え、いきなり?
お茶会の会場には、10分ほど遅れて到着した。アヴァロンの社交界では、身分が低い者が先に会場に入って上位の者を迎えるという習慣がある。そのため、招待状に書かれた開始時刻を基準に、おおよその到着時間は身分によって異なってくる。たとえば男爵家であれば開始時刻の30分前から20分前に着いて後から到着する方々に挨拶しなければならず、公爵家であればやはり30分ほど後からやってくる。
法的な強制力のない単なる習慣に過ぎないのだが、身分の低い者が遅刻してくると教育が行き届いていないと判断されてしまうのだ。逆も然りで、上位貴族が開始時刻よりも早く会場入りすることはあまり褒められた行動ではない。
もちろん今回のお茶会は正式な貴族の社交として認められるような催しではなく、それほど気を遣う必要はない。だが、グランチェスター侯爵家の令嬢として、クロエはいつものように遅れて到着することにした。
「これはクロエお嬢様、この度はご出席いただきありがとう存じます」
「ジャスミン、招待ありがとう」
クロエはマルカートにエスコートされ、ゆっくりと会場に入ってきた。しかし、クロエが身に纏っているドレスが自分のデザインしたモノではないことに気付いたジャスミンは、少し顔を強張らせている。
「クロエお嬢様、本日はいつもと雰囲気が違いますね」
「ええ、少し大人びた感じにしたかったの」
当たり障りのない言い方をしているが、実際には『うちのドレスを着てないじゃない!』『だってあなたのデザインって子供っぽいんですもの』という不穏な会話である。
『あら、一介のドレスメーカーに過ぎないはずなのに、侯爵令嬢であるクロエに喧嘩を売ってるわけ? これはなかなか面白いわね。まぁクロエの方も負けてないけど』
後ろでにこやかな表情を浮かべながら、ソフィアはジャスミンとクロエの大胆さに少しばかり驚いていた。
「こちらのドレスは私がおすすめしたのです。最近、お嬢様のお身体は急激に成長していらっしゃいまして、既存のドレスが合わなくなってしまいましたの。仕方なく、クロエお嬢様のために急ぎでドレスを仕立てさせていただきました」
確かにクロエは成長期ではあるが、狩猟大会直前に作ったばかりのドレスが着られなくなるほど体型が変化しているはずがない。この場を丸く収めるための方便に過ぎないのだが、それはジャスミンも理解していた。
ジャスミンはソフィアに向き直り、取って付けたような笑顔を向けた。
『うーん。わかりやすい人ね。貴族相手に商売する気なら、もう少し取り繕うのが上手じゃないと』
「ジャスミンと申します。お初にお目にかかります」
「はじめましてマダム・ジャスミン。私はソフィアと申します」
「ソフィア様はクロエお嬢様のシャペロンですの?」
するとクロエがニッコリと大きく微笑んで、ジャスミンに語り掛けた。
「ふふっ。彼女はソフィア商会の会長なのだけど、忙しい合間を縫って私とサラの付き添いで一緒に来てくれたの。お母様とお父様にお願いしてもらったのよ」
クロエの発言のお陰で、周囲からざわりと言葉を囁き合う気配が漂った。グランチェスター領の狩猟大会に来ていた貴族はもちろん、そうではない人々の間でもソフィアやソフィア商会についての噂が飛び交っているのだ。
特に流行に敏感であることを自負している女性たちにとって、今のソフィアは親交を深めたい人物ナンバーワンである。なにせ商品がとんでもなく魅力的であるにもかかわらず、入手がとても困難なのだ。
設立して間もないソフィア商会は、まだ王都に販路を持っていない。どこかの商会に商品の販売を委託することすらしていないため、ソフィア商会の商品がほしければグランチェスター領まで買い付けに行く必要がある。
このような事情から、グランチェスター領のソフィア商会には王都から貴族家の使用人や依頼された商人たちが商品を買い付けに訪れるようになった。ところが、熱病の流行が確認されたことで、グランチェスター領への出入りには制限がかけられていた。他領に熱病が拡大することを可能な限り抑えることが目的ではあるのだが、そのせいでますますソフィア商会の商品の希少性が高くなってしまったのだ。
