誓い
「そういえば忘れてた」
アダムは持参した小箱をそっとマーグに手渡した。
「これなぁに?」
「マーグとミリーにプレゼントだ」
「ありがとう」
箱の蓋をそっと開けると、中にはサラとゴーレムが作ったアクアマリンのコサージュが入っている。昨日のサラの言い回しに鑑みると、これらはアダムからのプレゼントとして渡せということだとアダムは判断した。
「うわぁ綺麗」
「このアクアマリンは、もともと一つの石だったんだ」
「それってかなりの大きさの石だったのね」
「そうだね。原石はそれなりの大きさだったと思うよ」
「私とミリーの姉妹の絆って感じね。ありがとう。大事にするわ」
コサージュはサラが勢いで作ったものなので、これだけ喜ばれてしまうと、アダムの良心が疼いた。
『あ、これは僕もなんか用意したほうが良さそうだ。養子縁組のお祝いに何か考えておこう』
「ところでミリーは寝てるの?」
「アダムに会いたがってたけど、朝食の後にお薬飲んだら眠ってしまったわ」
「まだ本調子じゃないんだから仕方ないよ。僕はこのあと本邸に戻るけど、アカデミー受験まで時間がないから、勉強のために乙女の塔には頻繁に来ると思う」
「ミリーが喜ぶわね」
「マーグは僕が来ても喜んでくれないのか?」
「私は……ちょっとくらいは嬉しいかもね」
「ちょっとかぁ。親友の癖に寂しいなぁ」
二人は顔を見合わせて大いに笑った。
「アカデミーに合格できたら、その後はしばらく王都住まいよね?」
「そうだなぁ。王都にあるグランチェスター邸はアカデミーに近いから寮には入らないが、グランチェスター領に戻ってくるのは年末と夏季休暇くらいだろうか」
「私は小侯爵の養女になっても、グランチェスター領で過ごそうと思ってるの」
「え、なんで?」
「もうすぐできる学園でコーデリア先生の授業を受けるつもり。他にもいろいろなことが学べるみたい。アカデミーには女の子は入れないけど、こっちの学園は男女共学だもん」
「凄く正直なこと言うとさ、アカデミーよりもそっちの方が楽しそうに思えるんだよな」
「だよね。私もそう思ってる。ねぇ、頻繁に手紙をやりとりして、お互いに勉強したことを教え合わない? アカデミーの授業にも興味あるんだ」
「それは面白そうだ。でも、先に僕はアカデミーに合格しないといけないけどな」
「確かにそうだよね」
一緒に机を並べて同じ師から教えを受け、わからないところをアダムに教えたマーグは知っていた。アダムは決して頭の悪い子供ではない。むしろ、本来はそれなりに優秀だったはずだ。
『たぶん、アダムに欠けていたのは、わかりやすい形での”目標”だったんだろうなぁ』
マーグが知るアダムは、熱心に勉強に取り組む男の子だ。だが、コーデリアはアダムに一つのことを長く続けさせることを避け、一時間程度で次々と異なる科目の教育を施していた。それは、集中力を持続させることが難しい幼い子を教える時のようでもあった。
『コーデリア先生はアダムが”勉強する”という行為そのものに慣れていないことを知っていたのね』
アダムは飽きっぽく、集中力を維持して勉強を続けることが嫌いな子供であった。小侯爵の長男として生まれたため、物心がついた時には、自分は将来グランチェスター侯爵になるのが当然だと思っていた。忙しい祖父はアダムに構うことはなく、両親は社交にばかり力を入れるような環境で育ったアダムは、侯爵になるために努力が必要などと考えたことがなかったのだ。
普通の領主一族の継嗣は、父親や祖父の仕事を間近で見て育つ。だがグランチェスター侯爵は、小侯爵であるエドワードにあまり仕事を任せなかった。結果としてアダムは領主がどのような仕事をするのか、何に苦慮しているのか、将来その仕事をするにあたって自分に何が足りていないのかを知る機会を失うことになったのである。
将来何をするかもわからず、ただ漠然と『将来侯爵になるための勉強』と言われたところで、目標意識など持てるはずもない。何もしなくても勝手に侯爵位が転がり込んでくることが決まっているせいで、努力をする意味が解らないのだ。
小侯爵一家が頻繁に領地に戻っていれば、また違った視点を持てたかもしれない。自分たちが治める領地を知り、領民たちと触れ合う機会があれば自然と責任感が芽生えた可能性もある。しかし、狩猟大会のような大きなイベントでもない限り、エドワードとエリザベスは領地に戻らなかった。
領地に小侯爵一家が寄り付かないことは、父が代官であったマーグも知っていた。というより父や兄が『領地のことも知らぬ奴が次期侯爵か』と、毎日のように愚痴っていた。
「ねぇ。アダムが突然勉強する気になったのはどうして?」
