アザミ通り6番の裏路地
外で男性が大声で叫んでいるようだ。近くのゴーレムに確認すると、どうやらエドワードが訪ねてきているらしい。ひとまずサラはエドワードを塔に招き入れるようゴーレムに指示した。
「エドワード伯父様。こんな時分にどうされたのですか? 王都への出発予定に変更でも?」
アダム以外の小侯爵一家とサラは、五日後に王都に向けて出発することになっており、今はそのための準備が急ピッチで進められているところなのだ。なお、既にグランチェスター侯爵は王都に向かっている。
「そうではない。アダムがまだ本邸に戻っていないのだ。こちらに来ていないか?」
「いいえ。今日は来ていません。それに、熱病が流行っている間はコーデリア先生の私塾も休講のはずですが」
「そうだったのか。アダムからは何も聞いていない。リズが言うには、いつも通り勉強のために本邸を出たと言っていた」
「それはおかしいですね」
既に時刻は20時近くなっている。雪がちらついているため月明かりもなく、辺りは真っ暗だ。現代の日本のように街灯が整備されているわけでもないので、火急の用件でもない限り、外出したりはしない。特に冬場は命にかかわる。
「ゴーレムたち、アダムがどこにいるかわかる?」
「最後に見かけたのは18時過ぎです。馬を領都の店に預け、本人はスラム近くを走っているところを目撃しています」
「スラム!?」
エドワードが大きな声をだして驚いた。
「アダムは一人で走っていたの? 誰かに連れ去られたりしていない?」
「お一人です。食料品などを購入し、その荷物を抱えてスラムに向かって走っていかれました」
「食料品? それ、本当にアダムなの?」
「98.5%一致しているので、本人だと思われます」
「あなたたちが言うのだから本当なのでしょうね。アダムの足取りは予測できる?」
「70%以上の確率で、アザミ通りの2番付近に居られるかと」
「そこに何があるの?」
「コーデリア先生の私塾に通っている生徒の一人は、このスラムから通っております。アダム様は過去にもこちらの生徒の家を訪れています」
ゴーレムは淡々と報告した。
「なんだと! アダムはスラムの子供なんぞと机を並べているというのか!? あの子はグランチェスター家の嫡男なんだぞ」
「伯父様落ち着いてください。平民の子供と一緒に学びたいと望んだのはアダムです。事実、とても成績は向上しています」
「平民にもいろいろあるだろうが!よりによって何故スラムの子なのだ。何をされるかわかったものではない」
「自分からスラムに身を沈めたわけではないでしょう。しかも、コーデリア先生の私塾に通っているということは、コーデリア先生がその子を優秀だと認めているということです。スラムの子であれば授業料など支払えるはずもないですから」
「だが!」
「アダムは14歳なのです。どのような人間と付き合うかを自分で選ぶことのできる年齢でしょう。とはいえ、私もアダムがスラムの子供と付き合いがあるというのは信じられませんけどね。ご両親に似て貴族至上主義のいけ好かないクソガキでしたからねぇ」
「サラ、淑女とは思えぬ言葉の汚さだ。レヴィが聞いたら雷が落ちるぞ」
「すいません、うっかり口が滑ってしまいました。アダムを探すの手伝うので聞き流してください」
「聞かなかったことにしておいてやるから、急いでアダムを見つけてくれ。かなり冷え込んできた」
そこにゴーレムが突然報告してきた。
「サラお嬢様。アダム様を発見しました。スラムに食糧を配るゴーレムの巡回ルート上に倒れていらっしゃいます。複数人に暴行されたようで、酷い怪我を負われております」
「何ですって!」
「どこだ、どこにいる!」
「アザミ通り6番の裏路地です。ゴーレムが保護していますが、体温がみるみる下がっています。近くにご学友も倒れています。こちらは特に怪我はしていないようですが高熱を発しています。おそらく熱病かと」
「ここから馬を飛ばしても到着まで20分以上かかるわ。アダムはそれまでもちそう?」
「厳しいかと。出血がひどいこともありますが、体温がかなり低いです」
「あぁ、もう仕方ない! リヒト急いで治療の準備を。メイドたちは急いで2名分の客間を整えて頂戴。一人は熱病みたいだから隔離するしかないわ。昨日までブレイズが使っていた部屋にしましょう」
