宮中晩餐会 1
晩餐の会場として案内された部屋は続き部屋になっていた。扉が開放されており、隣接している部屋には立派なピアノが置かれている。
『予想した通りね。演奏させられると思ってたわ』
サラの演奏技術は多くの貴族が知るところなので、こうした状況は容易に想像ができた。自身も子供用のヴァイオリンを携行しており、いくつか楽譜も用意している。随行したゴーレムのグラツィオーソが、控えていた王宮の使用人にヴァイオリンと楽譜を渡す。
そこにアールバラ公爵夫妻と長男のアルフレッドが入室してきた。さすがに3歳のユージェニーを王宮の晩餐会に連れてくることはしなかったらしい。
「あら早かったわね。てっきり遅れるかと思ったわ」
「ご心配おかけいたしました」
グランチェスターの女子を代表してクロエが返答し、ヴィクトリアに向かってニッコリと微笑んだ。
「それにしても、クロエさんのアクセサリーは素晴らしいわね」
「畏れ入ります」
クロエが頭を下げた瞬間、ネックレスだけでなくヘアピンのルビーもきらりと輝く。
「それほどのピジョンブラッドの品質を揃えるのはとても大変よ。素晴らしいコレクションね」
「ソフィア商会に手配させました」
「なるほど。ソフィア商会が服飾部門にかける意気込みが伝わってくるわね」
「ヴィクトリア、あまり若いお嬢さんを困らせてはダメじゃないか」
ヴィクトリアがクロエのアクセサリーをまじまじと見つめていたため、夫のアールバラ公爵は妻を窘めた。上位貴族が下位の貴族や商家の持ち物に執着を見せることは、「それを献上しろ」という意味に解釈されかねない。もちろん、献上された側はそれ以上の利益を返すのが慣例ではあるのだが、『年若い少女の持ち物を公爵夫人の地位にいる女性が欲するべきではない』ということだ。
「あら、困らせているのではなくてよ。彼女たちは先ほどまで我が家のお客様で、可愛らしいお友達ですもの」
「そうらしいね。僕は王宮にいたから知らなかったよ。狩猟大会で会ったばかりのはずだけど、クロエ嬢は見違えるように綺麗な淑女になったね。女の子の成長は早いなぁ」
「ありがとう存じます」
「サラ嬢も可愛らしい。うちのジェニーもそれくらい淑やかにならないものだろうか」
傍らで会話に耳を傾けていたエドワードは、静かに微笑みながらアールバラ公爵に話し掛けた。
「子供の成長は本当にあっという間です。幼い頃の元気な愛らしさを微笑ましく見つめていられる時期は本当に貴重ですよ」
「お父様、それでは今の私は愛らしくないようではありませんか」
「そういう意味ではない。だが最近のお前の成長ぶりを見ていると、舌足らずな口調で使用人たちを呼び、庭を駆け回っていた頃が思い出されるんだ。あまり早く成長しないでくれないか。まだお前を手離す覚悟ができていないんだ」
「お父様ったら、このような場で恥ずかしいではありませんか」
クロエが慌てた素振りを見せると、アールバラ公爵もにこやかに応じた。
「ははは。クロエ嬢、私もお父上の気持ちはよくわかりますよ」
「お、畏れ入ります」
「ふむ…。私はエドワードを筆頭に男ばかり3人なのを残念に思っていたが、いつか嫁にやらねばならんと思うと、娘を持つというのは複雑なものだな。クロエやサラのお陰で、私にもその気持ちが理解できるようになったよ」
「嫁ぎ先次第かもしれませんわ。グランチェスター侯爵や小侯爵が頻繁に訪れる王宮や、近くに邸宅を構える貴族家であれば寂しくないのではございませんか?」
ヴィクトリアがそっと会話を誘導しようとしたが、エドワードはこれをさらりと受け流した。
「グランチェスターの男親は娘や孫に甘く、なかなか子離れできないのです」
「お父様ったら」
『なるほど。伯父様たちの社交スキルを舐めてたわ。クロエの態度も予定調和だってことがよくわかる。場を和ませつつ、会話の流れをコントロールしてるのね』
グランチェスター侯爵が曖昧な表情で息子の発言に小さく頷いたところで、王室のメンバーがぞろぞろと正餐室に入ってきた。全員が揃って頭を下げる。
「待たせたな。皆、顔を上げてテーブルに着くがよい」
貴族たちは頭を上げたが、平民であるサラとソフィアは頭を下げたままである。
