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苦い敗北

「と、おっしゃいますと?」


ジャスミンの発言に苛立ちと怒りが含まれていることにソフィアは気付いたが、何故それほどに苛立つのかがわからず不思議そうに首を傾げた。


「こちらの布は大変すばらしいですわ。染めも申し分ありません。どちらも糸の方を先染めされ、自然なグラデーションとなるよう少しずつ薄い色の糸で織っていたことがわかります」

「ご慧眼ですわ」

「おそらくデザイナーとも近い間柄なのでしょう。このドレスのデザインに合わせて織られたのでしょうね」

「ええ。彼らは目と鼻の先に住居を構えておりますので、打合せながら作業をすすめていたと思いますわ」


ソフィアはジャスミンの言葉に頷いた。まったくその通りだからだ。


「ですが、縫製がとても残念です。裁断にも問題があるように見受けられますが、これは平面的なデザイン画から立体的なドレスを作るために欠かせない工程である型紙を起こす作業に問題があるからでしょう。折角の美しい生地と素敵なデザインを活かしきれていません」


『要するにパタンナーの技術が足りてなくて、縫製も素人って言いたいわけか』


ジャスミンの指摘は至極尤もである。確かにルーカスは素敵なドレスをデザインしてくれるが、パターン起こしや縫製などは器用な素人のレベルである。


「仰ることはもっともですわ。ソフィア商会はまだ設立して間もない商会ですし、人材もまったく足りておりませんの」

「私とは目指すところも思想もまったく違うデザイナーではありますが、こちらのドレスのデザインには明確な意思を感じます。非常に素晴らしい才能であることは認めざるを得ません。だからこそ、デザインの素晴らしさを表現できる技術を身に付けた者を傍に置くべきなのです」


ここに至り、ソフィアは完全にジャスミンに敗北していることを理解した。どれだけ前世の知識でチートをしたところで、技術を積み重ねてきた職人に勝てるはずがない。それどころか、生地やデザインを素晴らしいと褒められた分だけ、それらを台無しにしているソフィア商会の準備不足を責められていることを認識するほかない。


『しまった。きちんと準備期間をおくべきだった。もっと慎重に行動していれば、クロエやルーカスに恥をかかせることにはならなかったかもしれない。ちゃんと考えればわかっていたはずなのに……』


更紗時代の勤務先は、古い歴史を持つ総合商社であった。元は絹織物をメインに扱っていた問屋だったこともあり、繊維分野を担当する部署は非常に活気があった。更紗が入社した際に配属されたのも繊維部門で、パワフルな上司や先輩たちに振り回されつつも世界中を飛び回って色々な素材に触れてきた。


そんな知識を持っていたおかげで、職人たちの集落で織物や染物を扱う工房を見つけた時にあっさり飛びついてしまったのだ。また、麦角菌騒動のあった開拓地でフラックスの栽培を始めたこともあり、亜麻布を織ってくれる工房が欲しかったというのもある。


だが、サラは綺麗に忘れていた。買い付けた商品を卸すアパレル業界は、商社以上にとんでもない人たちで溢れていたことを。


『あの怪物や悪魔の棲んでいた世界のことを、よく都合よく忘れていられたものね』


ソフィアは自分の思い上がりを強く恥じた。勝手に分かった気になって調子に乗っていたことは事実であり、あまりにも気軽に服飾部門の立ち上げを口にしてしまったことを後悔し始めていた。しかし大勢の前で宣言してしまっている以上、既に後戻りすることはできない。アールバラ公爵家に対しても、口約束とはいえ契約している状態で『作れない』などとは口が裂けても言えない。


ジャスミンはソフィアに向かってにっこりと微笑んだ。


「こちらの生地を卸していただけるのであれば、アールバラ公爵令嬢のドレスは、デザインを元にこちらでパターンを起こして縫製も受け持ちますわ。もちろん針子もうちの店で一番上手な子を付けます」


ジャスミンは『お前たち素人にまともなドレスなど作れないだろう』とソフィアの足下を見た発言をしているわけだが、直近の危機を回避するという視点で見れば魅力的な誘いでもあった。しかし、その申し出を受けてしまえば、それはもはやソフィア商会のドレスではない。


