再びの戦支度
アールバラ公爵家を辞去するためにグランチェスターの少女たちが立ち上がりかけたその時、王室からの使者がアールバラ公爵家にやってきた。晩餐への”招待”という体裁を取っているものの、明らかに召喚状である。
「陛下も無茶なことを仰せになるわね。女性には身支度が必要だというのに……」
「近親者ばかりの集まり故、服装などは構わないとの仰せにございます」
使者は涼しい顔で告げるが、招待時刻まで4時間程しか残されていなかった。貴族令嬢の身支度には余りにも短い時間である。
どれだけ王が服装は構わないと言ったところで、王宮に出入りする人々の目には触れる以上、昼のドレスを着るわけにはいかない。特にソフィア商会に服飾部門をつくることを貴族女性たちに表明した直後であることを考えれば最悪のタイミングである。
「こちらでドレスを用意させましょうか?」
気の毒に思ったヴィクトリアがソフィアに声を掛ける。
「いいえ、つい先ほど啖呵を切ってしまったばかりです。他のデザイナーのドレスを着て王宮に向かうわけには参りません」
「気持ちはわかるけれど、ここからグランチェスター邸に戻って、支度をして王宮に向かわなければならないとなると、支度に掛けられる時間はとても短いはずよ」
「グランチェスター家とソフィア商会の名誉にかけて、必ず新作のドレスを着て参内いたします。大変慌ただしく申し訳ございませんが、これで失礼させていただきます」
「もちろんよ。少しばかり遅れても私が場を繋いでおくわね」
「ご配慮いただきありがとうございます」
お互い時間がないことがわかっているため、最低限の挨拶を済ませてソフィア、クロエ、サラのゴーレムは馬車に乗り込んだ。馬車が走り出すと同時に、ソフィアは傍らに控えているグラツィオーソそっくりなゴーレムに声を掛けた。
「マギ、急いで王宮用のドレスを支度して。湯浴みとヘアメイクは乙女の塔に戻ってやるから、事情を理解している使用人とゴーレムだけを離れに待機させておいて。馬車も直接離れの方に停めてくれるかしら」
「承知しました」
「乙女の塔にアメリアはいるかしら?」
「本日は外出されていますが、ゴーレムを連れているので連絡は取れます」
「申し訳ないのだけど、魔力回復薬を1ダース用意して欲しいと伝えて頂戴。贈り物だから、布張りの箱に詰めてくれるかしら。以前から用意してあるチェスセットは、今日持っていくわ」
「承知しました」
ふと気になってソフィアは黙りこくっているクロエの顔を覗き込んだ。王室からの招待状を見たクロエは、わかりやすい程に緊張した表情を浮かべている。
「クロエ、どうしたの?」
「どうしよう。まだ心の準備ができてない」
いつもの強気な雰囲気が鳴りを潜めており、傍から見てもハッキリわかるほどに青褪めている。
「しっかりしなさい。弱気になるなんてクロエらしくないわ」
「だって、王宮に参内するのは初めてなんですもの。陛下も王太子夫妻もいらっしゃるのでしょう?」
「その一員になりたいなら、顔を上げてあなたの賢さや美しさを知らしめなければね」
「ソフィアとサラに挟まれて、そんな顔できるわけないじゃない」
ソフィアはくすりとクロエに微笑みかけた。
「そっか、クロエもそんなこと考えるんだね」
「以前の私は自分が社交界で一番綺麗な女の子だって思ってたわ。きっと大きくなっても美人になるだろうって」
「間違ってないでしょ。クロエはとっても綺麗で可愛いじゃない」
「グランチェスターの血のお陰で顔はそこそこ整ってるのは理解してる。でも、サラに会ったら自分のこと美少女だって思ってた自分が恥ずかしくなったわ」
「方向性が違うだけよ。私の容姿は父さんより母さんの影響の方が大きそうだし」
突っ伏してわっと泣き出したクロエに対し、ソフィアは厳しい態度をとることにした。
「もう時間がないの。そのまま泣いてるつもりなら置いていくわ。腫れた目を治したりしないわよ?」
