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侯爵との晩餐

正餐室に入ると、グランチェスター侯爵はテーブルで食前酒を口にしていた。近くには侯爵の側近2名が着席することなく控えている。


「父上、お待たせしてしまいましたか」

「気にすることはない。私が早めにきただけだ」


ロバートの背後ではサラとレベッカがカーテシーの姿勢のまま控えており、さらにその後ろでは文官たちも頭を下げている。


「サラも元気そうでなによりだ。レベッカ嬢も久しいな」


声を掛けられたサラとレベッカは頭を上げて挨拶をする。


「祖父様、素敵なお城に住むことができてとても嬉しいです。ありがとうございます」

「グランチェスター侯爵閣下、大変ご無沙汰しております。この度は、ガヴァネスとしてお呼びいただき、大変光栄に存じます」

「才媛で知られるレベッカ嬢をガヴァネスにできたサラの方が光栄であろうな」

「はい。レベッカ先生は素晴らしいガヴァネスです!」

「もったいないお言葉でございます」


そして侯爵は背後にいる文官たちに目を向けた。


「君たちも楽にしてくれ。今日は君たちの働きに感謝を示したくて呼んだのだから」

「はっ。大変恐縮にございます」

「もったいないお言葉でございます」


ジェームズとベンジャミンはガチガチになっている。侯爵を前にした緊張というより、自分以外の功績を評価されていることへの罪悪感の方が強い。しかも、侯爵を相手に嘘を吐き続けなければならないというプレッシャーもある。


そして晩餐が始まった。


「祖父様、お越しになるのは3日後と伺っていたので驚きました」

「僕も驚きました。おかげで歓迎の準備もできませんでした」

「ああ、抜き打ち検査というやつだ。なにせ先代の代官と会計官がやらかしたばかりだからな」


侯爵は苦々しい顔を浮かべた。


「父上は身内まで疑うおつもりですか!?」

「先代のやつらも親戚筋だったではないか。私は身内だと考えていたぞ」

「それはそうですが…」

「それに執務室には、女が侍っておったではないか。お前の女遊びはまだ止まんのか」

「彼女たちは仕事の補佐をしてくれていただけだと申し上げたではありませんか」

「女に執務の何がわかるというのだ。まぁ今回は実績も残していることだし大目に見るが、もう馬鹿な真似はするな」


そこにレベッカがそっと話しかけた。


「侯爵閣下、大変差し出がましくは存じますが、サラさんの前でそういった話題は避けていただくことは可能でしょうか」

「おお、そうであったな。これは申し訳ない」


『私を言い訳に会話ぶった切ったよ。レベッカ先生強い』


「まぁ今日は文官たちを労いたくて呼んだのだ。新しい帳簿の仕組みや資料は素晴らしい出来であった」


これには、側近の一人であるリチャードが意見を述べる。


「確かに素晴らしい帳簿でした。別添されていた資料も良かったですね。実態を把握しづらい経営状態が一目でわかりましたよ。あれも新しい帳簿の仕組みだから可能だったことは間違いありません」


これには、もう一人の側近であるヘンリーも感心しきりだ。


「帳簿も然ることながら、膨大な書類の仕分けを迅速に終わらせた手腕も評価されるべきでしょう。この作業が終わっていなければ、あの帳簿も作成できなかったと思います」


しかし、褒められているロバートや文官たちの顔色はあまり良くない。食事があまりすすんでいないのは、たぶん胃が痛んでいるのだろう。


「祖父様、ロブ伯父様や文官の方々は、素晴らしいお仕事をなさっているのですね?」

「そうだサラ。彼らのような優秀な文官がグランチェスターを支えてくれているからこそ、我々があるのだ」

「はい。祖父様」


褒められれば褒められるほど顔色が悪くなっていく文官たちに、サラはにっこりと微笑みかけた。


「文官の皆様方、これからも"私たちのために(隠れ蓑)"よろしくおねがいいたします」

「「大変恐縮でございます」」


ジェームズとベンジャミンは、サラに深々と頭を下げた。たぶん、裏の意味も理解しただろう。


「それにしても、サラの仕草や会話は随分と洗練されたな。さすがレベッカ嬢といったところか」

「サラさんは大変優秀なご令嬢です。私はサラさんがもっと輝けるよう、ほんの少しだけアドバイスをしているに過ぎません」

「ふむ。レベッカ嬢は聡明でありながら実に奥ゆかしい。あれから随分経つことだし、そろそろ新しい相手との幸せを考えてみてもいいのじゃないかね? 妖精憑きでも構わんという男もいるだろうに」


「父上! そのような…」


ロバートが慌てて口を挟む。


「いいのよロブ。侯爵閣下、私は今の生活に十分満足なのです。幸いにも両親や兄にも『傷物として不本意な相手に嫁ぐくらいなら結婚はしなくて構わない』と言われておりますし、兄嫁からも実の妹のように接してもらっておりますので」

