確認に来たってことね
「おーい、サラー、スコットー」
怒ったサラをあわてて引き留めたスコットが、改めて広場でサラと模擬戦闘をしているところに、ロバートとレベッカもやってきた。どうやらマーグたちを確認するために乙女の塔を訪れたのはスコットだけではなかったらしい。サラがロバートに手を振ると、ロバートは先に塔に向かうジェスチャーをしたため、サラとスコットは頷いて武器を片付け始めた。
先程までチラついていた雪は降り止み、周囲は明るい日差しがきらきらと雪に反射して眩しい程に輝いていた。
「ちょっと眩しいわね」
「目をやられることもあるから気を付けて」
スコットもサラと同様に目を眇めている。
『この世界って、メガネはあるけどサングラスは無いよね。ゴーグルも無さそう』
乙女の塔の中に入ると、外の明るさとの差が大きいせいで周囲が極端に暗く感じられた。視界が全体に緑がかって見える。
「外が明るかったから、暗くて良く見えないわ」
「すぐ慣れるよ」
「目を保護するようなメガネを開発しようかしら。あぁ、あれだけ日差しが反射するんだから、日焼け止めもアメリアにリクエストしておかないと」
「サラはすぐに商売に結び付けるんだな」
「当たり前でしょ。必要なモノを、必要な時に、必要な場所に、適正価格で提供するっていうのは商売の基本だもの」
「その理屈でいくと嗜好品は売れなくならない?」
「必要とするっていうのは、生活必需品だけを指すわけではないのよ。確かに綺麗なドレスや宝石が無くても生活には困らないかもしれないけど、貴族女性たちにとっては必要な品だわ」
「無駄な文化だよなぁ」
「それは価値観の違いよ。お酒だって飲まなくても生きていけるはずだけど、まったくなくなったら騎士の人たちがブチキレそうでしょ?」
「あははは。確かにそうだね」
「嗜好品は心や生活を豊かにするためにあるのよ。人間関係をスムーズにするための潤滑油だったりすることもあるし、自分たちの地位や力を示すために利用する道具のこともある。用途はさまざまね」
「ふむふむ」
「そういうのを全部ひっくるめて、”需要”って言うの。つまり、”モノ”や”サービス”をほしい人がいるって状態ね」
「あぁトマス先生の授業でも習ったな。需要があるモノやサービスを提供することを、”供給”って言うんだろ? 需要と供給のバランスが大切だって言ってた」
スコットと会話しながら二階に上がると、ロバートとレベッカが暖かいお茶を飲みつつ暖を取っていた。
「ごきげんよう。お父様、お母様」
「今日もサラは元気そうだね」
「それにしても、サラとスコットは随分と難しい話をしているのね」
「聞かれていましたか。大きな声で会話するなど大変失礼いたしました」
スコットがレベッカに向かって優雅に頭を下げた。
「いいのよ。ここは学び舎でもあるのだし。でも、アカデミー受験のことを考えると、トマス先生とブレイズが早く元気になると良いのだけど」
「ありがとうございます。トマス先生が仰るには、僕もブレイズもアカデミーの試験なら余裕で合格できるだろうと言われています。過去問題を使った模擬試験でも、そこそこの成績でした」
「スコット、お前はジェフと同じように騎士科に進学するんだろ? 騎士科には実技もあるはずだけど大丈夫?」
「アカデミー入学レベルの実技なら、5年前だって大丈夫でしたよ。魔法科を受験するブレイズも問題なさそうです。レベッカ先生とサラの指導に耐えてますからね」
「ふふっ。スコットは頭の方が身体に追いついていなかったのね?」
サラが揶揄うと、スコットはサッと顔を赤らめた。
「今は頭の方だって問題ないってば!」
「ごめんごめん、冗談よ」
「だけどもったいないよな。サラが男の子だったら、間違いなくアカデミーの首席合格者になってたはずなのに」
「芸術科以外ならそうでしょうね。それともサラなら前衛芸術として認められたかしら?」
「レヴィ、僕は娘が異端審問を受けるのを見たくないよ」
「ぶほっ」
レベッカとロバートのやりとりに耐えられず、スコットが噴き出した。
「酷い! というか、アヴァロンって信教の自由は保証されてますよね?」
「一応国教はあるし、邪神崇拝は禁止だよ」
『つまり、創造神なのにマルカートは信仰しちゃダメってことか。きっと過去の拉致被害者がマルカートにキレて邪神呼ばわりしたんだろうなぁ』
「絵を描いただけで異端者扱いは酷いです」
「いやぁ、絵を描いただけで”混沌”をあそこまで表現できるのは才能だろ」