「このような場での付き添いは初めての経験なのですが、小侯爵夫妻は気負わずともよいと仰せになり、私も今後の勉強になればと伺ったのです」
「もちろんよ。あなたなら十分に役割を果たしてくれると、お父様もお母様も仰ってたわ」
「ソフィア様は随分とグランチェスター家から信頼されていらっしゃるようですね」
「ありがたいことだと思っておりますわ」
当たり障りのない会話のように聞こえるが、ソフィアやクロエは『シャペロン』という正式な役割を口にせず、『付き添い』としか発言していない。要するに『お前が開催するお茶会は正式な貴族の社交の場とは思ってない』と言っているのと同義である。だが、きちんと淑女教育を受けていないジャスミンは、この言葉選びの意図に気づくことができなかった。それでも、クロエが自分のデザインしたドレスを着用せず、トレードマークであった縦ロールのヘアスタイルもやめてしまったことには気づいていた。
ジャスミンがクロエのために用意したドレスの大半は、クロエが豪奢な縦ロールであることを前提としたデザインである。クロエのイメージチェンジは単なる成長期などが原因なのではなく、ジャスミンのデザインやセンスを過去のものにしてしまったことを明確に表していた。
『くっ、大口の顧客を奪われたようね』
ジャスミンは歯噛みをしそうなくらい悔しかったが、その他にも大勢いる自分の顧客の方を振り向いて心を落ち着かせた。平民のドレスメーカーに過ぎないジャスミンは、どれだけ多くの貴族女性から支持されていたとしても、侯爵家の令嬢であるクロエに対して批判的な言葉を述べることはできない。せいぜい、遠回しに嫌味な発言をする程度である。もちろん、クロエに同行しているサラやソフィアに対しても、同じように接する必要があった。
だからといって、この場をクロエが完璧に支配できているというわけでもない。ジャスミンの背後からしずしずと歩み寄ってきたのは、エヴァンズ辺境伯令嬢のパトリシアである。
「クロエ様お久しぶりですわね」
「あら、本当にお久しぶりですねパトリシア様」
パトリシアはクロエよりも3歳年上の15歳で、ふっくらと柔らかい線を描く顔の輪郭、やや垂れ気味のヘーゼルの瞳、ミルクティのような色の髪をもつ可愛らしい雰囲気の少女である。一見するとおっとりとした大人しい貴族令嬢に見えるのだが、見た目に反してその性格はかなり苛烈であった。
「クロエ様はグランチェスター領にお戻りになっていらしたのですね」
「ええ。狩猟大会を開催しておりましたので」
「今年もアンディ……、失礼アンドリュー王子が参加したのかしら?」
「はい。ロイセンのゲルハルト王太子殿下とご一緒に」
実はパトリシアは、クロエと仲が悪いことでも知られている人物である。パトリシアとクロエはどちらもアンドリュー王子の妃候補として名前の挙がることの多い令嬢だが、パトリシアの父親が数年前まで近衛騎士団の団長であったことから、アンドリュー王子の幼馴染でもあった。
『ふんっ、わざと王子を愛称で馴れ馴れしく呼ぶのが鼻につくったらないわ。大体、聞かなくたって王子が狩猟大会に参加したことなんて貴族令嬢なら誰でも知ってるに決まってるじゃない』
「クロエ様やソフィア嬢のお召し物は、領地でお求めに?」
パトリシアは、さらに口撃を続ける。
「それにしても急に体型が変わるほど成長してしまうなんて、さすがアヴァロンの食糧庫であるグランチェスターですわね。食事が美味しいのね」
「ええ、今年はグランチェスター領で新しい特産品がいろいろ生まれているのです。新しいお酒やエルマの新種もあるんですの。そういえば、狩猟大会に参加されていたエヴァンズ辺境伯は、大層グランチェスター領の新しいお酒がお気に召していたようで、剣舞を披露されていらしたわ。相変わらず素晴らしい腕前でいらして、感銘いたしました。折角ですので、後程エヴァンズ邸にいくつかお届けするよう手配しておきますわね」
「ご親切にありがとう存じます」
エヴァンズ辺境伯は、酒を飲むと陽気になって歌や踊りを披露することでも知られていた。どちらも、そこそこ上手であるため、場を盛り上げる宴会芸として歓迎されていたりもするが、パトリシアにとっては父親の恥ずかしい一面である。