「そうか。なんとも惜しいことだ。夫を支える美貌の夫人となるだろうに…」


『おやぁ? レベッカ先生はワケアリっぽい?』


サラはドラマ的な会話が展開されることを期待したが、侯爵もこれ以上は言葉を重ねる気は無いらしい。また、この手の会話に子供が参加すべきでないことは、サラ自身もよくわかっているため、話題を変えることにした。


『ひとまず祖父様の滞在予定を確認しておかないと、この後の計画が立てにくいよね。でも追い出したがってると悟られないように振舞わないと』


「祖父様は、いつまでこちらにいらしてくださるのですか?」

「そろそろ王家主催の狩猟大会があるのであまり長居はできないな。せいぜい10日といったところか」

「そんなにすぐお発ちになってしまうのですか? とても残念です」

「なにか用があるのか?」

「今朝、祖父様の馬を見たのです。黒くて大きかったです!」

「ほうサラは馬に興味があるのか」

「とても綺麗で賢そうでした。まだ乗馬はしたことがありませんが、是非やってみたいと思っております」

「うむ、馬はいいぞ。最近は乗馬を嗜むご婦人も増えておるしな」


『お、喰いついた。馬の話題はウケるらしい』


「祖父様は女性が馬に乗ることに反対ではございませんか?」

「女が馬に乗るのを嫌う輩はいるが、グランチェスター家は代々女性でも馬を乗りこなし、狩りを得意とする者が多い」

「それは存じませんでした」


今朝のメイドたちへの対応から乗馬は反対されると思っていたのだが、意外なことに祖父は女性が乗馬を嗜むことに拒否感はないようだ。


「馬と言えば、確かレベッカ嬢は去年の狩猟大会にも参加しておったな」

「はい。末席ではございますが」

「いやいや、美しいシルバーフォックスを一矢で仕留めたと聞いたぞ。損傷が最小限に抑えられた美しい毛皮は、王家に献上されたそうではないか」

「お恥ずかしい限りにございます」


淑女の皮は被っていても、どうやら小公子レヴィは健在らしい。


「素晴らしい方が私のガヴァネスになってくださったのですね」

「レベッカ嬢、サラにも乗馬や弓を教えてやってくれないだろうか」

「私でよろしければ」

「わぁ、すごい!」

「では近いうちにお前のための仔馬を選んでやろう」

「ありがとうございます」


すると、侯爵は真剣な目をしてサラに話し始めた。


「グランチェスター領は我々の先祖が開拓した土地だ。もちろん最初から豊かだったわけではない。実りが少ない年には、領主の妻や娘たちですら率先して食料となる獲物を狩らねば生きていけなかったのだ」

「そうだったのですね」

「サラ、お前がグランチェスターを名乗るのであれば覚えておきなさい。領主一族は領民を守るために存在する。飢えや外敵から彼らを守ることは我らの義務なのだ。なればこそ領民が納めた血税を横領した者らの所業を決して許してはならない」

「心に刻んでおきます」


『今朝の執務室メイドたちへの暴言は許しがたいけど、祖父様って悪い人じゃないんだよねぇ。私のことにしたって、駆け落ちした息子の子供なんて放っておいても良かったはずなのに、引き取って教育まで施してくれてるし。なんだろう、古い価値観で凝り固まった頑固親父的な?』


王都では祖父とここまで話をしたことがなかったことに、サラは改めて気づいた。前世のことを思い出す前は粗相をしないよう常に気を張っていたし、更紗の記憶が戻った後は無難にやり過ごすことしか考えていなかった。


サラは改めてグランチェスター侯爵という存在に向き合い、善良で"概ね"良き領主だろうという結論に達した。しかし、とサラは思う。善良であることは人の美点ではあるが、それだけでは領主は務まらない。


こうした善良さは、ロバートや文官たちにも共通しているようだとサラは感じていた。他人の手柄を奪った程度のことで簡単に良心が痛むなど、更紗の上司だったら鼻先で笑うに違いない。


彼らは善良であるが故に相手を疑う気持ちが希薄だ。だから小悪党に横領などされてしまうのだ。今回の横領の手口は杜撰なものだった。書類や帳簿をこまめに確認していれば、もっと早くに矛盾に気付いたに違いない。しかし侯爵は身内を信じ、書類や帳簿を確認するという領主として当たり前の仕事をおざなりにしてしまったのだ。


『祖父様たちの善良さって、たぶんグランチェスター領が豊かだからなんだろうなぁ。余裕があるから、生きていくための必死さみたいなのを感じないんだよね。先祖は女性も狩りをしたって言う割には甘いのよ…』


サラは苦い気持ちを感じつつ、小さい淑女のふりをして晩餐を終えたのであった。

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― 新着の感想 ―
古臭い価値観に凝り固まってる者ほど新しい風を入れる事を嫌がる者が多いよね 1発意識飛ぶくらいビンタしちゃえばいいのではないかな?
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