まるでしていないような
会議が終了すると、参加者は足早に自分たちの本拠地へと戻っていった。皆が多忙なグランチェスター領の主要人物であり、領主からの召喚という強引な手段を取らなければ突発的な会議を開催することも難しかっただろう。
ソフィアのゴーレムも執務のために本店へと戻った。こちらも会議のために小麦を求める商人たちとの面会予定を先送りしており、急いでスケジュールを調整しなければならないのだ。コジモは少しだけソフィアに話しかけたそうな素振りを見せたが、ダニエルがシャットアウトして近づくこともできないまま商業ギルドへと戻る羽目になった。
アリシアは魔力を補充可能な魔石と魔道具を配布する準備があるため、ソフィアと同じ馬車に同乗してソフィア商会の本店へと移動した。おそらくこちらもウンザリするほど錬金術師や薬師たちから問い合わせが来るに違いない。
リヒトとアメリアは騎士団寮に戻り、正式に熱病の治療薬の治験を開始する手筈になっている。騎士団寮で使用する治療薬は、40年以上時の止まったリヒトの空間収納の中でデッドストックになっていたものを使うという。熱病のウィルスが大きく変異していなければ、おそらく治療薬は効果があるだろうとリヒトは予測しているが、こればかりは投薬してみなければわからない。
そして、サラはロバートに抱えられ、久しぶりに執務棟にある文官たちの執務室に立ち寄った。
「サラお嬢様、久しぶりにこちらに顔をお見せくださいましたね」
「ジェームズさん、申告と納税の準備はいかがですか?」
「既に書類は整っています。納税用の現金や小麦ももうすぐ揃います」
にこやかに対応していたジェームズは、次の瞬間に真剣な表情を浮かべた。
「ところでサラお嬢様。パラケルスス師の言う通り、熱病は流行りそうですか?」
「どこまで流行るかは誰にもわからないわ。だけど、長年の経験を元にした発言だし、準備しておくべきでしょうね。それほど流行らなかったとしても、『無事に済んでよかった』って思えば良いんだし」
「ふむ…。ところで、熱病の治療薬は本当に効くんですか?」
「実は過去にも実証実験をしたそうよ。熱病が大きく変異してなければ効くんじゃないかしら」
「変異、ですか?」
「私もあまり詳しくはないのだけど、熱病のような病気の原因となるウィルス…うーん分かりやすく言うと病魔って自分自身を増やしてどんどん被害を拡げていくの」
「ネズミみたいですね」
「増える勢いはもっと早いわ。病魔は自分自身を複製して増えていくんだけど、複製するときにミスしちゃうことがあるの」
「写本で文字を間違えるみたいにですか?」
「近いかも。でも、そうやってできた劣化版の複製って、元の病魔とは違う病魔でしょ?」
「確かにそうですね」
「だから同じような熱病でも、症状がより酷くなったり、同じ薬が効かなかったりすることがあるわけ。かつての熱病に効果があった薬が、今でも効くのかどうかを実験して確かめる必要があるのよ。もしかしたら重篤な副作用が起きる可能性もあるしね」
「なるほど」
ジェームズがサラの説明に納得してこくこく頷くと、その横に居たベンジャミンもサラに微笑みかけた。
「それにしても、相変わらずサラお嬢様は容赦ないですね。商人たちからどれくらい金を搾り取るつもりなんですか?」
「ちょっとベンさん、人聞きが悪いわ。まるで私が彼らに寄付を強要したみたいじゃない」
「まるで強要してないような物言いですね」
ベンジャミンはニヤニヤと笑いながらサラを揶揄った。
「酷いわ! 私は祖父様とソフィアにお願いしただけよ」
「アレはどこまでが仕込みなんです? 私たちは侯爵閣下から、必要な物資のリストを会議までに急いで作成するよう指示されていましたからね。閣下の発言が予定通りなのはバレてますよ」
「そこは気付かないフリしておこうよ」
「いやぁ。無理でしょう。以前、サラお嬢様が魔物駆除の費用を錬金術ギルドと薬師ギルドにも負担させたことを覚えてますからね。たぶんテオフラストスとアレクサンダーは、サラお嬢様のウソ泣きに気付いてますよ。あ、ジャンもですかね。笑いを堪えてくれて助かりましたね」
ベンジャミンが指摘した通り、あの場でテオフラストスとアレクサンダーはサラの演技に気付いていた。そしていつも偉そうなコジモが、寄付金を搾り取られる様子を見ながら、心の中でほくそ笑んでいた。
「グランチェスター領のために頑張る私を応援してくれたりはしないわけ?」
「もちろん応援してますよ。どうせすぐにサラお嬢様の性格はバレるので、その手が使えるうちに、1ダルでも多く商人たちから金を巻き上げたいですからね」
「そんなに私は性格悪くないわよ!」
「確かにイイ性格をなさっているとは思っております」
