僕のもの
狩猟大会が貴族の祭りとするならば、雪まつりは平民の祭りである。領都の中心にある広場にはさまざまな雪像が作られ、広場の周囲には食べ物を中心にさまざまな屋台が出る。
実は、雪まつりの開催期間は正確に決まっていない。グランチェスターの領民は初雪が降ると雪像や屋台の準備を始め、少しずつ広場が賑やかになっていくのだ。ただし、祭りの最終日は冬至と決まっており、冬至の夜には紙製のランタンを空に飛ばすことになっている。
この祭りの話を聞いた時、サラは前世で見たタイのコムローイを思い出した。おそらくカズヤかあるいは別の転生者がこの世界でも始めたのだろう。
なお、夜市は満月の夜に開催される通年イベントなのだが、雪まつりシーズンは特に賑やかになる。そのため、領都だけでなく近郊の町や村、あるいは他領からもわざわざグランチェスターの領都に足を運ぶ人も多い。
夜市には本当にさまざまな物が販売される。古着や布の端切れなどが平民には人気だが、中には怪しげな魔道具や、没落した貴族家で使われていた食器などが並ぶこともある。
スコットは領都の入り口近くにある宿屋で馬を降り、サラを抱えるようにして下馬を手伝った。この宿屋は旅行者の馬を預かるサービスも提供しており、スコットは少し多めの料金を支払ってディムナを預けた。
「サラ、寒くない?」
「大丈夫よ。スコットは心配性ね」
「屋台が出ているところまでは、ここから歩いて10分くらいかな。人がたくさんいるし、はぐれないように手を繋ごうか」
「その方が安心ね」
差し出されたサラの手を、スコットは緊張した面持ちで握った。手袋越しではあるが恋人繋ぎだ。
「まずは屋台でなんか食べない? おすすめはタヴクの串焼きだよ。僕が良く行く店は、タレが凄く美味しいんだ」
「それは是非とも食べなきゃ!」
タヴクはこの世界のニワトリのことだ。おそらくマルカートが向こうの世界から盗んできた生き物のうちの一つなのだろう。毎日卵を産むため、農家だけでなく一般家庭でもタヴクを飼育している家は多い。要するに、タヴクの串焼きとは、この世界の焼き鳥なのだ。
「おじさん、串焼き2本」
「おお、スコットか。タレと塩のどっちにする?」
「もちろんタレで!」
「はいよ、タレ2本。100ダルでいいぞ。隣にいる可愛い彼女の分はオマケだ。スコットが初めて連れてきた女の子だからな」
「ありがとう。実はやっとデートに誘えたんだ」
「良かったな。上手くやれよ!」
「頑張るよ」
スコットはニカっと笑って屋台のおじさんから串焼きを二本受け取り、大銅貨を1枚支払った。サラは勝手に前世の焼き鳥をイメージしていたのだが、スコットが持っている串焼きは肉や野菜が交互に挟まれており、どちらかというとバーベキューの串焼きに近かった。そのうちの1本をサラに手渡しながら、スコットはハッとした表情を浮かべた。
「しまった。女の子に串焼きはまずかったかな。直接齧りつくことになるけど大丈夫?」
「当たり前じゃない。私はちょっと前まで普通に平民としてくらしてたんだから」
「そっか僕が出会った時には、もう可愛らしい淑女だったから想像できなくて」
スコットが言い終わらないうちに、歩きながらサラはガブリとワイルドに串焼きに齧りついていた。
「あ、美味しい。ちょっとピリ辛だね」
「だろ? このタレは秘伝らしくて、あのおじさんと息子しか作り方を知らないんだって」
「それはずっと受け継いでほしい伝統だわ」
『ヤバ、ビールが欲しくなる味だわコレ』
デートのはずなのだが、サラの思考がどうにもオッサンっぽくなってしまうのは何故なのだろう。
「スコット、なんか飲み物欲しいかも」
「そう言うと思った。この先に冷ましたミントティを売ってる店があるよ」
「それは、さっぱりして美味しそう!」
「こっちだ」