「ウィリアム、其方の家族を紹介してくれないか。そこの小さな令嬢と、後ろの女商人も顔を上げるがよい」
「御意。サラ、ソフィア、頭を上げなさい」
グランチェスター侯爵がサラとソフィアを紹介すると、二人は最も深いカーテシーで王に挨拶をした。
「ふむ、立ち居振る舞いは貴族のようだな」
「畏れ多いことでございます」
「其方らもテーブルに着くがよい」
「恐れながら申し上げます。私は一介の商人に過ぎませぬ。何卒ご容赦を」
「そう畏まらずともよい。王である私自身が招待したのだからな」
「御意にございます」
これは儀礼的な問答である。面倒ではあるが、王からの配慮であっても一度は断るのがマナーなのだ。
ソフィアとサラは優雅に椅子に腰を下ろし、王はまったく隙のないソフィアたちを見遣って当てが外れたことを残念に思った。
『多少なりとも気まずい思いをさせ、こちらから慈悲を示すつもりでいたが……』
王は王妃が想像したように「女性を辱めたい」とまで思っていたわけではない。平民の女商人と少女がマナー違反をしたときに、親切にフォローしてやろうと上から目線で考えていただけである。
この王は、普段から少しばかり相手の立場を悪くしたり、貶めてみたりといった悪意を示すことがあった。若い頃にそのような振る舞いは見られなかったが、50代の後半に差し掛かった頃から少しずつ見掛ける機会が増えていったと王妃や側近たちは感じていた。
特別な切っ掛けがあったというわけではないが、優れた王太子が成人して政治の舞台で少しずつ頭角を現してきた時期から少しずつ王は変わっていった。特に王太子の即位を匂わせるような発言があると、王は王太子の未熟さを指摘することが多くなる。
問題は王がこうした態度をとる相手が身内の王族や側近に留まらないことにあった。グランチェスター領で発生した暴動の報告を聞く際、ロイセンのゲルハルト王太子を同席させたことも、こうした王の困った態度の一つであった。本来であれば事実関係を確認した上で、両国の関係に何の問題もないと言えば済む話であった。
だが王は暴動を利用し、アヴァロン側を優位に立たせるように行動した。恩着せがましい態度を取り、剰え因縁浅からぬレベッカのいるグランチェスター領の狩猟大会へと送り出した。食料を求めるロイセンの王太子にアヴァロンの誇る穀倉地帯を見せつけ、子爵令嬢に過ぎないレベッカに頭を下げさせるよう仕向けたのだ。
こうした行動は為政者として間違っているとは思わないが、サラが指摘したように貴族たちの評価は賛否両論であった。王自身は”些細な悪意”と思っているかもしれないが、相手も同じように些細なことと受け取るとは限らない。一部の貴族はこうした王の言動を苦々しく思っており、王からやや距離を置くようになっている。
グランチェスター侯爵は、サラが王のやり方に怒りを覚えるのではないかと懸念したが、サラの方は『マウントを取らずにはいられないなんて小者感が漂うわ』と、あっさり王の振る舞いを流した。前世では時折見掛ける面倒なタイプであったことが主な理由である。こういう輩は、相手にしない方が良いことをサラは理解していた。
参加者たちの思惑はともかく、晩餐会は和やかに始まった。クロエやサラの正面には、アンドリュー王子とアルフレッドが着席する。本来であればアンドリュー王子は上座に近い場所に着席するべきなのだが、子供たちを固めておこうという配慮が働いたようだ。
『アンドリュー王子は退屈そうだなぁ。ここはクロエに頑張ってもらうしかないか』
従兄弟同士とはいえ、6歳のアルフレッドの隣に昨年成人した17歳のアンドリュー王子ではいまひとつ会話が嚙み合っていない。しかし、さすがに社交慣れしているアンドリュー王子は、サラたちを退屈させないよう卒なく場を盛り上げてくれていた。
「狩猟大会の時にも思ったけど、クロエ嬢もサラ嬢もマナーは完璧だよね」
「「畏れ入ります」」
クロエとサラは優雅に微笑みながら、アンドリュー王子の誉め言葉に応じた。だが、アンドリュー王子はそんな二人を見て可笑しそうにくつくつと笑いだした。