「ロバート卿、実はサラは粘土細工もなかなかですよ。見事な邪神像でした。コーデリア先生のお顔が引き攣っておられました。アダムの卑猥な落書きですら鼻先で笑い飛ばすような方ですが、サラの才能には動揺を隠せなかったようです」
「スコットまで乗っかる!? みんなして酷いわっ」
だが、ムクれているサラの表情があまりにも可愛らしかったので、スコットはニヤリと笑いながらサラを抱え上げて頭を撫でた。
「悪かったよ。サラの弱点なんてそれくらいしかないからさ、つい揶揄っちゃうんだ」
「スコットまで私を抱え上げるのはやめてよ」
「僕も背が伸びてきたからね。これくらい余裕だ。ブレイズには当分無理だろ?」
「そんな風に抱っこするなら、スコットのことはお兄様って呼ぶわよ?」
「そこは旦那様でしょ」
「だったら、お姫様抱っこじゃない?」
「そのくらい余裕だよ」
スコットはふわりと危なげなくサラを抱えなおした。
「……体格差のお陰で、今度は赤ちゃんになった気分。お父様って呼ぶ方がしっくりきそう」
「サラ!お父様は僕だからね!」
ロバートが訳の分からないツッコミを入れたが、サラはスルーした。
「ねぇスコット、ブレイズにはノアールがいるんだから、大人になるのも簡単よ」
「アレは卑怯だ。父上よりも背が高くなるんだぞ」
「ビックリするくらい美青年だったよね」
「サラは父上みたいな男性がタイプじゃなかったの?」
「容姿だけで男性を評価してるわけじゃないわ。でも、スコットは本当にジェフリー卿に似てきたね」
「だろ」
スコットはニヤッと笑った。
「あ、スコットの顎にお鬚発見! まだ産毛っぽいけど」
「引っ張ったら痛いって。最近ちょろっと生えてきたんだよ」
「そっかー、大人になりつつあるんだねぇ」
「サラと一緒にいると、見た目よりも中身の方が大事ってことを痛感するよ。僕はもっと大人にならないとダメだな」
スコットは困った顔をしているが、サラを下に下ろすつもりはないらしい。
「ところで、スコットって今の身長いくつ? また伸びたよね?」
「この前計ったときは170センチをちょっと超えたくらいだったから、今はもうちょっと伸びてるかも。急に成長してるせいで、関節が痛むんだ。父上も僕くらいの頃はそうだって言ってた。サラも早く大きくなってくれよ」
「私もブレイズと一緒。身体だけ大きくするのは簡単だって知ってるでしょう?」
「じゃぁ、今日は13歳のサラになってよ。それで、僕と領都の雪まつりに一緒に行こう。今夜は夜市が出るんだ」
「楽しそう!」
するとロバートがいきなり立ち上がって大きな声で叫んだ。
「ダメに決まってるだろ。夜に男と二人でデートとか!」
「お父様五月蠅い。凄い楽しみ。今世で初めてのデートかも!」
「やった! 僕が初めての相手だ!」
「誤解される言い方しないでよ」
「そうだよスコット。サラに不名誉な噂が立っちゃうかもしれないだろ。それに、そもそも外出を許可してないからね」
「いいじゃないの夜市くらい行かせてあげなさいよ」
「夜に男と二人で出歩くなんて、危ないだろ!」
すると、ロバート以外の全員が首を傾げた。
「ロバート卿、危ないっていうのはサラがですか? それとも、サラにうっかり何かを仕掛けた相手がですか?」
「えっと……後者かな?」
「ですよね。僕なら剣でも魔法でもサラに勝てないコトを知ってるから大丈夫です。僕以外の無謀な挑戦者のことは、僕が相手をして守ります」
「ちょっと待って。スコットは、暴漢を私から守るって言ってる?」
「だって領都を火の海にするわけにはいかないだろ?」
「するわけないでしょ!」
「手足を切り落として『治せば良い』とかいうのもナシだよね?」
「うっ」
「もちろん顔からダラダラ血を流すとか、頭頂部の毛髪が刈り取られるとかもないよね?」
「ううっ…」
「だよねぇ。やっぱり守ってあげないと」
サラは釈然としない気持ちになったが、否定できない時点でサラの負けであった。
「あのさ、僕が言うのもアレなんだけど、スコットはそれで良いの?」
「相手の力量を正しく測れない騎士は真っ先に死にますからね。サラよりも弱い事実は受け入れないと。もちろん、僕だってずっとこのままでいるつもりはありません」
「ロブ、言っておくけど、サラはソフィアの姿になったら、グランチェスター侯爵閣下よりも強いわよ」
「え、マジ?」
「本当よ。ジェフにだってたまに勝つらしいわよ」
「僕じゃ全然歯が立たないってこと?」
「ロブは私にも勝てないんだから無理に決まってるじゃない。サラなら魔法や武器が無くても、腹ぽにょの父親くらい余裕だと思うわ」
