治癒というより再生
エドワードとリヒトを連れて自室に戻ったサラは、人払いをして防音魔法を展開する。
「アダムの部屋から出てきたことで何となく事情は察しておりますが、一応ご用件をお伺いしましょう」
「そうなんだが…さすがに話しづらいな…」
エドワードは視線をウロウロと泳がせた。さすがに少女というよりは幼女に近い風体のサラには、言い出しにくいのだろう。
「仕方ありませんね。少しお待ちください」
サラは部屋の隅にある衝立の奥に向かい、ミケを呼び出してソフィアよりも年を重ねた三十路くらいの女性の姿に変身した。それでも姿見に映る自分の美貌はまったく損なわれておらず、メリハリのある姿態のせいで見る人によってはソフィアよりもこちらの姿を魅力的だと感じるかもしれない。なにせ女性的な色気がソフィアの5割増しくらいなのだ。
この姿を鏡で見たサラは、ドレスもやや煽情的なデザインに変更し、豊かな胸を持ち上げて細いウエストとの差を強調した。
「お待たせしました」
「!!!!」
一瞬、エドワードはその場で固まって言葉を失った。
「エドワード伯父様には言ってなかったですよね。私とソフィアは同一人物なんですよ。妖精の力で肉体年齢が操作できるんです」
「だ、だが、二人で会議に参加していたではないか!」
「片方はゴーレムです。人間のような義体を持つゴーレムが作れるようになったので」
「非常識過ぎないか?」
「私もつくづくそう思っておりますが、そういうものだと思って受け入れてくださいませ。あぁ、もちろん他言無用ですよ。どうせ近々二人で動くことになるようですし、早めに正体をバラした方が良さそうかなと思いまして。エリザベス伯母様や従兄姉たちにも教えた方がいいかもしれませんね。エドワード伯父様とソフィアの変な噂が囁かれて面倒なことになるかもしれませんし」
ゴクリと唾を飲み込んだエドワードがボソリと呟いた。
「それにしても美しいな。傾国の美女という異名は、レヴィよりもサラの方が似合うだろう」
「今すぐそのお言葉を録音して、エリザベス伯母様にお届けした方が良いですか?」
「客観的な事実として褒めただけだ。ヘンな意図はない! 私はリズ一筋だ」
「それは大変素晴らしいことですわね。さて、この姿でしたら遠慮なくお話いただけるのではありませんか?」
するとリヒトが苦笑を浮かべてサラに話しかけた。
「その姿だと話の方向が変わっちゃいそうだけどね。今のサラは王都の花の姫たちよりも美しいかもしれないよ」
「あら、珍しい。リヒトがエドワード伯父様の前で言葉を崩すなんて」
「くだけた態度でいる方が、小侯爵閣下も話しやすいかもしれないと思ってさ」
「配慮いたみいる…というか、すまん助かる。私もリヒトと呼ばせてくれ。私のことはエドでいい」
「そうか、オレのことも好きに呼んでくれ」
エドワードとリヒトは視線を合わせてニヤリと笑い合った。
「アダムの外傷は綺麗に消えていた。父親としてサラにはとても感謝しているよ」
「でも問題が残ったのですね?」
「今朝、機能不全であったらしい」
「それは生殖機能という意味だと拝察しますが、怪我から回復したばかりなのですから、そういう事もあるのでは?」
「私たちもそうであることを期待しているが、本人の口から『何かが失われた』と聞いたのでな」
「ご本人にしかわからない感覚があるのかもしれませんね。申し訳ありません、私の修復治療が不十分で」
「いや、外見的な意味で言えば十分以上だったのだが…」
「は?」
「鼻筋が以前よりもスッキリして男前になっているし、その大事な部分が以前よりも大きくなっているそうだ。我らを参考にしたせいか外観的にも大人になったそうだ」
「本人的には満足そうだったから、そっちは気にしなくていいみたいだよ」
「あぁそうなのですね。内臓などの修復はリヒトがサポートしてくれましたが、顔の造形は私の記憶に頼るしか無くて。下腹部については、ダニエルのせいかもしれません」
「は? なぜあの男が? 何かあったのか!?」
「以前に舞踏会で踊っていた時に、身体にあたっていたのです」
「なんという不埒者だ」
エドワードは激高した。どうやら伯父として姪に対する愛情はあるらしい。
「伯父様だって魅力的な女性と踊っていて、気まずい状態になったことがないって言い切れます? たとえば結婚前に伯母様と踊っていて平気でした?」
「そ、それは…」
エドワードはそっと視線を逸らした。
「ダニエルは仕方ないんですよ。ソフィアに熱を上げていますから。容姿に惑わされているだけのような気もしますけどね。若い男性であれば自然なことだと思いますし、騒ぎ立てて相手に気まずい思いをさせるわけにはいきません」
「妙に冷静だな」