「お心遣いありがとうございます。お気持ちだけ頂戴いたします」


ソフィアは顔が引き攣らないよう、必死で微笑むことしかできなかった。いまほどレベッカのスパルタ教育に感謝したことはない。


だが、この状況を見てパトリシアはソフィア商会の旗色が悪いことに気付いた。


「あらあら、グランチェスター領にはまともな針子もいないのね。クロエ様もお気の毒ですこと。もっとも私は王都でしかドレスをつくりませんけど」

「それは、エヴァンズ領にはドレスを作る技術がないということかしら。エヴァンズ辺境伯のご令嬢として、自領の産業発展には力を注ぐべきではなくて?」

「クロエ様ったら何を仰っているのかしら。そのようなことはお父様やお兄様が考えることであって、私たち婦女子が気に留めるようなことではなくてよ?」


するとクロエはふっと小さく息を吐きだした。


「畏れ多いことではございますが、国王陛下は国を憂い、伴侶である王妃殿下は民を思うものではございませんか。王太子殿下が国策を担う折には、王太子妃殿下もその支えとなるのです。私たち貴族は国王陛下をお支えして国や民を守るべき存在であり、国の発展に寄与しなければなりません。たとえか弱き婦女子であろうとも、貴族としての義務から目を逸らすことはできません」

「それとドレスと何の関係があるというの!?」


足を掬うつもりでクロエに嫌味を言ったはずなのに、何故かクロエはパトリシアを憐れむように見つめていた。今までのクロエであれば、ぷりぷりと癇癪をおこしていたはずだが、今は静かに微笑みを浮かべている。


「何度も申し上げた通り、この生地はグランチェスター領で作られています。まだまだ試作の段階で拙い部分があったとしても、グランチェスター領内でドレスを作るということは、多くの職人に仕事を与えるということでもあるのです。そして、いつまでも拙いままでいることのないよう、グランチェスター家は領主として彼らを助けるのですわ。私は民のため、産業を活性化させることの大切さをソフィアから学びましたの」


凛とした空気を纏い、クロエはパトリシアに言い切った。同時にソフィアがジャスミンの申し出を断ったことを、グランチェスター家の意思として『いつまでも拙いままではいない』と明言したことになる。


『あらま。クロエったらカッコ良すぎね。とはいえ、もう暫くの間はお茶を濁しておきたかったなぁ』


ソフィア商会がグランチェスター領に本拠地を構える商会である以上、グランチェスター家との関係が深いことは明らかである。しかし、その関係がどこまで深いのかについては、多くの貴族家にとっての関心事であった。ところが、クロエがグランチェスターの名前を出してしまったことで、ソフィア商会の服飾部門設立にはグランチェスター家が大きく関与していることを宣言したも同然の状態となった。


すると、近くで見守っていたヴィクトリアがクロエに話しかけた。


「クロエさんは、とても素晴らしい考えをお持ちなのね。民を想う気持ちにとても感銘を受けたわ。このお話は是非とも王太子妃殿下にもお話ししたいのだけど、王太子妃殿下が主催するお茶会にもいらしてくださるかしら」

「大変光栄ではございますが、私の一存ではお答えできません」


王太子妃殿下はヴィクトリアの実姉である。お茶会のゲストにグランチェスター家のメンバーを呼ぶことくらい容易いだろう。もちろん王子妃になりたいクロエにとって、王子の母である王太子妃殿下とのお茶会は願ってもない機会である。おそらく先程の国王陛下云々の発言も、それを狙ってのことだろう。だが、クロエは未成年の女性であるため、親の許可無しに参加を承諾することができない。仕方なくソフィアがヴィクトリアに向かって返答する。


「では、私の方から小侯爵夫人にお伝えいたします」

「そうしてくださると助かるわ。なんならソフィアも一緒にいらっしゃい」


『しまった。そっちがメインか』


「大変ありがたく存じますが、私は平民の商人に過ぎません。尊き方々の御前に侍ることなど畏れ多く……」

「ほほほ。隣国の王太子とは随分と親し気だったと聞いてますけれど?」

「そ、それは……」


『くっ、ゲルハルトのせいで面倒なことになったじゃない!』


だが、ジャスミンの言葉を聞いてもヴィクトリアは娘のドレス製作の依頼を撤回せず、あまつさえ王室とのお茶会へと誘っている。完全にソフィア商会の味方であることを、周囲に見せつけているのだ。


王室に近い筆頭公爵家であるアールバラ家の後ろ盾があれば、ソフィア商会が王都に拠点を持つこともスムーズになるだろう。


「ゲルハルト殿下もソフィアの魅力には勝てないようね」

「それは違いますわ。ゲルハルト王太子殿下は、アヴァロンで正妃となられる方をお探しでいらっしゃると伺っております」

「あぁ、そうでしたわね。あの方はサラさんを国に連れ帰りたいと仰せだったとか」


『噂になってる!?』


「殿下は私の演奏を気に入ってくださっただけですわ。シュピールアの代わりにピアノやヴァイオリンを演奏する自動人形(オートマタ)のような子供がほしかったのではないかと」


