サボったツケは支払わなければならない
サラが誕生日を迎える3日前、ロバートとレベッカ、そしてエリザベスと二人の息子たちが王都のグランチェスター邸へとやってきた。エリザベスたちにとっては帰宅したという表現の方が正しいかもしれない。
アダムはギリギリまで王都に戻ることを嫌がっていたが、エリザベスは『サラの誕生日に小侯爵家の長男が不在という状況は許されません』と息子の我儘を一刀両断した。もっとも、これは表向きの理由である。実際には、『グランチェスター家の大人がいない状況でマーグと二人きりにしてはいけない』という大人の判断によるところが大きい。
エリザベスがマーグを嫌っているわけではない。エリザベスはマーグも王都邸に連れてくるつもりでいたが、自分の所作や教養が上位貴族と行動を共にするには足りていないとマーグの側が誘いを断ったのだ。
そんなマーグの謙虚さや聡明さをエリザベスはますます好ましく感じたが、それ以上にエリザベスは自分の息子の方が信用できなかった。この件については、エドワードも同じ意見である。
「経験則で言わせてもらうけど、あの年頃の男子の理性には期待しない方がいい」
「ですが、アダムは身体の調子が万全ではないのではありませんか?」
「一線を越えなければ良いという話でもないだろう。アダムが無理強いするとは考えにくいが、少しばかり行き過ぎた愛情表現くらいはやらかしそうだ」
「……マーグの立場では断りにくいですわね」
「僕たちは可能な限りマーガレット嬢を守ってあげるべきじゃないかな」
「当然ですわ。エミリーの娘なら私の娘も同然ですもの」
実際のマーグはアダムより強いので、イヤなことをされたら返り討ちにすることは間違いない。今は貴族令嬢の皮を被ってはいるが、スラムを生き延びた強かな女の子である。どちらかと言えば、ここまで両親に信用されないアダムの方が問題である。もっとも、過去のやらかしを考えれば致し方ないかもしれない。
不貞腐れながら王都に戻ったアダムではあったが、コーデリアとトマスからはどっさりと課題を出されていた。出発前にはマーグから『今年こそアカデミーに合格ね』と応援という名前のプレッシャーが掛けられており、自室に引き上げるなり休みも取らずに自習を始めた。これまでサボっていたツケは、きちんと支払わなければならないという事をアダムはきちんと理解していた。その様子を見たエリザベスは、ますますマーグに対する評価を上げていく。どうやら嫁姑関係には問題が無さそうである。
エリザベスにしても、子供たちを構っている時間はなかった。到着したその日のうちに慌ただしく身支度を済ませ、レベッカと共にアールバラ公爵家へと出掛けて行った。パーティーの打合せに子供がいても役に立たないという建前により、主役のはずのサラは置いて行かれた。
アールバラ公爵夫人であるヴィクトリアは、王宮でのことをサラに直接謝罪するつもりでいた。しかし、サラ自身がまったく気にしていないことをレベッカから告げられると、安堵すると共に息子のアルフレッドに興味がないことを思い知らされた。それまで同じ年頃の令息たちよりも聡明で優秀な息子だと思っていただけに、ヴィクトリアは少なからず衝撃を受けて落胆している。こればかりは相手が悪かったとしか言いようがない。
そしてレベッカも、これまで社交をサボっていたツケを支払う羽目に陥っていた。最低限出席しなければならない場所には顔を出していたが、それ以外は実家で悠々自適に暮らしていたため、社交界において密な人間関係を形成できていなかったのだ。自身の結婚式どころか、サラの誕生日の招待客のリストすら満足に作成できないことに落ち込み、とうとう馬車での移動中にエリザベスに泣き言を言い始めた。
「リズ……、私ってガヴァネスとしても、母親としても不足なのではないかしら」
「貴族女性としての義務を果たしていなかったのは確かでしょうね。手助けはしてあげるから頑張りなさいよ。それにしても、どうして社交から遠ざかってたの?」
「ロブと関係のある女性たちから絡まれるのよ」
「それはわかるけれど、そういう女性をあしらうのは苦手じゃないでしょう?」
「どちらかと言えば得意だと思うわ。でも、そんなことばかりしてると、自分のことが好きになれなくなるのよ」
「なにかあったの?」
「基本的にロブの相手って遊び慣れている女性ばかりなのよ。そんな女性たちに何を言われても気にはならないし、嫌味を返してスッキリした気分になることもできるわ」
「だったら良いじゃない」
「問題なのは本気でロブに恋をしている若いご令嬢ね。私に敵愾心を剥き出しにして『ロバート卿を本当に幸せにできるのは私ですわ。あの方の心を弄ぶのはおやめになって』とか言うのよ。そうじゃなきゃ、しくしく泣きながら『私がレベッカ様のようにあの方の幼馴染だったらずっと寄り添っているはずですわ』とかね」
「あははは。レヴィが弄んでくれたんだったら、ロブなんてイチコロよね。遊んであげれば良かったのに」
「ちょっと、私だって未婚の貴族令嬢なのよ!?」
「随分と薹が立ったご令嬢ですこと」
「ひどいっ」
「事実じゃないの。どうせ、そんなことを言うような無謀なお嬢さんなら、レヴィの半分くらいの年頃でしょう?」
「うっ…」
「見た目が若くたって、中身はちっとも若くないものね。要するに、純粋なお嬢さん相手だと、嫌味も言えないってことね?」
「だって可哀そうじゃない」
レベッカの様子を見たエリザベスは、深いため息をついた。
