初雪の日の出来事
「サラお嬢様、どうやらご学友たちが到着されたようですよ」
マリアに言われてドアの方に振り向くと、丁度スコットたちが部屋に入ってくるところであった。
「おはようサラ!」
「おはようスコット、ブレイズ」
「サラ、外は初雪がチラついてきたよ」
「とうとう降り始めたのね。グランチェスター領で冬を迎えるのは初めてだから、ちょっとドキドキするわ」
スコットはニヤッと笑いながら、ブレイズの肩を叩いた。
「雪が積もったら、広場では雪像づくりが始まるんだ。今年は僕たちも何か作ろう!」
「そんなイベントがあるんだ」
「サラは魔法でちゃちゃっと作っちゃいそうだな」
「うーん。なんなら雪像じゃなくて氷像にしようかな」
「サラって絵は壊滅的だけど、像を作るのは大丈夫なの?」
ブレイズは心配そうな表情を浮かべた。
「ゴーレムは作れてるから大丈夫だと思うんだけど」
「あのさ、誰か特定の人物をモデルにしないで想像だけで生身のゴーレム作れる?」
「え、どうだろう。やったことないけど」
サラはゴーレムユニットの予備を取り出し、想像だけで女性型のゴーレムを成型しようとした。
……が、五分後、サラは二度とモデルのいない状態でゴーレムは創らない決意をした。
「たぶん、私は生身のゴーレムを創るとき、無意識にモデルを解析してるんだと思う。だから凄く正確に成型できてるみたい。トマシーナのモデルは男性のトマス先生だけど、そこから女性の姿をかなり正確にイメージしてるんだと思うわ」
そして、サラのゴーレム成型をすぐ近くで見てしまったスコットとブレイズは、顔を真っ青にしながらサラの意見にこくこくと無言でうなずいた。夜に思いだすとトイレに行けなくなりそうなナニカを見てしまったらしい。
さすがに申し訳なくなったサラは、マリアに頼んで二人にもたっぷりの温かいミルクティを淹れてもらうことにした。なお、マリアはサラのゴーレムを見ても平気だったらしい。その理由を尋ねたところ、
「え、グランチェスター城で働いていると、色々なモノを見ますから、いちいち驚いていられませんよ」
と、明るく返答されたので今度はサラの方が固まってしまった。
『500年以上の歴史がある古城だしね。そりゃぁいろいろいるか…』
サラは深く考えることを放棄した。
「あー、雪かき必要になるよね?」
「そうですね。私はサラお嬢様と一緒にグランチェスター領に来るまでは王都邸にいましたので、実際にこちらの除雪作業に加わったことはないんですけどね」
「毎年大変なんだよ。グランチェスター城は広いから、重要な部分だけ除雪して後は放置するんだ。ちゃんと雪は自然に屋根から落ちるようになってるし、落ちた雪は凍らない用水路に勝手に落ちるような仕組みになってるんだ」
「へー。ちゃんとそういう風に設計されてるんだ」
「用水路を整備したのは始祖のカズヤだ。いや、本名はヘンリーって言うんだけど、グランチェスターの男子はみんなカズヤって呼ぶんだよ」
スコットがしみじみと言う。
「でも、雪深い地域なのに、なんで用水路は凍らないの?」
「用水路を暖める大掛かりな魔道具が城に設置されてるんだよ。冬になると魔道具を作動させて用水路を暖めるから、その熱で融雪するんだ」
「へー」
「結構高い温度のまま領都まで流れていくから、領民も暖を取ったりするらしいよ。雪の他にも城の排水が用水路を流れるけど、排水は用水路に流す前に浄化槽を通るからそれほど汚れた水でもないんだ」
「やっぱりカズヤはそっち系かぁ。ちなみに魔道具とかの資料は?」
「領主が管理してる。直系の継嗣までしか閲覧できないから、僕たちは話をちょっと聞けるくらいだね」
「そういう公共性の高い技術は、隠さない方が発展すると思うんだけど」
「それはグランチェスター家の当主に言って」
「ふむ…祖父様を口説き落とせば資料閲覧させてくれるかな」
「私もぜひ拝見したいです」
トマシーナも興味津々といった風情である。いや、正確に言えばマギが資料を見たがっているというべきだろう。
「まぁ祖父様に聞いてみるしかないわね。そろそろ訳の分からない家訓も変えた方が良い気がするし」
「転生者に絶対服従ってやつ?」
「それそれ。その理屈でいくと、祖父様はリヒトにも服従しなきゃいけないじゃない?」
「ははは。確かにそうだね。あ、僕もか」
「もしかしてオレも養子になったからには、サラに絶対服従?」
「あなたたち、そういうおかしなこと言うのやめてよね」
「僕はサラにだったら服従してもいいけどなぁ」
「オレはどうだろう…。できれば普通に接していたいかなぁ」
