深夜のテンション
グランチェスターの一行が帰宅した後、王室メンバーは深夜にもかかわらず王の私室に集まっていた。それぞれが自室に引き上げようとしたところに『話がある』と王が声を掛け、空気を察した王太子が侍従や侍女たちを全員下がらせた。
「まず王妃よ、いろいろとすまなかった」
「どの件を謝罪されたいのかわかりかねますが、今日の女性たちへの仕打ちでしたら確かに悪質でしたわね」
「返す言葉もないな。もっとも、それ以外にも今日の私は本当に酷かった。……いや、今日に限ったことではないか」
王は深いため息をつき、酒を飲み過ぎた後に飲む薬草茶に口を付ける。薬師たちの配慮で多少飲みやすくはなっているものの、誤魔化しきれない青臭さに王は顔を顰める。それを見た王妃が王にそっと水を差しだすと、王はごくごくと水を飲んで一息ついた。
「酔った勢いで言っていると思われたくないので、酔い覚ましの茶を飲んだが、相変わらず酷い味だな」
「王は何を仰せになりたいのです?」
「私はそろそろアルバートに王位を譲り、今後はゆっくり過ごそうと思う」
「突然どうされたのですか?」
王太子が淡々と尋ねた。もう何年も前から譲位に向けて準備はしていたが、一向にその気配がないことから、王太子の側近たちは『王はお隠れになるまで玉座におられるおつもりなのでは』と口にするようになっている。
「アルバート、其方もわかっているだろう。本来ならもっと前にやるべきだった」
「ですが…」
王太子が動揺している様子を見た王は、ふっと笑顔を浮かべた。
「もう何年も霧の中を彷徨っていたような気鬱が、嘘のように晴れているのだ。サラ嬢の演奏のお陰だとすれば、まさに神の音楽なのやもしれぬ。ゲルハルト王太子がサラ嬢を求めたというのも頷ける話だ」
この発言をサラが聞いていたとしたら、おそらく『憑き物が落ちただけで私は何もしてない』と思ったことだろう。
「彼女の演奏は素晴らしいことは認めますが、流石に大袈裟ではございませんか?」
「まぁ理由は何でも良い。演奏ではなく王族の妻の座を望まぬサラ嬢の新鮮な態度に触発されたのやもしれぬ」
「そうね。あの子はアンドリュー王子に嫁げと言われただけで、国を出奔する勢いでしたものね」
「そろそろ止めてください。僕が何度もフラれてるみたいで情けない気持ちになります。そんなに僕って魅力ないですかね」
アンドリューもサラを綺麗な女の子だとは思ったが、流石に子供過ぎで恋愛対象にはなり得ない。実際にプロポーズをしたことがあるわけでもないのに、何故かフラれた形になっているアンドリューは内心とても複雑であった。
王太子の嫡出の長男である以上、大きな問題が無い限り将来の王になることはほぼ決まっている。王の直系として魔力量が多いのは当然だが、この年齢で既に父や祖父よりも魔力量は多い。もちろん才能だけに溺れるほど愚かではなく、勉学に手を抜かずアカデミーの成績はトップクラスを維持しており、剣術も騎士団長を師匠として日々鍛錬を怠っていない。容姿も整っている方だと自覚しており、幼い頃からアンドリューの周囲には「婚約者になりたい」というご令嬢たちや、彼女たちを嫁がせたい親兄弟で溢れかえっていた。
「母として、アンドリューには言っておくべきかもしれないわね」
「なんでしょうか」
「あなたは王太子の長男だからモテてるのであって、あなた自身の魅力って考えると微妙よ」
「えっ!?」
「確かにそうねぇ」
王太子妃の意見には王妃も頷いた。
「そんなに僕ってダメですかね?」
「そんなことないわ。王子としての資質に問題はないし、むしろ優秀よ。優しく、正義感が強く、民を想う気持ちもある。だからと言って潔癖過ぎず、国や王室のために手を汚すことも厭わない。そのまま成長すれば、バランスのとれた良い統治者になるでしょう。だけど、男性として魅力的かと問われると……オリヴィアの言う通り微妙かしら」
「び、微妙……」
アンドリューはガックリと肩を落とした。
「男性の何に魅力を感じるかは相手次第だけれど、わかりやすい基準としては容姿があるわよね。もちろん、それも人によって好みは分かれるところではあるけど、アヴァロンで一番の美形の家系は間違いなくグランチェスターだということはわかるわよね?」
「はぁ、一般的にはそうですね」