「このままだとグランチェスター侯爵にはなれないって言われたのが切っ掛けではあるんだけど、正直なところ侯爵位は僕が継がなくても良いんじゃないかなとは思い始めてる」
「どうして?」
「グランチェスター侯爵を継げなかったとしても、僕がグランチェスターであることは間違いない。果たすべき責任があるなら、そのための努力はすべきだろ。下町やスラムにいるあいつらの顔を思い出すんだ。貧しいせいで子供たちがイヤなことをさせられたり、痛めつけられたりするのを減らしたいんだよ。こんな年齢になるまで、現実を知らなかった自分が許せないんだ」
アダムはコーデリアの私塾に通い、貧しい子供たちと机を並べたことで視野が大きく広がっていた。たくさんの仲間ができたし、親友はスラムの子供だった。アダムは今まで自分がしてきた下らない贅沢な生活を心底恥じた。
「アダムはいい領主になれると思う。私も一杯手伝うよ」
「そうだといいな。じゃぁ、マーグとはずっと一緒だな。心強い味方を手に入れた気分だ」
この瞬間、二人は互いに将来を約束していることに気付いていなかった。それでも視線を合わせて微笑み合うだけで、相手の一番の味方であり続けることを誓っていた。
「折角だしマーグも僕たちと一緒に勉強しよう。自習が中心だけど、コーデリア先生から課題を貰ってるんだ。もう少ししたら、スコットたちの家庭教師のトマス先生も体調が良くなるはずだ。彼は飛び入りの生徒を嫌がらないから、僕たちも参加させてくれるはずだ。クロエもいればガヴァネスのジェイン先生も見てくれるとは思うんだけど、おそらくクロエは数日後に王都に発つだろうな」
「その前にクロエ様やクリストファー様にもお会いしたいけど、リヒト師は許可してくれるかしら」
「まぁ焦らなくても大丈夫だよ。今はゆっくり身体を治して」
「うん。ありがとう」
だが、次の瞬間マーグはふっと顔を曇らせた。
「ねぇ、アダム。クロエ様やクリストファー様は、私たちが養女になることを嫌がらないかしら?」
「正直わからないけど、サラとは仲良くしてるから多分大丈夫じゃないかな。クロエは厨房で働いているハンナの娘に夢中になってるから、ミリーも着せ替え人形にされるかもしれない」
「それなら、ミリーと相性が良さそうね。あの子は可愛い服を着ることに喜びを感じる子だもの」
「クリスは基本的にあまり他人に興味がないんだ。だけど、嫌がりはしないと思う」
「なんかちょっとだけ不安」
「僕が付いてるから大丈夫だ」
アダムは立ち上がってマーグの頭をぽんぽんと撫でた。そして、アダムはマーグが不安そうにしている様子を初めて見たことに気付いた。スラムにいた頃のマーグは、いつだって強気でアダムに弱みを見せたりすることなどなかった。だがよく見ればマーグの肩や首筋のラインは自分よりもずっと華奢で、腰は片手で抱えられそうな程に細かった。
ここに至り、アダムはようやくマーグがとても綺麗で可愛らしい女の子であることを認識した。上目づかいで自分を見つめる潤んだ瞳に、アダムの心臓がドクリと跳ねる。
ほぼ無意識にアダムはマーグを撫でていた手をそのまま彼女の首筋に回し、屈みこんでマーグの唇に自分のそれを押し当てていた。
「ん…」
マーグの喉から可愛らしい音が漏れたことで、アダムは正気に戻った。
「わっ! ど、どうしよう。いきなりごめん。その……マーグがあまりにも可愛くて」
「驚いたわ」
「許可も貰わずに本当にごめん。でも、ふざけてるわけじゃなくて、どうやら僕はマーグのことがすごく好きだ。親友だって気持ちはもちろん変わってないんだけど、ただの義兄と義妹の関係でいるのは無理かも。そうならなきゃダメなのに……」
「どういうことなのか説明してもらえるかな?」
「誤解しないでほしいんだけど、僕はマーグと結婚できない」
「わかってるわ。私は犯罪者の娘ですもの。取り潰された子爵家の令嬢じゃ、貴族とも言えないし」
しょんぼりとマーグは肩を落とした。
「違う違う。マーグのせいじゃないんだ。僕の方の問題」
「どういうこと?」
「たぶん、僕には子供を作る能力がない。僕の妻になる人を不幸にしてしまうはずだ」
「え!? もしかして、それってこの前の怪我のせい?」
「あれ以来、男性として機能しなくなってて……。ってマーグって閨のことは理解してる?」
「あのさ、スラムに住んでて知らなかったら、既に女の子として大事なものをなくしてるって思わない? これでも純潔よ!」
「そ、そうなんだ」
『いや、そんなことをドヤ顔で言うのはどうだろう?』とアダムは内心思ったが、ひとまずマーグが純潔であることが嬉しかったので素直に頷いた。