「陛下の前だから緊張してるみたいだけど、僕は狩猟大会の時のサラ嬢をちゃんと覚えているからね」
「その節の無礼な振る舞いを深くお詫び申し上げます」
「ははは。今日のサラ嬢は借りてきた猫のようだ」
アンドリュー王子の発言を聞いたアルフレッドは、目をキラキラと輝かせながらサラを見遣って発言した。
「殿下、サラは狩猟大会でどのような振る舞いをしたのですか?」
「こらアルフ、ご令嬢に失礼だろ」
即座にアールバラ公爵が息子を窘めた。しかし、アルフレッドは興味津々と言った態度を崩さない。
「ですが父上、サラは剣術もやるのだそうです。しかも、ジェフリー卿から直々に教えを受けているのだそうです!」
これにはアンドリュー王子が興味深い表情を浮かべ、サラの手元を見つめた。
「それは凄いね。サラ嬢は魔法だけじゃなく剣術もやるのか。グランチェスター家では令嬢にも剣術を習わせるの?」
これには少し困ったような顔をしたグランチェスター侯爵が、アンドリュー王子に応じた。
「本人が望めば反対は致しません。私の姉である前ハリントン伯爵夫人も剣術に長けておりました」
「それにしても、ジェフリー卿は弟子をおとりにならないのかと思っていました」
「領の騎士団長ですから、当家の騎士たちには指導しております。他には甥の息子たちとエドワードの息子であるアダムくらいでしょうか」
「なるほど。前途ある若者に基礎訓練をしているのですね」
既にスコットは同世代に敵なしどころか、騎士団員の中でも上位レベルである。そんなスコットでさえサラには一目を置いていることを考えると、果たして基礎訓練と呼んでいいのかは甚だしく疑問である。だが、相手が勝手に誤解しているのであれば、そのままにしておく方が無難だろうとグランチェスター侯爵は考えた。
幸いにもアンドリュー王子はそれ以上サラの剣術を話題にすることはなく、ホスト側の責任として令嬢たちには平等に話し掛けていく。
「それにしてもクロエ嬢は雰囲気がすっかり変わったね。以前は可愛らしい女の子って感じだったけど、すっかり美しい淑女になったようだ」
「もったいないお言葉でございます」
『クロエのイメチェンは概ね好評ね。やっぱり縦ロールって男性受けはイマイチなんじゃないかしら』
これを聞いたヴィクトリアは、アンドリュー王子を揶揄うような視線を向ける。
「殿下もそろそろお相手を見つけるお年頃ですわね」
「揶揄わないでください叔母上。まだまだ僕は未熟者ですよ。グランチェスター領でも魔力暴走をおこしてしまいましたからね」
「そうらしいわね。それにしては建物にもまったく被害がなかったことに驚いたわ」
「サラ嬢のお陰ですよ。彼女はアカデミーの教授を守りながら、僕の魔力暴走も抑えられる程の魔力量と制御能力を持っているんです」
ヴィクトリアの微妙な発言を、アンドリュー王子はさらりと躱して別の会話にすり替えた。だが、すり替えられた先で被害にあったサラにとってはいい迷惑である。
『会話スキルは伯父様の方が上手かも。話が面倒な方向に流れたわ』
「俄には信じられない話だな。アンドリューの魔力は王室でも多い方だ。それを凌駕する者がこのような幼子だとは」
「陛下、紛れもない事実でございます。私の魔力暴走をサラ嬢が抑え込んでくれたおかげで、誰も傷つけずにすみました」
「運が良かったのだろうな。それにしてもアンドリュー、お前は王族として魔力制御の訓練に力を入れるのだ。未熟な王族が原因の大惨事など目も当てられぬ」
「誠に申し訳ございません」
アンドリュー王子は、両親を「父上」「母上」と呼んでいたが、王位にある祖父だけは「陛下」と呼ぶ。無論、アヴァロンにおいて至高の存在であることを考えれば当然ではあるのだが、非公式に近い場でも親しく呼ばないことに彼らの距離を感じさせた。
ちなみに、魔力量は王や王太子よりもアンドリュー王子の方が多い。だが、王は自分よりも魔力が多いことを認めていない。こういう部分でも、王は王太子や孫であるアンドリュー王子を無意識に牽制するような発言をすることが多い。
「其方の詫びと礼はサラ嬢に言うべきだろう。だが、王族の魔力暴走をどのようにして鎮めたのか知りたくもあるな」