ゴーレムのサラはにこにこと微笑みながら答えた。すると近くにいた貴族女性たちも声を上げる。


「あら、そのアイデアは素敵。人形とシュピールアを組み合わせた商品なんか素敵じゃないかしら」

「お気に入りの人形工房を紹介しても良くってよ」

「サラさんをモデルにした人形だったら、さぞかし美しいでしょうね」

「ゲルハルト王太子殿下の気持ちも理解できるというものですわね」


『なるほど、確かにソッチ方向はありかも』


新商品の企画は大歓迎ではあるものの、今は服飾関係の職人を何としてでも手配しなければならない状況なので、ひとまずアイデアを胸にしまっておくに留めた。


そして同時に、ソフィアはジャスミンの強い視線を無視してはいけないことを、商売人の勘のようなもので理解していた。


『足下を見るような発言はいかがなものかと思うけど、彼女の立場なら不思議ではないわね。それよりも布を見る彼女の執着心の方が怖い気がするわ』


「ジャスミンさん、ソフィア商会のドレスはソフィア商会が責任を持って仕立てるつもりです。ただ、試作品の布をいくばくかお譲りすることはできるかもしれません。ただし、製法についてはご容赦くださいませ」


実はこれらの新しい布を製作するため、ソフィア商会は本気で新しい織機と編機を開発しているのだ。完成した布をイメージできるサラは、前世の記憶を頼りにテレサに紹介してもらった職人たちと相談を繰り返し、女性たちの集落の近くで織物工房と染織工房を構える姉妹の職人と専属契約を締結している。


「生地の製法が極秘なのは当然ですわ。触らせて頂けるだけでも有難いことですし、可能であれば貴重な生地を使って私も自分のデザインのドレスを作ってみたいのです」

「よろしければ、布への意見やご要望などを教えていただけると、より製品を充実させられると思いますの」

「もちろん。願ってもないことですわ!」


『やっぱりそうだ。ジャスミンとは争うよりも協業すべきよ。これほど多くの貴族に支持されているドレスメーカーを敵に回すより、生地を沢山買ってもらう方がお得だもの』


「ところでサラさんには大変失礼なお願いをしたいのですが……」

「なんでしょうか?」

「パニエを見せていただくことは可能でしょうか。布だけでこれほどスカートにボリュームを持たせている秘密を知りたくて」


するとサラのゴーレムは困ったようにソフィアの方に顔を向けた。


「サラさん、それはお断りしていいのよ。近くにはアールバラ小公爵もいらっしゃいます。殿方がいるような場で淑女がお見せして良いものではありません。ジャスミンさんには、後程ソフィア商会から見本のパニエをお送りしておきますわ」

「わかったわ」

「こ、これは大変ご無礼いたしました。夢中になると周囲が見えなくなってしまうことがございまして」

「ジャスミンさん、お気になさらないでくださいませ。ソフィアも似たようなところがありますのよ」


くすっと微笑んだサラは大変に可愛らしく美しく見えたが、その笑顔を目の当たりにしたソフィアは軽くショックを受けた。


『ヤバい、私よりマギの方が完璧な作り笑いを浮かべてる!』


「そういえばソフィアさん。デザイナーもグランチェスター領にいらっしゃるのですか?」

「ええ、まだ年若いデザイナーなのです」

「王都で既存のドレスを見ていないからこそ、独自のセンスをお持ちなのですね。素晴らしい才能ですわ。これは嫌味ではありませんわ」

「ですが、彼には王都の流行についても学ばせたいと考えております」

「あら、デザイナーは男性なのですね。なるほど男性が理想とする女性のドレスなのかもしれません。もちろん、色々なデザインに触れることはいい刺激になると思いますわ。私も、このドレスからいろいろなインスピレーションを感じましたもの」


デザインを担当するルーカスは相変わらず女性たちの集落に住んでいる。布や糸について職人姉妹と念入りにディスカッションできる環境にいることで、次々とドレスのデザインアイデアが浮かんでいるそうである。そして、ドレスの縫製も集落に住む女性たちが担当しているはずだ。


『もっとしっかり考えないとダメだったわ。ドレスの縫製は巾着袋を縫う内職とは違うし、パタンナーが不在であったことにも気付くべきだった。前世でもオートクチュールには、高い技術が求められることくらい知ってたハズなのに……』


こうして有意義だが苦いお茶会は終了した。今日の苦い敗北をソフィアは胸に刻み込んだ。そして、後々何度も思い出しては自分を戒めた。


『チートですべてを解決できるわけではない』

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― 新着の感想 ―
酒が思ったよりおいしくないのと同様にチートも転生者が知らない領域には対応できないんでしょうね。
[気になる点] マギがシンギュラリティ超えたな [一言] 現実はまだまだシンギュラリティには程遠いけど、 ミュージシャンや声優さんはAIに戦々恐々らしいです
[良い点] おおマギの学習能力よ。これは近いうちに本物のサラの助言など必要としない意志決定力と社交術を身に着けそうな。完全に独り立ちできそうで、怖いかも。 王族や高位貴族の衣装ともなると、なかなか一…
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