ちゃんと助けるよ
ブレイズのいる客間からリヒトが出てきた。
本来、リヒトたちが秘密の花園の地下で食べる予定だったピクニックバスケットの中身は、キャレル近くにある大きなテーブルの上に並べられており、ハンナは急いで温かいスープを用意した。
サラは遅いブランチを食べたばかりだが、そろそろ正午になるため、他の人たちは空腹を覚える時間である。サラ以外は食事をしながら、それぞれの情報を共有する。
「ブレイズ君は熱病の初期のようだ。これから、もっと熱は上がるだろう。診察をしたわけではないから何とも言えないけど、ジェフリー邸で寝込んでいるトマス先生もおそらく熱病だと思う。この時期に流行する感染症だけど、ブレイズ君は子供って言うだけじゃなく、長年の栄養失調で成長が阻害されていたみたいだ。グランチェスター領に来てから生活や食事は改善しているが、それでも同じ年のクリストファー様と比べると小さい。もしかすると、重篤化してしまうかもしれない」
「傭兵団では何も食べられない日もあったと聞いております。夜中まで武器や防具の手入れを命じられたこともあったそうなので、そういうこともあるかもしれません」
スコットがリヒトにブレイズの過去について説明する。
「トマス先生の症状をきいてもいいかい?」
「高熱をだしていて、関節の痛みがあるそうです。それと酷い頭痛がするとか」
「予想通りだね。ジェフリー邸には後で往診に行くよ。看病するメイドたちにも注意事項を伝えないといけないし」
「わかりました」
スコットは頷いた。
「リヒト、もしかしたら看病するのはゴーレムの方がいいの?」
「ゴーレムは感染しないからその方が良いのは確かだけど、これから領内で大量の感染者が出るはずだ。薬などの配達、貧しい地域で炊き出しみたいな仕事をさせる方を優先すべきだろうね」
サラの質問に対し、リヒトはあっさりと恐ろしいことを言いだした。
「待ってリヒト。熱病が流行する兆しがあるの?」
「兆しもなにも毎年それなりに流行する感染症だよ。以前に農家の人から聞いたことがあるんだけど、麦の収穫が遅れる年は熱病が流行するって言ってたね。実証されてるようなことじゃないんだけど、言われてみると確かに過去に熱病が大流行した年は麦の収穫が遅かった気がするよ。ちょうど”今年みたいに”ね」
「なんですって!」
「文官、薬師ギルド、錬金術ギルドに連絡して確認した方が良さそうだ。グランチェスター城の敷地内にあるジェフリー邸で発症したってことは、おそらく領都での流行は始まっているだろう。サラ、君は商人として何をする?」
「急ぎ薬剤、食糧、清潔な布、毛布など必要な資材を揃え、要請に応じて配達できる体制を整えます。ところでこの熱病はインフルエンザですか?」
「まったく同じではないが、よく似ている。対症法もほぼ同じで問題ないだろう」
「ワクチンや特効薬は?」
「この世界にそんなものがあると思うかい?」
「リヒトの近くにはありそうな気がしますね。っていうか目覚めた時に自分で言ってたじゃない」
この答えには、リヒトも苦笑せざるを得ない。
「寝起きだったから、うっかり口をすべらせちゃってたね。おそらく特効薬は作れるよ。実際に臨床試験で効果があることも確認してる」
「それじゃぁ…」
「だけど、まだまだ臨床試験が足りてないんだよ。一般に流通してから深刻な副作用がでたら目も当てられない。そんな薬を君なら使うかい?」
リヒトの問い掛けをサラは真剣に検討した。
「いえ、私なら使いません。薬は時間をかけて検証すべきものだと思います」
「うん。オレもそう思う。特にブレイズのような子供に使うならなおさらだ。オレは眠りに就く前に熱病の特効薬の研究を先代のグランチェスター侯爵に報告したことがあるんだが、ギルは研究の資料だけ受け取って、『この研究はここまででいい』とオレの研究を止めさせたんだ」
