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つくづくやりきれない

「だが、そうした子供たちには孤児院もあるだろう?」

「父上はご自身の目で孤児院をご覧になったことがあるのですか?」


アダムの目には怒りが宿っていた。サラはアダムが怒っている理由を察していた。孤児院の院長がグランチェスター領からの資金を着服しているのだ。サラは実際にソフィアの姿で二つの孤児院を訪問したことがあり、セドリックに内情を探らせたことがある。だが、孤児院の運営に対して口を出す権限をサラは持っていないため、せめてソフィア商会からレース編みや巾着作りなどの手仕事を依頼し、その報酬を子供たちに直接渡すよう指示することにした。


「アダムは領都の孤児院を見たのね。孤児院は領都に二つあるんだけど、豚みたいに肥えた院長がいる方と、キーキーうるさい女性の院長がいる方とどっちを見た?」

「豚の方。あいつは孤児院の予算を横領してるはずなんだけど、告発するだけの証拠が揃わない」

「なるほどね。ちなみにキーキーの方も横領してるわよ。男性に貢いでるんですって」

「サラは知ってたのか!? 知ってて放置してたのかよ」

「ねぇアダム理解してるかな。今のあなたは、本来孤児院を管理すべきである領主の祖父様と、その仕事を代行すべき私のお父様を糾弾しているのよ?」

「え、そんなつもりじゃ!」

「わかってる。でもね、それは領主の仕事で、私たちが口を挟める問題ではないわ。だから、スラムに不幸な子供たちが溢れているのも、領主と代官がそれでも構わないと思った結果ってことになるわけ。孤児にはわざわざ予算を割きたくないってことね。そして領主の地位を継ぐべきお方は、スラムの窮状を訴える息子の行動を評価せず、スラムを諸悪の根源として潰すって言ってるわけ」

「なるほど。そういうことになるのか」


アダムがサラの指摘にこくりと頷くと、サラはくるりとエドワードの方に振り向き、優美に微笑みながら尋ねた。


「ですよね? グランチェスター小侯爵閣下」


称号で呼ばれたエドワードは、サラの背後に母親のエレオノーラが立っているように錯覚した。しかも、心なしかサラの銀色の髪が怒りのオーラでふわりと浮かんでいるようにすら見える。


「い、いや。言葉のアヤというヤツだ。実際にスラムを潰したりはせん。犯人を捕まえて厳罰に処すだけだ。ちょっとした気の迷いだよ。アダムが無事で本当に良かった」


次にロバートの方に顔を向け、ニコリと微笑んだ。


「サラ、お前が何を言いたいのかはわかってるから言わなくていい。ちゃんと孤児院のことは解決しておくから」

「孤児院だけですか?」

「スラムについてはソフィア商会が何とかしてくれるんじゃないのか?」

「治安維持までは無理です。組織的な犯罪者も多いんですよ。元々は互助会的な組織だったのが、いつの間にか犯罪組織になってるパターンもあります。商家から汚い仕事を請け負う者たちもいますよ。ソフィア商会の本店や乙女の塔を探りにきたり、私やソフィアを襲撃した者たちが所属する組織もあります」

「サラに手を出した不埒な輩もいるのか!」


ロバートも怒りをあらわにしたが、サラの目からエドワードとロバートはとても似た兄弟に見える。


「悪人を完全に無くすことはできません。でも、治安維持に手を抜かなければ、アダムはこんな酷い目に遭わずに済んだかもしれません。つまり祖父様、伯父様、お父様の責任です。罪のない大勢の人のことを巻き込む前に、ご自身の責任を理解してくださいませ」

「そうか…申し訳ない。だが、アダムの襲撃犯は必ず逮捕して厳罰に処すよ。エドワードの言うように、領主一族の継嗣を傷つけた罪は重い。助かったとはいえ、サラとパラケルスス師が居なければアダムは今頃…」


サラは言質を取って満足し、アダムの方に振り向いた。


「ですってアダム。伯父様もスラムに手を出す気はないみたい」

「お、おう…。それは良かった。相変わらずお前は怖いな」

「でもね本当はこういうことはルール違反だとも思ってるんだ。領の予算は限られていて、全部に手が回るわけじゃない。だけど、私たちがこうやって口を挟んだら、そっちを優先せざるを得ない状況に追い込むことになるわ。本当は別のことに使いたかったお金を使うことになっちゃうわけ」

「難しいな」

「そうだね。領主って大変なお仕事だと思う。だけど順当にいけば、アダムがその仕事を引き継ぐことになる。とっても責任重大だよね。判断一つでたくさんの命が失われるかもしれないんだから」

