改めて優秀さに驚く
リヒトとテオフラストスが出ていくと、一気に図書館内が静かになった。
「朝から父がごめんね」
「アリシアが悪いわけじゃないわよ。どっちかっていうと、アレはリヒトの怠慢だと思う」
「でもおじいちゃんの気持ちもわかるんだよね。正直、あれは鬱陶しい」
アリシアはリヒトのことを『高祖父様』と呼んでいたが、リヒトが堅苦しいと主張したため、結局『おじいちゃん』で落ち着いた。
「さすがモテモテのアリスト師が言うと説得力あるわね。いまや王室も認める魔石研究の第一人者だし?」
実はアカデミーの教授陣が更迭された後、正式に国王とアカデミーの学長の連名で謝罪文が届いた。一度、アリシアを招いてアカデミーで会合を持ちたいという依頼もあったのだが、王命ではなくアリシアの意思を尊重するとのことだったので、今のところ返事を保留している状態だ。
「それも半分以上はおじいちゃんの研究だよ。シュピールアだって実際の発明者はおじいちゃんだし」
「でも、リヒトが作ったのは、話した内容を記録しておく魔道具でしょ?」
「原理は同じだもの」
「シュピールアは記録と再生が別の魔道具になってるじゃない。元々はひとつだったのを二つに分けたのはアリシアでしょ。そういう柔軟な発想は大事だと思う」
実はシュピールアの元になっているのは、リヒトが考案したボイスレコーダーのような魔道具である。だが、シュピールアは再生に特化することで必要とする魔力量を大幅に削減しているのだ。
商品として販売する上でも、再生に特化している方が都合が良いとサラは考えていた。近々ソフィア商会から記録用の魔道具のレンタルを検討しており、既に楽団や吟遊詩人などから問い合わせがきている。場合によっては彼らにコンテンツ制作を依頼し、ソフィア商会から販売することを検討しても良いかもしれない。
「魔石研究にしたって、基礎理論はおじいちゃんの功績だよね。それに、魔石の実験をあんなに自由にさせてもらえるのも凄いことだと思うんだ。サラが資金も魔力もたくさん注ぎ込んでくれたからできたことばっかりだもん」
「商品開発にお金を使うのは当たり前といえば当たり前なんだけど」
「規模が違うもの!」
「あはは。でもソフィア商会がこんなにお金を自由に使えるのは、魔石を自由に作れるようになったってことも大きいんだよね。そう考えると鶏が先なのか卵が先なのかっていう不毛な話になるから、一緒に頑張ったってことでいいかも」
サラとアリシアがくすくすと笑っているところに、マリアがサラの朝食を乗せたトレーを運んできた。
「お二人とも楽しそうですね。こちらにいらっしゃったようなので、朝食も運んできました。アリシア様もお茶を一緒にいかがですか。今日はハーブティではなく、暖かいミルクティを淹れたんです。たっぷりありますよ」
「では、遠慮なく」
気を利かせたマリアは、テオフラストスが帰路についたことを確認した後、サラの朝食と一緒にアリシアのためのティーフードも多めに用意していた。マリアの後ろからトマシーナが菓子や軽食などを運んでくる。
サラは今日の朝食がエッグベネディクトであることに気付いてテンションを上げた。実は前世からサラの好物でもあった。更紗時代のお気に入りの店のレシピをハンナに教えたところ、工夫してもっと美味しいものに仕上げてくるという素晴らしさである。イングリッシュマフィンのようなパンから焼いてくれているハンナには頭が上がらない。もちろんオランデーズソースも絶品だ。サラは完全にハンナに胃袋を掴まれていた。
ちなみに、鶏卵を生や半熟の状態で食べられるのは、この乙女の塔だけである。生みたての卵をサラが魔法で洗浄し、アリシアとテレサが一緒に作った業務用冷蔵庫で保存しているのだ。なお、業務用冷凍庫もある。
ハンナの方も未知のレシピをもたらし、さまざまな食材を思う存分使わせてくれるサラを女神のように崇拝し始めていた。ある意味、素晴らしい両想いである。最近のサラは、本気でどこかの農家と専属契約をするべきか悩むくらい、乙女の塔の食事は最高に美味しかった。
「そういえば、今日は授業のある日よね?」
「仰る通りです。もうじき皆様もこちらにいらっしゃると思いますよ」
「そう考えると、私ったら随分寝坊したのね」