「そういえば目が覚めてすぐにそんなこと言ってたね。でも、どうしてなんだろう」
「オレが薬師ギルドと錬金術ギルドを巻き込んで、大規模な臨床実験をすべきだと言ったのが気に入らなかったみたいだ。オレの研究をグランチェスター家の外に漏らすなということなんだろうね」
「そんな! 大勢の命がかかっているのに!」
「ある意味貴族らしいかもしれないね。熱病の特効薬であれば、王室にも恩を売れるかもしれない。大々的にレシピを公開されたら困ると考えても不思議じゃない」
「領民どころか国民の健康を取引材料にしたのね」
「サラだってギルの行動は理解できるだろう?」
「できるけど、私ならその方法はとらないわね」
サラの答えを聞いて、リヒトが興味深そうに身を乗り出した。
「それじゃぁ、慈悲深いサラお嬢様だったらどうする?」
「私に慈悲? 笑わせないでよね。王室に献上して独占されるようなリスクなんか取らず、複数のギルドや商会を巻き込んで大々的にレシピを公開するに決まってるじゃない。ここぞとばかりにソフィア商会の名声を高めるのに利用するわ。もちろん、公開前に必要な素材の買い占めや薬草栽培地域の買収はしておくけどね」
「うわぁ、ギルが可愛く見えてきたよ」
「もっと視野を広く持つべきなのよ。知識を独り占めして得られる利益だけを見ていると、もっと大きな利益を逃すことになるわ」
「ほうほう」
「それに、公共性の高いビジネス領域で露骨に暴利を貪ると商会の評価を大きく下げることになる。その場だけを見れば損をしているように見えたとしても、長い目で見れば公益に寄与する方が得なのよ。薬のレシピを公開することで助かる人が大勢いれば、助かった人たちはソフィア商会の潜在的な顧客になるわ。同じものを同じ値段で売ってるなら、好感を持ってる商会から買うのが人情ってものよ」
「なるほどなぁ。でも素材の買い占めとかは、暴利にならないの?」
「どうせ通用するのは最初だけだもの。本当に儲かる市場なら、すぐに別の商流が生まれるわ。だから研究開発費くらいは回収しておしまいって感じかな」
リヒトと話し込んでいるところに、アメリアとアリシアもやってきた。彼女たちも食事をしながら、ブレイズに対する今後の方針をリヒトに尋ねた。
「リヒトさん、ブレイズ君にはどんな薬を処方しますか?」
「まだ熱は上がりきってないから、今は下手に下げない方がいいね。だがそれも時間の問題だろう。念のため解熱剤を用意しておこうかな」
「冬に向けて解熱剤の用意はしてあります。ただ、子供の熱病に解熱剤を使用すると、副作用が出てしまうことも多いので安易に処方できません」
「うん。わかるよ。アメリアはいい薬師だね」
先程のサラとの会話を思い出して、リヒトは困った表情を浮かべる。
「一般的にアヴァロンで使用されている解熱剤は、柳の樹皮から抽出するよね?」
「はい」
「他には?」
「ちょっと高いですが、輸入品のキナの樹皮、牛黄、熊胆なども利用されます」
「よく勉強してるね。ただ、どれも子供の熱病では使うべきではないんだ」
「けいれん発作や異常行動が見られるからですか?」
「うん、症状としてはそんな感じだね。これは脳に異常が出るからなんだ」
「わかります」
「じゃぁ何を処方すればいいのかって話になるんだけど、実は普通の方法では熱病の対症療法として利用できる解熱剤は作れないんだ。だから副作用が出るかもしれない危険な薬を処方するか、薬を処方せずに様子を見るしかない」
「今までのやり方は間違っていたのですね…」
「必ずしも間違いではないよ。ただ、副作用が起きる可能性が高い。それはどんな薬でも同じだよね」
「はい」
「だから、どうしようもないほど高熱にならない限り、解熱剤は飲ませるべきじゃないんだ」
「でも可哀そうですよね。あんなに高い熱を出して苦しそうにしてると」
