令嬢たちの戦支度
雪像だらけのグランチェスター領から、歳の瀬が近づいて華やかに飾り立てられた王都までの旅程は順調であった。
道中、三柱に似せたゴーレムたちは、適切と思われる場所に次々と中継器を設置していった。時には休憩中に街道を少し外れた小高い丘の上に設置したりもしていたが、見た目は普通の人間にしか見えないゴーレムたちが少しばかり歩き回ったところで誰も不審には思わない。精々『ソフィア商会の従業員が用を足しに行っている』と思われる程度で、ゴーレムたちがスコップを持っていても『穴を掘って埋めてくるのか。ちゃんとした奴だな』などと都合よく解釈する。
こうしてグランチェスター領から王都までの道程には、しっかりとマギのネットワークが敷設されていった。マギのデバイスであるゴーレムたちが調整しながら設置しているため、非常に正確で感度の良い状態が保たれている。
マギは中継器にこっそりと情報収集能力を持たせているが、リヒトも中継器にはさまざまな機能を搭載している。中でも特に重視されているのが、サラのリクエストで搭載された地形データの収集機能である。サラは商会の物流網を確立するため、精度の高い地図が必要になると考えたのだ。サラ自身は、ドローンのようなゴーレムを作ることを想定しているが、今は他の仕事が忙しいせいで実現していない。
このサラのアイデアにマギは大きく反応した。自分たちが情報をやりとりすること、動物たちが体内で血液を動かすこと、商人たちが品物を動かすこと、そして国や組織が兵を動かすこと……マギはこうした事象をモデル化して検討し始めたのである。
マギを構成する三博士たちは『物流とは素早く安全に安定して品物を運ぶこと』であると解釈し、地形データだけでは正確に状況判断はできないと考えた。『気象情報や周囲の人間たちの会話を分析して経路の安全を確認するべき』『常に安定した経路を確保したいのであれば、街道の整備にもコストをかけるべき。だとすれば通過する領地の領主との会話が不可欠』『複数の経路があるなら、時期によって効率の良い経路が変わる』『急ぐのであれば危険な道を使うケースもある。だとすれば必要な護衛の数などを判断できる情報が必要』『急ぎで危険なルートを利用する場合に加算されるコストを計算するには、騎士団や冒険者ギルドなどの情報も必要』などさまざまな事柄を検討し始めたのである。
こうした検討中、ふと三博士の一人であるカスパールが『我々が兵士の移動をモデル化していると告げれば、戦を嫌うサラが止めるかもしれない』と懸念事項を漏らした。これを聞いたメルキオールは『物流網の安全を確保するために必要な情報の収集をサラが厭うとは考えにくい』と主張したが、バルタザールは『地形データを収集するのなら、少しばかり魔法陣に手を加えても問題ないのでは』と発言したことで決着した。結局のところ、三博士は全員が情報収集に熱心なので、情報収集を諦めるという結論に至ることはほぼないのだ。
マギの思惑に気付くことも無く、サラたち一行が王都の邸に到着したのは、グランチェスター城を出発してから4日後の夜であった。ほぼエドワードの予定通りではあったが、いつもであれば子供たちが途中で我儘を言い出すだろうと考えていたため、行程があまりにも順調だったことに逆に不安を感じていた。
『今回は風呂に入りたいだの、飯がまずいだの文句を言わなかったな。クロエも大人になったということか』
エドワードの中でクロエの株が急上昇していた。もちろん、クロエが変化するきっかけを作ったであろうサラについても、エドワードは深く感謝していた。
だが、クロエが風呂に不満を言わなかったのは、毎晩サラと一緒に乙女の塔に戻って入浴していたからである。そして食事についていえば、クロエが不満を漏らす理由は移動中の食事が肉ばかりになることだった。だが、今回の移動では食材の手配から運搬までを、すべてソフィア商会が請け負っていた。おかげで道中は甘くてみずみずしい新種のエルマ、日持ちのする焼き菓子、アメリアがブレンドしたハーブティなどさまざまなものが提供された。
ソフィア商会にしてみれば、小麦、エルマ、酒類などを大量に運ぶ必要があったため、移動中の食材はついでのようなものである。他にもシュピールア、ハーブティ、化粧品などさまざまな商品が積み込まれている……ように見えるが大半はサラが空間収納に放り込んでいた。何も運んでいないように見えるのは不自然であるため荷馬車をたくさん引き連れているが、実際にはそれほどの重量は無い。これもまた、行程が順調であった理由の一つでもあった。
