熱病対策会議 1
その日、早朝からグランチェスター城内の執務棟にある会議室に集められたギルド関係者は、誰一人口を開くことなく重苦しい空気を背負っていた。文官たちの仕事場である執務棟には多数の会議室があるが、その中でもっとも大きな会議室である。
この場には商業ギルド、錬金術ギルド、薬師ギルド、冒険者ギルドの主要人物たちが勢揃いしており、騎士団長も数名の騎士を従えて着席している。そして、ここはグランチェスター領の執務棟であり、役付きの文官および書記の文官がいるのは当然である。
ピリピリとした空気が蔓延する中でも執務メイドたちは忙しく動き回り、参加者に飲み物を配膳して回っている。もちろん各人の前に置かれている資料を準備したのも、執務メイドたちである。
そこにロバートとサラが入室してきた。もちろんロバートはサラをエスコートしている。その後ろからはダニエルにエスコートされたソフィアが続き、次いでアリシア、アメリア、リヒトが入室した。なお、本日のゴーレムはソフィアだ。
最後に入室してきたのは、グランチェスター侯爵であるウィリアムと、小侯爵であるエドワードの2名だ。会議室にいた全員が起立してグランチェスター侯爵に頭を垂れる。
「構わぬ。皆、座ってくれ。今はそうした儀礼的な行動の時間すら惜しい」
グランチェスター侯爵の発言を受け、まずは息子二人と孫のサラが椅子に腰を下ろすと、他の参加者も一斉に腰を下ろした。
「皆も知っての通り、今年も熱病が発生している。毎年のことではあるが、今年は例年よりも時期が早く、大流行の兆しがあるそうだ。既にグランチェスター騎士団の寮で集団感染が確認されている。おそらく領都においても、そろそろ大量の患者が薬師の元に訪れることが予想される」
錬金術ギルドと薬師ギルドの関係者はグランチェスター侯爵の発言に驚いたりはしなかったが、その他のギルド関係者は顔色が悪くなっている。
「パラケルススよ、私よりも其方が説明すべきだろうな。皆に状況の説明を頼めるだろうか」
「承りました」
リヒトは立ち上がって、参加者に軽く会釈をする。
「私はパラケルススと呼ばれる錬金術師であり、薬師でもあります。そこにいる錬金術師ギルドのテオフラストスの曾祖父でもあります」
「なんと! パラケルスス殿はご存命であったのか! しかもその若い容姿から推察するに、妖精との友愛を結ばれた方ということでしょうか!?」
冒険者ギルドのジャンが身を乗り出すようにリヒトに尋ねた。
「仰る通り、私には妖精の友人がおります。しかも、40年程妖精の魔法で眠りに就いて居たおかげで、私の時は止まっていました」
「ある日突然姿を消したと伺ってはおりましたが…それは妖精の呪いで眠らされていたということなのでしょうか?」
「いいえ。私自身の意思で友人に頼んだのです。あまりにも長い時間を過ごし、私は疲れ果てていましたから」
「な、なるほど。ではお目覚めになったのは何故でしょうか?」
リヒトはくすりと小さく笑ってサラに目を遣った。
「実は、こちらにいらっしゃるサラお嬢様に叩き起こされました。私は少々眠り過ぎたようですね」
「それほど乱暴に起こしたつもりはないのですが…」
嘘である。アラタが開けなければ、ガラスドームを叩き割って起こすつもり満々だった。
「お陰で、今はソフィア商会お抱えの錬金術師であり薬師になっています」
「なんと! 錬金術ギルド所属ではないのですか?」
「あぁお若い方はご存じないかもしれませんね。私はアカデミーを卒業した錬金術師ではないのです。この国においては、自称錬金術師であり薬師と呼ばれる存在ですから、両ギルドに所属することはできません。そんな私でも構わないとグランチェスター領に招聘してくださったのが先代のグランチェスター侯爵閣下なのです」
驚いたように錬金術ギルドと薬師ギルドの関係者に目を遣ったジャンは、彼らがリヒトに崇拝するような視線を向けていることに気付いた。
「その才能をひとつの商会で独占するとは、何とも惜しい。グランチェスター領の、いや国家的な損失と言っても過言ではないでしょう」
「まぁ冒険者ギルドは随分と私どもを嫌っていらっしゃるようですわね。冒険者の皆様には、それなりに便宜を図ってきたつもりだったのですが…」
ソフィアは困ったような表情を浮かべつつ首を傾げた。
「あ、いえ。決してソフィア商会が悪いと言っているわけではありません。ただ、パラケルスス師の知識は広くアヴァロン国民のためにあるべきだと申し上げたいだけなのです」
