おや!? 話の様子が……
ヴィクトリアが女王然と振舞っているテーブルには、アールバラ公爵家の長男で6歳のアルフレッドと、長女で3歳のユージェニーがちょこんと座っていた。ドレスメーカーのお茶会に男子を連れてくるというのは珍しく、アルフレッドと同世代の男子は他に一人も参加していない。
テーブルは身分ごとにいくつかに別けられており、アールバラ家とグランチェスター家は同じテーブルである。面倒なことにエヴァンズ家も一緒であるため、クロエとパトリシアの間には、微妙な空気が流れている。
『わざわざ公女だけでなく公子をお連れになっているということは、ソフィアとサラへの顔繋ぎってことかな』
予想通り、ヴィクトリアはソフィアに水を向けた。
「ところでソフィア、今日はクロエさんとサラさんの付き添いなのでしょう?」
「然様でございます」
「それじゃぁ、サラさんにうちの子たちを紹介させてくださるかしら」
「もちろんでございます」
ソフィアが頷くと、隣に座っていたゴーレムのサラは優雅に立ち上がり、完璧なカーテシーでヴィクトリアに挨拶する。
「大変光栄にございます。アールバラ公爵夫人」
「お久しぶりという程には時間を置いてはいないけれど、元気そうで何よりね」
「はい。恙なく過ごしております」
「お作法のお手本のようだわ。ガヴァネスの優秀さが窺えるわね」
「ありがとう存じます。私を指導した母に公爵夫人からお褒め頂いたと胸を張れそうです」
「ふふっ。レベッカさんの立ち居振る舞いは王妃様のご指導の賜物ですものね。うちのジェニーにもサラさんのような優雅さを身に付けさせたいけれど、なかなか良いガヴァネスがいないのよ」
『うーん? これはお母様をガヴァネスにしたいって言ってるのかしら?』
サラのゴーレムの背後に立っていたソフィアは、ヴィクトリアの発言の意図を上手に掴めないでいた。だが、母親から名指しされたユージェニーは、静かにテーブルから立ち上がってサラの前に歩み寄り、小さくカーテシーをしてから自己紹介を始めた。
「私はユージェニーよ。ジェニーって呼んで」
「はじめましてジェニー様。サラ・グランチェスターと申します」
「サラさんはピアノとヴァイオリンがとっても上手だって聞いてるわ。私にも聴かせてくれる?」
「はい。ジェニー様がお望みであれば」
アメシストのような瞳をきらきらと輝かせるユージェニーを、母親であるヴィクトリアは困ったように窘めた。周囲はユージェニーの可愛らしい我儘を微笑ましく見つめている。
「ジェニー、あまりサラさんを困らせてはダメよ」
「だってお母様、サラさんは妖精みたいにお綺麗なんですもの。私のお姉様になっていただきたいわ!」
「あらあら、ジェニーのお姉様になるためには、アルフレッドに頑張ってもらわないといけないわねぇ」
『おっと、そうきたか』
どうやらヴィクトリアはグランチェスター家との縁組を狙っているようだ。アルフレッドをお茶会に伴ってきたのも、サラと仲良くさせることが目的だったのかもしれない。
サラが平民のままであれば歯牙にもかけなかったかもしれないが、もうじきサラは子爵令嬢として貴族籍に名を連ねることが決まっている。グランチェスター侯爵の孫であり、話題のソフィア商会とも浅からぬ縁を持つサラは、本人が思っている以上に魅力的な結婚相手として注目されるようになっていた。
それでも、アヴァロンの筆頭公爵家であるアールバラ家の、しかも嫡男の嫁として望むには条件が足りない。おそらくサラの魔力量や母親であるアデリアのことも調べ上げたのだろう。
「お兄様が頑張るの?」
「だってジェニーのお姉様になるなら、アルフレッドのお嫁さんになってもらわないといけないでしょう?」
サラを嫁にしたいという意思を隠さないヴィクトリアの言動に、周囲の女性たちも興味を示していることがひしひしと気配で伝わってくる。
ソフィアの抜け目なさを理解はしていても、貴族的な駆け引きには不慣れであることを見越したヴィクトリアの先制である。こうした駆け引きになれているエリザベスが不在な時を狙っているあたりに、ヴィクトリアの本気度が窺える。
『こんなところで面倒な。マギの行動を見てその後の対応を決めるか』
もし、サラがゴーレムでなく本人だった場合、おそらく無邪気さを装ってこの場を切り抜けただろう。だが、マギにコントロールされているゴーレムが、どのように行動するのかを正確に推し量ることは難しい。一旦、ソフィアはマギに下駄を預けた。
母親に促されるようアルフレッドも席を立ち、サラの前に手を差し伸べる。サラがアルフレッドの手の上に自分の手をそっと重ねると、アルフレッドはサラの手の甲に軽く口付けを落とした。アルフレッドがもっと成長していればサラの前で跪くところだが、まだ6歳のアルフレッドはサラよりも背が低かった。
「はじめましてサラ嬢。僕はアルフレッド・アールバラだ」
「はじめまして。サラ・グランチェスターと申します」
ゴーレムのサラは顔を上げたアルフレッドの瞳をまっすぐ見つめ返し、優美に微笑んで挨拶を返した。その瞬間、アルフレッドの頬にサッと赤みが射す。
「どうやら母上は僕たちに仲良くしてほしいみたいだ」
「光栄に存じます」
「そんなにかしこまらなくていいよ。サラ嬢の方が僕より年上なんだし。僕のことは気軽にアルフレッドって呼んで」
「私のこともサラって呼んでくれる?」
「もちろんだよ。サラ」
「ふふっ。さっそく王都でお友達ができたみたいで嬉しいわ!」