「わかった」
「承知しました」
リヒトとメイドはパタパタと動き始めた。
「サラ、場所を正確に言え。オレが急いで迎えに行く」
「それでは間に合いません。これから見ることは黙っててください。他言したら、伯父様の頭に火を吹きますからね」
「何を言ってるんだ!」
サラはゴーレムの示した座標に向けてゲートを開いた。ゲートの先にはサイズの違う2体のゴーレムがアダムと、おそらく学友であろう友人をそれぞれに抱えていた。
「そっか。スラムを巡回してるのは大きい子と小さい子のペアなのね」
荷車を引くのが大きいゴーレムで、人々に物を配るのが小さいゴーレムらしい。
「な、なんだこれは」
「妖精の道みたいなモノだと思ってください。乱用できる魔法ではありませんから、他言無用です」
「言えるか! それよりアダムは無事か!?」
いまにもゲートに飛び込みそうなエドワードをサラが制した。
「アダムを助けたいならゴーレムの邪魔をしないで道を開けてください! 大きいゴーレムは塔の中で自由に動けないわ。司書ゴーレムたち、二人を受け取ってきて頂戴」
「承知しました」
2体のゴーレムがアダムとスラムの友人を受け取って戻った。サラはスラムを巡回しているゴーレムたちに、付近の状況をきちんと調べた上で巡回業務に戻るように指示した後にゲートを閉じた。
リヒトの指示に従って二階の大きなテーブルの上にアダムを横たえ、もう一人の友人の方はサラがスキャンして状態を確認する。
「リヒト、この子は熱病だと思うけど、そんなに重症ではなさそう」
「それならこの子は客間に寝かせておいてくれ。トマシーナ! 後は頼んだ」
「お任せください」
リヒトはトマシーナにスラムから来た子供を任せ、より緊急度の高いアダムへと向き直った。魔法で大きな光の球をテーブルの上で横たわるアダムの上に浮かべ、次に鞄の中から取り出したハサミでアダムの服を切り裂く。
「むっ。これは酷いな。アダム様は何度も蹴られたようですね。おそらく内臓も損傷しているでしょう」
「なんだとっ! 誰だ私の息子をこんな目に遭わせた輩は!」
「おじいちゃん、点滴も用意したほうが良い?」
「失血が酷い。輸血が必要になるかもしれない。アリシアは輸血の経験あるか?」
「薬師ギルドで手伝ったことがあるわ。まずは適合者を探すのでしょう?」
「そうだ。サラ、ゴーレムを本邸に走らせてグランチェスター家の人たちを呼んできてくれ。大人だけでいい。血液が適合する人を探す必要がある」
「わかったわ。アリシア、まずはエドワード伯父様から検査してもらえるかしら」
アリシアはコクリと頷いて、注射器を取り出した。確認用のアダムの血液は既にリヒトが採取している。
「小侯爵閣下、申し訳ないのですが少し採血させていただけますか?」
「アダムの治療に必要ならいくらでも」
「では、そちらの椅子におかけください。針を刺しますので少し痛みます」
「構わん」
エドワードから採血をしている間にサラはゴーレムを本邸に走らせ、エリザベス、ロバート、レベッカを呼んだ。もちろんアダムの状況も説明するように伝えている。
「マズい、ショック症状だ。アラタ! アダム様の時間の進みを緩やかにしてくれ」
「待ってリヒト。私がやるわ。あなたの魔力を使ったらその後の治療に影響する。ミケ、お願い」
「わかったー」
空中からにゅるんとミケが現れ、アダムの時間の進みを遅くする。ブレイズを火事の現場で治療した時も同じことをしたので、ミケも要領を心得ていた。
「アリシア、オレが今から魔法で作り出す輸液を急いで点滴してくれ」
「わかった」
「サラ、スキャンできるか?」
「もうやってる。今、画像を出すわ。たぶんこれって脾臓だと思うけど、大きく傷ついた内臓からどんどん血が流れてる!」
「見せてくれ」
リヒトはサラの画像を見ながら渋い顔をしつつ、同時に近くにある点滴用のガラス瓶の中に魔法で輸液をドボドボ注ぎ入れた。
「おじいちゃん、小侯爵閣下の血液は適合しているわ」
「アリシア、この輸液をアダム様に点滴してくれ。その後、小侯爵閣下に輸血の説明を。いま、こっちは手が離せない」
