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騎士団寮にて -SIDE サイモン-

『やべぇ、マジでおばちゃんすげぇ』


サイモンは錬金術師ギルドの寮母たちが応援に来てくれたと聞いて、てっきり寝込んでいる騎士の看病要員だと思っていた。しかし、寮母たちは情け容赦なく騎士のケツを蹴り飛ばし、ソフィア商会のゴーレムを顎で使いながら恐ろしい勢いで騎士団寮を掃除していった。


本来、寮の掃除は見習い騎士の仕事である。だが、グランチェスター騎士団の騎士見習いの多くは下級貴族の出身者であるため、身の回りのことは使用人に頼りきりであった。つまり、掃除のスキルがとても低い。


平民出身の騎士もいるが、騎士団に入れる腕前を持っているということは、剣術を習う余裕のある家庭に生まれたと言うことでもある。家の手伝いはしたことがあっても、掃除は母親や姉がやっていたというヤツばかりなのだ。


結果、騎士団の見習い大半は掃除が苦手である。当番制なので仕方なく掃除のようなことはするが、散らかっているごみを適当に集めて捨てることと、トイレ掃除くらいしかしない。トイレ掃除も適当にブラシで擦るだけである。


そんな騎士団寮にやってきた薬師の女は、寮の玄関で「臭い」と言い放ち、中に入ることを躊躇した。確かに入寮したばかりの新人には戸惑うヤツもいるが、数日もすればこの環境に慣れる。そもそも訓練でヘトヘトになれば、汚いだの臭いだのはどうでもよくなり、ベッドで横になれさえすればいいと思うようになる。


『この程度で引くとは。やはり女の薬師は駄目だな。そもそも女なんだから自称薬師だろうに』


サイモンは薬師としてのアメリアを認めず、パラケルススにだけ話しかけることにした。


だが、それがまずかった。アメリアの様子をよく見ておくべきだったと、サイモンは激しく後悔した。アメリアはソフィア商会のゴーレムと錬金術師ギルドの寮母の集団を呼び寄せ、片っ端から寮の掃除を始めたのだ。


共有スペースはもちろん、騎士たちの個室にも問答無用で押し入り、シーツや枕カバーをひっぺがしていく。その後ろから別のおばちゃんが錬金術師ギルドの開発した薬をベッドのマット、毛布、枕に噴霧し、さらに別のおばちゃんが同じ場所に魔道具をあてていく。なんでもダニ、ノミ、シラミなどの虫を薬で殺し、魔道具で乾かしながら虫の死骸を吸引しているのだという。


もちろん、他のおばちゃんたちも時間を無駄にしたりはしない。個室の中を片付けつつ、雑巾を掛け、床に湿った茶殻を撒いて箒で床を掃除した後にモップをかけていく。恐ろしい程のチームワークを発揮し、次々と個室を攻略していくのだ。


なお、サイモンでさえ『ちょっとは掃除しろよ』と苦言を呈することのある騎士の部屋では、ゴーレムが一斉に家具を運び出したかと思うと、数名のおばちゃんが床に這いつくばってクレンザーと思われる粉で床をゴシゴシと磨き始めた。その後、ワックスを掛けてからゴーレムが家具を元の位置に戻していた。


ぐずぐずと自室に立てこもった騎士もいたが、おばちゃんに一喝され、あるいは物理的にケツを蹴られてすごすごと部屋を出てくる。部屋から出た騎士は、そのままパラケルススの元に行って診断を受ける。熱病に感染していない者は即座に寮を出て本部に向かう手筈になっている。


診察を終えて感染していることが確認された騎士は自室に戻ることになるが、その時には既におばちゃんの掃除は終わった後である。ピカピカに磨かれた室内にあるベッドには、清潔な洗い立てのシーツが掛けられている。自分が横になることでベッドを汚してしまうのではないかと、自分の身体を拭きたいと申し出る騎士も多く、おばちゃんたちは盥にたっぷりとお湯を用意し、数枚の乾いた布と一緒に騎士に手渡していく。


なお、使い終わった盥はゴーレムが回収し、盥に残ったお湯は水洗トイレ用の大きなタンクに流し込まれていく。不思議なことにソフィア商会のゴーレムたちは、このトイレ用タンクの中に粉状の何かを放り込んでいた。サイモンが説明を求めたところ、この粉はトイレを洗浄するための薬品で、ついでなのでタンクも洗浄していると説明された。サイモンにはさっぱり理解できなかった。


