聖女ではない
「そういえば、ソフィア商会はスラムで食糧を提供するんだよね?」
ロバートはサラに尋ねた。
「そのつもりです。いつもの炊き出しの延長のようなものですから、経口補水液や栄養補助食品などを与える余裕はないでしょう。毛布は支給するつもりですが、スラムの子に毛布を渡しても誰かに取り上げられたり、売ってお金にしたりしそうです。だからと言って止める手段を持っているわけでもないんですけどね」
「ある程度は仕方ないだろうね」
「熱病の対策方法についてはゴーレムが説明する形にします。書面にしても読めない人が多いでしょうし」
「それはそうだろうね」
そこまで話すと、サラは一瞬だけ次の言葉を声に出すことを躊躇した。サラ自身もその行いが果たして良いことなのか悪いことなのか判断ができないでいるためだ。
「それと、スラムにいる平民の子供たちの中から、魔力を持っている子供を見つけようと思います」
「魔力?」
「あまり積極的にやりたくはないのですが、魔力を吸いあげられる子が居たら、魔力量に見合った報酬を渡そうかと。ゴーレムに魔力を吸いあげる魔道具を持たせて巡回させるついでに魔力を回収する感じです」
「何故そんなことを?」
「魔石に補充する魔力を確保するためです。彼らの魔力は医療用の魔道具を作る魔石の魔力補充に利用しようと思います。もちろん、病気の子からは吸い上げたりはいたしません。それに、子供の魔力を吸いあげることで、魔力量が増大する可能性もあります。もし魔力量の多い子がいたら、ソフィア商会で保護しようかと」
「それは魔力を補充するため?」
「それもありますが、できれば魔法を学ばせて将来的には魔法使いにしたいですね」
「ソフィア商会が子飼いの魔法使いを確保したいということか?」
「そうなれば理想ですが、彼らの将来を無理強いするつもりはありません。好きなところで好きな職業に就いてほしいです」
そこに、サラとロバートのやり取りを横で聞いていたエドワードは、やや呆れたように声を上げた。
「スラムへの炊き出しなど、なんとも奇特なことだ。だが魔力目当てにしても、スラムの子供では魔力量などたいしたことないだろうに」
「それはやってみないと分かりません。日々吸い上げることで、思わぬ器に成長するかもしれませんしね」
「我が姪は随分と篤志家らしい。聖女にでもなる予定があるのか?」
「そうなのかもしれませんね」
サラは優雅に、まさに聖女のような微笑みを浮かべた。
「あのさぁエド、サラが聖女じゃないことはよくわかってるだろ。まだサラのことを理解してないとか次期領主としちゃヤバいぞ。おでこに1ダル硬貨を投げつけられたことをもう忘れたの?」
「だがスラムへの施しなど、何の得があるというのだ」
「スラムから優秀な魔法使いがでたら、たとえソフィア商会の子飼いの魔法使いにならなくても、ソフィア商会に良いイメージを持った魔法使いになるんだよ。今後ソフィア商会が大規模に展開する学園もおそらくそうだ。大勢のソフィア商会に好意的な人材が毎年生まれることになる。サラは長期的にソフィア商会の顧客を開拓してるんだ」
「なるほど、まったく聖女じゃないな」
「当たり前だろ。この子は商人令嬢なんだよ。しかも妖精の恵みがあるから、ものすごく遠くの将来まで見据えている。そういう部分は領地を経営していく僕たちも見習うべきだと思うけどね」
「お父様、概ね正しいですが、そういうことは胸にしまっておくべきではありませんか? 乙女の秘密を暴くのは非道です」
「悪かったよ。でも、身内なんだから少しくらい大目にみてくれてもいいだろ?」
ロバートは苦笑しながらサラに謝罪した。だが、エドワードの方は真剣な表情を浮かべてサラを見つめていた。
「だが、あまり積極的にやりたいことではないと言っていたな。理由を聞いても良いか?」
「スラムで子供が生きて行くことは容易ではありません。背後に大人が居て、子供たちに物乞いや掏摸をやらせていることが多いのです。下手に見目麗しい子供は、幼いうちから花を鬻ぐよう強要されたり、奴隷のように売り飛ばされたりしてしまうこともあるのだとか。もちろん彼らの稼いだお金の大半は、その大人たちが奪うのです」
「…そうなのか」
三人の子供の父親でもあるエドワードは、顔を顰めた。
「そんな子供たちの中に魔力を持った子供がいて、突然お金を稼げることが分かったらどうなると思いますか?」
「金は奪われるだろうな」
「おそらくそうなるでしょう。ですが、それよりも問題なのは、魔力を持った子供を兵器として売り飛ばす輩がいることでしょうね。攻撃魔法を教えることに長けた傭兵集団もいるのだそうです。魔力が多ければ魔法を発現する可能性も高いですから」
「なっ!」
「ですから魔力を持った子供を保護できる環境が整わないうちは、あまりやりたくないというのが本音なんです。本当なら学園設立後に、魔力を持った子供を無償で受け入れる寮を作ろうと思っていましたから」
サラは小さくため息をついて俯いた。
