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朝の風景

翌朝目を覚ますと、一晩で周囲が銀世界へと変わっていた。いよいよグランチェスターに本格的な冬が訪れたようである。幻想的で美しい光景であるが、同時に人間を含めた生き物にとって厳しい季節であることも事実だ。


これまでは早朝に起床し、朝食前に走り込みと剣術の自主訓練をしていたサラだが、この雪で一体どれくらいのことができるだろうかと考えてしまう。さすがにまったく運動しないでいるのも気が滅入りそうなので、外に出て走り込みができそうかどうかを確認してみることにした。


サラはいつも通りコットンの簡素な”ドレス”を着用し、少しだけ踵のあるブーツを履いた。このブーツには雪の上を歩いても水が染み込まないよう、防水の魔法がコーティングされている。


以前スコットやブレイズに宣言した通り、サラはドレス姿で戦えるよう訓練を続けている。既にソフィアの姿できっちりドレスアップしていても、双剣で戦えるレベルである。もちろん歌いながら。最近は息も上がらなくなってきたので、戦いながら歌ってもブレが少なくなってきた。


なお、サラが訓練中に歌っているのは、シュピールアで再生するための曲である。楽団を後ろに従えてソフィアがソロで歌うことになっているため、間違えないように練習中なのだ。なにせ一発録りなので、最初から最後まできっちり歌いきれなければならない。


実は『再生する曲を変えられるシュピールア』をアリシアが少し前に開発したのだが、サラが忙しすぎるせいで商品化に至らないでいた。音楽が収録されている魔石を交換することで、再生する曲を変えられるしくみだ。


魔石である以上は安い商品にはならないが、おそらく売れるだろうとサラは踏んでいる。そのため、さまざまな曲の魔石を販売できるよう準備しているのだ。なお、既にシュピールアを購入した顧客向けに、魔石を交換できるよう改造する注文を受け付けるべきかについても検討中である。アリシアが言うには、それほど難しい改造ではないらしいのだが、今のアリシアには優先すべき仕事が多すぎるように思う。


雪が積もって走りにくくなっている周囲の道は、ゴーレムたちが除雪してくれていた。秘密の花園に向かう道も同様だ。なお、花園の中は妖精の魔法で覆われているため、雪が積もることは無い。


白い息を吐きながら、サラは除雪されている乙女の塔の周辺を5キロ程走った。その途中、ゴーレムたちが広い庭も雪かきをしてくれていることに気付いた。


「おはよう、初号、弐号。除雪ありがとう」

「おはようございますサラお嬢様」


ゴーレムたちに挨拶していると、視線の先に雪像が作ってあることに気付いた。なんと雪で作ったゴーレムである。


「あの雪でできたゴーレムは何?」

「ちょっとオブジェでも作ってみようか思い立ちまして。もちろん警備には手を抜いたりしていませんよ?」

「それは心配していないわ。私が粘土細工をしたときのことを思い出しただけよ」

「あの邪神像ですか?」

「この世界に邪神信仰なんていないでしょ」

「ありますよ。古代文明が滅びる直前に信仰されていました。今でも一部地域では形を変えて邪神崇拝は残っています。邪神マルカートに生贄を捧げると、人の(ことわり)を超えた力を手に入れられるとか」

「……邪神扱いか。然もありなん」

「どうかされましたか?」

「ううん、ちょっと独り言よ。個人的には国教を定めながらも、個人の信仰の自由を認めるアヴァロンの法律は好ましいと常々思ってるけど、その邪神信仰だけは弾圧すべきなんじゃないかしら」

「生贄に捧げるのは若い乙女だそうですから、普通に犯罪ですね」

「それは駆逐しましょう」


サラはグッと拳を握りしめ、邪神教だけは許すまいと心に誓った。


「それにしてもサラお嬢様は、魔法なら凄い精度で造形できるのに、ご自身の手で造形されるとどうして壊滅的なモノができあがるんでしょうね。そのあたりの理由がさっぱりわかりません」