「まぁそういうわけで、マーグに限らず僕が結婚するのは難しいと思うんだ。貴族家の当主としても失格かもしれないけど」
「でも、継嗣ってことならクリスやクロエの子供を養子にすれば済むんじゃない?」
「子供ができないことで周囲から冷たい目で見られるのは圧倒的に女性側だ。僕の妻になるだけで女性をそんな目に遭わせたくないよ」
「ねぇアダム。その怪我の原因は私たちを助けるためだよね? だったら私もアダムと一緒に背負っていきたい」
「マーグ、責任を感じてそんなことを言ってるのかもしれないけど、そっちの方が僕にはキツイよ。さっき言ってたよね。『自分が好きになった相手が自分を望んでくれるなら』って。僕はマーグにやりたいことや好きな人を諦めてほしくないんだ。って手を出したお前が言うなって話になっちゃうんだけどさ……」
アダムはマーグの隣にどさっと座り、ガックリと頭を抱えるような姿勢をとった。
「うーーん。たぶん、私は好きな人を諦めないで済むと思うんだよね」
「え?」
「そりゃ好きな人との間に子供ができたら嬉しいとは思うけど、考えようによっては旦那様の愛情を独り占めできるかもしれないし?」
「ごめん、そのさ、僕の誤解だったら申し訳ないんだけど、それってマーグの好きな人が僕って聞こえるんだけど」
「そう言ってるわよ。好きじゃない人と結婚したいなんて言うわけないじゃない」
「自分で言うのもなんだけど、僕は勉強できないし、剣術も微妙だし、顔はグランチェスター男子の中ではやや落ちだよ?」
どうやらアダムも自覚はしていたらしい。
「私は貴族令嬢とスラムの子供の両方の経験をしたけど、周囲の人たちは私の立場で簡単に態度を変えたわ。だけど、アダムは私がスラムの子でも、犯罪者の子でも変わらない態度で接してくれてる。ちょっと頼りないけど優しいし、危険なのわかっててもスラムに一人で来ちゃうくらい勇気があるよね。でも、無謀だからもうしないでね」
「それはマーグが心配だったから。熱病で死んじゃう人もいっぱいいるし」
「うん。わかってる。そんなアダムだから私は好きになったんだと思う。でもね、本当は諦めてたんだ。アダムが小侯爵の長男だってわかってたし、それにアダムは私のこと男の子だって思ってたでしょ?」
「うん。女の子だなんて全然考えなかった。だけど、いつも不思議なくらいマーグは特別な存在だったよ。もしかしたら僕はマーグが本当に男でも好きになってたかもしれない。あれ、もしかして僕も前から好きだったのかな? でもやっぱり親友って感じの気持ちの方が強かったように思う」
「アダムってどっちも好きになっちゃう感じの人?」
「いや、今まで異性しか意識したことないかも。だから、今の自分の発言に自分でも驚いてる」
「あはは。立場も性別も関係なく好きになってもらえるって、なんかすごいね」
マーグは貴族令嬢としては少しばかり豪快に、にんまりと良い笑顔を見せた。そしてアダムは気づいた。
『あぁ、そうだこの笑顔だ。僕に暴力を振るってきたヤツを追っ払って、僕に向かって『情けねーなお前』って言ったあの時の笑顔だ』
アダムは唐突に腑に落ちた。この時に既に自分はマーグに堕ちていたのだと。思えばこんな華奢な女性が、体格の良い男の子に喧嘩を吹っ掛ける勇気と、その腕っぷしには驚嘆させられる。だがグランチェスターにいれば強い女性には慣れたものである。
ソファから静かに立ち上がったアダムは、マーグの手を取って立ち上がらせ、静かにその前に跪いた。
「マーガレット・グランチェスター嬢、僕と結婚してください。僕はこれからも必死に努力して、あなたにふさわしい男性になります」
「アダム、とても嬉しいけど、きっと周囲は反対するわ。あなたは将来のグランチェスター侯爵なのよ?」
「君と一緒になれないなら弟に侯爵位は譲るよ。僕はもうマーグ以外の女性と結婚したいとは思わないだろうし、マーグが他の男と結婚するのを見るのもイヤだ。グランチェスター男子は決めたら一途だからね」
アダムは立ち上がって、ぎゅっとマーグを抱きしめた。
「今はまだ僕たちだけの約束だけど、両親や祖父はちゃんと説得するよ。そしたら正式に指輪を用意して、もう一度プロポーズさせて」
「ねぇアダム。あなたって全然グランチェスターらしくないわ」
「そうなのかなぁ。僕はマーグしか好きじゃないんだけど」
不安になったアダムは、マーグをそっと離して彼女の瞳を覗き込んだ。するとマーグは今度こそ優美な微笑みを浮かべて呟いた。
「だって、ちっともヘタレじゃないもの。大好き!」
そして今度はマーグからアダムに抱きついてキスを返した。アダムは驚いたが、すぐにそのままマーグのことを優しく抱きしめ、彼女を守っていくことを自分自身に強く誓った。