「…それは認める。でも今回の作戦は悪くなかったでしょ?」
「ソフィア商会との取引を材料にされたら、どの商会も黙っていないでしょうね」
「ふふっ。寄付金くらいでソフィア商会が取引先を決めたりするはずないのにね」
「なんだかんだ言って、ソフィア会長は美人ですからね。『ソフィア会長にイイところを見せたい!』とか思うヤツはいっぱいいるはずです。まぁカモですね」
「なんて馬鹿なの。商人ならもっと冷静に状況判断すべきでしょうに」
「男なんてそんなもんですよ」
「八歳にして男性に夢を持てなくなりそう。婚期が遠のきそうだわ」
「大丈夫、サラはどこにもお嫁にやらないから!」
ロバートは完全に親馬鹿モードである。
「お父様、それはかなり鬱陶しいのでやめてください。私だって大きくなったら、ちゃんと結婚するつもりなんですから!」
「えー。ヤダ」
そこにグランチェスター侯爵とエドワードが入室してきた。
「ロバート、みっともないからやめろ」
「父上がサラを抱っこしないなら考えても良いですよ」
「うっ」
こっちもジジ馬鹿であった。グランチェスター侯爵の背後に立っていたエドワードは、自分の父親と弟の態度に呆れ返った。
「まったく、父上もロバートもいい加減にしてください。というか、なんでうちの子にはそんな風にならなかったんです?」
「可愛くないから?」
「クロエは可愛いじゃないですか!」
やはりエドワードも親馬鹿だった。
「そろそろやめてください。文官の方々がどん引きしてます」
さすがにサラはグランチェスター男子のわけのわからない暴走を止め、ロバートの肩をぽんぽんと叩いて床に下ろしてもらった。
「丁度、祖父様とエドワード伯父様がいらしたことですし、話を元に戻しましょう」
「ふむ。もっともだな」
ひとまずグランチェスター家のメンバーは執務室内のソファに着座し、すかさず執務メイドによってサーブされた飲み物を飲んだ。
「まず、そこそこ寄付金は集まると思います」
「サラのウソ泣きの威力だね」
「いいえ、お父様。ソフィア商会との取引が目当てです」
エドワードはふうっと息を吐きながら、苦笑した。
「いずれにしても、サラの手のひらの上で転がされているのを見るのは、以前の自分を見るようで実に心が痛む」
「本当にそんな風に思ってますか?」
「すまん、正直ちょっと愉快だ。私の苦しみをあ奴らも知るべきだ」
「商人に恨みでもあるんですか?」
「当然だろう。なにせ今の私は商人のせいで大きな負債を抱えているのだからな」
「買い物をしたらお金が無くなるのは当たり前です。無駄遣いしなきゃすぐに返済できるレベルですよ。そもそもグランチェスターの小侯爵なんですから。それと、商人たちを上手く利用するとお金を増やすこともできますよ」
「それは賂を受け取れということか?」
「まぁそういう増やし方もありますけど、私なら商人に投資する方を選びますね。たとえばソフィア商会に投資したら配当金がでます」
「ほほう」
「まぁエドワード伯父様は次期当主ですから、そのうち金の増やし方を教えて差し上げましょう」
「それは助かるな」
「あ、サラ。それは僕も知りたい。一応貴族家の当主になるんで」
「そうですね。では今度時間を取りましょう」
エドワードとロバートは頷いた。こういう素直なところは、二人ともそっくりである。
『きっと父さんも似てたんだろうな。三人が並んでるとこ見たかったな』
「…話を戻しますね。どれだけ寄付金が集まったとしても、すべての熱病患者を助けることはできないと思います。無償で医療を提供するような余裕はありませんから。祖父様の仰る通り、非情にならざるを得ない部分ですね」
「ほう。サラは泣かなくていいのか?」
「泣いてもいいですが、泣いたらグランチェスター家の財宝でも供出してくれるのですか?」
「お前は自分の涙まで売り物にする気か。まったく…」
グランチェスター侯爵は呆れたように深く息を吐きだした。
「寄付金の使い道ですが、錬金術ギルドと薬師ギルドがせっせと作っている薬や医療器具の費用で消えると思います。これを両ギルドで格安販売し、薬師たちに使ってもらうといった運用になるでしょう。現場での具体的な運用はそれぞれの薬師に任せるしかありませんが、本来は高額商品であるはずの薬や医療器具なので、暴利を貪る薬師がいるかもしれません。発見したら取り締まってください」
「わかった。騎士団と文官が協力して取り締まれるような体制を整えておこう」
近くで仕事をしていた文官たちは、グランチェスター侯爵の発言を聞くや否や、素早く騎士団との調整のために動き出した。もちろん執務メイドたちも同様で、グランチェスター領内で開業している薬師のリストを作成し始めた。いずれも実に優秀である。