打開策を模索する
数日が経過して体調は回復したが、サラは相変わらず部屋に引きこもっていた。従兄妹たちへの復讐を諦めるつもりはないが、無策のまま外に出れば再びイジメの標的になってしまうことが明白であるためだ。なんらかの手を打つ必要がある。
大人に言いつければ解決するような単純な問題ではない。
伯父と伯母もサラを劣った血の子供として蔑んでおり、そんな両親の態度が従兄妹たちのイジメに繋がっている。告げ口したところで解決するとは思えない。
サラを引き取ったグランチェスター侯爵にしても、義務感でサラを引き取りはしたものの、自分の養女として正式にグランチェスター家の籍に入れたわけではない。使用人たちに「この子はアーサーの娘だ。今日から面倒を見ることにした。アーサーが使ってた部屋を与えてやれ」と告げただけで放置している。
そんな祖父がサラのために手間をかけるとは考えにくい。おそらく面倒ごとを持ち込むことは避けた方が無難だろう。
使用人たちもサラをどの立場で扱えばいいのか迷った。邸内で働く使用人には子爵家や男爵家といった下位貴族家出身者も多く、平民でありながら令嬢として扱われるサラに複雑な感情を抱いていた。
しかし下手に粗略に扱って、あとから侯爵の機嫌を損ねてしまうリスクを回避するために、ひとまずは侯爵家の令嬢として扱うことにしたようだ。その結果が、専属メイドのマリアである。もしサラが侯爵家で生まれ育っていれば、たとえ母親の身分が低くても、乳母や侍女は付けてもらえていただろう。専属のメイド一人だけというのは、なんとも微妙な扱いである。
不安定な立ち位置で侯爵家の正当な血統を持つ従兄妹たちとの衝突が表面化すれば、サラにとって不利になる可能性の方が高い。
『このまま侯爵家で過ごしても居心地悪いのは確かだけど、家出しても生活に行き詰まるの目に見えてるしなぁ』
下町で育ったサラは、この世界で親のいない子供がどうなるかを知っていた。良くて孤児院、悪ければスラムでスリや物乞いになるしかない。前世のように社会制度が整っているわけもなく、劣悪な環境の孤児院は衣服どころか食事にも事欠く有様だという。スラムに至っては、両親から近づいてはいけないと言われていたため、足を踏み入れたことすらない。おそらく孤児院よりも酷いだろう。
侯爵家にいる限り、衣食住で困窮することはない。家格に見合った服、1日3回の食事に加えてお茶やお菓子などの嗜好品、広い自室にはふかふかのベッドがある。平民には贅沢なお風呂でさえ、部屋に付属したバスルームで毎日入ることができる。
しかし、いつまでもこのままでいられないことはサラにもわかっていた。
『おそらく伯父が次の侯爵になれば、私は家を追い出される。どこかの年寄りの後妻として売り飛ばされるように嫁がされてしまうかもしれない』
祖父である現グランチェスター侯爵は50代前半である。引退にはまだ少し早いが、あと10年もすれば引退を考えるだろう。その頃にはサラも結婚適齢期を迎えているはずだ。
貴族の結婚の大半は政略結婚だ。貴族の子女は家にとってメリットのある相手と結婚し、子孫を残すことを義務付けられている。領民の税で贅沢な暮らしをしている以上、領地に良い結果をもたらす結婚をするのは当然と言える。
アーサーはアデリアと結婚するため、身分や家を捨てて駆け落ちした。貴族であるグランチェスター家から見れば、アーサーは義務を放棄して逃げ出した無責任な男であり、その結果であるサラを養う義務はまったくない。
つまり、グランチェスター家で貴族として養われるということは、グランチェスター家や領地の民に何らかの貢献をしなければならないということでもあるのだ。
貴族令嬢は結婚によって家に貢献する。社交界にデビューして結婚市場に売りに出され、より条件の良い相手と結婚できるよう着飾って微笑みを浮かべるのだ。
