カッコイイ二人
マーグとミリーの客間は、二つのベッドルーム、広めのリビング、小さなダイニングスペース、メイドルームとミニキッチンがある。もちろん専用の浴室とトイレもある。正直なところ、この客間だけで前世の更紗のマンションくらいの間取りなのだが、これでも乙女の塔の客間としては2番目のグレードである。
1番高いグレードの部屋はリヒトの部屋なのだが、ベッドルームは1つしかない。その分、ベッドルームは広い。アダムが使っている客間はマーグたちと同じ間取りだが、部屋の配置の都合上、日当たりが少々悪い。
いずれも貴族的な装飾が施され、配置されている家具もヴィンテージではあるが美しく磨き上げられている。上位貴族が滞在してもなんら遜色のない部屋である。平民であるアリシアやアメリアが居心地悪いと言った理由も少し理解できる。
サラが客間に入室すると、マーグはリビングスペースで暖めたミルクを飲んでいた。所作はとても優雅で、彼女が貴族令嬢であることを証明しているかのようであった。シンプルな夜着の上からフリルの付いた可愛らしいガウンを羽織り、足にも暖かそうなルームシューズを履いていた。今なら彼女を男の子だと間違うことは無いだろう。
「起きていて大丈夫なの?」
「ええ、もう熱もほとんど下がったわ。久しぶりにお湯の浴槽に浸かって、凄く気持ちよかった」
「それはよかった。でも無理しないでね」
「ありがとう。ところで何か言い忘れたことでもあった?」
「実はお父様…えっとグランチェスター侯爵の次男であるロバート卿と、婚約者のレベッカ・オルソン令嬢、それにスコット・グランチェスターが訪ねてきているの」
マーグは首を傾げた。
「スコット? ジェフリー卿のとこの?」
「ええ。あなたとは以前に会ったことがあると聞いているのだけど」
「あるわよ。私たちはグランチェスターの傍系同士だし、年齢も1歳しか違わないもの。何度か顔を合わせてるはず。そんなに親しいわけじゃないけどね」
マーグは音を立てることなくカップをテーブルに戻し、ニッコリと優雅に微笑んだ。
「要するに私が本物かどうかを確認しに来てるってことでしょ?」
「確かにその通りよ。あなたが本当にラドフォード子爵のご令嬢なら、グランチェスター家で保護するし、ガヴァネスも付けてくれるって。もちろんあなたが希望するならコーデリア先生の私塾に通い続けてもいいわ。あぁ、でもコーデリア先生の私塾は来年には学園になっちゃうけどね」
「ミリーにも教育を施してくれるの?」
「もちろんよ。どちらもラドフォード子爵のご令嬢ですもの。それに、将来マーグかミリーのどちらかがお婿さんをもらうなら、その方に子爵位を譲渡する意向だそうよ」
「でも、お父様の罪を隠すつもりなら、お兄様が戻ってきて子爵を継承するんじゃないかしら」
サラは彼女たちの父親と兄が既に殺害されていることを知っているが、まだそのことをマーグには伝えてはいない。いつか伝えることになるだろうが、まだ体調が万全ではない状況でそのことを告げる気にはなれなかった。
「本家が彼らの罪を問わないことと、許すことは違うと思うわ。ラドフォード子爵とその長男は、横領事件の主犯よ。判明しているだけでも被害額は3万ダラスを超えているわ。かかわっている文官の人数も多いから、実際にラドフォード子爵たちがどれだけのお金を手にしたのかはわからないけど、彼らは被害額をすべて弁済でもしない限り無期限に幽閉される運命だと思う」
「そうよね…罪を犯したのは間違いないものね。だったら、子爵位はミリーの旦那様に渡してほしいわ」
「マーグはそれでいいの?」
「私は商人になりたい!」
「えーっと…文官になりたかったんじゃないの?」