参加者の視線が一斉にサラに向かった。だが、サラ自身は涼しい顔で黙々と黙って食事をすすめ、自分に向けられた視線を一切無視した。明確に自分に向かって問い掛けられているわけではないため、サラは自分に返答する義務はないと考えた。面倒なので相手をしたくないのだが、ここでアンドリュー王子が空気を読んだ。
「サラ嬢は子守歌を歌ってくれました。実に可愛らしい声でした」
「それは魔力を封じる呪歌のようなものか?」
「そうではないと思いますが」
このままでは、呪いで相手の魔力を封じる魔女のような扱いを受けてしまいそうなので、サラは仕方なく口を開いた。
「陛下、畏れながら申し上げます。アンドリュー王子殿下は、ご自身で魔力暴走の制御を取り戻していらっしゃいました」
「ほう、周囲の意見とは違うようだな」
「魔力暴走を外から鎮めることのできる者はおりません。殿下の御心がお平らかになった結果かと存じます」
優雅に微笑むサラに王は苛立った。幼子であれば王の「信じられない」という発言にムキになって反論し、自分の手柄を声高に言い募ると予想していたのだ。王は、ここでも自分の思惑の通りに事が運ばなかったことを悟る。
「それは違うよ。僕は魔力が空になるまで暴走を抑えられなかった。君が魔法で作った壁で僕を包み込んでくれたから被害があの程度で済んだんだ。しかも中にいるアカデミーの教授たちも別の壁で守ってたよね。どうやったらあんな制御ができるようになるのか僕には想像もつかないよ。それに、僕の心が鎮まったのも、サラ嬢の子守歌のお陰だとわかっているよ」
「過分にお褒め頂きありがとうございます」
アンドリュー王子がフォローするように言葉を繋いだが、サラの応答は木で鼻をくくったような素っ気なさである。少なくとも会話を盛り上げようという意思をまったく示さないのだ。礼儀正しく丁寧に応対しているだけに文句をいう隙すらない。だが、アンドリュー王子は諦めなかった。
「魔法は誰に師事しているんだい?」
「私のガヴァネスであり、もうすぐ私の母となってくださるオルソン家のご令嬢であるレベッカ様です」
「まぁ懐かしい名前ね。最近は社交の場にも姿を見せないから気になっていたのよ。レベッカは元気にやっているのかしら」
王妃がにこやかな笑顔を浮かべてサラに話し掛けた。
「今は結婚の準備が忙しくて少しお疲れ気味ですが、元気ですし幸せそうです」
「そういえば、やっと結婚するのだったわね。昔はいろいろあったけど、想い想われる相手と添えるなんて貴族令嬢としては本当に幸せなことだと思うわ」
「そうか、サラはレベッカの教え子なのか」
もちろん王は事前の調査でこうした事実を知っており、それは王妃も同じであった。しかし、こうした白々しい会話も社交の一部である。
「御意にございます」
「して、サラ嬢はどの属性の魔法を発現しているのだ?」
「火水風土の4属性でございます」
「複合魔法も使えると噂に聞いているが本当か?」
「簡単なものであれば、組み合わせて使うことも可能でございます」
「いま、見せてもらうことは可能かね?」
「御意にございます」
『この王は私を見世物のように扱うのね。失礼しちゃうわ』
内心機嫌を損ねていたものの、サラは一切表情には出さず微笑んだまま王の座っている席の方向に向けて手を翳した。最初に王の目の前に土属性の魔法でボウルを作り出し、ボウルの中に火属性の魔法で小さな炎を浮かべた。
「まずは土属性と火属性でございます」
「ほほう。無詠唱でここまで素早く二属性の魔法を発動するのだな」
「次に風属性の魔法でございます」
先程浮かべた炎に風属性の魔法を組み合わせ、ボウルの中で火がくるくると渦を巻いて回り始めた。
「制御が素晴らしいな」
「畏れ入ります。そして、最後に水属性でございます」
最後にサラは水属性の魔法で火を消し止め、何事もなかったかのように、実験に使ったボウルを貯まった水ごと消して魔法の披露と後始末を終えた。
「ふむ。確かに四属性だな。女性であることが惜しまれる」
『やっぱりここでも同じこと言われるんだな。余計なモノをぶら下げてるだけで、どうして偉そうに振舞えるのかまったく理解できないわね』