「うん。サラの言いたいことは理解できたと思う」


アダムは素直に頷いた。だが、語り掛けているサラ自身は、アダムの豹変に違和感バリバリであった。


「アダムにもちゃんと聞いておかないとね。一人でスラムに行くような無茶をしたのはどうして? 危ないことはわかってたでしょ?」

「マーグの妹が熱を出して寝込んでいるって聞いて、食料品と毛布を持っていく約束をしたんだ」

「スラムに?」

「そうじゃない。スラムにはスラムの子供と一緒じゃないとダメだって言われてたから、市場の入り口で待ち合わせてたんだけど…」

「その、”マーグ”って子が来なかったのね?」

「うん」

「で、心配になってノコノコと襲われに行ったわけだ」

「襲われに行ったわけじゃないよ!」

「同じことよ。そもそも帯剣してなかったの?」

「してたよ! ……取られたけど」


アダムは恥ずかしそうに俯いた。


「えーっと…あの馬鹿みたいに装飾的で実用性なさそうなレイピア? 鞘にも宝石がゴテゴテ嵌ってるアレのこと?」

「え、そんなに酷い?」

「趣味は最悪ね。ってやっぱり自分から襲われに行ってるじゃない。誘拐されて身代金を要求されなかった方が不思議だわ。きっと普段から領地に寄りつかずに忘れ去られている領主一家の長男だからでしょうね。ただの金持ちのボンボンだと思われたのよ。どうしてもスラムに入りたいなら、次からは護衛を付けなさいよ」

「それじゃ、僕の身分がバレちゃうだろ。コーデリア先生のところに通えなくなるじゃないか」

「たぶんマーグにはバレると思うわ。ここに連れてきちゃったもの。アダムの近くで一緒に倒れてたけど、あの子がマーグなんでしょ?」

「えっと僕の近くで倒れてたって、マーグも怪我してるの?」

「ううん。高熱で寝込んでるだけよ。重症化もしてなかったわ。今はリヒトが傍に付いているはずよ」

「酷い熱を出してるなら、マーグだと思う。様子を見に行ってもいいかな?」

「本人の確認をしたいから見に行って。でも、熱病は感染する病気だからあまり接触はせずに短時間で部屋を出てね」

「わかった」

「それより、さっきの話だとマーグの妹さんも寝込んでいるんじゃないの?」

「大変だ!マーグがここにいるなら、ミリーは一人ぼっちのはずだ」

「急いでマーグかどうか確認して。本人ならミリーも迎えに行かせるから」


アダムが慌ててマーグが寝ている部屋に入って顔を確認する。


「間違いないマーグだよ。かなり具合悪そうだけど大丈夫かな?」

「熱病だから何とも言えないわね。死亡する人がいることはあなたも知っているでしょう?」

「うん…」

「それじゃミリーも迎えに行かせるわ。あなたが過去にも出入りしてるアザミ通りの家…というか廃墟でしょ? 他に家族はいない?」

「うん。兄と妹の二人暮らしだ」


アダムの言葉を聞いた瞬間、サラはピタリと動きを止めた。


「ごめん、もう一度聞いても良いかな。”兄”と”妹”なの?」

「そうだよ。兄のマーグが僕の学友だ。すごい頭が良くて面倒見も良いから、僕も勉強を教わることが多いんだ。妹のミリーはまだ5歳だけど、この子も賢い子だよ」


サラは頭を抱えてしまった。


「アダム、落ち着いて聞いてほしいんだけど、マーグは女の子よ?」

「へ? そんなはずないだろ。髪は短いし、将来は文官になりたいって言ってたぞ?」

「もしかしたら本人が隠しているのかもしれない。私は身体を見たからわかるわ。あの子は間違いなく女の子よ」


アダムは衝撃の事実にフリーズしかけたが、すぐに気を取り直した。


「マーグが男か女かはどうでもいい。僕の大切な友人であることに変わりはないよ。それより今はミリーを助けてくれ」

「わかったわ」


サラはスラムを巡回しているゴーレムにミリーを保護してもらい、毛布で(くる)んで乙女の塔まで連れてくるよう指示を出した。その間、マーグが寝ている客間に、もう一つベッドを運ばせる。


「僕の身分がバレちゃうなら、もうコーデリア先生の私塾には通えないね…」


ガックリと肩を落とすアダムにレベッカが近づき、柔らかい微笑みを浮かべた。


「マーグたちがアダムの身分を秘密にしてくれる約束をしてくれるなら、このまま通っても良いわよ。凄く成績も上がってるようですしね」

「本当ですか!?」

「もちろん、エドとリズが許可してくれればですよ?」

「父上、母上、お願いです!」


アダムはエドワードとエリザベスの方を交互に見回して尋ねた。


「またこんな怪我をするのではないかと心配になるわ」

「今後は十分に注意します!」

「もう親に黙ってスラムに行くような真似だけはするな。どうしても行きたいなら理由を言え」

「はい! お約束します。もう無茶はしません」


不承不承と言った感じではあったが、小侯爵夫妻は許可を出した。アダムは許可を得て嬉しそうな笑顔を浮かべたが、顔色はあまり良くない。かなり失血したことを考えれば当然だろう。