「王室に嫁いでくる女性は基本的に綺麗なご令嬢か姫君だから、王室もそれなりに容姿には恵まれているわ。それでもグランチェスターの一族には敵わない。現に、小侯爵を筆頭にグランチェスターの三公子は、アヴァロンのご令嬢たちをときめかせる存在よ。結婚して子供もいるというのに、エドワード小侯爵を密かに想い続けている女性は決して少なくないわ。しかも、今日見た小侯爵は不自然なくらい若返っていたから、また若い女性たちが騒がしくなるでしょうね。次男のロバート卿も随分と社交界では浮名を流していたけれど、やっと落ち着くようで何よりだわ。レベッカも随分と気を揉んだでしょうね。それに、サラ嬢のお父様だったアーサー卿は三公子の中でも特に見目麗しい貴公子でしたよ」
「はい。話は伺っています」
「そう考えると、サラ嬢やグランチェスターの女性たちは美形を見慣れ過ぎていて、あなた程度の容姿には驚かないのよ」
「で、ですが彼らはサラ嬢から見れば父親の世代ではありませんか」
別にサラに好かれたかったわけではないが、祖母からの『あなた程度の容姿』という発言にアンドリューの負った傷は地味に深かった。
「もちろん男性の魅力は容姿だけではないわ。だけど、サラ嬢の剣術の師匠はジェフリー卿なのでしょう? 王室騎士団の団長よりも強くて美しい男が近くに居ることは間違いないわね。彼が近衛騎士団に入らなかったことを嘆いた乙女たちも多かったわ」
近衛騎士団には独身男性しか所属できないという決まりがある。近衛騎士が守るべき対象は王とその家族であるため、妻や子供など守るべき者が他にできた場合には近衛騎士団を退団しなければならない。ジェフリーが初めて剣術大会で優勝したとき、彼は既に婚約していたため近衛騎士団からの誘いを断っている。つまり、美しい獣のような騎士に心をときめかせた王都の女性たちは、ジェフリーに相手がいることを知ってガッカリしたというわけだ。
「先程、サラ嬢のお勉強を見ているのはガヴァネスのレベッカだけじゃなくて、元王宮文官のトマス・タイラーだと言ってたわ。彼は美貌で知られた人物ですし、アンドリューとは同世代でしょう?」
「王妃の言うとおりだな。だが、あの男の真の価値は容姿ではない。アカデミーでは神童と呼ばれ、最年少で宮廷文官の試験に合格するほど優秀だった。愚かな令嬢のせいで貴重な人材を失った。男の美しさが仇になるとは考えもしなかった。きちんと守ってやれなかったことが悔やまれる」
トマスの処遇については王も思うところがあるようだ。サラを始めとするグランチェスターの子供たちは気付いていない。家庭教師のトマスは王からの覚えもめでたい将来有望な人物であり、彼からの教えを受けられることはとても幸運なのだ。
「そういえば、最近トマス・タイラーが書いた新しい帳簿の本が話題になっているな。アカデミーの経済学の教授が大絶賛していたよ。王宮でもこの仕組みを取り入れるべきだという文官も多いそうだ」
「新しい帳簿の話は私も聞いたな。確か複式簿記とか言うのだろう?」
「そうです。グランチェスター式帳簿とも呼ばれているそうですが、期の途中でも財務状況を把握するのが容易であり、不正をしにくい優れた仕組みだそうです。トマス・タイラーがグランチェスターで大きな功績を上げたようですね」
「やはり惜しい…」
王と王太子は顔を見合わせると、同時に深いため息をついた。そして、二人の様子を見ていた王妃は、夫と息子がよく似ていることに気付いて小さく微笑んだ。
「確かにトマス・タイラーは綺麗なお顔でしたけど、私には血の通わないお人形のように見えましたわ。才があることに驕り、挫折を味わったことの無いような風情でしたから、あのまま市井に埋もれてしまうと思っていましたよ。グランチェスターで彼に何があったのでしょうね」
「ふむ……王妃はグランチェスターに秘密があると思っているのか」
「ソフィア商会の台頭、トマス・タイラーの劇的な活躍、そして小侯爵は驚く程若返っていましたわ。これ程の短期間にグランチェスターに何があったのかと疑わない方がどうかしていると思いますわ」
「王妃殿下、いえ今は母上とお呼びしますが、グランチェスターが突然変わったのと、サラ嬢は関係があるとお考えなのではありませんか? 子供の頃によく聞かされた、母上の国に伝わる古い物語を思い出すのですが」