「私ね、レヴィのそういうところが好きになれなかったの。うーん、ハッキリ言えば嫌いだったと思うわ」
「なんとなく嫌われているような気はしていたわ」
「それは、お互い様でしょ」
二人は見つめ合って暫し沈黙し、次の瞬間に同時に笑った。
「あのね『可哀そう』って、凄く相手を馬鹿にしてると思わない? 結局、レヴィはそのお嬢さんを対等な相手と思っていないのよね」
「否定はできないわね。だって本当に若いお嬢さんなんだもの」
「でも、ロブがそんな若いお嬢さんに本気になるかもしれないでしょう?」
「まさか!」
「そうね、私もそんなことはあり得ないと思ってる。それに、ロブがどれだけ世慣れた女性たちと遊んでいたとしても、彼が本気にならないことはあなたも知っていたはずよ」
「それはどういう意味?」
「だって、レヴィは自分がロブから愛されていることを知っていたはずだもの。言葉にしなくたって肌で感じていたはず。ヘタレだからこんなに待たせてしまうことになったけど、あなただってロブのことを待っていたはず」
「それは……」
「否定したら、あなたのことを嘘つき女って言いふらすわよ」
「……そうね知ってたと思う。でも、そろそろ諦めるべきかなって思い始めていたのも嘘じゃないわ」
「ふらふらと遊んでるロブを見たくなかったって言う気持ちもあったんじゃない?」
「そうかも。浮かれている男のせいで、私はちょっと頭の悪い女たちに絡まれるなんて冗談じゃないって気分だったわ」
「それって『私という女がいるのに!』っていう憤りよね。自分からロブに『私たち結婚しましょう』って言えばそれで済んだのに。あなたみたいな美女って、自分から求愛するのは沽券にかかわるとかおもっちゃうわけ?」
「淑女は男性から求愛されるのを待つものだもの」
「要するに、ロブが自分の意思でレヴィの前に跪かないのが気に入らなかったってことでしょ。そういう上から目線な感じが大っ嫌い。少なくともレヴィに絡んだ若いご令嬢たちは、ちゃんとロブに『お慕いしています』くらいは言ったはずよ。あなたはそんなお嬢さんたちに向かって『淑女の癖にはしたない』とでもいうつもり?」
レベッカはビクリと身体を震わせた。薄々自分でも気付いていた、自分の醜い部分をエリザベスに指摘されたのだ。
「そうね……認めるわ。私って鼻持ちならないイヤな女だったかも」
「まぁレヴィがそうなった理由も理解できないわけじゃないわ。私たちくらいの世代の貴族女性って、あなたとお友達になりたがらなかったもの」
「うん。気付いてた」
「レヴィが悪いわけじゃないわ。『オルソン令嬢は悪い方ではないけれど、あの方は美しすぎて私たちとは住む世界が違う気がするわ』って囁かれてたわ」
「それ、面と向かって言われたこともあるわよ」
「おかしな話よね。じゃぁ、レヴィが不器量だったらお友達になれるわけ? 少なくとも、容姿の良し悪しで変わるような友情なんて私はいらないわ」
エリザベスはニコッと笑って、レベッカの手を取った。
「でも、私もあなたのお友達にはなりたいと思えなかった」
「そんなにイヤな女だった?」
「うーん、それもあるのだけれど、私は昔からエドのことが好きだったから、あなたの隣に立って比べられるのが怖かったのよ」
「だったらエドと結婚したら、友達になってくれてもいいじゃない」
「ロブがあなたのことを好きなのは知ってたし、グランチェスターの三公子の嫁としてあなたと比べられるのがイヤだったのよ。同じ理由でアデリアも好きじゃなかったわ」
「ぷっ。リズってそんなに虚栄心強いわけ?」
「女性なら誰だってそれくらい思うわよ。でもね、今は少し考え方が変わったかも」
「どうして?」
「ちゃんとエドに愛されてるってわかったから。もっと美しい女性も、もっと賢い女性もいるのに、それでもエドは私だけを愛してくれてたわ。エレオノーラ様に言われたから求婚したとばかり思ってたから、本当に驚いたのよ」
「リズは最初から愛されてたわよ。エドを見たらわかるじゃない」
「そういうのって傍から見てる方がわかるのかもね。でも、私はエドから自分の嫁が一番不器量って思われるのが怖かったの」
「じゃぁ私はなるべく鼻持ちならない女にならないよう頑張るから、これからはお友達になってくれる?」
「何を言ってるんだか。これからは姉妹で家族でしょ」
「確かにそうね!」
ちょっとだけ潤んだ目をしたレベッカを、エリザベスは本当に美しいと感じた。だが、それ以上に可愛らしいという気持ちが沸き上がってきたため、エリザベスはレベッカの鼻先を、ちょんっと軽くつついた。
「いいから、泣き言を言わずに人間関係を叩き込みなさい。社交なんて結局は人と人とのつながりでしかないのですからね」
「はぁい、お義姉様」
「それにしても、こんなに甘えたレヴィはサラには見せられないわね」
「あら、私に向かって『大っ嫌い』って言ってる自分をクロエに見せられる?」
二人は少女のようにくすくすと笑った。そして、二人は同時に同じことを考えていた。
『アーサーとアデリアもいたら良かったのに』
これまでの通常業務に加えて、書籍化作業もあって更新が滞ってしまいました。
そして、無事に二巻の予約が開始になりました!
https://tobooks.shop-pro.jp/?pid=180695224
それとですね、なんとコミカライズ企画も進行中です!
まだ未定なことばかりですが、今からワクワクしています。