「私たちは淑女教育で、そういうことがあると教えられるのです。中にはわざと押し付けるような不埒者もいるため、気付いていることを相手に気取られないようにしなければなりません。下手に顔でも赤らめようものなら、そのまま暗がりに連れ込まれてしまうことすらあると」
「はぁ…淑女教育とはとんでもないな」
「クロエも普通に受けているはずですが?」
「娘を持つ父親としては、あまり聞きたくない話だな。ところで、そうした不埒者のことは気付かぬフリをして泣き寝入りするしかないのか?」
「いろいろな対処があるのですが、年若いご令嬢であれば具合が悪い素振りでシャペロンに泣きつくのです。当然ですがシャペロンを務めて下さるような女性であれば、そうした意図にもすぐ気付きますので、それなりの対処をしてくださいます」
「そうか、できればその後には父親にも報告してもらいたいものだな」
エドワードの瞳から光が失われていた。これは明らかに怒っている顔である。
「伯父様、まだクロエの身にそのようなことが起こっているわけではありません。落ち着いてくださいませ。それより本題に戻りましょう」
「あ、ああそうだな。とにかく大きくなって喜んでいたぞ」
「常態が大きくなり過ぎたら、いざって時に困りませんかね? まぁ、そのいざって時が来ないことがまず問題なんでしょうけど」
「そうなんだよ」
再びエドワードはガックリと肩を落とした。
「まぁまぁエド。精神的に問題があるわけではないから、治療は可能だと思うよ」
「だといいのだが、リヒトもこれから治癒魔法を習得しなければならないのだろう? 習得までにはそれなりに時間が必要だと言っていたじゃないか」
「話の流れから察するに、直接私に治療を依頼しにくいから、治癒魔法の使い方を私がリヒトに教えればいいということでしょうか?」
エドワードとリヒトは同時にこくこくと頷いた。その様子は赤べこを二体並べたように見えて、少しだけサラは可笑しくなった。
「えっと、あの時はアダムが瀕死の重症だったので、深く考えずに傷を治し、破壊された部分を再生するのに注力していました。私もあれから冷静に考えてみましたが、機能的に不具合が残っているのであれば、私が治療してもいいですよ? もっとも、アダムが私から治療されることに抵抗があるなら、リヒトが頑張るしかありませんが」
「さすがにサラにこの手の治療は無理なのではないかと推測したのだが…」
「何故ですの?」
「いや、未婚の女性では機能を知らないだろうし、ましてや本来のサラはまだ8歳なわけだし…」
三十路の姿をしているサラの視線を真っ直ぐに受け、エドワードも上手く言葉を紡げなくなってしまった。どうやらこの容姿にはかなりの破壊力があるらしい。
「リヒト、私の前世が喪女だったと思ってたわけ?」
「そこまでじゃないけど、仕事が出来過ぎてて男が逃げてそうかなぁとは」
「ふーん。そんな風に思ってたんだ。リヒトこそ前世は魔法使いか賢者になれそうなレベルだったんじゃないの?」
「ち、ちがっ。仕事が忙しくて、気が付いたら自然消滅ってパターンが多くてだな」
「でも40歳過ぎても独身で、フィギュアが好きで、結構な中二病だったのよねぇ? 年末の祭典の直前に暴漢に襲われたって言ってたけど、クリスマスとか年末年始を一緒に過ごす彼女とかいなかったの?」
「うっ…」
300年以上経っても古傷は痛むらしく、リヒトはガックリと肩を落とした。しかし、がばりと顔を上げてサラを睨み返すと、鋭い反撃に出た。
「そういうサラだって『オレより仕事の方が大事なんだろ?』とか、『君は強いから一人でも大丈夫だよね?』とかいう男の方が多かったんじゃないのか? そうじゃなきゃ、若いにーちゃんから『お小遣い頂戴』とか言われてたとかさ」
「ひ、酷い! 結構気にしてるのに!! 一応、彼氏がいるときは休日出勤しなくて済むように残業増やしたり、自宅をピカピカに磨き上げて手料理振舞ったりしたもん! 時間がかかる煮込み料理とか気合入れたんだから。なのに別れる間際に『オレより年収が多いのは男のプライドが許さない』とか言うわけ。その癖、お見合い相手はお金持ちのお嬢様で、私の年収なんか鼻くそくらいに思えるくらい資産があったのよ! 都内の一等地にマンションなんか買ってもらってたし。男のプライドはどこ行ったのよ!!!!」
「えーっと、ごめん。なんか言い過ぎたかも」
しかし、サラは止まらなかった。
「それとなんだっけ、お小遣いだっけ? あったわよ。同じ年だったけど。司法浪人だった男に、ちょいちょいお金渡してたわよ。『プロポーズしたいけど、今は指輪買えないから合格するまで待ってて』とか言ってたくせに、弁護士になった途端に私を捨てて所長のお嬢さんと結婚してたわ。将来後継者になれるんですって『上昇志向の強い更紗ならわかってくれるよな』って何ソレ?」
更紗の黒歴史が大爆発した瞬間であった。これにはエドワードとリヒトもドン引きである。