なお、この移動中にクロエは『風呂に入るのにラグカールの布が邪魔』という理由により、トレードマークでもあった縦ロールをあっさりとやめてしまった。移動中に縦ロールを維持するのはなかなか大変な作業であるため、この一件はメイドたちを喜ばせた。だが、王都に戻ってからも、クロエは自分の髪を縦ロールにしたいとは言い出さなかった。
『流行っているからって、その髪型にする必要なんてないわ。私は私が好きなデザインのドレスを着て、それに合った髪型にすればいい。誰かの真似をするのはもうやめよう』
自室に戻って部屋着に着替えたクロエは、改めて鏡に自分の姿を映してみた。少し前まで王都の最先端だと思っていたドレスだったはずだが、グランチェスター領で見たルーカスのデザインの方がずっと洗練されているように感じていた。ルーカスとファッションのアイデアを話し合ったりするたび、クロエは縦ロールでは似合わないドレスが多いことに気付かざるを得なかった。
縦ロールをやめたからといって、クロエがお洒落に手を抜いたりするわけではない。グランチェスター領で作ったさまざまなドレスを試着し、それに合う髪型を試行錯誤しはじめたのだ。時にはサラも参加させ、複雑に結い上げられた金と銀のお揃いの少女になったりする。
美容部門のメイドたちも、クロエのお洒落に付き合うことは吝かではない。なにせ生身の着せ替え人形が二体いるようなものだ。グランチェスター領で仕立てられた目新しいデザインのドレスには興味津々であり、美少女二人を着せ替え人形のように飾り立てるのはとても楽しい時間である。
また、三日後に開催されるお茶会に参加するため、ソフィアも衣装合わせをし始めると、メイドたちのテンションはさらに爆上がりした。サラにそっくりな美女を前に興奮しないはずがない。さすがにソフィアの衣装合わせでは、ゴーレムなのはサラの方であった。
ちなみにソフィア商会はまだ王都に店舗を持っておらず、ソフィア自身も王都に住居を持っていないことから、グランチェスター家の離れに客として滞在している。
「ソフィアがお茶会に着るのはどのドレスにするの?」
「招待状にドレスコードは記載されていませんでしたから、この濃紺のドレスにしようかと」
「え、この首まできっちり覆う未亡人みたいなドレス!?」
「私は付き添いですから、落ち着いた服装の方がよろしいかと。そもそも日中のお茶会なのですから、肌は露出すべきではありませんし」
クロエは深いため息をついた。周囲にいるメイドたちも一斉にガッカリしている。
「あのね、ソフィア。付き添いなんてただの名目よ。あなたはソフィア商会の広告塔だし、分かりやすく言えばジャスミンドレスはソフィア商会の服飾部門にとって、最大のライバルよ」
「もちろん私もソフィア商会のドレスを着るつもりではありますが、当商会の広告塔はクロエお嬢様ですわ」
クロエは頭を抱え、近くにあったスツールに腰を下ろして少し冷めた紅茶に口を付けた。
「ソフィア……自分が美しいことは自覚してるわよね?」
「まぁ、否定はいたしません」
「美しさにもいろいろあるけれど、あなたの場合は神秘的というか幻想的な美しさね。同系統のサラが妖精姫だの、月の女神だの言われるんだから、あなただって同じよ。若い成人女性だから、妖精の女王ってとこかしらね」
クロエの後ろに控えている侍女やメイドたちもうんうんと頷いている。
「それは流石に言い過ぎではないかと」
「中身が残念なことを知ってるから私たちには通じないけど、知らない男性……下手をすれば女性だってあなたの美しさに圧倒されるとは思う」
「そういうものでしょうか」
「あなたって頭良くて勘も鋭いのに、変なところだけ無自覚ね。謙遜しているわけでもないのに、外見の自己評価低くない?」
「人より容姿が優れていることは理解していますが、クロエお嬢様やレベッカ先生と一緒に居ると、自分の美しさなんてそれほどでもないんじゃないかと思えてしまうのです」
ソフィア姿のサラは、クロエの横に立って一緒に鏡を見つめた。すると、クロエは貴族令嬢らしい澄ました雰囲気を壊さないまま、少しだけ口角を上げて微笑んでいるような表情を作った。
「タイプが違う美しさに順位を付けるのは間違ってると思うわ。レベッカ先生は清廉な聖女的美しさよね。こっちも中身とのギャップはまぁまぁ酷いと思うけど、ソフィア程じゃないわ。過去のゴタゴタのせいで『傾国の美女』なんて呼び名もあるけと、容姿だけ見ればそんな退廃的なイメージではないわ。育ちの良い良家のお嬢様って感じだと思う」
「確かに仰る通りですわね」