スコットとブレイズは家訓について真剣に考えだした。
「そんな無駄なことを考えなくてもいいわよ。あなたたちを服従させたいなんておもってないもの。友達でいいじゃない!」
「友達…うーーーーーん。僕はもうちょっと違う関係が良いなぁ」
「オレは友達でも良いけどな。あ、でも一番仲の良い友達がいい!」
話題が人間関係に及んだことで、サラはこの場にトマスが居ないことを不思議に思った。てっきり馬車を停めてから二階に上がってくるのだと思っていたが、どうやら今日はトマスが来ていないようだ。
「今日、トマス先生は?」
「風邪ひいて寝込んでるんだ。だからジェイン先生と国語の文法をおさらいする予定」
「あらら。それはお気の毒ね。急に気温が下がったから、グランチェスター出身者じゃないと辛いのかも。私も今日は凄く寒い日だなって思う」
「これくらいで音を上げてたら、グランチェスターで冬は越せないよ。それに、サラは身体強化が使えるんだから、代謝を上げれば寒くなくなるはずだよ」
「その手があったか!」
「知らなかったのかぁ。父上やダニエルは教えてくれなかったの?」
「たぶんスコットと同じで、私なら知ってると思ってたんじゃないかな」
「あり得る」
ここまでスコットと話したところで、サラはブレイズの異変に気付いた。先ほどからブレイズの発言が少なく、いつもよりも大人しい気がする。
「今日はブレイズが大人しいわね。何かあったの?」
「何もないけど、少しだけ頭が痛い」
よく見ればブレイズの顔が赤くなっている。サラがブレイズの額に手をやると、明らかにブレイズは熱かった。
「ちょっとブレイズ。あなた熱があるわ!」
「誰か客間の用意をして頂戴。マリアは戻ってる?」
ちょうどお茶を淹れて戻ってきたマリアは、サラが慌てていることに気付き、ティーポットを手近なテーブルに置いて駈け寄った。
「どうされました?」
「ブレイズが熱を出したの。いま、他のメイドに客間の用意をさせているけど、これからどうしたらいいかしら?」
「まずはサラお嬢様が落ち着いてください。トマシーナ、申し訳ないのだけどリヒト様たちの傍にいるゴーレムに連絡とってもらえるかしら」
「既に連絡済みです。こちらに向かっています。リヒト様は途中でアメリア様にもお声掛けしてくださるそうです」
「それじゃぁ、私たちは待機していればいいわね。念のため多めにお湯を用意しましょう。ブレイズ様、歩けますか?」
マリアはブレイズに声を掛け、その反応を窺った。
「そんなに大袈裟にしなくても大丈夫だよ。ちょっと頭が痛いだけなんだ」
ニコリと笑いながらブレイズは答えたが、呼吸が明らかに早くなっており声も弱々しい。
「正確な診断はリヒト様やアメリア様にお任せしますが、明らかにブレイズ様は体調を崩されています。お熱も高いですよ。ひとまず客間で横になりましょう」
コクリと頷いたブレイズは、それまで座っていたソファから立ち上がろうとしたが、そのままふら付いて倒れそうになった。それをトマシーナが受け止め、そのまま横抱きにして客間の方へと歩いていく。
「ノアール、そこにいる?」
サラはブレイズの友人である黒い狼の妖精を呼んだ。
「ブレイズは具合が悪そうだな」
「急に寒くなったから風邪かもしれないわね。リヒトに診てもらうつもりだけど、念のためジェフリー卿に伝えてもらえるかしら?」
「承知した」
サラはスコットに向き直った。
「スコット、あなたも一緒に感染している可能性があるから、念のためブレイズの後にあなたも診察をうけたほうがいいわ。トマス先生も発熱で寝込んでいるなら、普通の風邪じゃない可能性も考慮しないと」
「それはサラも同じだろ」
「確かにそうね。私も診察を受けるわ。あとは手洗い、うがい、消毒を徹底しないと。あ、マスクを作ったほうが良いかもしれないわ」
「サラにかかると、よくわからない知識がいっぱい出てくるよね」
「要するに感染を予防しないとねってだけよ」
「ブレイズの症状が酷いようなら、乙女の塔で預かったほうがいいかもしれないわね。今日は馬で来たのでしょう?」
「うん」
「馬車を出すこともできるけど、今日は動かさない方がいいかもね。ここには薬師たちがいるから安心だし。あ、クロエとクリスには帰ってもらった方がいいかも。感染症なら近づかない方が良いわ」
サラは手近で作業していた内勤のゴーレムを本邸まで走らせ、こちらの現状を報告してクロエたちが感染しないよう乙女の塔への出入りを差し止めた。
そこにリヒトが駆け込んできた。後ろにはアメリアとアリシアもいる。
「患者はどこ?」