「アダム、顔色が凄く悪いわ。傷は治したけど失われた血は戻らないから当分は安静にしないとダメなのよ」

「でもミリーが心配なんだ」

「もうじき到着するはずよ」


それから10分程でミリーが乙女の塔に到着した。5歳と聞いていたが、その身体はあまりにも小さかった。熱で真っ赤になった顔や浅くて速い呼吸を繰り返す姿が痛々しく、サラやアダムだけでなくグランチェスター家の大人たちも胸を痛めた。


「ひとまずミリーもリヒトとアリシアに任せましょう」

「わかった」


ゴーレムはマーグが寝ている客間にミリーを連れて行った。その後ろから別のゴーレムたちが盥にたっぷりのお湯と布を持っていく。おそらくマーグとミリーの姉妹を清拭するつもりなのだろう。


「まだあんなに幼いのに可哀そう…私が言うのも変な話だけど」


一応、サラも自分が8歳であり、”幼い”自覚はあった。


「僕がもって行った食糧や毛布は全部取られたみたいだね。剣もだけど」

「趣味が悪いレイピアはともかく、今の時期なら食料品と毛布は誰だって欲しがるわよ。それに、あんなに小さな子が熱を出しているなら、どうして私に頼らなかったのよ。ここには薬師がいること知ってたでしょ?」

「マーグが大人に頼るのを嫌がったんだ」

「どうして?」

「あいつは、二年前に横領の罪を犯した文官の子供なんだ。大人たちにバレたら捕まえられるって思ってる」

「えっ。両親はあの子たちを残して逃げたの?」

「逃げたのは父親だけだ。最初の半年くらいは母親と一緒だったらしいけど、夜の仕事をしてた母親は客に暴力を振るわれて、そのまま亡くなった」

「やりきれない話ね。ひとまず話は分かった。アダムはまず自分の回復を優先して。マーグとミリーについてはちょっと考えておくわ。悪いようにはしないって約束する」


すると横で話を聞いていたロバートがアダムに尋ねた。


「アダム。マーグたちの父親の名前は聞いているかい?」

「聞いてない。もし父親が誰だか分かったら、マーグたちを捕まえるの?」

「いや、親が罪を犯したとしても、子供に罪は無いよ。ただ、もしかしたら、彼女たちは僕たちの親戚かもしれないと思ってさ」

「なにそれ、どういうこと?」


ロバートがとんでもないことを言いだしたので、アダムは訝しげな表情を浮かべてロバートに問い質した。


「僕の前の代官は、若い後妻との間に幼い娘が二人いたんだ。彼女たちの名前は、マーガレット・グランチェスターとミリアム・グランチェスターだ」

「え、それって」

「うん。愛称も近いよね。年齢もほぼ一致するんだ。マーガレットはアダムと同じ年のはずだ。もしそうだとしたら、彼女たちの高祖父は二代前のグランチェスター侯爵ってことになる」

「グランチェスターの名前を引き継いでるってことは、少なくとも父親は騎士爵だったってことですよね?」

「先々代の頃に分家して子爵位を得ているんだ。横領事件を起こしたことで、爵位はグランチェスターの本家が預かってるけど」

「それじゃ、マーグは子爵令嬢だったってこと?」

「本人に確認しないと分からないけど、その可能性は高そうだ。僕は幼い頃に会ってるから顔を見たらわかるかも」


ロバートの話に、アダムは驚いていた。スラムの子供が自分の親戚だとは考えていなかったらしい。だが、サラは別のことが気になっていた。


「後妻の子ってことは、先妻の子もいるんですか? 半分とはいえ、血がつながった兄弟がいるんじゃ?」

「息子がいたんだが、彼も文官だったから父親と一緒に逃げてる」

「もしかして、横領犯なんですか?」

「主犯の一人だね」

「なるほど」


ふぅっとロバートは深いため息をついた。


「てっきり妻子を連れて逃げたと思ってたんだけどな。まさか幼い子供を抱えた奥さんを置き去りにするようなクズだったとはね」

「置き去りにされた家族は多いんですね。お母様の侍女のキャサリンさんもそうですよね」

「ええ、そうよ。キャスも娘と一緒に取り残されたわ」

「つくづくやりきれませんね」

「まったくだ」


いずれにしても姉妹が回復しなければ明確なことはわからないと判断し、アダムはエリザベスとメイドに支えられながら寝室に引き上げていった。

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― 新着の感想 ―
横領犯の余波は各方面に大きいね、お母さん生きるために夜の仕事までしてたのか…やりきれないね
今は妙齢となったお姉さまがたの青春時代には、マーグというイケメンと、シロッコとかいう木星帰りのイケメンを競って脱がせるのが流行ってたそうですが 男の名前なのに…、なんだ女か(リフレイン)
[一言]  おっと、アダムの嫁候補か? 近すぎない同族の異性なら婚姻も可能だし。あとはマーガレットの気持ち次第かな。
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