「父親としての威厳が…。っていうか腹ぽにょって」
「威厳なんて最初から無いでしょ。サラがグランチェスター領に着いた翌日には、執務のことで泣きついてたじゃない。いい加減、ちょっとは運動しなさいよ」
「うっ…」
レベッカから鋭い指摘を受け、ガックリと肩を落として項垂れるロバート見ると、サラは少しだけ可哀そうになった。だが運動したほうが良いのは事実なので、ここは心を鬼にしておくべきだろう。
「そういうわけで、今夜はスコットと夜市に行ってきますね」
「わかったけど…婚約はダメだからね」
「デートだけで婚約したりしません」
「それは当然ね。デートだけで婚約しなきゃいけないなら、今頃ロブは巨大ハーレムの主になってるわ!」
レベッカの発言には、若干の…いや、かなりの苛立ちが含まれている。実際、ロバートはバツの悪そうな表情を浮かべて肩を竦めている。ロバートの自業自得ではあるものの、連続でやり込められる父親を黙って見ているのも忍びないので、サラは話題を変えることでロバートに助け舟を出すことにした。
「では、心置きなく夜市に行くためにも、ここからはお仕事の話をしましょう。マーグとミリーについてですが、乙女の塔で保護しているお客様である以上、主である私も立ち合います。無断での面会は絶対に許可できません」
「承知した。スコットも問題ないな?」
「無論です」
話題の転換にすかさずロバートが反応した。
「念のために確認しておきます。彼女たちがラドフォード子爵令嬢だと判明した場合、グランチェスター家としてはどのように対処されますか?」
「保護した上で、彼女たちにはガヴァネスを付ける。王都とグランチェスター領のどちらに住むかは彼女たちに決めてもらう。マーグが今後もコーデリア先生の授業を受けたいのであればグランチェスター城のどこかに居を構えるべきだな。彼女たちが成人した後、いずれかが婿を取るのであれば、ラドフォード子爵位を夫に譲るつもりだよ。あるいは、彼女たちが産んだ男子でも構わないのだけど、かなり先の話になっちゃうね」
「そういうことなら、正式に書面にした方が彼女たちも安心すると思います。これまで勝手な大人たちの都合に振り回されてきたのですから、確実な保証は必要でしょう」
「確かにそうだな。分かった。父上に報告してから公証人を呼び、公正証書を作成するよ」
「いずれにしても彼女たちを確認してからになりますね」
「そうだな」
サラは近くにいたゴーレムに彼女たちを訪ねる旨を伝えると、二人の傍らで働くトマシーナが彼女たちの身支度をすることを告げた。二人のために女性たちの集落から届けられているサンプルのドレスから似合いそうなものをいくつかピックアップしてもらったのだ。マーグにはクロエのサイズのものを、ミリーにはシャーロットのサイズを少し手直ししたものを用意してある。
近々ソフィア商会の店頭に並べようとサンプルをたくさん用意してあったので、ゴーレムたちが昨夜せっせと準備していたらしい。最近、ゴーレムたちはメイドから針仕事を教わったので、洋服のお直しも楽々こなしてくれる。刺繍も得意だ。しかし、夜中にゴーレムたちが集まってチクチクと運針している姿は、なかなかにシュールであった。
とはいえ、彼女たちはまだ微熱を出している状態であり、ベッドから起き上がるのも大変なはずである。トマシーナであればそのあたりの判断はできるはずなので、一体何の準備をしているのだろうとサラは訝しんだ。
「まだ具合悪いのだから、無理に着替えさせなくても…」
「実はあまりにも汗をかかれたので、湯浴みをされたのです。ミリー様は既に床に戻られましたが、マーグ様はまだお着替え中です」
「なるほどね。それなら私が先に行って彼女たちの髪を乾かしましょうか?」
「いえ、マーグ様の御髪は短いですし、ミリー様もまだ毛量はそれほど多くはありませんので」
「あぁ。そうだったわね」
身の安全のためとはいえ、少女が髪を切らざるを得なかったことを考えると、サラの胸がチクリと痛んだ。マーグの髪はアダムよりも短いのだ。
「彼らを案内する前に、先に私だけマーグに会ってもいいかしら?」
「マーグ様は構わないと仰せです。どうぞお入りください」
サラは背後にいる三人の方に向き直った。
「マーグが驚かないように先に行って説明しておきます。ゴーレム経由で連絡しますので、こちらでお待ちください」
「わかった」
そしてサラは、本日二度目となるマーグとミリー姉妹への面会へと向かった。