サラは半分しか貴族の血が流れていないので、血統だけを見れば価値は低い。しかしグランチェスターは、代々容姿の優れた者が多い家であった。アーサーも整った顔立ちをした青年であったし、アデリアは平民でありながら求婚者が列をなすほどの美人であった。
要するにサラは"とても"美少女なのだ。やや蒼色が混ざったような銀色の髪、宝石のような蒼い瞳、透明感のある白い肌、小さい唇は化粧をしなくてもピンクに色づいている。おそらく結婚適齢期には、さぞかし美しくなることだろう。
さらに魔法が発現してしまったことを加味すると、それなりに価値がある商品となってしまうのではないだろうか…。
『そう考えると貴族令嬢って哀れな生き物ね。血統重視のあたり、前世で見たサラブレッドのオークション思いだすわ』
自分の意思で結婚を決められないどころか、生き方を決めることさえできない。貴族令嬢であるメリットなど、贅沢な生活をおくることくらいしかないように思える。前世の記憶を取り戻したことで、サラは更紗のように自分で生き方を決め、悠々自適に生きていきたいと考えるようになっていた。
『最低限の生活水準を維持しつつも、自由に生きていきたい。しばらくはグランチェスター家で生活して、独立する資金を貯めて出ていくのが良さそう。まぁ、養育にかかった費用くらいは返しておくべきだろうけど。でも、その前に従兄妹たちと距離を取る方法を考えないと身動きが取れない。いっそ王都を離れて領地の邸に移る?』
グランチェスター領の領主邸には、父の2番目の兄であるロバートが居住して代官を務めている。いまだ独身であるため、従兄妹にあたる子供はいないはずである
『2番目の伯父がちょっとばかりイヤなヤツだったとしても、さすがに子供っぽいイジメはしないだろう。顔を合わせないように静かに過ごしていれば平和だよね』
従兄妹たちは領地を田舎として嫌っており、王都邸から離れようとしない。グランチェスター領は、峻厳な山々から湧き出る豊かな水源を持ち、常に潤沢な水量を誇る川沿いに穀倉地帯が広がる豊かな領地だ。
長男のアダムはともかく、次男のクリストファーは兄を補佐する代官として、将来は領地に住むことになるのではないかと思う。しかし、地元の顔役やその子息たちと交流しようという気配すらない。長女のクロエなど『避暑地としてお友達を招待することもできない田舎』と言い出す始末である。
衣食住に困ることはなく、従兄妹たちに会うこともない。考えれば考えるほど、独立するまで領地の邸に転居するのは良いアイデアに思えてくる。
『祖父様が元気なうちに私自身が力をつけなければ。そのためには知識が必要ね』
ひとまずサラはグランチェスター領への移住と、学習の機会を与えてくれるよう侯爵に許可をもらうことにした。この世界では身内といえども領主の執務室を無断で訪問することはできない。まずは侯爵に面会したい旨を伝え、家令を通じて都合を確認する。
しばらくすると、夕食後であれば時間が取れるという返事があり、それまでにサラは現状を改善するために必要なことを列挙することにした。
『とにかく自分でお金を稼げるようにならないといけないのよね。少なくとも貴族社会に身を置いている以上、マナーはもちろん、社会情勢を知らなければ話にならない。他国に移住する可能性も含めて考えれば、外国語の学習と国際情勢の情報を集めておかなければならないわね。問題は魔法だけど発現したことは秘密にしてるしなぁ。まぁそこは追々考えよう』
更紗は勉強のできる子だった。国立大学で経済学科を卒業し、そのまま大手商社に勤務した。社会人になってからも米国でMBAを取得し、複数の外国語をマスターするなど学習意欲が旺盛であった。仕事の能力も高かったため、同世代の中では頭ひとつ飛びぬけたポストに就いていた。(ワーカホリックで婚期は逃していたが……)
『まずは領地への移住と家庭教師の手配をお願いする感じかしらね。あとのことは、領地でゆっくり考えればいいわ。だけど、これはあくまでも戦略的撤退。絶対に仕返しは諦めないから!』
…… 安定の不穏さである。