『ほう。マギは友情をキメる作戦をとったか。公爵家に真っ向から反論するのは得策とは言えないし、無邪気さを武器にする方針は私らしい行動ね。私が幼いうちしか使えない手ではあるけど有効でしょ』
「あら、サラさんに新しいお友達ができたのですね。アルフレッド様、今後ともサラさんと仲良くしてくださいませ」
ソフィアもにっこりとアルフレッドに微笑んだ。
「無論だ」
「お兄様だけズルい。私もサラさんとお友達になりたい!」
「では、ジェニー様も私のお友達になってくださいますか?」
「うんっ! サラって呼んでいい? 私のことも様なんて付けないで呼んで!」
「じゃぁジェニーって呼ぶね」
大変微笑ましい雰囲気ではあるが、ヴィクトリアは少し残念そうである。
『筆頭公爵家であっても貴族家の嫁になる気はないから、下手に期待を持たせるようなことをしちゃダメだわ。言質を与えるようなことは極力避けないと』
ソフィアは薄氷の上に立っている気分になった。しかし、こうした空気を読むことに長けたクロエが、さりげなくソフィアを助けた。
「アルフレッド様、ジェニー様、私はサラよりも年上ですが、私とも仲良くしていただけますか?」
「僕は構わない」
「じゃぁクロエもお友達ね。私のこともジェニーでいいよ」
「ありがとうございます。アルフレッド様。ではジェニー、私と新しいドレスの相談をしましょうか。今日のサラのドレスは、私が見立てたのよ」
「そうなのね。サラのドレスすごく可愛いと思うわ。花の妖精みたい!」
さすがにドレスの話がメインになれば、アルフレッドが前面にでてくることはできない。クロエがやんわりと、男子であるアルフレッドをシャットアウトしてくれたのだ。ソフィアはクロエに目配せをして、話題の誘導に感謝を示した。クロエも心得たように、ニッコリとやや勝ち誇ったような微笑みを浮かべた。
『うーん。やっぱり社交術は弱いかも。クロエの方がずっと上手だわ』
社交の場は実践経験が重要であることをソフィアは肌で理解した。
クロエはサラを立たせ、薔薇色のドレスについてユージェニーに説明し始めた。立ち上がったサラも微笑みを浮かべながら、クロエの指示に従ってドレス全体が見えるようくるりと回ったり、カーテシーのポーズをとったり、手をあげたりして見せた。この会話は少女たちの間だけで行われているように見えるが、実際にはジャスミンを含めた周囲の女性たち全員が聞き耳を立てていた。
「まずね、一番上に重ねている薄い布は、ソフィア商会が新しく開発した布なの。だから今はグランチェスター領にしかないのよ」
『クロエったらいきなり核心つくなぁ』
「じゃぁ今はクロエとサラのドレスにしか使われてないってこと?」
「そういうこと。でも、特別にジェニーのドレスにも使うね」
「わぁ、すごい! サラ、スカートをちょっと触ってもいい?」
「もちろんよ」
ユージェニーがサラのドレスのスカート部分を上からそっと撫ぜる様子を、ジャスミンは目を少し細めながらも凝視していた。
「とっても薄くて柔らかいのね」
「それはシルクオーガンジーですわ。もともとアヴァロンで織られているオーガンジーはコットンなのですが、こちらには絹糸を使っています」
ソフィアがユージェニーに答えると、我慢できなくなったジャスミンが身を乗り出してきた。
「サラお嬢様、私にも触らせていただけますでしょうか?」
「構いませんわ」
ジャスミンはサラのドレスを上から撫でるように触ると、ついと顔を上げた。
「お嬢様、大変失礼ながら、裾を少し持ち上げてもよろしいでしょうか?」
「下にパニエを重ねていますのでオーバースカートまででしたら大丈夫です」
ジャスミンは床にしゃがみ込むと、サラのドレスの裾を持ち上げ、オーガンジーの下にハリのある網目状の布と、艶やかなサテン生地が重なっていることを確認した。
「オーガンジーのすぐ下に重ねられている布の素材を伺ってもよろしいでしょうか?」
サラは困ったような表情でソフィアを見上げ、首を傾げながら尋ねた。
「ソフィアお姉様、この素材についてジャスミンさんにお答えしてくださいませ。私には難しくてわからないのです」
『マギって堂々と嘘をつくのねぇ。まぁ役割を演じるという意味では正解だけど』
「サラさん、人前では私のことはソフィアと呼んでね」
「あ、そうでした。ソフィア」
うっかり間違えてしまった風情で、サラのゴーレムは照れたように顔を赤らめた。
『あざとい……これ、私が8歳の女の子やるより上手かもしれない』
だが、話題を振られた以上は答えなければならない。
「そちらはチュールと呼んでおりますが、正確に言えば織布ではございません。少し特殊な加工を施した綿糸をご覧のように網目状に編んであるのです」
「ここまでしっかりとハリがあるのは、その特殊な糸を編んでいるからなのですね?」
「その通りですわ。さすがにジャスミンさんの目は確かですわね。糸の素材や太さを変えるだけで、驚くほどさまざまな風合いとなるのです。もっとも、それはオーガンジーも同じですが」
ジャスミンは暫し、サラのスカートを撫でたり少しだけ持ち上げたりを繰り返していたが、スッと手を離して立ち上がり、ソフィアの方に振り向いた。
「ソフィアさん、こちらの布を私も購入可能でしょうか?」
「ゆくゆくは一般販売をしたいとは考えておりますが、こちらの布はまだ小さな工房で少量しか製造されておりません。本当になにもかもが試作の段階なのです」
「それでしたら、なおのこと私どもにこそ布を卸していただくべきかと」
ジャスミンは貫くような真っ直ぐな視線をソフィアに向け、強い口調でハッキリと言い切った。