「だって、隣に並んだら明らかに見劣りするじゃない!」
「じゃぁクロエは王子妃になるのを諦める?」
ピタリとクロエは泣き止んだ。
「それはイヤ」
「でしょうね。クロエはグランチェスター本家の直系のご令嬢よ。今日の晩餐のメインディッシュはソフィアだろうけど、所詮ソフィアは平民の商人に過ぎないわ。今日はエリザベス伯母様がいないのだから、クロエはグランチェスターの女性代表にならなければならないの。私たちを綺麗だと言うのなら、その容姿を利用してグランチェスターに利益を持ってくるくらいのことを考えなさい」
「でもぉ……」
「甘えた声を出さないで顔を上げなさい。今夜あなたはソフィア商会の服を着て、王室の人たちの前でも優雅な立ち居振る舞いを披露するのよ。クロエが王子妃になれるように支援しているのは、あなたならできるって信じているからよ。アンドリュー王子には、これからも綺麗な貴族令嬢や他国の姫が婚約者候補として現れるはずよ。そのたびに今みたいな泣き言を言うつもり?」
「本当に私にできると思ってる?」
「できるかできないかじゃないわ。やるのよ。社交界でソフィア商会のために働くと誓ったんだから、きっちり働いて貰わないと契約違反よ。そうじゃないならドレスもアクセサリも代金を取るわよ。もちろん化粧品もね」
「それは困るわ」
「覚悟を決めて頂戴」
「わかったわ」
クロエは静かに頷いた。すると、ゴーレムのグラツィオーソが口を開いた。
「お話し中に割り込んで申し訳ありません。晩餐会ではソフィア様とサラお嬢様を入れ替えるべきだと存じます」
「それはどうして?」
「王はサラお嬢様の魔法を確認しようとされるかと。ゴーレムに魔法は使えませんので、魔法を見せろと言われると困ったことになるかと」
「忘れてたわ。確かにそうね……」
「そうよ、サラ。あなたはアンドリュー王子の魔力暴走を止めてるのよ!」
クロエもゴーレムの意見に賛同する。
「ソフィア様が魔法を使えることは外には漏れていません。入れ替わっても問題にはならないはずです」
「でも、ソフィア商会について下問される可能性は高いけど大丈夫?」
「おそらく問題ありません。つい先ほど、商会の従業員が落して壊してしまったシュピールアが奏でる曲まで存じ上げておりますので」
「え、シュピールア壊れたの? まさか大きいヤツじゃないわよね?」
「ベートーヴェンのピアノソナタが沢山収録されている一番大きな商品です」
「あれって定価はアヴァロンの国家予算くらいのお値段なんだけど?」
「犯人はマリウスですよ。コジモの指示である可能性が高いかと」
「あらまぁ……いい度胸ね」
「マリウスは故意ではないと言い張っております」
「ひとまず拘束はしなくていいわ。でも、逃亡しないように見張っておいて」
「承知しました。ちなみに、破損したのは外箱だけなので、中の魔石は無事です。即座にゴーレムたちが回収して保管しています」
「それは不幸中の幸いね。でもあの箱に彫刻してくれた職人さんは、あれを最後の仕事にして引退してしまったのよね。腕の良い職人を探さないと」
「候補者をリストしておきます」
「よろしく」
グダグダと話をしている間に、馬車はグランチェスター邸の離れに到着した。ソフィアとクロエ、そしてゴーレムのサラは足早にソフィアの部屋に入ると、真っ先に防音魔法を展開した。そして、ソフィアはあっさりサラの姿に戻ると、サラのゴーレムに魔法をかけてソフィアにしていく。
「既にドレスとアクセサリは運び込まれているわね」
「お嬢様方、本日は男性陣が露天風呂をお使いになっていらっしゃいますので、サラお嬢様のお部屋にある湯殿を用意しておきました」
「わかったわ。流石に身支度するだけだから露天風呂はいらない。湯浴みに手を貸してくれるかしら」
「トマシーナたちが既に待っておりますし、私どもも同行いたします」