『あらあら、随分と血の気の多いお嬢さんね。クロエも負けてないけど。それにしても、到着するなりバトル開始ってのはどうかと思うわ』
ソフィアは付き添いとして、この場を収めることにした。
「はじめましてエヴァンズ令嬢。私はクロエお嬢様の付き添いで同行しているソフィアと申します」
「あなたがソフィアなのね。色々聞いているわ。クロエ様が仰っていた新しいお酒もあなたの商会の商品なのでしょう?」
「然様でございます。グランチェスター家の恩恵を持ちまして、新商品を世に出すことができました」
「ふーん。そうなの。そういえば化粧品の類も販売していると聞いているわ。買ってあげるからエヴァンズ邸までいらっしゃい」
ソフィアをただの商人としか思っていないため、パトリシアは居丈高にソフィアに命令する。
「申し訳ございません。実は化粧品やハーブティなどは、すべて売り切れてしまっております。狩猟大会にお越しくださった貴族家の方々が、かなりの量を追加で購入してくださったため、在庫がなくなってしまったのでございます」
「では次に生産する分を注文するわ」
「既に生産が追い付かない程のご注文を承っておりまして、当分の間は先にご契約いただいているお客様以外の方への販売は難しいのです」
「私はエヴァンズ辺境伯の娘よ! 他家の分を回すなり配慮しなさいよ」
だが、ソフィアは静かに首を横に振った。
「それでも難しいと存じます」
「なんですって!」
実際、グランチェスター領に熱病が流行してしまったせいで、ソフィア商会の化粧品生産には大きな支障がでていた。化粧品の生産を委託していた薬師たちは、熱病対策のために経口補水液などをせっせと作っているのだ。そのため、現在は他領に化粧品の生産工場を設けられないかを検討している最中であった。
「あなたは私を馬鹿にしているのかしら?」
「あらあらエヴァンズ令嬢、随分とお行儀が悪くてよ」
登場したのはアールバラ公爵夫人のヴィクトリアであった。グランチェスター領で出会って以来ソフィアとして親交を深めている相手であり、ソフィア商会にとっても重要な顧客でもあった。
「これは、アールバラ公爵夫人。お見苦しいところを……」
パトリシアは慌てて、ヴィクトリアに丁寧にカーテシーで挨拶する。
「エヴァンズ令嬢、ソフィアは商会長である前にグランチェスター令嬢の付き添いなのよ。あなたの行動はグランチェスター侯爵家に対する侮辱に他ならないのだけど、まさかエヴァンズ辺境伯家は、グランチェスター侯爵家に領地戦を挑まれるおつもりなのかしら?」
「い、いえ。決してそんなつもりは……」
「ではどういうおつもりなのかしら」
「ただ、私はソフィア商会の商品を購入したいと申し出たまでにございます。いくらグランチェスター侯爵家が後ろ盾になっているとはいえ、エヴァンズ辺境伯家に商品を販売できないなど当家を馬鹿にしているとしか思えません」
パトリシアは顔をあげてソフィアをキッと睨んだ。
「エヴァンズ令嬢、ソフィア商会の商品が品薄なのは事実よ。当家もソフィア商会の商品を心待ちにしている状態なの。おそらくここにいらっしゃる方々の中にも、ソフィア商会に注文した商品を待っている方がいらっしゃるはずよ。あなたはそんな方々から大切な商品を奪うおつもり?」
「決して奪うなどは考えておりません」
「先程『他家の分を回せ』と聞こえたのだけど気のせいかしら」
「それは……その……」
ヴィクトリアに責められ、パトリシアは委縮して震えている。すると、ヴィクトリアはソフィアに振り向いて、軽く目配せした。
『あー、はいはい。舞台を演出してくださったってわけね』
「アールバラ公爵夫人、私が言葉足らずだったのでございます。エヴァンズ令嬢、実はグランチェスター領は熱病が流行しております。『人命が優先』という領主の命によって、化粧品を製造するはずだった薬師が熱病対策の薬品作りをしなければならなくなってしまったのでございます」
「そ、そうだったのね。それは知らなくてごめんなさい」
「きちんとご説明差し上げず、申し訳ございませんでした」