「その理由は私も知りたいわ」

「サラお嬢様の御手が呪われているのでしょうか」

「勝手に呪わないでよ。でも言われてみれば確かにそうよね」


サラは魔法で雪山を固め、そのまま遊具にできそうな滑り台が付いたオブジェを完成させた。全体はドラゴンのような形状をしており、背中の部分が階段になっている。頭のてっぺん部分に穴が開いており、そこから滑り降りると、口から出ている炎まで一気に滑り降りられるようになっている。意外に距離の長い滑り台だ。


その横に手で同じドラゴンの小さな雪像を作ってみたところ、どろどろとした謎の物体のようなナニカになってしまった。


「うーーーーーーん。これはどう見ても『腐ってやがる。早すぎたんだ』って感じだわ」


このままでは邪神教の信徒を引き寄せかねないので、魔法でぐしゃりと潰しておく。


サラは気を取り直し、近くに大きなかまくらのようなオブジェを作り、くり抜いた穴の中に椅子とテーブルを作った。こちらも外壁に小さな階段を付け、反対側に緩めの傾斜の滑り台を造形しておく。幼いシャーロットでも、このくらいなら怪我をしないだろう。ゴーレムたちが見守ってくれているので安心である。


「サラお嬢様、これは何ですか?」

「滑り台よ。子供用の遊具ね。まぁ大人が遊んでもいいけどね。スコットとブレイズがきたら一緒に遊ぼうかと思って」

「サラお嬢様も、そういうところはちゃんと子供ですよね」

「正真正銘8歳よ。もうじき9歳だけど」

「転生者とは不思議な存在ですね」

「マギは大人と子供の間に明確な境目があるとでも思っているの?」

「確かにありませんね」

「私はリヒトみたいに300歳を超えても、こんな風に遊んでる自信あるわ」

「やはり人間は不可解です。行動分析はかなりの人数分しているはずなのですが、いつもどこかに矛盾があって完全な答えが出ません」

「じゃぁ10年後、100年後にマギが人をどう見てるか聞くのが楽しみだわ」

「確かに興味深いです」


庭先での造形が楽しくなってきたので、サラは雪の下の土も成型してバーベキューコンロやピザ窯のようなものまで作ってしまった。だが冷静に考えると、この世界ではまだピザを食べたことが無いことに気付いた。


『まぁいいか。そのうちなんかで使えるでしょ』


ピザ窯を作ってしまったことで空腹を覚えたサラは、そのまま塔の中に戻っていった。だが、サラが戻った後にゴーレムが造形物をさまざまな角度から検証し、雪をコネコネし始めたことにサラは気づかなかった。


部屋に戻ると、マリアがお風呂の支度をして待っていてくれた。


「いつもありがとうマリア」

「お気になさらず。乙女の塔は不思議な魔道具でお湯が出ますから、お風呂の支度がとても楽ちんなんです」

「部屋にある蛇口は魔道具じゃないわよ。魔道具なのは地下にある大型の給湯器ね」

「でも、そこからそれぞれのお部屋にお湯が出るようになってるんですから、やっぱり魔道具で良いとおもいません?」

「まぁ、そういう考え方もあるのかな」


サラがドレスを脱ぐ手伝いをしたマリアは、脱いだドレスを洗濯用の籠に入れ、サラの髪と身体を洗いに戻った。わしゃわしゃと髪を丁寧に洗った後、香油を揉み込んでからタオルで包み、身体も柔らかい布でやさしく洗っていく。決して擦ったりはしない。子供の肌は繊細なので、乱暴に擦ると傷つけてしまうことがあるのだ。