「わかったわ」
サラは乙女の塔までの道を魔法で作り出し、先にクロエをトマシーナに任せた。次いでグラツィオーソに姿を似せているゴーレムを従えて自分も乙女の塔へと戻る。
「お帰りなさいませサラお嬢様」
生身の身体をもたない屋内用の小型ゴーレムがサラを出迎える。
「ただいま。えっとあなたは何号なんだろう」
「17号です。グランチェスター騎士団の寮に派遣されていたうちの1体で、そのままアメリア様のお手伝いをする機会が多くなりました。アメリア様からの指示で魔法回復薬を用意しておきました」
「あら、ありがとう。ところでアメリアはどこにお出かけなの?」
「本日はアレクサンダー師の診療所にお手伝いに行っております」
「熱病は相変わらず酷いの?」
「患者数はまだまだ多いですが、ピークを越して収束方向に向かっているとマギは予測しております」
「本当にそうなると良いわね。ところで騎士団寮は大丈夫なの?」
「はい。出入り禁止も昨日には解除されました。通常の生活に戻りつつあります」
「早いわね。リヒトならもう少し慎重に動くかと思ってたけど」
「リヒト様はあまり乗り気ではなかったようですが、今は騎士団寮だけに構っていられる状況ではないのです」
「それなら仕方ないわね」
17号の報告を聞きながら、サラとクロエは同じ浴室でゴーレムたちから髪や身体をざぶざぶと洗われた。サラの部屋は以前リヒトがメインで使っていた部屋を改造したものなので、広い浴室が付いている。ただし、サラが引っ越してくる際に浴槽は大きく改造され、ゆっくり浸かるための大きな浴槽と身体を洗うシャワーブースを設置している。
浴槽から出るとクロエの髪にはローズの香りがするヘアオイルを馴染ませ、同系統の香りのボディクリームを全身に摺りこんでマッサージが行われた。一方のサラもヘアオイルやボディクリームは使われたが、香りはかなり控え目に調整してある。
「ねぇサラ、もしかしてこれって私専用?」
「よく気付いたわね。ローズがいいって言うから、香りの強い品種の薔薇を特別に栽培させたのよ。練香水も手配してるけど、でき上がるのはもう少し先になるわ。あ、でもローズオイルはたくさんできてるから後で届けるわね」
「とっても贅沢なのね」
「そうね。今その香りを纏えるのはあなたしかいないわ。アヴァロン国内では妖精の力を借りないと栽培できそうにないし、ここでしか作れないでしょうね。あなたには既に一杯投資してるんだから、王子妃になってもらわないと困るわ」
サラの言葉を聞いてクロエは少しずつテンションが上がってきた。
「ねぇサラ。私は綺麗になれるかな?」
「自分が綺麗だってことを知ってる癖に変なこと聞くわね」
「ソフィアよりもってことよ!」
「薔薇もダリアもユリもそれぞれに綺麗よ。あなたはどれが一番って決めたい?」
ふっとクロエは小さく息をはいた。
「確かに全部綺麗だと思う。私は馬鹿ね」
「クロエのイメージは赤い薔薇よ。今は少し淡い色の蕾だけど、成長していくにつれてイメージカラーを鮮やかにしていこうと思ってるわ」
「だとしたらサラやソフィアは白い百合ね」
そんなことを話しているうちにマッサージもおわったため、サラとクロエはローブ姿で浴室を出た。
「ねぇ、これからヘアメイクだと思うのだけど、髪は完全に乾かした方がいい? それとも少し湿り気のある方がまとめやすい?」
この質問にはトマシーナが答えた。
「乾かしていただいて大丈夫です。必要であれば結っている時にオイルを使いますので」
「わかったわ」
サラはクロエと自分の髪を魔法で一瞬のうちに乾かした。
「ヘアメイクは向こうで仕上げましょう。流石に人間の侍女に仕上げて欲しいでしょうし。ゴーレムたちもテクニックは素晴らしいけど、侍女の仕事を取り上げたら彼女たちが拗ねちゃいそうだしね」
「確かにそうね」
