つくづく弱い - SIDE ジェフリー -
18号がソフィア商会の本店に戻ると、ジェフリーは執務室に戻ってきた部下たちを早々に帰宅させて一人物思いに耽った。
急を要する連絡ではないのは確かだが、ダニエルがこんな時間に伝言を依頼するくらいには重要事項である。そしてジェフリーは、この件をどこまで明らかにすべきかについて逡巡していた。
『侯爵閣下に申し上げるべきだろうか。しかし、これはサラの推論であり、証拠がある話ではない。しかも、サラはこの件を未然に防ぐつもりでいる。だとすれば下手に騒ぎ立てない方が得策かもしれない』
そもそもこうした情報を、騎士団長に過ぎない自分が取捨選択してはならないこともジェフリーは重々承知していた。だが、ジェフリーはこれ以上、サラやソフィアの価値を王室に見せつけることを恐れた。
『結局のところ、サラをグランチェスターから取り上げられるのが怖いってことなんだよな。どっちかの息子の嫁になってくれればいいが、今のところどっちも頼りねぇなぁ』
13歳と10歳の少年であれば頼りないのも致し方ないと思うのだが、サラの隣に並べてしまうと、どうにも舎弟感が否めない。勉強、魔法、剣術のどれをとってもサラは優秀であり、特に魔力はアヴァロンの現国王ですら足下にも及ばない。スコットは剣術でサラを超えるつもりでいるようだが、ソフィアの姿で訓練している様子を見る限り望みは薄そうだ。油断すればジェフリーでさえ負けるかもしれない。
サラが多くの女性たちのように、綺麗な顔のトマスに夢中になることはないだろうことにジェフリーは早々に気づいた。トマスの前でさえ、サラはジェフリーに対する好意を隠さず、仔猫のようにじゃれついてくる。トマス自身はサラが成長すれば自分にも勝ち目があると考えていたようだが、サラはトマスの綺麗な顔や賢い頭を今以上評価することは無いようだ。
『失恋したことがないお坊ちゃんには、いい経験になるだろうなぁ』
想った相手から想いを返されないときの痛みを知れば、今後トマスに想いを寄せる女性たちへの接し方も変わってくるだろう。
ふと、ジェフリーの脳裏にリヒトのことが過った。リヒトと初めて会った日、ジェフリーはサラとリヒトの距離感に戸惑った。二人は出会って間もないはずなのに距離があまりに近く、そして二人にしかわからない空気が存在していた。
サラが倒れたとき、何もできずにオロオロしている自分たちを尻目に、リヒトは妖精たちと解決策を話し合い、乙女たちに治療や看護の指示を出した。偉大なる錬金術師であり、薬師であるパラケルスス師であれば当然ではあるが、自分たちはあまりにも無力であることを痛感したことは間違いない。何より、サラのことを知らなさ過ぎた。
リヒトは既婚者であり、妻も存命である。年齢にも大きな開きがあり、リヒトの玄孫よりもサラの方が若い。にもかかわらず、ジェフリーはいつかリヒトがサラを連れ去ってしまうような気がしていた。
『あの御仁がその気になるようなら、息子たちに勝ち目はないな』
もっとも、今のところリヒトからはそうした気配は感じられないため、ジェフリーは自分の杞憂に終わることを願っていた。既にジェフリーは実子のスコットと同様にブレイズを愛しており、そして同じくらいサラを大切に思っていた。
そこまで考えると、ジェフリーの心は決まった。
『やはり侯爵閣下にはきちんと報告しておこう。おそらく、サラやソフィアは今以上に命を狙われるようになるだろう。サラがそう易々と傷つけられるとは考えにくいが、それでも守ってやらないとな』
しかしその一方でジェフリーは、グランチェスター騎士団に沿岸連合の陰謀論を共有するべきではないと考えた。
『ウチの連中に話したら、激高して一気に緊張感が高まりそうだ。だが、グランチェスター騎士団が目立つ行動を取れば、敵に気取られるかもしれない。そうなればサラの戦に支障が出る可能性もある。万全の準備は整えたいが、敵が疑わないように振舞うにはどうしたものか…』