ソフィアはパトリシアに対して深々と頭を下げた。しかし、この様子を傍から見ていた貴族たちは、ソフィアの立ち居振る舞いが単なる平民の商人ではないことに気付いた。また、クロエの横に立ったまま一言も言葉を発していないサラとの類似性から、少なくともグランチェスター侯爵家の縁戚であることを理解した。
「ソフィアがそういうのなら、そうなのでしょうね。ですがエヴァンズ令嬢、あまり我儘を言って相手を困らせてはなりません。子供っぽい行動は慎みなさい」
「お言葉、胸に刻みます」
ヴィクトリアの介入によって事なきを得たが、お茶を口にする前から既に戦闘意欲満々になっているクロエの様子を見ると、ソフィアは頭を抱えずにはいられなかった。
しかし、問題はそれだけで終わらなかった。何故ならヴィクトリアは、このお茶会に6歳の息子と3歳の娘を連れてきていたのだ。しかもご丁寧なことに、娘のユージェニーには”ソフィア商会の”ドレスを着せていた。
ジャスミンは当然気付いており、チラリチラリとユージェニーのドレスをチェックしていることは目の動きで丸わかりであった。ユージェニーのドレスは、大型のシュピールアを購入してくれたお礼として、ソフィア商会がアールバラ家へ贈ったもののひとつである。
『まさか、今日着せてくるとは思わなかったわ』
「アールバラ公爵夫人、ご令嬢のドレスはどちらでお作りなられたのかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あら、もちろんよ。これはソフィア商会から贈られたドレスですのよ。とても可愛いと思わない?」
「然様でございますね」
ジャスミンからの質問に、ヴィクトリアは笑顔で応じた。ジャスミンは笑顔が引き攣らないようするだけで精一杯であった。
「ソフィア様、失礼でなければお伺いしたいのですが、クロエお嬢様、サラお嬢様、そしてユージェニーお嬢様に贈られたドレスは、グランチェスター領のドレスメーカーで仕立てられたのでしょうか?」
「実はソフィア商会でも服飾部門の設立を検討しておりまして、グランチェスター侯爵家の方々向けに、さまざまな試作品を提供してご意見を頂戴しているのでございます」
「ふ、服飾部門ですの?」
「ええ。シンプルで着心地の良さを追求しつつも、上品さを失わないデザインというのがコンセプトですの。過度な装飾を排し、質の高い生地と確かな縫製技術によって丁寧に造りたいと考えております。ただ、装飾で誤魔化せないせいで、生地を製造するところから管理するほかなく、技術の確かな針子を確保するのも大変なのです」
「装飾を控えるということは、日常的にお召しになるドレスということなのでしょうか」
「まだ何とも申し上げられませんわ。実際にこのような場でも違和感のないデザインであると自負しているのですが、私どもの衣装は浮いておりますでしょうか? まだ若いデザイナーの作品でもありますので至らない部分もあるかもしれませんわね」
にっこりとソフィアはジャスミンに対して微笑んだ。
お茶会は日中に開催されるものであり、肌の露出が少ないドレスを着るのがマナーとされている。ドレスをあまりシンプルにすると、どうしても地味な印象になってしまうため、ジャスミンは昼用のドレスに小さな宝石を縫い込んだり、クリノリンでふんわりと広げたスカートを何段も重ねたりなど綺羅綺羅しいデザインを好んだ。
一方、ルーカスがデザインした昼用ドレスは、織る時から色をグラデーションさせた生地を使ったり、細かい刺繍を施したり、ポイントにレースを覗かせたりするなどさまざまなテクニックを駆使しつつも、デザインそのものは非常にシンプルである。また、ルーカスは成長期の少女の身体をコルセットで締め上げるようなデザインは採用せず、動きを制限されるクリノリンなども排している。
「ソフィア商会のドレスも私はとても好きよ。何より着ていて楽なのが良いわ。子供のうちは楽な服を着せてあげたいの」
「恐れ入ります」
「もちろん、ジャスミンのドレスにも期待しているのよ。今日は新しいデザインのドレスを見せてくれるのでしょう?」
「もちろんでございます」
こうしてヴィクトリアの発言が、お茶会の開始とジャスミンドレスの新作披露を促す契機となった。