ゴーレムたちはせっせとトイレを掃除し、タンクの水を惜しげもなく流していく。すると、微妙に流れが悪くなっていた下水管から、ゴポッという音が聞こえてきた。


『なんだかさっぱりわからねぇが、凄いことしてるようだな』


従兄弟のベンジャミンから『お前は脳味噌まで筋肉でできている』と言われるサイモンは、難しいことは無理に考えようとはせず、あるがままを受け入れる度量の広さを持っている。そんなサイモンの目には、トイレがみるみる綺麗になっていくことだけが理解できた。それぞれの個室やトイレの窓にはポプリの入った小さな小瓶が置かれ、爽やかな花の香りまで漂っている。香りが強いせいかサイモンは頭がズキズキと痛み始めた。


『まったく、トイレに花の香りだと? どうせあの自称薬師の女が手配したんだろう』


などとつらつらとサイモンが考えていると、不意にゴーレムがサイモンを捕まえて抱え上げた。


「おい、何をする放せ」

「サイモン卿はまだパラケルスス師の診察を受けていらっしゃいません。それと、おそらく発熱していらっしゃいます」

「はぁ? オレはなんともないぞ」


しかし、ゴーレムはサイモンを放すことなく、リヒトの前に抱えたまま連行した。


「おやサイモン卿。ゴーレムに捕まるということは、発熱していらっしゃいますね?」

「どういうことでしょうか?」

「このゴーレムに発熱している方がいたら優先的に連れてくるよう指示を出しておいたのです」

「ゴーレムに人の体温がわかるのですか?」

「はい。かなり細かい単位までわかるようにできています。本人が自覚するよりも彼らの方が正確ですよ」


すると我が意を得たとばかりにゴーレムがサイモンの体温を報告した。


「サイモン・ディ・ウォルト卿の体温は現在37.52度です。状況から考えると、これから急速に上昇する可能性が高いと推測いたします」

「私もそう思いますよ。サイモン卿、あなたは熱病に感染し、既に発症しています。今すぐご自身の部屋でお休みください」

「え、私は熱病なのですか?」

「はい」

「もしかして、死にますか?」

「運が悪ければそうなることもあるでしょう。まずは安静になさってください」


数時間後、サイモンは高熱を発してベッドの上から動けなくなった。頭は割れるように痛み、訓練で全力疾走を繰り返した後のように息が苦しい。ほんの少し前まで凍えるように寒かったのに、今は身体が熱くて仕方がない。


『オレ死ぬのかな。でも、綺麗な部屋とベッドの上で死ねるのは悪くない。これなら父上や母上がオレを迎えに来ても、イヤな顔をされずに済むだろう。そうか普段から掃除するって大切なんだな。あぁ…だけど、誰かこの部屋に来てくれないかな。どうせなら誰かに看取られて逝きたいなぁ』


熱のせいで、サイモンの思考はとりとめもなくぐるぐると回り、なぜか目尻から涙が流れ出した。


その時、カチャリと音がしてサイモンの部屋に入ってきた人物がいた。冷たい水の入ったボウルなどを乗せたカートを部屋の中に移動させ、心配そうにサイモンの顔を覗き込んでいる。


「お加減はいかがですか?」


『あ、確か彼女は薬師のアメリア嬢だ』


アメリアは固く絞った布でサイモンの顔を丁寧に拭い、魔道具で体温、血圧、脈拍などを計測していく。


「かなりお熱が上がってしまいましたね。頭痛も酷いですか?」

「かなり痛いです」


サイモンはコクリと頷きつつ、声を発した。だが、その声は自分のものとは思えない程に掠れて弱々しかった。


「少し身体を起こしますが、大丈夫でしょうか? 無理そうなら仰ってくださいね」

「大丈夫だと思います」


アメリアは細い身体に似合わず、ガタイの良いサイモンを力強く支え、ゆっくりと彼の身体を起こした。背中に枕やクッションをあて、近くに置かれていたジャケットを急いでサイモンに羽織らせる。


