とにかく忙しい
それぞれの持ち場に戻ったギルド関係者たちは、全員が例外なく恐ろしい程の仕事を抱えることになった。そもそも普段から忙しく仕事している人に対し、熱病対策の仕事を割り込ませたのだから当然と言えば当然である。
商業ギルドからは登録しているすべての商家や商会に向けて、熱病対策に関する寄付を募っていることを通達した。これらはすべてギルド職員が直接通達して回り、『寄付者と寄付金は公開される』ことや『既にソフィア商会は現金や魔石を提供しており、取引先選定のために寄付金のリストに関心を寄せている』ことをも併せて伝えられている。
ソフィア商会との取引をチラつかせたことで、商人たちの間に激震が走った。ソフィア商会と小麦を取引することに成功した商人はいるが、ソフィア商会が独占しているエルマブランデーやシードル、シュピールア、化粧品など魅力的な商品の数々は、ソフィア商会から直販されているだけなのだ。王都や他領に支店を持つ大店であっても、代理店契約を結んでおらず、自分たちの顧客から『ソフィア商会で売ってる商品と同じものが欲しい』と言われれば、ソフィア商会から購入して納品するしかない。つまり、転売である。
本来なら手数料を上乗せしたいところではあるが、ソフィア商会の価格はカタログに記載されているため暴利を貪るようなことはできない。自分たちの商品だけで勝負することのできない不甲斐なさを感じつつも、他の商品を売るための呼び水として定価で販売するのが限界であった。
中にはソフィアに贈り物をして好感を持ってもらおうとする商人もいるが、あまりに高価な贈り物をすると丁寧な礼状とともに返送されてくるため、あまり効果がない。ソフィア相手に娼館で接待するわけにもいかず、グランチェスター家の関係者の愛人である可能性も考慮すれば美男子の愛人を手配するのも危険である。下手をすれば領主一族の誰かの恨みを買ってしまうかもしれない。こうした手詰まり感もあり、ソフィア商会との取引を望む商人たちは、ソフィアに高価な贈り物をするかのように次々と気前よく寄付していった。
錬金術ギルドと薬師ギルドでは、若い錬金術師や薬師が中心となって、経口補水液や点滴用の輸液などを作り続けていた。錬金術ギルドの寮母たちも瓶の煮沸消毒を手伝っている。魔力持ちの錬金術師と薬師は、ソフィア商会が提供してくれた魔石を使ってせっせと点滴セットを作り、比較的保有する魔力量が多い場合には、1日の終わりに魔石に魔力を充填する業務を担当することになった。
毎日クタクタになるまで働く彼らには、”差し入れ”という名の賂が届くことが多く、大変助かっていた。薬種問屋など直接的に熱病対策にかかわる商家や商会の間では、熱病が大流行する兆しがあると聞くや否や、領の内外から薬草を始めとするさまざまな薬種を買い付ける動きが活発化した。当然錬金術ギルドや薬師ギルドからの需要を見越しているためであり、自分たちを最優先の仕入れ先にしてほしいのだ。だが、実際には差し入れの量や内容で取引先が決まることはほぼなく、ありがたく受け取るだけである。
もちろんパラケルススが活動を再開したことも話題となっていた。治験が終われば熱病の治療薬のレシピが公開されると知って、少しでも早く必要な薬種を把握しようと錬金術ギルドと薬師ギルドに探りを入れる者たちが数多く現れた。もちろん彼らも沢山の差し入れを携えてやってくる。こちらもありがたく頂いておくが、当然レシピの公開は平等に行われる。
ガラス製品を扱う商人たちも、錬金術ギルドと薬師ギルドに納品する点滴用の容器を発注されたことで大慌てである。複数の商会と契約しているガラス職人たちは、同時に別の商会から舞い込む依頼をこなすため、他の職人に声を掛けるなど、こちらも蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。シンディの工房でも、ソフィア商会にシードル用の瓶を納品して一段落したところに大量の依頼が舞い込み、職人たちは一斉にため息をついた。