サラとクロエはくすくすと笑い始めた。するとトマシーナが、前に進み出た。
「では、私はこちらでソフィアのヘアメイクをやってしまいます。ドレスやアクセサリの仕上げは、向こうでグラツィオーソにやらせましょう」
「じゃぁ通路は暫く開けたままにしておくわね」
「はい。お嬢様」
乙女の塔と繋がっている通路は王都にあるソフィアの寝室に繋がっているため、サラとクロエは寝室から出てドレスルームに向かった。ドレスルームにはマリアとクロエの侍女がヘアメイクのセットを広げて待機していた。
少女たちが到着するや否やメイドや侍女たちが一斉に近寄り、薄化粧を施した後に髪をセットしていく。よく見れば壁際には、今日着ていくドレストルソーが2体きっちり並べてあった。
「ねぇクロエ。このドレスだと、私は白百合じゃなくてネモフィラだと思わない?」
トルソーには小さな青いドレスが掛かっており、青や水色の小花の飾りが付いている。ヘッドドレスにも同じ花飾りが沢山付いている。
「まぁ可愛いし良いんじゃない?」
「うーん、クロエのドレスは赤というよりオレンジっぽいピンクね。布で作った薔薇の飾りが綺麗だわ」
サラが指摘した通り、クロエのドレスはオレンジ色の薔薇の花のような色をしており、胸元には小さな薔薇の飾りが沢山付いていた。ヘッドドレスはないが、ドレスと同じサテンのリボンが沢山置かれている。このリボンを編み込んでいくのだろう。
スカートはプリンセスラインで可愛らしい雰囲気だが、胸元がいつもより開いているため大人っぽくも見える。
「どうしようサラ。私はソフィアみたいにお胸が無いわ!」
「クロエの年齢であんなお胸が付いてたらオカシイに決まってるでしょ。ちゃんとサイズ合わせてあるし、ちょっとだけ裏にパッドつけてるから大丈夫よ」
「それなら安心ね。ルーカスったらいい仕事するわね」
「針子の女性が意見を出したらしいわ。クロエくらいの女性は大人に見せたがるものだからって」
「そうなんだ。ねぇ、やっぱりジャスミンにバカにされたままじゃ悔しいわ。ルーカスも針子も頑張ってるんだし」
「そうね。王都にいる間に職人を探してスカウトしようか」
「いいわね。そうしましょう」
サラとクロエが会話している間に、サラの髪には可愛らしいヘッドドレスが飾られた。キラキラと輝く銀の髪は、敢えて下ろしたままにしている。
一方クロエの髪にはリボンが編み込まれ、緩めのアップスタイルになっていく。小さなルビーの付いた飾りピンをいくつも挿しており、角度が変わるたびにきらりと赤く輝いている。いつもより少しだけ露出の多い胸元を、小振りだが質の良いルビーを連ねたネックレスが飾っていく。
「このネックレス素敵ね」
「ありがとう。でも、それ私が造った人工宝石よ」
「それでもルビーはルビーでしょう?」
「確かにルビーではあるんだけど、あんまり流通させたくないから、売ったり人にあげたりしないでね」
「わかったわ」
「さて、次はこっちかな」
サラの言葉に従って、傍にいたグラツィオーソのゴーレムは天鵞絨の小箱を取り出した。箱の中にはネックレスと同じモチーフのイヤリングが入っている。
「イヤリングもあるのね」
「髪を結い上げているのだし、無いと耳元が寂しいでしょ」
「ありがとうサラ」
「どういたしまして」
沢山のゴーレムや使用人たちの奮闘により、少女たちの身支度が整った。なお、一番支度に時間がかかったのはゴーレムのソフィアである。それでも自分で化粧を施すソフィアの髪をトマシーナが同時に結い上げたため、所要時間はかなり短い方である。
「今から馬車でいけばギリギリかしら」
「ふふっ。クロエ安心して。先に空っぽの馬車を出発させているから、私たちは途中の馬車に道を繋いで乗り込むだけよ。かなり余裕あると思うわ」
「そっか。サラにはその手があったわね。凄く時間が短縮できるわ!」
かくして、少女たちは再び華やかな戦場へと向かったのである。