「男装していても肉体労働ができないことはわかってたから、お父様やお兄様のような文官になろうと思ったの。ミリーには苦労させたくなかったし。だけど、コーデリア先生に女の子だってバレちゃって、アカデミーの受験は無理って言われたわ。だからどうしたらいいか凄く悩んでた」
「うーん。マーグを見て男の子だって騙されるのは、おバカなアダムくらいじゃない?」
「そうでもないわよ。やっぱり女の子は髪を短くしたりしないもの…」
マーグは少しだけしょんぼりした表情を浮かべた。
「髪を切ったことを後悔してるの?」
「ううん。スラムで女の子たちがどんな扱いを受けるかを知ってるもの。だけど、子爵令嬢としては酷い状態なのは確かね。ミリーの髪を切る前に保護してもらえて良かったとは思ってる」
「マーグ、我慢する必要はないわ。イヤだったのでしょう?」
マーグは目をうるうるとさせていたが、それでも泣き崩れることは無かった。
「凄く悲しくて、凄くイヤだった。もう昔のお友達に会うこともできないって思ったし、ドレスを着ることも無いって思ったから。デビュタントの衣装もお母様と相談してたのに…」
「そっか。辛かったね。マーグはいっぱい頑張ったね」
サラはマーグに近寄ってその髪を撫で、光属性の魔法で再生し始めた。マーグの髪はクロエよりも赤みの強いストロベリーブロンドであった。短い状態では黒っぽい色に染めていたらしく、毛先に黒い色が少し残っている。
「あらら、マーグってこんな髪色だったのね」
「え?」
サラに言われるまで、マーグは自分の髪が伸びていることに気付いていなかった。声を掛けられて顔を上げたことで、整えられることなく長く伸びた髪が自分の顔を覆っていることに気付いて、慌てて自分の髪を掴んだ。
「ど、どういうこと?」
「治癒魔法の応用かな。これから子爵令嬢に戻るなら、短いままだと色々困ると思って。迷惑だった?」
「そんなわけないじゃない!」
今度こそマーグは大声を上げて泣き始めた。
「うぇぇぇぇ、さらぁぁぁぁ、ありがとぉぉぉぉぉ」
「もう大丈夫だよ。後で髪を整えてもらおうね」
「うん」
「ドレスもいっぱい用意したんだよ」
「そうなの?」
「マーグとミリーのドレスをたっぷり。もうすぐ、ソフィア商会に服飾部門ができるから、サンプルなんだけどね。クロエもノリノリだし、グランチェスター女子の趣味全開で社交界を席巻してやろうかと思ってる」
「それ、わたしもすごくやりたいぃぃぃ」
「マーグのデビュタントの準備も一緒にやろうね。ソフィア商会の全面バックアップよ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん。さらぁぁぁぁ」
おそらくマーグはずっと泣くのを我慢してきたのだ。サラに抱きつき、堰を切ったように大号泣するマーグの背中を、サラはぽんぽんっとやさしく叩いた。
数分後に泣き止んだマーグは、すっと真面目な表情を浮かべ、静かにソファから立ち上がってサラにカーテシーをした。
「サラ・グランチェスター様、どうか、私をソフィア商会で雇ってくださいませ。先程からの発言を聞く限り、関係者でいらっしゃるのですよね?」
『おっと、そうきたか』
「マーグ、まず顔を上げて座ろうか。本気みたいだからちゃんと話をした方が良さそう」
「承知しました」
「それと、目が腫れてるからちょっと治すね」
サラは治癒魔法でマーグの目元を元に戻した。
「まず、今はまだお勉強する時期よ。いろいろな学習が終わった後、あなたが本当に進みたい道を選ぶべきだと思う。ソフィア商会に勤めたいって気持ちが変わらず、あなたにそれだけの実力があることを示せるなら、私はちゃんと手助けするわ」
「やった!」