アリシアはリヒトの指示に従って点滴をセットし、次いでエドワードの元に戻った。
「小侯爵閣下、お気付きかと思いますが、アダム様はたくさん血を失ってしまったせいで、命が危うい状態です。小侯爵閣下の血をアダム様に分けて差し上げる形での治療を検討しております。ですが、小侯爵閣下のお身体にも負担がかかりますので、どうされるかは閣下に判断をお任せします」
「我が子を助けることを躊躇する親などおらん。構わんからいくらでも抜いてくれ」
「承知しました」
「どうかアダムを助けてくれ!」
「最善を尽くします」
リヒトはサラが投影しているスキャン画像を眺めながら、難しい顔を浮かべた。
「サラ、すまないが君が治療してくれないか? ここまで内臓が傷ついている状態だと、オレでは無理だ。治療の途中で魔力が尽きるかもしれない」
「でもどこをどう修復すればいいのかわからないわ。あまりにも血だらけで、あるべき姿が想像できない!」
「それはオレがサポートする。モニタを見ながらイメージしてくれ」
するとアリシアが血相を変えてリヒトに叫んだ。
「おじいちゃん、アダム様の心臓が停止しているわ!」
「それはアダム様の時間を極限まで遅くしているせいだ。だが、サラが治療を開始するタイミングで時間の進みは戻さざるを得ない。そこからは時間の勝負だ。まずは輸血できる状態を確保してから開始しよう」
「わかった」
バタバタと塔に駆けこむ音が聞こえてきた。どうやらエリザベスたちが到着したらしい。
「アダムは、私の息子はどこっ!」
血相を変えて最初に飛び込んで来たのはエリザベスであった。彼女はロバートの馬に同乗してきたため、服は雪まみれであった。そこに部屋の支度を終えたマリアが駆け寄り、アダムの寝ているテーブルに近づこうとするエリザベスを押し留めた。
見ればエリザベスは今にも倒れてしまいそうな程、顔に血の気がなくなっている。
「小侯爵夫人、アダム様はパラケルスス師とサラお嬢様が治療されています。下手に近づくと邪魔になってしまうでしょう」
そこにアリシアが声をかけた。
「皆様、アダム様は多くの血を失われました。現在、父君である小侯爵様の血で補っておりますが、足りなくなるかもしれません。小侯爵閣下お一人では負担が大きすぎる可能性が高いのです」
「私の血ならいくらでも採っていいわ。お願い、アダムを助けて!」
「誰の血でも良いというわけではないのです。アダム様と型が適合していなければなりません。型が合わない血を使うと、最悪アダム様は儚くなってしまいます」
「私は母親よ!」
「親子でも型が合う保証はありません。まずは検査をさせてください」
アリシアがエリザベス、ロバート、レベッカの順に検査した結果、ロバートが適合することが判明した。
「ロブ、お願いよ。アダムを助けて」
「おいおいリズ。わざわざ言わなくたってわかるだろう。あの子は僕にとっても可愛い甥っ子なんだ。助けるのは当たり前じゃないか」
「ありがとうロブ…」
エリザベスはボロボロと泣き崩れた。レベッカはエリザベスに駆け寄り、その背中を静かに撫でさすった。
「リズ大丈夫よ。ここに居るのは最高の錬金術師で薬師のパラケルススと、ドラゴンを超える魔力を持ったサラなのよ。必ず助かるわ」
「そうね、そうよね。ありがとうレヴィ」
「お礼はアダムが助かった後に、あの二人にしましょう」
その様子を静かにエドワードとロバートが見つめていた。エドワードは既に限界まで採血しているため、顔色があまり良くない。
「小侯爵閣下、あなた様は既に成人男性の耐えられる限界ギリギリまで採血しています。ひとまず経口補水液をお飲みになって、少し横になってください。客間もありますので」
「いや、ここでアダムの治療を見守らせてくれ」
「ですが…」
頑として動かないエドワードの元にエリザベスが歩み寄った。
「アリシアさん、夫には私が付きそうわ。好きにさせてあげてください。客間はロブに使ってもらうと良いわ。これから採血するのでしょう?」
「はい。その予定です」
「ではロブには私が付き添うわね。ロブはちょっと軟弱だから、遠慮せず客間を使うわ」
「はい。血を抜いた後は安静になさる必要がありますので。是非ともそうしてくださいませ」
レベッカも静かにロバートに寄り添った。