「そうね。見た目は子供なのに中身が子供ではない者。特に少女の場合には『ヒロイン』や『悪役令嬢』だったりするそうよ。意味はよくわからないのだけど古い言い伝えね」
「母上が母国から持っていらした古い文献には、『勇者』や『聖女』が『チート』なる力で世界を救うこともあると書かれていました。聖女は何となく理解できますが、この勇者とはなんでしょう。騎士や剣士でもなく、魔法使いでもない。概念的には冒険者に近い気もしますが、さっぱり理解できませんね」
「所詮は物語に過ぎないわ。私の生まれた国の王族は、古代文明の末裔なのですって。大きな戦で国が亡びたとき、密かに落ち延びた姫の血を引いているのだそうよ。もっともどの国の王室でも権威のためにちょっとした伝説くらい捏造するでしょうし事実かどうかは全然わからないですしね」
王妃は少し冷めてしまったお茶で喉を潤し、ふぅっとため息をついて話を続けた。
「だけど、サラ嬢はそんな昔話を思い出させてくれる存在だわ。少なくとも、あの子を中心にグランチェスターは大きく変化したようだし、おそらくアヴァロン全土にも少なくない影響を与えることになると思うわ」
「母上の仰せになることは理解できますし、私もそのように考えます」
すると、王妃の隣に座っていた王も言葉を重ねた。
「王妃が国から持参した荷物の中には大量の本があったが、そのような内容であったのか。ただの読書好きだと思っていたのだが、それだけではなかったのだな」
「いいえ、本当にただの読書好きだっただけですわ。ただ、恐ろしいほど本に書かれた内容に酷似した子供が現れたことに驚いただけです」
「して、その子供は長じてどのような存在となり得るのだ?」
「文献によってさまざまですわ。ヒロインが現れたせいで婚約を破棄された悪役令嬢が、ヒロインに仕返しをすることが多いかもしれません」
「それだけか?」
「でも悪役令嬢のお相手が王族だった場合、隣国の王族の元に嫁いで隣国が栄えて本国が没落することもありますわね」
「待て、サラ嬢はそもそも王族とは結婚しないと言い切ってるぞ。そもそも何故、隣国が栄えるのだ。国の機密でも盗むのか?」
「そうですねぇ……何故か食事が美味しくなる話が多かったような気がいたします。何しろ古代語なので正確に伝わっている話が少ないのです」
「食事が美味しくなるだけで国が傾くのか? まったく理屈がわからん」
「あとは、新しい治療方法が見つかったり、何故か悪役令嬢が聖女で常に豊穣が約束されたりしていたりといった物語が多いかもしれませんわ」
「ふむ……妖精を味方にしているのだろうか。かつて栄えたオーデルのように」
「そうかもしれませんわ。古い物語をそのまま信じるわけではありませんが、サラ嬢を無理に王室に迎え入れようとするのは危険でしょうね。彼女が反発して隣国に逃亡してしまうようなことがあれば、アヴァロンが傾く可能性があります。それくらいなら友好的な関係を持つべきかと」
「よもや、あのような年若い少女に振り回される日がくるとはな」
王は疲れたようにソファの背もたれに身体を預け、そのまま天井を仰ぎ見た。天井には沢山の妖精を従えた少女のような女神のフレスコ画が描かれており、王は不思議と心の底から笑いがこみ上げてきた。
「ははは。面白いではないか。では我ら王室はサラ嬢と深い友愛を結ぼう。もれなくソフィア商会がついてくるのだろう?」
「御意」
王太子が頷くと、王は少し寂し気な表情を浮かべた。
「いままで私の気鬱のせいで、お前たちには負担をかけたな。もう、私を陛下などと呼ばずとも良い。家族だけなら父と呼んでくれ。それに、もうじきお前自身が陛下と呼ばれる身になる」
「はい。父上。ですが、どうかもうしばらくは未熟な私を助けてください」
「お前なら大丈夫だろう。おそらく私よりうまくやれる。私は王妃とのんびり過ごしたい」
「それは嬉しいですわ。折角ですし、社交シーズンが終わったらグランチェスターに旅行いたしましょう。死ぬまでに一度はグランチェスター城の古い塔に登って、アクラ山脈を間近で見たいと思っていたのです」
「愛する妻の望みは叶えてやらねばな。そう考えれば、グランチェスターとの友好関係はとても重要だ。アルバート、頼むぞ」
「はい。父上」
王太子が頷くと、王はそのままアンドリューにも語り掛けた。