「淑女教育もきちんと受けておいた方が良いわ。ソフィア商会のお客様の大半は、貴族か富裕層だもの。淑女教育は誰でも受けられるわけじゃない。学習できる機会があるなら、あなたはそのチャンスを最大限に活かすべきよ」
「わ、わかったわ」
「ソフィア商会の商品はアヴァロンだけじゃなく、隣国であるロイセンの王族にも献上されている。中途半端なマナーしか身に付いていなければ、重要な仕事は任せてもらえないと思って頂戴。マーグは子爵令嬢なのだし、同じ子爵令嬢であるオルソン令嬢を目標にしたら良いのではないかしら。あのレベルに達することができるなら、喜んでソフィア商会に推薦できるはず」
「分かったわ。頑張ってみる!」
『お母様レベルって、本当は王妃教育レベルなんだけどね』
教育に対して貪欲なサラは、問答無用で高いレベルを要求した。だが、マーグならマスターしてくれるような気がしていた。
「だけど、どうしてソフィア商会で働きたいの? 子爵令嬢に戻るのだし、グランチェスター本家の庇護の下にあるから、それなりの相手と縁組も可能だと思うけど」
「正直言うと、子爵令嬢だった頃から不満だったの。お父様は私とミリーを上位貴族に嫁がせようと必死だったわ。だけど、私は自分が好きになった相手と結婚したかった」
「うーん。貴族令嬢としては異端児ね」
「そうなのかなぁ。本当はみんな思ってるけど、諦めてるんだと思う。お父様とお兄様のせいで私たちは酷い目にあったわ。貴族家なんて家長が馬鹿だと、一家全員が路頭に迷うってことをイヤって程理解したと思う。私は臭くて汚いスラムで決意したの。自分の人生は自分で決めるし、好きなものを素直に好きって言うって。人の手にすべてを委ねるのはもう御免よ」
スラムで2年近くを過ごしたマーグは、貴族令嬢に似つかわしくないレベルで強い女の子に成長していた。
『なるほど、これほど強い決意を持っているのであれば、勉強もかなり頑張ったに違いないわ。コーデリア先生が文官を諦めさせたとしても、いずれどこかの商会で働いていたでしょうね。おそらく、放っておいてもマーグはソフィア商会に来た気がするわ』
「結構待たせてるから、そろそろお父様たちとスコットを呼びたいのだけど、いいかしら?」
「そういえば気になってたんだけど、サラはロバート卿のことをお父様って呼んでるの?」
「あぁお父様は来年オルソン令嬢と結婚するんだけど、その時に私も正式にあの二人の養女になることが決まっているのよ」
「え、ヘタレがやっとプロポーズしたの!?」
「ぶふっ。そんなに有名なの?」
「グランチェスターの関係者が知らないわけじゃないじゃない。領都の平民たちだって知ってるわよ」
「そうだと思ってたわ」
「オルソン令嬢も良く応じてくれたわね」
「鼻血が出るくらい殴ったそうよ」
「それで済んだなら運が良い方よね」
「だよね。お母様はちょっと男の趣味が悪いんじゃないかしら」
「でも、あなたの養父母になるんでしょ?」
「いい人たちではあるもの。でも、私はあんなヘタレと結婚は絶対に御免だわ」
「そう? 尻に敷くなら良いと思うけど。一途ではあるし」
「なるほど、そういう考え方もあるかぁ」
サラとマーグは顔を見合わせ、どちらともなく笑い合った。
「だけど、この世界はグランチェスターだけじゃないし、いい男もいっぱいいるはず。それに、私は男に頼って生きたりしない!」
「おお、マーグカッコイイ」
「それって嬉しい。可愛いとか、美しいとか言われるより、ずっとずっと良いわ。それに、サラだってかなりカッコイイよ!」
「そうだね、私たちはカッコイイ女子だね!」
ひとしきり笑い合うと、サラは先にマリアを呼んで、ひとまずマーグの髪をゆるく結い上げてもらってから、ロバートたちを客間に招き入れた。