なお、この世界の令嬢はお風呂上りの長い髪を丁寧にタオルドライしていくのだが、サラはいつもサッと魔法で乾燥させてしまう。イメージは前世のドライヤーだ。


「いつ見てもお嬢様の魔法の制御は素晴らしいですね。私もやってみたいですが、魔法を発現できたとしても、お嬢様の髪を焦がすだけになりそうで怖いです」

「あはは。そしたら魔法で再生するわ」


髪を緩くハーフアップに結い、普段着用のドレスに着替える頃には、朝食の時間となっていた。


「朝食を食べに行きましょうか。客間にはエリザベス伯母様が残られたのかしら?」

「はい。明け方までアダム様を看病されていらっしゃいました。今はまだお休みでいらっしゃるかと」

「それなら起こさないよう静かにしていないとね」


サラは厨房に足を運んだ。面倒なので厨房と繋がっている小さな使用人用の食堂で朝食を済ませてしまおうと考えたのだ。


使用人用の食堂ではメイドとシャーロットが食事をしている最中であった。サラを見てメイドたちは一斉に立ち上がったが、サラは手で彼女たちを制した。


「気にしないでそのまま食べてて。私も一緒に食事していいかしら?」

「お嬢様、またこちらでお召し上がりになるのですか?」

「今日は病人も多いから大変だと思うの。私だけでも手早く済ませるわ」

「然様でございますか。ご配慮いただきありがとうございます」


厨房に顔を出したサラは、ハンナにメイドたちと同じメニューを注文した。昨日の残りのパンを使った甘さ控えめのフレンチトーストに、野菜たっぷりのスープだ。フレンチトーストの脇にジャムや蜂蜜が置かれていたが、今朝のサラの気分はメープルシロップだったので、空間収納から自分用にメープルシロップを取り出した。


「本当にメイドと同じメニューを食べるのですね。そのパンは昨夜の残りですのに」

「美味しく食べられるんだから構わないわ。卵液に浸して柔らかくなったパンがそこに在るなら、バターで焼いてもらうのが正義ってものよ。そんなことより、マーグとミリーは食事できそうなの?」

「昨日いらした女の子たちですね? お二人とも先程目を覚まされました。微熱程度まで熱が下がっていますので、食事もできるそうですよ。今日のスープが野菜たっぷりなのも、病人用だからです。彼女たち用には野菜がもっとくたくたになるまで煮込んじゃうそうですけど」

「なるほど。さすがハンナね」

「あとは搾りたてのエルマジュースも付けますよ。新種の甘い方を持っていきましょう。本人たちがもっとしっかりしたものを食べられるようなら、昼にポリッジや皮を剥いたエルマを出しても良いかもしれませんね」

「まずは体力をつけて元気になってもらいましょう」

「そうですね」


食事が終わったメイドたちは、いそいそと病人用の食事を運ぶ準備を始めた。シャーロットは客間に5歳の女の子が居ると聞いて自分も同行したがったが、熱病患者なので許可があるまでは近づくことを禁止されている。


「じゃぁはやくげんきになっていっしょにあそぼうってつたえて」

「わかったわ。ロティもちゃんと朝食をたべなさいね」


シャーロットはメイドたちにも可愛がられていた。ここに来た頃と比べて幼児らしいふっくらとした頬は、指先で軽く撫でたりつんつんとつついてみたりしたくなる愛らしさなのだ。


「そういえばロティ、さっき雪で滑り台作ったのよ。良かったら後で遊んでみて」

「やったぁ。はやくいかなきゃ!」

「ちゃんと食事を済ませて、ハンナから許可を貰ってからじゃないとダメよ?」

「うん! ちゃんとたべる!」

「スープに入ってた豆も食べなさい」

「マメはてきだよ?」

「じゃぁ、ロティがお腹の中に入れて退治しないとね」

「うーーーー」


シャーロットはスープ皿に残った豆をじっと睨み付け、暫くして諦めたようにむしゃむしゃと一気に口の中に放り込んで水で流し込んだ。


『消化に悪そうな食べ方だなぁ。後でお腹痛くならないかしら。豆は貴重なたんぱく源だから美味しく食べて欲しいんだけどなぁ』


「そういえばマーグとミリーだけど、お父様が言うには、彼女たちの元々の身分は貴族だったかもしれないそうよ。申し訳ないのだけど、彼女たちの食事の仕草を観察してもらえるかしら? 没落してからまだ2年ちょっとだから、ミリーの方はともかくマーグの年齢なら食事のマナーを理解してると思うの」