「私は……うーん。自分でいうのもどうかと思うけど、正統派の美少女なんじゃないかしら。グランチェスター家の血の成せる業ね。少しだけキツイ雰囲気はあるけど、将来は華やかで豪奢な美女になれると思うわ。太ったりしなければ、間違いなくお母様や肖像画に描かれた祖母様よりも美しく成長するはずよ」
クロエは自慢するでもなく、淡々と自身の容姿を俯瞰的な視点で理解していた。
「もちろん私は喜んで広告塔になるけれど、あなただってソフィア商会の会長の自覚があるなら、自分自身でもアピールするべきだと思うわ。私が着たドレスは、若いというより幼い令嬢の視線が多く集まることになる。でも、ソフィアが着たドレスは、社交界の中心にいる女性たちの視線を集めるのよ」
「クロエお嬢様って、なんか凄いですね」
「当然でしょう。王都で育った上位貴族の令嬢だもの。私たちは幼い頃から、そういう競争に晒されるのよ」
「侯爵家の令嬢というだけでも、十分影響力をお持ちなのではありませんか?」
「爵位は重要だけど、それだけで影響力を持てるほど甘くないわ」
クロエに指摘され、ソフィアの姿をしたサラはレベッカの授業を思い出した。
『貴族女性たちは、家の爵位によって立ち位置が決まるわ。だけど、権力は立ち位置だけで決まるわけではないの。爵位が高くても、立ち居振る舞いや会話が洗練されていなければ他家の女性からは距離を置かれてしまうでしょうね。あとは慈善事業などの社会貢献をしていたり、流行を生み出したりする女性は尊敬されるわ。他家から一目置かれるような存在になることがとても大切なのよ』
「つまり、流行を生み出す側になれということですわね?」
「今回に限って言えばその通りね。私たちはルーカスのドレスで社交界に衝撃を与えたいのよ」
「ですがクロエお嬢様、ジャスミンドレスのお茶会ですのに問題になりませんか?」
「間違いなく注目されるでしょうね。ここ数年はジャスミンドレスが流行していたから、他の令嬢たちはジャスミンがデザインしたドレスか、それを真似たようなドレスを着てくるはずよ」
するとクロエは一層微笑みを深くした。
「だから私はルーカスの作ってくれた、このタフタ織のドレスで勝負しようと思うの」
クロエは深みのあるグリーンをベースにしたデイドレスを示した。バッスルやクリノリンを使わずハリのある布製のペチコートを重ねているだけなので、前から見るとスカートのボリュームはこれまでの流行よりもかなり控え目である。しかし、バックは腰に同じ布で大きなリボンが縫い付けられており、そこからやはり同じ布でボリュームのあるスカートが広がっている。やや後ろ側のスカートの裾が長いデザインになっているのだ。
「落ち着いたデザインでありながら、華やかさも備えた美しいドレスですわね」
「ソフィアも他人事みたいな顔をしてないでドレスを決めるわよ」
「そうですねぇ……クロエお嬢様に合わせるなら、私もスカートのボリュームは抑えますね」
「でも、デイドレスに狩猟大会の時に着てたようなマーメイドスタイルは向いてないと思うわよ」
「身体のラインを出すことはいたしません。バッスルスタイルではありますが、オーバースカートの下に小さな腰枕を付けるだけなんです。スカートの下はクロエお嬢様と同じようにペチコートだけですわ」
「どうやらイメージしているドレスがあるようね」
クロエはソフィアのドレスを運び込むように指示を出し、実際にトルソーに掛けられた臙脂色のドレスを見て息を呑んだ。
「これは素晴らしいわね」
「ルーカスが自分で縫製までしてくれたドレスなんです。アールバラ公爵夫人とお会いするときに着用するつもりだったのですけど、このお茶会こそルーカスの自信作を出す場のようですから」
こうしてクロエとソフィアのドレスが決まり、ヘアスタイルやアクセサリーなども次々と決められていった。なお、ゴーレムのサラはおとなしくクロエに頷いており、あまりドレスが重くならないよう、光沢のあるサテンにオーガンジーとチュールをふわりと重ねた薔薇色のドレスを着ることになった。ボレロもサテンで、胸元にはドレスよりも淡いピンクの薔薇をイメージしたコサージュが飾られている。
『うーん……ソフィアの視点でサラを着飾らせるのってなんか新鮮ね』
「サラお嬢様の髪はあまり飾らず、シンプルにリボンを飾るだけにした方がよさそうですわね」
「そうね。サラの銀の髪は本当に綺麗だから、サイドの髪を三つ編みにして後ろでリボンを付けるのはどうかしら?」
「可愛らしいですね」
こうして女性たちの戦支度は着々と進められていくのであった。