サラの手を引いて、スコットは歩き始めた。ちゃんとサラの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれるあたり、エスコートに慣れていることがわかる。騎士爵の子供は貴族ではないが、普通の平民というわけでもない。それなりにマナーも叩き込まれるため、富裕層の女の子をエスコートする機会も多いのだとか。
お目当てのミントティのお店の前は、小さなテーブルセットがいくつも並べられた可愛らしいスペースになっていた。他の屋台と共同で使用しているスペースらしく、サラたち以外にもデートと思しき男女が座っている。
スコットは空いているテーブルを見つけ、椅子を引いてサラを座らせると、自分は急いでミントティを買いに行く。しばらくすると、スコットは大きな木製のマグを二つと、小さなお菓子が沢山入ったバスケットを抱えて戻ってきた。
「これがミントティだ。ついでに近くの屋台で売ってるお菓子をいくつか買ってきたよ」
「ありがとうスコット。なるほど、冷ましてあるって意味が分かったわ」
受け取ったマグになみなみと注がれているミントティは、冷たいのではなく温かった。冬の祭りなのであまり冷たい飲み物は好まれないが、味の濃い食べ物も多いことから、ゴクゴクとお茶を飲みたいというニーズにも応えられる温度になっている。
「サラ、ここに少しタレが付いてる」
スコットは手袋を外してサラの唇の脇をスッと拭うと、その指先をペロリと舐めた。さすがにサラも、その仕草には一瞬ドキリとする。だが、相手がスコットだと思うとスンっと鎮まった。
「もう、言ってくれれば自分で拭くのに。この姿になってるんだから、そんなに子供扱いしないでよ」
「子供じゃないからするんだよ。騎士の先輩が言うには、デートの時には一押しの行動のはずなのに。先輩に騙されたかも」
「いやいや悪くなかったと思うよ。一瞬ドキッとしたもん。ビックリするくらいジェフリー卿に似てるし。それにしても、スコットは大人の階段を上ってる途中なんだねぇ」
「相変わらずサラは難攻不落だ。こっちはサラと一緒に大人の階段を上りたいんだけどな」
「それはなかなか意味深な発言ね」
スコットは椅子の背もたれに身体をやや倒して空を仰ぎ、大きなため息をついた。
「あぁクソ。早く大人になりたい。サラは凄い余裕なのに、僕だけずっとドキドキしてるよ」
「私が外見詐欺なのは知ってるでしょう? 焦らなくてもスコットは間違いなく素敵な男性になるって」
「そういうところだよ! サラがそんな風に平然としてるから、すごくもどかしくなるんだ。父上にお姫様抱っこされた時みたいに、余裕のない顔を僕の前でも見せてほしい。そういえば、ブレイズが大人の姿になったときもサラは同じような顔をしてた。僕だけ相手にされていないみたいで悔しい」
「そう言われても、自分でコントロールできるものじゃないしなぁ」
スコットはマグの中に残っていたミントティを一気に煽ると、サラの手を取って手袋を外し、最初に手の甲、次いで手のひら、そして手首へと順番にキスをする。そして、手袋をそっと元に戻し、その手を両手で握りしめた。
「サラ、僕は真剣に君のことが好きだよ。今日は特に思い知らされた気がする」
「この姿になったから?」
「それは否定できないね。いつものサラを見慣れていたから、まだまだ時間があるから大丈夫だって思い込んでた。ソフィアの姿になっても、本当のサラを知ってるってことで、どこか優越感のような気持ちでいたかもしれない」
「そういうもの?」
「特別な存在っていうか、内側にいるような気になってた。本気でライバルになるのは、トマス先生、ブレイズ、ダニエルさんくらいだろ? それ以外の男たちは保護者枠だと思うし」
「えー、ジェフリー卿は?」
