会いたいな
酒の味見を舐める程度で終わらせたサラは、未練タラタラといった風情のミケに一本だけ葡萄から作られたブランデーの小瓶を譲って窓の外を眺めた。
相変わらずゴーレムはせっせと雪像を作り続けていた。丁度乙女の塔のミニチュアが完成したところだったらしく、シャーロットが嬉しそうにハンナに話しかけている様子が見えた。
ソフィアに姿を変える頻度が増えたサラは、鏡を見た瞬間にアデリアを思い出すことがある。瞳の色こそ違うが、確かに母親によく似た女性が鏡の向こうからサラを見つめ返していた。
『母さんはなんでグランチェスター家や実家を頼らなかったんだろう?』
衰弱死するほど困窮しているなら、プライドを捨ててでも親戚に頼るべきだったのではないかと何度も考えてしまうのだ。既に亡くなっているアデリアに質問できるわけでもなく、答えなど得られないことはサラも承知している。それでも、シャーロットのために、命からがら彼女を抱えて夫の元を逃げ出したハンナを見ると、モヤモヤとした感情が沸き上がってくる。
『前世の記憶をもって転生したとはいえ、私がアーサーとアデリアの娘のサラってことは間違いないわ。だって、こんな気分になるんだもの』
大人の心を持ちつつも、窓際に立つサラは紛れもなく8歳の少女であった。祖父や養父母、おそらく親戚たちからも愛されていることはわかっている。それでも実の両親を恋しく感じる気持ちを消し去ることはできないでいるのだ。
「父さんと母さんに会いたいな……」
その小さな呟きは妖精たちの耳に届き、皆が小さな動物たちに姿を変えてサラに祝福の光を降り注いだ。サラが振り仰ぐと、友愛を結んでいない妖精もたくさん混じっており、賑やかに高い天井からきらきらと砂金のような光が舞っていた。
「みんなありがとう。心配させてごめんね」
「寂しかったり悲しかったりするときは、ちゃんと泣くことも大切よ」
ミケがサラの肩に乗って、柔らかい頬にぺたりと肉球を押し付けるように触った。すると、ずるりとサラから魔力が引き出され、ミケがピカピカと光り出した。
「え、どうしたの?」
「見ていてね」
ミケはサラの肩からふわりと浮き上がり、まるで前世のプロジェクターのように目の前に画像を映し始めた。そこにはサラが覚えているよりも少しだけ若いアーサーと、お腹の大きなアデリアが映っていた。
「なにコレ?」
「私が初めてサラの輝きに気付いた時の記録よ。サラはアデリアのお腹の中にいる時から綺麗な輝きを放っていたわ。だから、アデリアの周りに沢山の妖精がいるでしょう?」
「そうね。たくさんいるわ。でもミケは映っていないわ」
「だってこれは私が見た記録だもの」
「なるほど」
映像の中のアーサーとアデリアは幸せそうに微笑みながら会話を交わしている。若い夫婦は希望に満ちた眼差しをしており、サラの胸をざわざわとさせた。
「ねぇアーサー、この子の名前はどうする?」
「男の子と女の子どっちだろうね」
「すごくお腹を蹴る元気な子だから、男の子かもしれないわ」
「レヴィみたいなお転婆な女の子かもしれないだろ?」
「じゃぁ、アーサーは女の子の名前を考えて。私は男の子の名前を考えるから」
「女の子ならサラってのはどうかな。古代の女王の名前なんだ」
「じゃぁ、男の子だったらリアムにするわ。昔の英雄よ」
ふと映し出されている場面が転換した。ベッドに横になっているアデリアは、生まれたばかりの子供に乳を含ませている。その傍らにはアーサーがニコニコと笑って座っていた。
「サラは食欲旺盛だね。それにしても予定より随分早かったから焦ったよ。せっかちな娘だなぁ」
「ふふっ。そういうところは父さん似ね。あまりアーサーに似ちゃうと、将来は大勢の男の子に追いかけられちゃうわよ?」
「少なくとも外見はアデリアにそっくりだよ。この子が男の子に追いかけられない未来は想像できないね。まぁ全部僕が追い払うけど」
「過保護な父親ねぇ」
くすくすと笑うアデリアとその胸に抱かれたサラのことを、アーサーは眩しそうに見つめていた。
そしてまた場面は転換する。
「まずいわアーサー。私の実家の話は覚えている?」
「ジェノアで商会を営んでるんだよな。アデリアは家訓に従って修行中だったのに、ルールを破って僕と結婚しちゃったんだよね」
「元々うちの一族はフローレンスに住んでたの。おじいちゃんが当主の時に一族でジェノアに移住したんだ。その頃、私は乳飲み子だったからフローレンスにいた頃のことは全然覚えていないの」
「あぁ。共和国になったときってことか。もしかして、アデリアの実家は貴族だったのかい?」
「まぁ似たようなものかなぁ。私の本名はアデリア・エレイン・フロレンティアっていうんだけど……」
「うーん。僕の記憶違いじゃなきゃ、それって王族の名前だよね?」
「そうなるかな」
「それで?」
「おじいちゃんは元王様で、父さんは元王太子かな」
「かなじゃなくて、それって直系の王女様だよね?」
「元、ね」
アーサーは頭を抱えた。その仕草はサラによく似ている。
「つまり、僕の奥さんは直系の元王女ってことになるわけか。それ、普通は結婚前に言わない?」
「言ったら結婚した?」
「そりゃサラがお腹の中にいることがわかってるんだからするでしょ」