なお、フランが勤めている鍛冶工房には、点滴や注射用の針を製作するスキルを持った職人が複数人所属していた。針については錬金術ギルドから直接依頼されており、自分では作ったことのない精巧な針の作り方をマスターしたいと考えたフランは、いつもの作業を終えると他の職人たちの作業をじっと観察した。そしてフランは彼らが魔法で金属加工していることに気付いた。既に22歳になっているフランでは到底真似できそうになく、しょんぼりと肩を落とした。
アレクサンダーのように診療所を開業するなど直接患者に接する薬師たちは、感染を拡大させないための対策方法を徹底して領民たちに説いた。既に感染者を抱えている家庭においては、二次感染を避けつつ看病する方法をしっかりと伝える。だが、貧しい平民の家庭では病人と部屋を分けるどころか、1つのベッドを複数人で共有していることも珍しいことではなく、隔離することの難しさを痛感せざるを得ない。
だが、こうした薬師やソフィア商会のゴーレムたちの指導により、地域によっては感染者を一か所に集め、交替で看病するような体制がとられることもあった。そうした熱病対策用の地域拠点はスラムに近いことも多く、ソフィア商会も積極的に支援した。
元々想像していた以上に多忙を極めることになったのは、間違いなく冒険者ギルドだろう。薬草採取、薬の原料となる部位を持つ獣や魔獣の狩猟、そして魔石鉱山の鉱夫たちの護衛任務も増員された。明らかに人手不足であり、冒険者たちの多くは休みを取らずに働く者も多かった。だが、冬支度のため現金を必要とする冒険者は多く、ある意味ではWIN-WINの関係であった。
魔石鉱山の付近は良質な薬草が採取できることでも知られているため、護衛パーティと採取パーティが一緒に出掛けるという光景もよく目にするようになっていた。なお、護衛パーティの構成員は圧倒的に男性の冒険者が多く、逆に採取パーティは女性の比率が高い。そのせいか、最近冒険者同士のカップルが増える傾向にあるのだという。
これまで魔石鉱山付近の薬草を採取していた鉱夫の家族たちも、これを機に冒険者ギルドに加入するケースが増えている。薬草採取で冒険者ランクを上げることも可能である上に、冒険者になれば採取用の道具も割引価格で手に入れることができる。他にも身を守る武器や防具、あるいは装備品の修繕費用なども安くなる。
ちなみに、鉱山から採掘される”天然の”魔石は、基本的に不純物が多い。ソフィア商会の技術を用いれば、完全に魔石から魔力を抜いてから特定の属性を補充することもできるのだが、公表することは時期尚早だと判断して控えた。もっとも、ソフィア商会が貸与している魔石を使用している錬金術師たちの中には、この秘密に気付く者が現れるかもしれない。だが、そんな優秀な人材が現れたら、助手としてスカウトするのもアリかもしれないとリヒトは考えていた。
そして騎士団寮での治験が開始された。感染している騎士団員は全員治療薬の治験者となることを望んだため、下は12歳、上は50歳まで合計20名の治験者を確保できた。なお、50歳の騎士は領都の郊外にある自宅に家族と住んでいたが、熱病に感染して高熱を発していることがわかったため、急遽治験者として寮に来てもらった。
また、アレクサンダーも治験ができるよう、現在は自宅の一部を臨時の入院病棟として準備を進めている。アレクサンダーは過去に発明した塗り薬が評判の薬師であり、自宅もそれなりに大きな屋敷である。
なお、騎士団寮を清潔に保つため、アメリアはジェフリーに直談判して専属の掃除人を雇用してもらった。普段は40代の穏やかな雰囲気の女性なのだが、いざ仕事モードに切り替わると鬼軍曹になるタイプであった。女性たちの集落に住み、これまでは集落の近くにある彫金師の工房で掃除人として働いていたのだが、工房の主が代替わりした途端に解雇されてしまったのだという。おそらく、工房主も鬼軍曹が怖かったのだろう。