「早起きのサラお嬢様にしては珍しいですよね。今朝は運動もされていませんし」
「昨日、夜更かししちゃったから」
「そうですねぇ。お帰りはかなり遅かったですよね。夕食というより夜食と呼んでも差し支えない時間でしたし、スープにお顔を突っ込まれるのではないかと心配するくらい眠そうでいらっしゃいました」
「そのあと、お風呂で半分くらい寝てたよね」
「半分というか、完全に寝てましたね。トマシーナが力持ちで助かりました」
「お力になれて光栄です」
マリアがトマシーナに感謝を示すと、トマシーナはニコリと微笑んだ。実に自然な笑顔であり、言われなければゴーレムであることに気付く者はいないのではないだろうか。
「それにしてもサラお嬢様。程々になさいませんとお身体を壊されます」
「わかっているわ。ちょっと昨日は無茶だったと私も思う」
「いつもそのように仰せになりますが、お仕事は増える一方ですわ」
「そうなんだよね…もう少し効率よくしたいとは思っているのだけど」
最近、サラの仕事量をマリアが指摘することが増えている。理解してはいるが、商会の仕事は増える一方であった。しかも、これから小麦市場で派手な争いをすることを考えると、あまり暢気に構えているわけにもいかない。
グランチェスターは、アヴァロン国内でも寒い地域として知られている。今ではすっかり社交の一部となっているが、この時期に狩猟大会を開催する理由は越冬のための冬支度という意味合いも大きい。
こうした気候であるため、小麦の収穫時期も他の地域とは異なっている。アヴァロン国内の多くの小麦は夏の初め頃に収穫するのだが、グランチェスターの小麦の大部分は夏の終わりから秋に収穫する。グランチェスターの冬は寒さが厳しく、越冬できない種類の麦が多い。融雪を待って種を撒くことになるため、早くても夏の終わりにならなければ収穫できないのだ。
今年、グランチェスター領の小麦は豊作だったが、例年と比べると収穫時期がやや遅れた。グランチェスター領に来たばかりのサラは気付かなかったが、小麦の生育が遅れていることに気を揉んでいた小麦農家も少なくなかった。収穫が遅れていることは農業担当文官のポルックスとワサトから聞いてはいたが、アヴァロンの穀物蔵と呼ばれるほどの穀倉地帯であるグランチェスター領で小麦の収穫が遅れたことは、小麦市場に少なからず影響を与えていた。既に小麦の高騰が始まっているのだ。
「ねぇ、トマシーナ、あなたたちは魔石を使ってマギと通信しているのよね?」
「然様でございます」
「通信可能な距離ってどれくらい? それと、どれくらいの情報をどれくらいの速度でやりとりできるの?」
「情報量を示す単位に何を使えばいいのかわかりませんので、どう表現すべきか悩ましいところですね」
「あなたたちは、情報をどんな形式で扱っているの?」
「わかりやすく言えば、「ない」「ある」「どちらでもある」という状態を示す信号に変換しています」
『量子コンピュータ!?』
「アリシアはちゃんと理解できてた?」
「理解できてなかったらマギは作れないわよ」
「うーん。ここに天才がいたわ!」
サラは少しだけ頭を抱え、自分の領域を超えた難しいことは専門家に任せることにした。
「軽くショックは受けたけど、気を取り直すわ。複式簿記の教本の内容をやり取りするんだったらどれくらいかな?」
サラがベースを作成し、最終的にトマスにブラッシュアップしてもらった教本は、文字数にしておよそ120万文字ある。わかりやすいように図版も多めに入っているので、データ化すればそれなりの容量になるはずだ。
「内容を読み込む処理の時間は除いて構わないのでしょうか?」
「ええ構わないわ。単純に通信時間だけ」
「内容のやり取りだけなら0.01秒を切ると思いますが、紙面全体を画像として送るのであれば0.05秒から0.1秒といったところでしょうか」
「距離は関係ないの?」
「領都内であれば誤差の範囲かと」
「あ、そ」
マギやゴーレムたちが予想以上に高性能なせいで頭痛がどんどん増していくことに気付いたサラは、それ以上深く考えるのを放棄した。とはいえ、ゴーレムをもっと業務に活用した方が良いのは確実で、バックアップを含めたディザスタリカバリを検討すべき時期に来ていることは理解できる。