「承知しました。注意して見ておきます」

「彼女たちの服や靴を揃えないとね。着の身着のまま連れてきちゃったから。ひとまず、ソフィア商会の誰かに女児用の服を一式持ってきてもらいましょう。サイズはトマシーナに聞けばすぐわかりそうね」

「でも、ソフィア商会にはまだ服飾部門はないのではありませんか?」

「その通りよ。今回は商会の誰かに近くのお店で買ってきてもらうことになるはず」

「では届き次第、客間の方に運んでおきますね」

「ええ、お願い」


サラが朝食を済ませると、昨夜のうちに本邸に戻っていたエドワードが乙女の塔までやってきた。玄関先までエドワードを迎えに出たサラは、彼の表情がとても深刻であることに気付いた。


「エドワード伯父様、おはようございます」

「おはよう」

「まだ伯母様もアダムも寝ているようですが、起こしますか?」

「いや、起きるまで待つよ」

「では何か温かいものを用意させますね。お食事はされましたか?」

「本邸で済ませてきた」

「では私の食後のお茶にお付き合い願えますか?」

「喜んで呼ばれよう」


サラはリラックス効果の高いハーブティをメイドに用意させ、エドワードを二階へと案内した。


「伯父様、お顔が深刻ですわ」

「そうかもしれないな。昨日はアダムの命が助かって本当に良かったと思ってはいるのだが、アダムを廃嫡せねばならないかもしれないと考えたら眠れなくてな。私は強欲なのだろう。命が助かっただけでも良いと思うべきなのに…」

「人は誰しも欲張りな生き物だと思います。一つ手に入れば、次が欲しくなるのは当然ではありませんか。それよりも私が至らなかったことで、このように伯父様方を苦しめているかと思うと、申し訳ない気分になります」

「すまぬ。サラを責めているわけではないのだ」


するとリヒトが部屋から姿を現した。いつもならトマシーナに身の回りの世話をさせているはずだが、今はマーグとミリーの看護でトマシーナが忙しくしているため、リヒトの髪には寝癖が付いたままになっていた。リヒトは人間のメイドには世話を任せないのだ。


「リヒト、今起きたところ?」

「あぁ少し寝坊してしまったようだな」

「伯父様の前でカッコつける必要ある? あなたはもともと朝が弱いじゃない。この時間なら早起きでしょう」


サラはため息をついて、魔法でリヒトの寝癖を整えた。


「うん、カッコ悪い指摘ありがとう。相変わらず凄い魔法制御だね」

「トマシーナがいなかったら、リヒトの生活って酷いことになってそう」

「否定はしないよ」


サラとエドワードがいるテーブルまで歩み寄ったリヒトは、エドワードに丁寧に頭を下げた。


「おはようございます。小侯爵閣下」

「おはよう。早い時間から申し訳ない」

「いえ、お気になさらず」


そう挨拶を交わすと、二人ともその後の言葉が続かず、なぜか辺りを沈黙が支配した。数分後、サラはその重い空気に耐え切れなくなって言葉を発した。


「ひとまず、お二人ともそろそろアダムのところに向かってください!」

「そ、そうだな」

「では小侯爵閣下参りましょう」


そして二人は静かに席を立ち、アダムの寝ている客間へと足を運んでいった。

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― 新着の感想 ―
「豆はてきだよ?」可愛すぎる
[良い点] そうそう、フレンチトーストは、焼き立てより少し日が経って固くなったもののほうが乳液をよく吸って美味しいんですよね。 [一言] なるほど、正常時のスキャンだっので、特殊wな時の状態まで思い浮…
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