「すまん、サラの言ってることの半分も理解できてないと思うが、要するにお前は前世で男に尽くした挙句に捨てられたってことか?」
「伯父様、正しく理解してくださってありがとうございます。その通りです。自分より仕事ができてお金が稼げる女を嫌うくせに、資産のある頭の空っぽな女性が好きという男性や、出世した途端に尽くしてくれた女性を捨てて大きな家の跡取り娘に婿入りする男性と付き合ったというだけのことです。だから”今世こそ”は、私のことだけを愛してくれる優しい旦那様と結婚して、可愛い子供も産む予定なんです。クソみたいな貴族との政略結婚は死んでも御免ですけど」
「お、おう。わかった。この世界でも貴族にはそうした男性が多いからな、そうした相手との縁談は我らで握りつぶすから気にするな。しかし、お前のその物言いでは、前世では純潔ではなさそうだな」
「あちらの世界では、貴族令嬢のように結婚前の純潔を求められることはあまりないのです。昔はそれなりにありましたし、今でも処女信仰のある男性もいらっしゃいましたが、そうした方の多くは誰かと自分が比べられることに自信がないのかもしれませんね。あるいは病的な潔癖症なのかもしれませんが」
「まぁ我らが純潔にこだわるのは、血統を引き継ぐという事情のせいではあるな」
「それなら女系で引き継げばいいと思うんですけどね。男系だと托卵に気付かないこともまぁまぁありますけど、女系なら確実に自分が産んだ子ってわかるじゃないですか」
「サラ、この世界には親子判定する魔法があることを知らないのかい?」
「え、そんな便利な魔法あるんだ」
「実は一部の宗教団体で秘匿されてる魔法なんだよね。オレは見ちゃったから術式わかるけど」
「リヒト、それ魔法陣にして売りだしたらバカ売れしそうじゃない?」
「不幸な子供を生み出す結果になりそうだから、オレはあまりお勧めしない」
「…そうだね」
「エヘン、オホン」
エドワードはわざとらしい咳払いで、リヒトとサラの暴走気味な会話を止めた。
「ひとまず、サラは…男女がどうやって次代を生み出すのかを理解していると思って良いということだな?」
「存じております。要するにアダムの機能不全を治療して、ちゃんと使えるようにしてほしいということですよね?」
「できるだろうか?」
「試してみないと分かりません」
突然、リヒトが横で腹を抱えて大爆笑し始めた。
「サラ、今の容姿のこと忘れてるでしょ。そんな姿態の女性が、若い男性の機能不全を治療するって発言はなかなか倒錯的だよ? しかも『試してみないと分かりません』とか。もうさ、ヤってみないとわからないって聞こえてくるよね」
リヒトの指摘に、サラは艶やかに微笑んで静かに手をリヒトに向かって翳した。ふっと風が吹いたと感じた次の瞬間、リヒトの綺麗な顔に赤い筋が一筋刻まれ、たらりと血が流れ落ちた。
「確かに殺ってみないとわからないことも多いですよね。リヒト?」
「あの、サラさん? ものすごく怒っていらっしゃいませんか? ちょっとしたジョークです。気分を害されたのであれば本当に申し訳ない。ごめんなさい。ユルシテクダサイ」
「ねぇ、リヒト。その筋に”NaCl”を摺りこむってどう? あぁ、”H2O2”の水溶液の方が保健室の先生を連想できて倒錯的かもしれないわよね。白衣着てぶっかけようか? 今の私ならイメージできそうな気がするんだけど」
「二択ならオキシドールの方が良いけど…。い、いえ。サラさんの御手を煩わせなくても大丈夫です。すぐに治します」
リヒトは慌てて治癒魔法を発動して自分の傷を治療した。サラはその様子をジっと見つめた。
「確かに私の治癒とは違うわね」
「サラの魔法は治癒というより再生なんだと思うよ。オレは専門外だったけど、再生医療の研究チームがサラの魔法を見たら驚くだろうな」
「なるほど再生医療に近いのか」
「そうだね。オレやオルソン令嬢は、本人の治癒力を高めて治すんだ。当然治療できる限界はある。だけど、サラの魔法は身体を構成するパーツを丸ごと取り換えるようなものだ。しかも自分自身の細胞だから拒否反応もない。だけど、その身体が元々持ってる特徴からは大きく逸脱できないことを考えると、遺伝的な疾患は治せないかもしれないね」
「私の治癒魔法の特性を理解した気がするわ」
そしてニンマリとリヒトに笑いかけた。もとい、嗤いかけた。
「再生の魔法ということなら、確実にアダムの治療ができるよう、まずはリヒトのモノをスパっと切って再生してみましょうか? あなたなら失敗しても、既に子孫が沢山いるから困らないわよね? 将来の医学への貢献ってことで、是非とも献体を!」
「サラ、やっぱり怒ってるよね!? それと、オレまだ死んでない!」
その様子を見ていたエドワードは、改めてサラを怒らせてはいけないということを強く認識した。