「それにしてもアリシアはとんでもないもの作ったわね」
「だから基礎理論はおじいちゃんだってば。それに、行き詰った時、発想を転換してくれるのは大抵サラのアイデアなんだよね。私一人じゃ何もできない気がして自信なくす」
「私のは適当なアイデアだけど、そこから推論して証明して、きちんと技術や理論に落とし込むのは簡単じゃないわ。アリシアはないものねだりね。自分の才能に無頓着じゃないかしら」
「才能への無頓着さでいうなら、アメリアには絶対負ける」
「あー、確かにそうかも。アメリアはもうちょっと自分に自信を持った方がいいよね。それにしても、偶然とはいえ乙女の塔は優秀な女性ばかりだわ。私って凄く幸運に恵まれてると思わない?」
「それは私の台詞よ。こんな凄い場所で好きなことを好きなだけやれて、しかもビックリするくらい高給なのよ!」
「あ、年末が近いからもうすぐボーナス出るよ」
「ぼーなす?」
「給料とは別の賞与のこと。商会は儲かってるし、従業員にはちゃんと還元すべきだもの。年末は物入りな人も多いと思うから、支給しようと思ってる。ちなみに従業員それぞれの査定は17号がやってるから公正よ。査定してることは秘密にしてるけど」
アリシアとアメリアのボーナスは、ソフィア商会の売上と密接にリンクしているため、ものすごく高額になることは間違いないだろう。テレサも乙女の塔の一員ではあるが、ソフィア商会の従業員としては登録しておらず、商会が契約している工房の主である。リップスティックの容器を始めとする金属加工も地味に売り上げを伸ばしており、テレサの工房もかなり潤っている。
なお、リヒトは年俸制だが、なんらかの発見や発明によってソフィア商会に利をもたらせば、インセンティブを支払うことになっている。研究費に上限は設けないというだけで、リヒトは鼻の穴が限界まで広がる程興奮していた。イケメンが台無しである。
「ねぇ、ソフィア商会で働きたいって人いっぱいいるんじゃない?」
「今のところ求人は出してないのだけど、この先支店を出すことになるから、雇うことになるでしょうね。たぶん支店を出した領地で雇うことになると思う」
「不正を働く人もいるんじゃないかな」
「支店にはもれなくゴーレムが付いてくるのに? それはいい度胸だと褒めてあげるべきじゃないかしらね」
「うわ、怖っ! でも、他領だとマギと接続できないんじゃないかな」
食事を終えたサラの食器を片付けつつ、トマシーナはにこやかな笑顔を浮かべた。
「いま、リヒト様は秘密の花園の地下でマギの冗長化を検討されています。後でサラお嬢様には、大量の魔石を要求するでしょう。マギが推奨しているのはアクティブ・アクティブな方式ですが、リヒト様は難色を示されていますね。せめてストレージだけでも、早急にバックアップの仕組みを検討すべきという点では合意しています」
「マギでアクティブ・アクティブな構成にしたら、六博士が揉めるの?」
「いえ負荷分散しながら冗長化しているだけなので、三博士のままです」
「分散化を検討しなきゃいけないくらい負荷かかってる?」
「いまのところ、リソースの10%も使っていません。ですがディザスタリカバリを目的とするのであれば、それぞれのマギは物理的に離れた場所に置くことになります。両者の通信がなんらかの理由で途切れてしまった際には、それぞれが独立したマギとして稼働を継続する方が良いという判断です。突然ゴーレムが停止したら困るのは、ソフィア商会ですから」
「なるほど。そういう理由なら、マギの台数をもっと増やすべき?」
「マギを他人に知られてしまうリスクとセットですがどうされますか?」
「……ひとまずは2台だけにして、中継器を考える」
「今の段階では賢明な判断でしょう」
サラとトマシーナの会話を横で聞いていたアリシアは、突然ガタリと椅子から立ち上がって叫んだ。
「なんでおじいちゃん、一人でそんな楽しいことやってるのよ! 誘ってよね!!」
アリシアはカップに残っていたお茶をグビっと一気に飲み干し、コートを着こんで慌てて秘密の花園に走っていった。
「今日は本当に慌ただしい日ね」
「本当にそうですね」
サラとマリアはアリシアが出ていった部屋で、苦笑を浮かべながら呟いた。