「では何故、準備も整わないうちに始めるんだ?」
「医療器具を作るために魔力を必要とするからに決まっているではありませんか。魔石を大量に購入する資金はどこからもでません」
「だが魔石なら…」
「ソフィア商会に供出しろと? あるいは私の魔力を補充しろとでも言いますか?」
「い、いやそこまで言う気はないが…」
図星を突かれたエドワードは狼狽した。
「エドワード伯父様。次期領主であることを自覚なさってください。困ったことがあるたびに私を頼るのではなく、持続可能な施策を考えるべきだとは思いませんか? 平民の中にも魔力持ちはいるはずです。そもそもこの国で貴族を名乗れるのは直系だけなのですから、傍系親族はいずれ平民になります。つまり、貴族の血を引いている平民がとても多いということです。だとしたら魔力をもった平民だっていっぱいいるに決まっているではありませんか」
「なるほど」
「そもそもゴーレムを運用する魔力、魔力を補充可能な魔石、魔力を補充する魔道具は無償でソフィア商会が提供しているのです。私に魔力を寄こせという前に、ご自身や家族の魔力を吸い上げたらいかがですか? グランチェスターの直系なのですから、さぞかし魔力量も多いでしょう」
「すまない。私の考えが足りなかった」
サラは素直に謝罪するエドワードを好ましいと感じたが、同時に浅慮な発言が多いことにも不安を覚えた。
『為政者としてはいろいろと足りないことが多すぎる気がする。果たして祖父様の引退までに教育は間に合うのかな』
「だが魔力を持つ子供を保護することは検討すべきではないか?」
「そうなんですが、なかなか難しくて。まず子供を預かれる場所がないのです」
「孤児院ではダメなのか?」
「領都の孤児院は2箇所ありますが、どちらも既に満員です。そして環境もあまり良いとは言えず、孤児院を逃げ出してスラムに行った子もいるくらい不人気です」
「なぜそんなことになるのだ」
「十分な予算が無いからでしょう。もしかしたら横領されたのかもしれませんけど。ひとまずは様子を見つつ、取り締まりを強化するだけで精一杯ですね」
「何ともやりきれん」
エドワードは俯きつつ、眉間にできた皺を指先で揉む。
「伯父様が私の懸念に気付いてくださったのは僥倖ですね。お父様は聞いてもくれませんでしたから」
「そこまで深く考えなかったからなぁ。所詮スラムの子供の問題だし」
「いかにも貴族的な考え方ですね」
「貴族的というより官僚的なんだと僕は思ってる。だってスラムの住人は税金を納めていないからね。代官の立場から言わせてもらうと、領地に勝手に住み着いている人を助けろと言われても困るよ。人として彼らを気の毒だと思わないわけじゃないけど、すべての人を助ける力がないのであれば、きちんと納税している領民たちを優先すべきだ」
「なるほど。もっともな意見ですね。ですが、スラムを放置すると治安維持に問題が出ますから、うまくバランスをとりつつというのが現実的じゃないですかね」
ロバートとサラのやり取りを横で見ていたエドワードは、今度こそ肩をしょんぼりと落して深いため息をついた。
「お前たちを見ていると、自分が次期領主でいいのかと情けなくなるな」
「え、いまさらエドがそんなこと言う?」
「どういう意味だよ」
「もう何年も貴族至上主義のいけ好かない小侯爵やってて、ほとんど領地にも戻らず、領民からは顔を忘れられてるんだ。いまさらだろう」
「そこまでか?」
「そこまでだよ。だから僕はエドが領主になっても困らないよう、ずっとここに住んで頑張ってきたんじゃないか」
「そうだったのか? てっきり王都で女性絡みのトラブルを避けるために逃げたのかと」
「兄とは言え失礼だな。僕のことを何だと思ってるんだよ」
「本命にはダメダメなくせに、無駄にモテる浮ついた弟?」
「相手が勝手に勘違いするだけだよ!」
「お前が歯の浮くようなことを言うからだろ。それに、未亡人や離婚歴のある女性には、きっちり手を出してたじゃないか」
「それは相手も納得してたから問題ないだろ」
『話がおかしな方向に逸れてきたなぁ…なんとなくお母様がお父様に怒ってた理由がわかってきたよ』
「エドワード伯父様、そこまでにしてもらえます?養女とはいえ娘なので、さすがにあまりお父様の醜聞は聞きたくありません」
「これは失礼した」
「ところで伯父様は次期領主を辞めたいんですか?」
「辞めたいわけではないが、その資格があるのかと考えてしまってなぁ。サラ、お前は商人を利用して金を増やす方法を教えてくれると言ったよな?」
「言いましたね」
「もっと踏み込んで、領地を豊かにして領民を幸せにできるようなことを教えて貰うこともできるだろうか?」
「私は領地経営にはそれほど明るくありません。そういうことは、当主である祖父様から教わるべきではありませんか?」
「もちろん父上からも教えていただく。だが、私はサラの知識をもっと学びたいのだ」
エドワードは真剣な眼差しでサラを見つめ、本気で懇願していた。