サイモンの身体が安定すると、アメリアは椅子をベッドの脇に引き寄せて座った。


「サイモン卿、お口を開けていただけますか?」


サイモンが口を開けると、アメリアは小さな棒のようなものを口の中に突っ込み、小さな魔石灯を近づけて口の中を覗き込んだ。


「あぁ。お喉もかなり腫れていますね。かなり痛むのではありませんか?」

「頭痛が酷いせいか、喉はあまり気にしていませんでした。確かに痛いです」

「お水は飲みこめますか?」

「おそらく大丈夫だと思います」


アメリアはカートから経口補水液の入った吸い飲みを取り、サイモンの背中を支えつつゆっくりと彼に飲ませていく。


「慌てずゆっくり飲んでください。飲める分だけで大丈夫ですよ」


サイモンは口の中に流れ込んできた少し甘い液体を、少しずつ嚥下していく。喉は確かに痛むが飲み込めない程ではなかった。それよりも水分を口にしたことで、酷く喉が渇いてたことを自覚する。


「あら全部飲めましたね。もう少しお飲みになりますか?」

「まだあるようでしたら是非」

「水分は十分に摂られた方がいいですからね。ところでサイモン卿、お尋ねしたいことがございます」

「何でしょうか?」

「とても熱が高いので、お熱を下げつつ、頭痛や喉の痛みを抑える薬を処方することもできます。ただ、副作用が出る可能性もありますので、服用されるかどうかはサイモン卿のご希望に沿わせていただきます」

「処方してください。自分の頭を捨ててしまいたいくらい痛むのです」

「承知しました。少しお待ちください」


アメリアはカートからアセトアミノフェンの入った薬包を取り出した。


「粉薬なのですが飲めますか? 甘くした水薬もありますが」

「子供ではありませんので、水があれば大丈夫です」

「それは大変失礼いたしました」


サイモンは自分に向かってアメリアがニコッと笑った瞬間、自分の心臓がどくりと跳ね上がったことに気付いた。アメリアは手ずから薬包を開いてサイモンに薬を含ませ、吸い飲みに入った経口補水液で薬を嚥下させていく。


「しばらくしたら熱も下がり始めるはずですが、副作用の確認のために何度か様子を見に来ますね」

「お手数をおかけして申し訳ありません」

「お気になさらないでください。私は薬師なのですから。それより、身体を拭いて着替えた方がよさそうですね。私が介助することは障りになりますでしょうか? おそらくお手洗いの介助も必要かと思うのですが」

「あ、えーっと…。さすがに若いお嬢さんにお願いしづらいです」

「では騎士見習いの方を後でお呼びしますね」

「よろしくお願いします」


そしてアメリアは再度経口補水液をサイモンに飲ませ、「お大事になさってください」と声を掛けて部屋を後にした。


しばらくすると騎士見習いの少年がサイモンの部屋を訪れた。彼はサイモンの身体を拭いた後にベッドのシーツを換え、サイモンが用を足した後のおまるの中身を捨てに行ってくれた。


再びベッドに横になったサイモンは、『アメリア嬢にだったら身体を拭いてもらっても良かったかもしれないなぁ』などとくだらないことを考え始めた。


そしてハタと気付いた。


『もしかしてアメリア嬢はオレ以外の騎士の身体を拭いたのか!?』


その可能性に気付いたサイモンは、なんとも言えない不愉快な気分になった。だが、薬が効いてきたのか強い眠気に襲われたサイモンは、そのまま眠りに落ちていった。眠る直前に考えていたことが影響したのか、サイモンはアメリアが優しい微笑みを浮かべながら自分の身体に優しく触れる夢を見た。


なお、夜中にアメリアが様子を見るためにサイモンの部屋に立ち寄ると、薬が効いて熱の下がったサイモンは実に幸せそうな顔で眠っていた。アメリアはふっと柔らかい微笑みを浮かべ、サイモンの顔や首などの汗を拭ってから立ち去った。

サイモン…ある意味最低だw

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― 新着の感想 ―
[一言] おまるは嫌だなぁ…昔虫垂炎で手術した時に、手術した日の夜中にお世話されるの嫌で痛い腹押さえながら自力でトイレ行ったら見つかってめっさ怒られたなぁ(;・∀・)
[気になる点] インフルエンザ脳炎なったことあるけど、脳が腫れてるとそもそも痛みを感じる神経まで鈍るから死ぬほどまで痛くなかったりする。 [一言] タミフル無かったら死んでたかな?
[一言] おまるの世話もしてすることになるのにw よく思い出すんだ見習いがしてくれたことを
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