「オレもそう思う。だから、時々ちょっとだけズルをしてるんだ」
「ズルですか?」
リヒトは空間収納から粉の入った大きな瓶を取り出した。
「本来は禁じ手だと思うんだ。コレは今のところ、オレしか作れないから」
「え?」
「これは魔法で合成した魔法薬なんだ。しかも、これを作れるようになるためには、オレの前世の知識が不可欠なんだよ。たぶんサラでもコレは作れないと思う」
名前を呼ばれたサラは、粉薬を見ながらボソッと呟いた。
「まさかリヒト、それってアセトアミノフェンじゃないわよね?」
「お、サラ正解。意外と詳しいね」
「だってインフルエンザの時は鎮痛剤飲んじゃダメって言うじゃない。大丈夫なのはアセトアミノフェンだけって聞いたことあるくらい」
「まぁそういうこと。これをオレしか作れないのは、前世の知識のおかげだね。化学、薬学、医学の知識がないと魔法で再現できないからね」
「リヒト、私のこと言えないレベルでチートじゃない。自重どこいったのよ! まさか他にもいろいろ薬剤を抱えてるなんて言わないわよね?」
「そこはノーコメントで。普段は仕舞いこんでるし、滅多なことじゃ出さないから安心してくれていいよ。でも、今のブレイズ君はちょっとヤバい」
「そんなに?」
一気にその場にいた全員の表情が変わった。
「何年も酷い生活してたんだろうね。見た目はちょっと小さい子供って感じに見えるかもしれないけど、内部的な損傷がまだ残ってるんだ。蹴られたり殴られたりといった暴力が日常的に行われていたんじゃないかな。そこに栄養失調や睡眠不足が重なってたんだ。生き延びて来られた方が奇跡だと思う」
「彼の火傷を治癒するときに、てっきり全部治したつもりでいたわ」
「表面は確かに綺麗に治ってるよ。でも、彼の左腕は骨がズレたまま固まっている個所があるし、足も走ったら少し痛んでると思う。本人は言わなかった?」
「ブレイズは兄の僕にすら痛いとは言わなかった」
「おそらく、ブレイズ君自身が痛みに慣れてしまっているんだ」
「酷い…」
「可哀そうに、内臓にも損傷が残ってるんだ。サラ、熱病には治癒魔法効かないけど、身体の損傷には効果があるから、先に治癒魔法でブレイズ君を治してあげるべきだと思う。オレも治癒魔法は使えるけど、魔力量が多いサラがやる方が確実だからね」
「リヒトってそんなに魔力量少なくないよね?」
「禁じ手なのはわかってるんだけど、オレは何かあったときのために、薬を作る魔力を残しておかないといけない予感がしてるんだ」
「確かにそうかもしれないね。それじゃぁブレイズの治療は私がやる。トマシーナの魔力も私が供給した方がいいかな?」
「そうしてもらえると助かる」
「わかった」
突然、司書のゴーレムが声を発した。
「サラお嬢様、リヒト様、ブレイズ様の様子を診てください。部屋は暖かいのに寒さを訴えており、身体の痛みもあるようです」
「どうやら本格的に熱が上がってきたらしいな。アリシア、悪いけど経口補水液を作っておいてくれないか? サラが寝込んでるときに覚えたろ?」
「任せておじいちゃん」
「アメリアは一緒に来て。この薬の使い方を説明するから」
「はい」
「サラもおいで。まずは身体の損傷を治療してしまおう」
「わかったわ」
スコットも立ち上がったが、リヒトが押し留めた。
「感染する可能性は少しでも下げた方がいい。心配だろうけど、ブレイズ君のことは任せてくれないか?」
「わかりました。弟をよろしくお願いします」
スコットは不安そうな表情を隠すこともできず、リヒトにそっと頭を下げることしかできなかった。リヒトはそんなスコットの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。ちゃんと助けるよ」
それだけ告げると、サラとアメリアを従えてブレイズのいる客間へと向かった。