氷の微笑
エドワードとリヒトがアダムの状況を確認していた頃、サラの方はマーグとミリーの扱いについて考えていた。
『まずは彼女たちの身元を確認しないとね。本人たちは素直に身元を明かすかしら…』
サラは自室に戻って防音魔法を展開し、セドリックを呼び出した。
「お呼びでしょうかサラお嬢様」
「もう気付いているでしょうけど、マーグとミリーの正体を教えて」
「ロバート卿の推測が正しいことは調査済みです。母君であるラドフォード子爵夫人に暴力を振るった男も特定しております」
「彼女たちはラドフォード子爵令嬢だったのね。子爵夫人はどこの貴族家出身なのかしら。スラムに沈む前にやれることはあったでしょうに…」
「正確には元子爵夫人であり、元子爵令嬢と言うことになるのでしょう。アヴァロンには現在でも連座制が無いわけではありません。おそらく夫や義理の息子の犯した罪を、自分の娘に負わせたくなかったのでしょう」
「え、連座制が適用されることもあるの?」
「王室に対する反逆は、一族纏めて処刑の対象です。幼子も例外ではありません」
「でも今回はグランチェスター領に対する業務上横領でしょう?」
「サラお嬢様、ラドフォード子爵夫人は、アンダーウッド男爵の次女です。地元では美しいと評判で、ラドフォード子爵が後妻に望まれて嫁ぎました」
「ふむふむ」
「あまり裕福ではない下位貴族の家に生まれた女性は、それほど高い教養を身に付ける機会がありません。というより、余裕がないのです。貴族家の女性として立ち居振る舞いや家政などを学ぶのが精一杯でしょう」
「セドリックが言いたいのは、亡くなった子爵夫人はアヴァロンの法律に対する知識が乏しく、自分たちも連座させられると思い込んでいたってことかしら?」
「そうですねぇ…その理由は半分だけ正しいです」
「半分だけ?」
セドリックは一瞬だけ口をつぐみ、その先を説明すべきか躊躇した。そんなセドリックの様子を見て、サラもなんとなく事情を察した。
「彼女を意図的に騙した人物がいるということね?」
「子爵夫人は大変美しい方でしたので、彼女を慕う男性も少なくありませんでした。ラドフォード子爵家に出入りしていた商人の一人が、彼女たちの逃亡に手を貸しています」
「でも子爵夫人は夜のお店で暴力を振るわれたのではなかった?」
「事件の捜査を担当する騎士たちがラドフォード子爵の屋敷に到着する寸前、夫人とお嬢様方をチゼンという商人が彼女たちに急を報せて逃がしました。実はこの商人はラスカ男爵という貴族の手先なのです」
「その名前どこかで聞いたことがあるような……」
「そうですね。サラお嬢様のご実家であるアースリア商会とも取引をしていた商人ですから」
「あぁ、それで聞き覚えがあったのね」
セドリックはサラの問い掛けに頷き、そして暫し逡巡した後に再度口を開いた。
「チゼンは夫人と令嬢方を逃し、ラスカ男爵の別邸に連れて行きました。そこで待っていたラスカ男爵は、夫人に妾になることを提案しました」
「でも、彼女は断ったのね?」
「仰る通りです。ですがラスカ男爵は、そのうち夫人が折れるだろうと高を括っておりました。身分がバレれば娘と一緒に捕まってしまうと誤った情報を信じ込ませておりましたから、まさか彼女たちが別邸からこっそり逃げ出すなどと考えなかったのです」
「下位貴族の令嬢に生活力なんてあるわけないものね」
「彼女が一人だったら意に染まないながらも妾になっていたかもしれません」
「どういうこと?」
「ラスカ男爵は無類の女性好きとして知られていますが、年若い少女や幼女も好んでいます。なんなら母と娘を一緒に愛でることもあるとか」
「なにそのキモチワルイ変態は」
「確かに変態ですが、同時に金持ちの変態でもあります。鉄鉱石の流通で財を築いた商人ですが、金の力でロイセンの男爵位を得ています」
「つまり他国の貴族ってことなの?」
「面白いことに、出身はロイセンですらありません」
「何者なの?」
「若い頃は傭兵でした。派兵された先で女性に乱暴する事件を多数起こしたために解雇されたのですが、伝手を使って商人の護衛となり、数年後には自分の商会を興して成功を収めています」
「傭兵…? 凄くイヤな予感がするのだけど、もしかしてロンバル出身かしら?」
「ご明察でございます。あの男はシルト商会のマイアーがかつて所属していた傭兵団に在籍し、辞めた後はマイアーの護衛となりました」
「ラスカに商会を持たせたのも、男爵位を得る手伝いをしたのもマイアーなのね?」
「仰る通りです」
そこまで言うとセドリックは再び黙りこくった。そんなセドリックの様子に、サラは違和感を覚えた。
「セドリック、具合でも悪いの? いつも饒舌なのに、さっきから様子がおかしいわ」
「申し上げるべきかどうか悩んでいることがあるのです」
「あらら。いつものセドリックらしくないわね。私になら何を言っても問題ないわ」
サラはにこりとセドリックに微笑んだ。
「……実は、チゼンとラスカ男爵には、アーサー様を殺害した疑いがあるのです」
「えっ!?」