グランチェスター騎士団は歴史的経緯で「騎士団」という名称で呼ばれているが、実際には軍隊と警察が一緒になったような組織である。他領から羨ましがられるくらい結束力が強い騎士団で、領民やグランチェスター家の人間に害を及ぼす者を絶対に許さないという気概に満ちている。それは間違いなく美点ではあるのだが、若干融通が利かない部分もある。
本来、アヴァロン国内において騎士とは、騎士爵位にある者だけを指す。つまり騎士とは貴族だけが名乗れる称号であり職業なのだ。だがグランチェスター騎士団では、平民であっても入団試験を通過した者を”騎士”として扱う。これはグランチェスター領内だけで通用する身分であり、領外ではただの平民である。
もっとも貴族は数が少なく、他領の騎士団でも似たような運用に頼らざるを得ない。実力のある平民を遊ばせておく余裕のある領の方が少数派である。こうしたローカルな平民の騎士を『郷士』と呼ぶこともあるが、騎士爵や貴族令息との身分差を強調するために差別的な意味合いで使われることが多い。
なお、グランチェスター騎士団では、郷士という呼称は使用禁止である。かつてグランチェスター騎士団でも、騎士爵位を持つ騎士が身分を笠に着て平民出身の騎士を差別していたことがあった。結果として騎士団の内部が貴族と平民で真っ二つに分かれて争うようになり、その隙をついて他領から領地戦を仕掛けられて大敗を喫してしまったのである。
それ以来、グランチェスター侯爵は平民の騎士を差別することを固く禁じ、騎士団長には取り締まりを徹底させた。平民の騎士を差別したことがわかった時点で、どれだけ優秀な騎士であっても騎士団から追放されるという厳しい規則である。騎士仲間を身分で差別することをもっとも下劣な行為であると断じ、同時に主家への忠誠心と領民への慈愛こそが騎士の本懐であると見習いの頃から叩き込む。
こうした事情から、グランチェスター騎士団の団員たちは自分たちが騎士あるいは騎士見習いであることに誇りを持っている。本来の身分はどうであっても、皆が高い志を持っており、身を挺して領民を守っている。
……だが融通が利かない。下手に沿岸連合を敵視していることを団員たちが知れば、大騒ぎになるだろう。軍事訓練が活発化し、下手をすれば領民たちに自衛の訓練を施す輩まで出そうである。事実、暴動事件直後にロイセンの関与が疑われるという噂に惑わされ、実家のある村の農民たちに棒術や槍術を指導しに帰郷した騎士が数名出た。
こうした騎士たちに対してジェフリーは、『噂に惑わされることは大変危険である。騎士団の方針は、団長である自分が必ず示すため、軽々に動くことは罷りならぬ』と団員たちに演説している。だが、頭よりも身体が先に出るタイプの人間が多いため、どこまで効き目があるのかは微妙だ。
ちなみに、この時の武術訓練は無駄にならず、ある村では盗賊を村人が捕縛することに成功した。捕まった盗賊たちは、暴動に呼応してグランチェスター領内に火を放とうとしたならず者たちであった。暴動に失敗し、仲間が次々と捕まっているのを見て慌てて逃げ出したものの、食い詰めて盗賊となっていた。盗賊を捕縛した10名の村人たちには、領主から感謝状と金一封が送られている。村の英雄たちのうち3名は子持ちの主婦で、フライパンや麺棒は武器になるということをジェフリーや騎士団員に知らしめた。
かなり不安は残るものの、ジェフリーは騎士団の武術訓練にサラを誘ってみることにした。おそらく年若い騎士や騎士見習いたちはサラに夢中になるだろうし、年嵩の者でも華麗なサラの双剣捌きには見惚れるに違いない。多くの騎士たちから崇拝されるようになれば、サラの身はこれまで以上に安全になるかもしれない。
もちろんサラが断るなら無理強いをするつもりはない。ジェフリー自身も、この案にそれほど乗り気ではないのだ。うっかりすれば、騎士見習いの中から息子たちのライバルが現れる可能性もある。
『ロブのことは言えないくらい、オレもつくづくサラに弱い』
ジェフリーは小さなため息をつきながら、心配性な自身を省みて嗤った。