「アンドリューもすまなかったな。お前の立場をなくすような発言をしてしまったことを許してくれ」
「陛下……いえ、祖父様、サラ嬢の意思をきちんと確認しておくことは大切だったと思っております。ですが重ねて申し上げますが、個人的にサラ嬢にそういう気持ちは持っておりません」
「サラ嬢には、な」
王太子はニヤリと笑った。
「父上は何を仰せになりたいのでしょう?」
「お前、クロエ嬢のことを気にしていたではないか。食事中もチラチラと盗み見ていただろう?」
「そ、そんなことは!」
「無いか? よもや父の目を誤魔化せると?」
「そんなつもりで気にしていたわけでは! ただ、いきなり雰囲気が変わってしまって、なんだか一気に大人になったように見えたのです」
アンドリューの頬がほんのりと上気しているのを、王太子妃も見逃さなかった。
「あらまぁ、お顔が赤いですわね。今までいろいろなご令嬢に秋波を送られても涼しい顔をしていた癖に」
「母上までそのような」
「ふふっ。女の子というものは、ある日突然大きく変わってしまうことがよくあるのです。まぁ大抵は好きな殿方ができた時だったりするのですけれど」
「好きな殿方!? クロエ嬢はまだ12歳ですよ?」
「あら、そのくらいの年頃なら初恋に夢中になっていてもおかしくないわ。そういえば、彼女もサラ嬢と一緒にトマス・タイラーの授業を受けているのではなかったかしら」
「ですが上位貴族のご令嬢なのですから、そのあたりは慎重にすべきではありませんか?」
「確かにグランチェスターは恋愛結婚をしたがる一族ではあるけれど、さすがに結婚となれば相手選びは慎重になるでしょうね。事実、サラ嬢のご両親は駆け落ち結婚ですし」
「ま、まさかクロエ嬢も家庭教師と駆け落ちなど、迂闊な行動に走ったりは」
「落ち着きなさいアンドリュー。あなたの方が12歳の子供のようではありませんか。それに、結婚を慎重に検討しなければならないのは、クロエ嬢よりもあなたの方でしょう?」
「はい。承知しております」
王太子妃に窘められ、ひとまずアンドリューは冷静さを取り戻した。が、次の瞬間、王がすべてを台無しにした。
「ふははは。面白いなアンドリュー。どうりで男の魅力について母や祖母に尋ねるわけだ」
「そんなつもりで聞いたわけではありません!」
「そうかそうか。いや、孫の成長を目の当たりにするのは実に愉快な気分だな。まぁ王太子の長男でなければ微妙らしいから、せいぜい頑張れ」
「父上、それではあまりにアンドリューが可哀そうではありませんか。そもそも、我ら三人はよく似た親子孫だと言われているというのに」
「ふむ……それはいかん。アンドリュー、お前はなかなかの男前だ」
「祖父様、僕は将来の自分の髪が不安になってきました。父上もそろそろ気を付けられた方が良いかと」
三人は顔を見合わせ、一斉に肩をガックリと落とした。
「最近、少し額が後退してきたような気がしているんだよ」
「あぁ私もそのくらいの年齢だったな。抜け毛が枕に……」
「やはり僕くらいの頃から気を遣った方がいいんですかね」
「ところで、小侯爵の若返りを実現しているのはソフィア商会の新製品なのかしらね。心なしか、毛量も以前より多くなったように見えたのは気のせいかしら」
王妃がぽつりと、深刻そうな表情をした三人に向かって語り掛けた。すると、三人は一斉にぐりんっと王妃の方の方に振り向いた。
「な、なんだと?」
「言われてみれば確かにそうかも」
「そんなに違いましたか?」
「おい、アルバート、絶対にソフィア商会との縁は切るな。サラ嬢やグランチェスターを大事にせよ」
「当然です父上」
「まずは、もっと親しくなるべきであろう」
「確かにそうですね」
「おい、アンドリュー。サラ嬢の誕生会に出席するんだろう?」
「その予定です」
「仲良くしてこい。サラ嬢とも、クロエ嬢とも。だが、他の貴族家に悟られないよう注意せよ」
「承知しました。お任せください」
このように王室の男性陣は深夜の妙なテンションの中、グランチェスター包囲網を敷くことを誓いあったのである。
無事に1巻が発売され、2巻の作業も進んでいます。もちろんSS書きます。
今後ともよろしくお願いします!
こっそりXも開設してます。大したことは書かないんですけどね。
https://twitter.com/AliceNishizaki