「妊娠しなかったら結婚しなかった?」
「元王女様かぁ……いや、それでも僕はアデリアと結婚したと思うよ。ただ、駆け落ちじゃなかったかもしれないけどね。凄い頑張って王宮で地位を固めるとか、なんならエドを追いやって小侯爵になったかも」
「それは良かった。元王族とは結婚できないとか言われたら立ち直れないわ。でもね、私は修業が終わったらフローレンスで結婚する予定だったんだよね」
「それって、婚約者がいたってこと?」
「まぁそうね。」
ふっとアーサーはアデリアに微笑んだ。
「君と結婚できて良かったよ」
「でもね、元婚約者には3歳の甥っ子がいるんですって。私の居場所はまだ知られていないはずだけど、バレたらサラが狙われるかも」
「狙われるっていうのは?」
「その男の子の将来の嫁として連れていかれちゃうってこと」
「えええっっ!? もう王族じゃないんだよね?」
「元の家臣たちの中にはいまだに主君と仰ぐ人たちがいるのよ。面倒なことに今のフローレンスは政治的に混乱しているせいで、王政復古運動が盛んになりつつあるの」
「君たちの一族は王座に返り咲きたいのかい?」
「そういう面倒がイヤだったから、クーデターを"わざと"誘発したのよ。お陰様で無血開城したんだから。クーデターの犠牲者は、デモ隊に近づこうとした子供が転んで膝を擦りむいただけって話だから、とっても平和的だったそうよ」
「聞いたことがあるよ。慈悲深いフローレンス王は民の血が流れることを嫌って自ら王座を降りたと」
「おじいちゃんも父さんも王様やるのが面倒だっただけよ。うちの一族は商売人や冒険者になりたがる人ばっかりだもの」
「奥さんたちは文句言わないの?」
「どっちかっていうと率先して煽る側ね。クーデターを裏で動かしてたのは、おばあちゃんと母さんだもん」
「知りたくない歴史の真実だな」
この場面をミケの魔法で見せられているサラもアーサーと同じ意見だ。
「上の兄さんは嬉々として冒険者家業で稼いでるし、下の兄さんは次期フローレンス商会の会長になるわ。姉さんたちも自分の仕事で大忙しよ」
「なるほど。それなら心配いらないんじゃないの?」
「問題なのはフローレンスに残った元家臣たちなの。王政復古運動が盛んなフローレンスで、旧王家の血を引く女性を迎え入れれば発言力が増すと考える人たちがいるの。残念なことに事実そうなると思うわ。サラの髪色は私と同じでフローレンス王家の色なのよ」
「そんな結婚をおじいさんやお父さんは反対しないのかい?」
「フローレンスとジェノアはどちらも湾岸連合の加盟国で、活発な商取引が行われる国同士なの。おじいちゃんは旧王家の持つ権力を全部あっさり手放したから、フローレンスでの発言力は無いに等しいわ。逆に旧家臣たちはフローレンスの権力の中心にいる。要するに旧王家としてはかかわりたくなくても、フローレンス商会の取引相手として無視するのは難しいってこと」
「いろいろ矛盾してるよね。元国王に発言力はないのに、その子孫を嫁に貰えば発言力が増すの? それに、王族や貴族の権力闘争を嫌ったから王様辞めたんじゃないの?」
「自分でいうのもアレなんだけど、この髪色は旧王族の中でも特別なの。初代国王陛下の髪色なんだけど、剣術や魔法に優れた才能を持つ子が生まれるって信じられてる」
「アデリアも?」
「だから自分で言いたくなかったのよ! 魔力は家族で一番多かったけど、発現してる魔法は土属性と木属性だけだったわ。畑を耕すとか植物の育成をちょっぴり早めるくらいの魔法しか使えない。それに剣術なんて全然やる気になれなかったわ」
「畑は便利だと思うけど」
「うん。それは最近実感してる。じゃなくって、この髪色を持ってるサラは、フローレンスの権力者たちに狙われやすいってこと。あわよくば自分たちの家に銀髪の子供が生まれて欲しいって思うくらい。だから私も幼い頃に婚約させられたのよ」
「家族は断ってくれなかったの?」
「生まれてから何年も断ってたわ。でも、私が10歳の時にうちの商会の船が嵐で大破しちゃったのよ。積荷も船も失って大損害を被ったところを、婚約者の家が助けてくれたってわけ」
「状況は理解できた。それなのに、婚約者を放り出して僕と駆け落ちか」
「そういうこと」
「なるほどね。それならサラが狙われるかもしれないな」
「私が家訓に従って家をでるとき、おじいちゃんと父さんは『無理に帰ってこなくてもいい。居場所を知られる危険があるから手紙も寄こさなくていい』って言ってくれたの」
「だから君の実家に連絡しなかったのか。仲が悪くて家出したのかと思ってたよ」
『なるほど。母さんが実家に連絡しなかったのは、私を守るためだったのか。それにしても、衰弱死するまで連絡しないのはやり過ぎよ。死ぬよりは娘を婚約させてでも生き延びるべきだと思うけどなぁ。生きていれば人生を切り開いていくこともできたでしょうに……』
サラは自分の母親であるアデリアの愛情を実感し、同時にその未熟さで若すぎる死を迎えたことを惜しんだ。おそらくアーサーが生きていれば、アデリアもあのような悲惨な最期を迎えることはなかっただろう。無論、それはアーサーにしても同じである。
『つくづく、チゼンとラスカは許せないわ』
サラは改めて親の仇を思い出し、静かに怒りを胸に秘めた。