彼女も情け容赦なく騎士たちのケツを蹴り飛ばす女性であったが、見習いたちの洗濯を手伝ったり、手作りのクッキーなどを振舞ったりとアメと鞭の使い方が絶妙なので、気が付けば”騎士団寮の母”と呼ばれるほど慕われるようになっていく。こうして、錬金術ギルドの寮母たちと鬼軍曹のお陰で、騎士団寮はびっくりするほどピカピカになった。アメリアは大満足である。
そしてもっとも重要な治療薬の効果だが、いまのところ目立った副作用は出ていない。リヒトは一日の終わりに日誌を記入していたアメリアの元にやってきて、治験者たちの様子を報告した。
「ひとまず副作用もなく、熱の下がり方も早い感じなのですね?」
「そうだね。明らかに症状は軽減されているようだ。アメリア、この治療薬はウィルスそのものを攻撃するわけじゃなく、ウィルスが増殖することを防ぐものなんだ。だから早めに服用するのが望ましい」
「早めというのはどれくらいですか?」
「症状が出てから48時間以内かなぁ。つまり2日間だ。それ以降に服用しても効果が無いわけじゃないけど、劇的な改善は見られないと思う」
アメリアは手元の日誌に聞き取った内容を書き込んでいく。
「わかりました。なるべく早い段階での処方を心がけます。といっても患者さんの行動次第ではあるんですけどね。平民の場合、重症化してから薬師を訪ねてくることも多いので」
「それは仕方ないよね。薬代は安くないから。あ、そうそう。大きな副作用が出た時にすぐにオレに連絡するようにしてくれるなら、明日からアレクサンダーさんのところで治験はじめていいよ」
「ありがとうございます。ところで、ウィルスって病魔のことでしたよね?」
「うん。そう思ってくれていい。君には細菌とウィルスの違いとかいろいろ教えてあげたい気もするけど、オレは君の師匠じゃないから、どこまで教えて良いのやら」
「私もリヒト師から学びたいです。治験に行った際にアレクサンダー師に伺ってみます」
アメリアの返答にリヒトは嬉しそうに笑ったが、同時に少しだけ困った顔をした。
「アメリアが尋ねたら、アレクサンダーさんはダメって言わないと思うんだ」
「私もそう思います」
「でもきっと、内心は面白くはないだろうね」
リヒトの意見に、アメリアはうんうんと頷いた。
「そうですね。アレクサンダー師は自分も学びたいって悔しがりますね!」
「あー、いや、まぁ薬師ならそういう感情もあるだろうけど、それだけじゃないと思うよ」
アメリアは不思議そうに首を傾げる。
「自分を慕ってくれていた優秀な弟子が、『別の薬師の下で学びたい』なんて言ったらさ、そりゃぁ拗ねるよね」
「アレクサンダー師はそのように狭量な方ではありませんよ?」
「うん、まぁ、理性は良いことだって判断するだろうからね。優秀な薬師であればあるほど、新しい知識を学ぶことの重要性を痛感するはずだから。でも感情は理屈でどうこうできるものじゃないんだよ」
「うーん。子供が独立しちゃって寂しがる親みたいな心情ですかね。って私はまだ親になったことは無いんですけど、私の後をいつもついて回って仕事に行くと泣いてた弟は、先日冒険者ギルドの職員になったんです。まだ見習いになったばかりの癖に『もうお姉ちゃんにだけ苦労はさせない』って言うんですよ。すごく嬉しかったんですけど、同じくらい寂しかったですね」
「その気持ちは良くわかるよ。オレにも子供や孫やもっといっぱい子孫がいるからね」
「ふふっ。確かにリヒト師にはいっぱいいらっしゃいますね」
「ウィルスのように増殖してるよ!」
「そっちの増殖は防がなくて大丈夫です」
アメリアはくすくすと笑い出した。
『うーん…。アレクサンダーさんの視線は弟子を見る目じゃないと思うんだけどなぁ。まぁ爺さんが余計な気を回さなくても、女性陣がアメリアの背中を押してるし、なるようになるかね』
最近のアメリアは、蝶が羽化するようにどんどん美しくなっているとリヒトは思った。もちろん女性たちが彼女の外見をプロデュースしていることは知っているが、そんな表面的なものではない眩しさを感じる。血のつながりこそ無いが、アメリアもアリシアと同じくらい可愛い玄孫のような存在に思えてならない。
『この可愛い子たちが幸せになれるといいな。……サラは勝手に自分で幸せを掴むだろうから心配いらないよね』