「一番東側の客間です。まだ部屋は暖まりきっていませんが、暖炉には火を入れてあります。暖炉には、大きなお鍋をぶら下げてお湯を沸かし続けております」
マリアが落ち着いて答えると、リヒトは頷いてブレイズが寝かされている客間に向かった。リヒトは歩きながら布製のマスクを空間収納から取り出し、装着している。どうやら事前にリヒトが指示していたらしく、客間の前ではトマシーナが手洗いの桶を持って立っていた。
『あ、やっぱり手洗いとマスクは有効か』
サラは急いで自分の空間収納に収まっている白い布を、変身の時のドレスと同じ要領でマスク状に成型した。30枚程一気に作り終えると、スコットとメイドたちに配布して回る。
「感染症の可能性もあるから、ひとまずそれを付けて作業してくれるかしら?」
「承知しました」
「ところで聞きたいのだけど、もしかして熱病が流行ってる?」
「グランチェスター城内にもそれなりの人数が居ます。おそらく領都ではもっと多いでしょう」
「毎年、冬になるとこんな感じなのかしら?」
「そうですね…確かに増えますし、重篤化すれば死者も出ます」
「わかったわ。ありがとう」
こうした熱病にメイドたちも慣れてはいるようだが、不安の色は隠せなかった。おそらく重篤化する患者も少なくないのだろう。
「スコット、少し暇になっちゃったね。でもリヒトとアメリアは優秀だから大丈夫よ」
「サラ…僕の母上は熱病で亡くなったんだ。僕は幼かったからはっきりとは覚えていないけど、やっぱり頭が痛いって言ってた気がする」
「そうだったんだ」
スコットはしょんぼりと肩を落とし、トマシーナに抱えられてブレイズが出ていった扉を見つめている。
「母上が倒れた時、父上は侯爵閣下に随伴して王都に行ってたんだ。父上が戻ってきたときにはもう母上の意識はほとんどなくて、言葉を交わすこともできず、ただ手を握り締めることしかできなかったんだって」
「そっか…。それはジェフリー卿もスコットも寂しいね。辛かったよね」
「治癒魔法は熱病には効果がないって知ってたけど、それでも父上はオルソン令嬢に治癒魔法を使って欲しいって依頼をしたんだ。ちゃんと彼女は来てくれたんだよ」
「うん。お母様ならそうするだろうね」
「お陰で母上の症状はちょっとだけ改善して、一度は意識を取り戻したんだ。だから父上と僕は母上と最期のお別れをすることができた。治癒魔法で熱病を治せないことはわかってたから、少しの間でも症状を改善してくれたオルソン令嬢には感謝しかないんだけど、でも彼女は自分にもっと力があれば助けられたかもしれないって、ずっと泣いてたことを覚えてるよ。後になって父上は、彼女に酷なお願いをしてしまったと後悔してた」
「お母様なら、頼まれなくても話を聞いたら来てたと思うよ」
「そうだね。優しい方だから。オルソン令嬢が治癒魔法を使った時の神々しさを今でも覚えてるよ、僕の初恋でもあるしね」
遠い目をしながらスコットは柔らかい微笑みを浮かべた。彼の母親が亡くなったのは10年程前と聞いている。スコットは幼児のはずで、レベッカの方もロイセンとのゴタゴタが解決した直後のことだろう。
「随分早い初恋ね。じゃぁお父様との婚約はガッカリ?」
「今はサラがいるから大丈夫。そろそろ僕と婚約する気にならない?」
「うーん。その気持ちに応えるのは難しそう」
「やっぱり父上の方がいいのかぁ。容姿ならそっくりになると思うけど」
「知っての通り私は転生者で、中身はお母様よりも年上だもの。スコットはどうしても子供に見えちゃうのよ」
「父上と同じ年齢でなくなったんだっけ?」
「うん」
「トマス先生も子ども扱いしたんだろ? 凄い落ち込んでたよ」
「もうちょっと言い方あったよね。悪いことしちゃった気がする」
「まぁ、今は僕がフラれたわけだけどさ。でも僕もトマス先生も諦めたわけじゃない」
「え、そうなの?」
「僕たちだっていつかは大人になる。サラがそんなに余裕でいられる時間は短いと思うけどな」
「ちょっと怖くなってきたわ」
「それに、父上はあっという間に年寄りになるはずだし」
「年齢を重ねてもジェフリー卿はカッコいいと思う!」
「そういえば、ブレイズが大人になった姿は見たよな。めちゃくちゃ美形だった。あれで中身が伴ったらとんでもなく強力なライバルだよ」
「確かにビックリするくらい美形だったね。ノアールに言わせると、実の父親そっくりらしいよ」
「へー。さすが王族って感じなのかね」
ふっとスコットは真剣な表情を浮かべた。
「だったら早く元気になって、僕たちをやきもきさせてくれよな…」
やはり兄は弟のことが心配で仕方ないらしい。