「ジャンさん、自分の知識をどのように扱うかを決めるのはパラケルスス師です。私どもの商会に所属されてはおりますが、パラケルスス師が発見したことや発明したものについての権利は商会ではなく、ご本人に帰属しています。かつてグランチェスター領のお抱えであった頃の知識については、契約によりグランチェスター家の所有となっております。ちなみに、現在はサラお嬢様がその権利を相続されています」
「そ、そうなのですか」
ソフィアの説明をリヒトも肯定する。
「はい。私の知的財産権は、ソフィア商会が正式に保証してくださっています。もちろん書面でも契約を取り交わしております。こうした権利については乙女の塔で研究開発に従事されている他の方も同様だと伺っております」
乙女たちも静かに首肯し、ソフィアとリヒトの会話を認めた。
「しかも、グランチェスター家が権利を保有している過去の発見や発明についても、サラお嬢様は商業利益の一部を私に還元してくださっております。ソフィア商会とサラお嬢様の密接なつながりがあってこそ実現していると深く感謝しております」
「パラケルスス師。その件はあまり公にはしておりませんの」
「おっと、これは失礼」
実にわざとらしいやりとりであるが、これを機に探りを入れてくる面倒な輩にサラとソフィア商会の関係を明らかにしてしまおうという意図が込められている。リヒトには何故ソフィアの年齢をもっと上に設定しなかったのかと呆れられたが、いずれにしてもサラとソフィアの容姿の類似性は否定しようがない。だとするならば、下手に能力で変身していると思われないよう、こちらが用意した”設定”を押し通す方が良いとサラを含むグランチェスターのメンバーが合意したのが『ソフィアはサラの母方の親戚』である。
これに喰いついたのは商業ギルドのギルド長であるコジモだ。
「まぁ、我々もソフィア会長とサラお嬢様がよく似ていらっしゃることには気づいておりましたので、あまりお気になさらず」
「ふふっ。この容姿では隠せるはずもありませんね。遠縁のはずなのですが、驚く程似ておりますでしょう? 私とアデリアは姉妹のように育ったんですのよ」
ニッコリと微笑んでソフィアのゴーレムは、設定に沿った大嘘を並べる。人ではないので嘘をついても表情や態度が変わる心配もない。
「グランチェスターで商会を興された理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「私、他国にある商会で働きながらコツコツとお金を貯めてきたのです。いつか自分の商会を持つのが夢でしたから。そろそろ小さな商会を始めようかと思った矢先に、アデリアの訃報を聞き、慌ててグランチェスターに来たのです。アーサー卿と駆け落ちして結婚したことは存じておりましたので、サラお嬢様を引き取ろうと思ったのです。ですが、サラお嬢様は既にグランチェスター家に引き取られて幸せに暮らしていることを知り、挨拶だけして帰るつもりだったのですが…」
「私がソフィアを引き留めたのです」
それまで沈黙を守っていたサラが静かに言葉を続けた。
「ソフィアは亡くなった母にとても似ていて、離れがたかったのです。新たな商売を始めるという話を聞き、それならグランチェスター領で始めたらどうかと提案したのも私です。それと、少しばかり祖父様におねだりもしてしまいました」
「おねだり、ですかな?」
「はい。ソフィア商会をスムーズに設立できるよう、助けてほしいとお願いしたのです」
この発言により、周囲は一斉にソフィア商会にグランチェスター家が出資していることを改めて納得した。確かに商会の設立当初に限って言えば事実なのだが、出資金以上の金額をソフィア商会から借入していることを知っているのは、グランチェスター家の関係者と文官たちだけである。
そこにグランチェスター侯爵が割り込んだ。
「そうした些事は後で雀たちにでも語らせよ。今はそれどころではない」
この発言で、ギルド関係者たちは、これ以上ソフィア商会とグランチェスター家の関係性に触れることを、グランチェスター侯爵が好まないのだろうと納得した。が、グランチェスター侯爵自身は本当に些事だと思っていた。当然と言えば当然だ。嘘だと分かり切っているのだから。
「こ、これは失礼いたしました」
「うむ」
コジモが陳謝すると、グランチェスター侯爵も頷いた。
「すみません。私が余計な口を挟んだばかりに話が逸れてしまったようです」
ジャンも慌てて謝罪したが、その発言に乗るようにリヒトが話を再開した。
「いえ、ジャンさん。実は大きく逸れたというわけでもないのです」