「父上は母上しか見てないからね。それに、サラが父上に本気で恋をしているとは思ってないし」
「あら、わからないでしょう?」
「わかるさ。僕はずっとサラのことだけを見てるんだから」
スコットはサラの手を、ギュッと強く握った。痛い程ではないが、振り解くにはかなりの力が要りそうなレベルである。
「今日、その姿のサラを見て改めて思ったよ。アカデミーに入学したら、なかなかこっちには戻ってこられなくなる。その間にサラは、どんどん綺麗な女の子として成長していくんだって。ソフィア商会はこれからどんどん大きくなるだろうから、サラは今より広い世界で沢山の人に会うことになるはずだ。そうしたら、僕のことなんかあっさり忘れて遠くに行ってしまうかもしれない。それが物凄く怖いんだ」
「私がスコットのことを忘れるわけないでしょう?」
「けど、手の届かない場所にいっちゃうかもしれない」
「あちこち飛び回るのは事実でしょうね。でも、先のことばかり考えて心配するより、この瞬間を楽しむ方が大事だと思うわ。今日は私たちの初めてのデートなんでしょう?」
サラはくすっと微笑んで、籠の中に残っているお菓子をスコットの口の中に放り込んだ。既にスコットのミントティは飲み干されていたため、サラは水属性の魔法でマグの中に白湯を注ぎ入れる。
「その焼き菓子、美味しいけど口の中の水分を全部持っていかれる感じよね」
サラ自身も同じ焼き菓子を食べながら、ミントティをゆっくりと飲んだ。既に温いというより冷たいに近い温度になっていることに気付き、サラは魔法で少しだけお茶の温度を上げた。
お菓子を食べ終わり、マグとバスケットをそれぞれの店に戻すと、二人は再び夜市を巡り始めた。目についた美味しそうなものを食べたり、変な魔道具を売っている店を冷やかしたりして大いに楽しむ。もちろん、夜市の会場にもたくさんの雪像があり、その中にはソフィア商会のゴーレムそっくりなものもあった。篝火に照らされてきらきらと輝く等身大のゴーレムを見上げ、ソフィアとスコットは顔を見合わせて大笑いした。
少し離れた場所から賑やかな音楽が聞こえてきた。近づいてみると、老若男女問わず皆笑いながらダンスを踊っている。
「サラ、僕たちも踊ろう」
「え、踊れるかな」
「こんなの適当で大丈夫だよ」
賑やかな音楽は、どことなく前世のフォークダンスを思い出させた。
『音楽はバージニアリールっぽいけど、みんな好きに踊ってる感じね』
サラはスコットにエスコートされ、賑やかな集団に混ざって踊り始めた。だが、踊っているうちにだんだん楽しくなってきた二人は、気がつくと会場の中心で大勢の人たちから手拍子されていることに気付いた。
「ねぇ、私たち注目されてるっぽい」
「そうだね。サラが僕のものだって見せつけるには最高の状況だ」
「いつ私がスコットのものになったのよ」
ちょっとだけムッとしたサラは、スコットのリードを少しだけ外れる。だが、それもスコットの予想範囲だったらしく、サラの腰を支えてくるりと綺麗にターンさせて再び自分の腕の中に戻した。
「出会った時からでしょ」
「自信過剰ねぇ」
スコットに挑発されるように、サラが複雑なステップを踏み始めると、スコットも面白そうに同じ踵を鳴らし始めた。
周囲を見回すと、既に踊っているのはサラとスコットだけになっており、楽団は二人に合わせてテンポをどんどん上げていく。普段から一緒にダンスレッスンをしているだけあって、スコットとサラの息はぴったりだ。
「悔しいけど、確かにダンスのパートナーとしては最高かも」
「ほらね。サラは僕のものだ」
音楽の終了と同時に、二人は揃って同じポーズを取っていた。
会場からは大きな拍手を貰ったので、二人は観客に挨拶した。そして、演奏してくれた楽団のメンバーとも握手を交わした後、次々と声を掛けてくる人の群れから手をつないだまま走って逃げだした。