェスター侯爵令嬢。私は武蔵と申します」

「えっと、はじめまして?」


武蔵のビジュアルが予想外に可愛かったせいで、クロエは武蔵をきょとんとした眼差しで見つめている。


「あ、クロエ、そいつの口車に乗らないようにね。詐欺師だから」

「そうなの!?」

「オレは詐欺師じゃねー」


武蔵はタシタシと地団駄を踏んで抗議したが、ぬいぐるみが絨毯の上で暴れてもほとんど音はしない。


「しかも、ちょっと前までアヴァロンの国王陛下に憑依してたのよ。昨日の晩餐会の終わりに引き剥がして、ぬいぐるみの中に放り込んだの」

「陛下に憑依??」

「ここ数年で国王陛下の性格が変わっていたら、コイツのせいだと思って間違いないわ」

「そういえば、お父様たちがそんなこと話してたかも?」


クロエは首を傾げつつ答えた。


「それで、サラはこの武蔵をどうするつもり?」


ポチがふわりと武蔵の頭の方に移動すると、ミケもすたりと床の上に降り立って胡散臭そうな表情を浮かべて武蔵をジロジロと観察するような仕草を見せた。


「魔力を注いで魂を修復したら、向こうの世界に戻すわ。新しい人生をやり直すことになると思う」

「なんでサラがやるの?」

「この世界の神様は、武蔵を消し去るつもりだったみたいなの。さすがに可哀そうだったから、助けてあげることにしたの。それに、詐欺師をそこらに放り出すのも危険かなって」

「あぁ、それはわかる」


ミケはふんっと鼻を鳴らした。


そこにマルカートのゴーレムが近づいてきた。その姿を見た武蔵は慌ててサラの方に逃げてきた。


「ひっ。消される!」

「あぁごめん。武蔵、それは神を模したゴーレムよ。あなたを消すことはできないわ」

「なんで神の姿を模してるんだよ」

「オリジナルなイメージで造形するのが苦手なのよ」


まさか邪神になってしまうとは言い難いので、サラは言葉を濁した。


「ソフィアが商業ギルドに向かわねばならない時間が迫っておりますがいかがいたしますか?」


武蔵とサラの会話を気にする様子もなく、マルカートのゴーレムはサラに話し掛けた。


「もうこんな時間か。行かないと」


先程から貴族たちの招待を断りまくっているのは、ソフィアのスケジュールがパンパンであることが大きな原因である。既に王都で会うべき人は決まっており、王宮の晩餐会への招待ですらサラとソフィアにとっては『迷惑な割り込み』であった。実は、その日時にソフィアは王都の商業ギルドを訪問する予定だったが、王からの招待を一介の商人が断ることはできないため、スケジュールを再調整せざるを得なかった。そんなわけで、妖精や武蔵の登場でカオスになっているグランチェスター邸の離れに放置し、ソフィアは急いで王都の商業ギルドへと向かった。


一方、ソフィアが王宮に招待されたことを知った商業ギルドの幹部たちは、この事態を重く捉えた。王都で長年商売をしていても、アヴァロン王室の御用商人になるのはなかなか難しい。にもかかわらず、設立して間もない地方の商会の会長に過ぎないソフィアを、グランチェスター家のご令嬢の付き添いとはいえ、王が自ら晩餐会に呼んだのだ。


『ぽっと出の商会だと思ってたが、王が直々に呼ぶとは侮れん』

『グランチェスター侯爵の愛人という噂は本当か?』

『いやいや、孫娘の母方の親戚らしい。顔がそっくりだそうだ』

『そんなことより、グランチェスター領の今年の小麦を買い占めたことが問題だ』

『談合に失敗したのなら仕方あるまい』

『既に小麦の価格は高騰が始まっているのだぞ!!』

『いずれにしても、一刻も早く会わねばならないだろう。下手に刺激するのは得策ではない。王やグランチェスター侯爵家との繋がりが深いのであれば、丁重にお迎えするしかあるまい』


商業ギルドの幹部たちは、流星の如くあらわれたソフィアという女商人を、どのように扱えばいいのか考えあぐねていた。しかし、一刻も早くソフィアに会う必要があることは幹部たちも理解しており、本日の午後に会うことで合意した。




王都の商業ギルドは頑丈な石造りの建物の中にある。だが、無骨な雰囲気は一切なく、壁は白漆喰で装飾的に仕上げられている。扉や窓も錬鉄によって優美なデザインを描きつつ、防犯という視点では申し分ない。


「さすがに王都の商業ギルドね」


ソフィアの姿で馬車を降りたサラは、降りるのに手を貸してくれたダニエルに向かって小声でボソリと呟いた。扉の前に警備員が2名立っているが、彼らもお飾りではないようだ。


「グランチェスター領よりもかなり大きいですね」

「さすがアヴァロンの中心ね。もっとも、雰囲気に呑まれる程じゃないわ」


ソフィアが扉の前に立つと、警備員の一人がソフィアに誰何した。


「私はグランチェスター領でソフィア商会を営むソフィアと申します。打合せへの参加を予定しております」

「はい。伺っております。中に入って受付でお待ちください」


こうして、いよいよソフィアは王都の商業ギルドに足を踏み入れたのである。

いよいよ400話。

設定集に人物紹介を追加しました。

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― 新着の感想 ―
クロエは貴族としては優秀になる位にはやっているみたいですし、無能な下着泥棒だった頃のアダムは恥ずかしいし見損なっていたでしょうしサラをいじめるような荒んだ時期でアダムの御乱行判明前とはいえよく男兄弟と…
[良い点] 流石エリザベスさんと社交に精を出していただけあって貴族相手の駆け引きが分かってるクロエちゃん……王宮でも王族相手に萎縮せず油断せずの対応だったし社交については実はかなり有能ですよね。
[良い点] 書籍版一巻読んで最新話まで追いつきました。 二巻楽しみにしてますヾ(´ω`)ノ
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