唐突にもたらされた情報にサラは凍り付いた。セドリックの声はサラの耳を通し、身体の深いところを直撃する鋭い刃となってサラを内側から傷つけている。
「どういう、ことかしら?」
サラは静かに尋ねた。
「ラスカ男爵はアデリア様に目を付けていたようです。そして、アデリア様と一緒におられたサラお嬢様にも…」
「もしかして、父さんが邪魔だったってことかしら?」
「おそらくですが…」
「実はサラお嬢様がグランチェスター家に引き取られる直前、アデリア様はグランチェスター侯爵にラスカ男爵が疑わしい旨の書状を送っており、サラお嬢様を保護して欲しいと懇願されたのです」
「母さんが?」
「はい」
「どうして今までそれを教えてくれなかったの?」
「確定した情報ではありません。私の方でもまだ調査中なのです。何より、グランチェスター侯爵がお話になっていらっしゃらないので、私から伝えて良いものなのかと…」
「そう…気を使わせてしまったのね。あなたは本当に妖精らしくない妖精ね」
「申し訳ございません」
「謝ることではないわ。私のことを慮ってくれたのだから」
サラはソファに腰かけてそっと目を閉じ、情報を静かに整理し始めた。
「その変態をどう血祭りにあげるかはゆっくり考えましょう。一思いにやるのはもったいないものね。最上のおもてなしをしなければ」
セドリックはサラの発言を聞いて、背筋にゾクリとした何かが走ったことに気付いた。もし黒豹の姿を取っていたとしたら、全身の毛が逆立っていただろう。あるいは完全に服従のポーズをとっていたかもしれない。
「それで、子爵夫人は変態の手から逃れてからどうしたの?」
「チゼンの言葉を信じていたため名乗り出ることもできず、王都の冒険者ギルドに行きました」
「商業ギルドではなく?」
「チゼンたちに見つかるのを恐れたのでしょう」
「なるほど」
「住み込みの下働きのような仕事を探していたようですが、悪い担当にあたったようで、酒場の仕事を紹介されました。住居としてあてがわれたのもスラムにある崩れかけの建物です」
「あのアザミ通りの?」
「はい。そして客から夜の誘いを断ったために激しく殴られ、そのまま儚くなられました」
「そうだったのね…マーグとミリーは、もしかしたら私が辿っていたかもしれない姿なのね。私は運が良かっただけだわ」
セドリックは静かに語り続けるサラが心配になり、サラの顔を覗き込むように見つめた。すると、サラは閉じていた目をゆっくりと開き、冴え冴えとした蒼い双眸でセドリックを見つめ返した。
「マーグと話をしたいわね」
「既にお食事は終えていらっしゃいますが、まだ少しお熱があるようです。もう少し待った方が良いかもしれません」
「そうね。今は安心させてあげる方を優先しましょう」
サラは何事もなかったかのように、ガラリと雰囲気を変えた。それはとてもあどけない幼女のような、あるいは慈愛に満ちた聖女のような柔らかい雰囲気であった。そのまま立ち上がって扉に向かいかけたサラは、ふと思い出したように振り向いてセドリックに尋ねた。
「そういえば、逃亡犯たちの殺害現場って特定できているの?」
「はい。埋葬場所も特定できております」
「アヴァロン国内?」
「いえ、既に国境を越えておりましたので、ロイセンの領地です」
「後でゲルハルト王太子殿下にお願いして、遺体を引き取ったほうが良いかもしれないわね。犯罪者ではあるけれど、遺族がグランチェスター領にいるという人も多いでしょうし」
「状況を考えれば、打ち捨てられても文句は言えないと思いますが」
「そうかもしれない。急ぐ話でもないでしょうし、この件は祖父様と対応を検討した方が良さそうね」
「承知しました」
「……この件にも、ラスカが関与しているのでしょう?」
ゆらりとサラの輪郭が揺らいだ。セドリックは妖精であるため、サラの魔力が彼女の身体の周りをゆらゆらと渦巻いているのが見えるのだ。恐ろしいほどの魔素の濃度が高く、下手に下位の妖精が巻き込まれれば、そのまま魔素と同化してしまいそうだ。
「あ、あの者が責任者です。グランチェスター領への工作も、大部分はラスカ男爵の手引きで実行されていることを確認しました」
「そう…そんなにお世話になっているのね。今まで知らなかったなんて、なんだか申し訳ない感じがするわ」
サラはくすくすと可笑しそうに笑い始めた。心の底から嬉しいことがあったかのような微笑みは、周囲にいる人を魅了するほどに美しかった。
「セドリック」
「はい。サラお嬢様」
「私のためだとしても、もう隠し事はしないでね。これから先は、知らないでいることが致命傷になりかねないの」
「御意」
「ありがとうセドリック。私のお友達。信じているわ」
美しい微笑みのままサラはセドリックに近づき、そっとセドリックの頬に口づけた。だが、セドリックはサラの口づけた場所から自分が凍りついていくような錯覚に襲われた。セドリックはハタと気づいた。これは妖精があまり感じることのない”恐怖”だということに。
『サラお嬢様は、本気で怒ると微笑まれるのか。あの微笑みに魅了され、自身が凍り付いていることに気付かない愚か者も後を絶たないのだろうな』