力を持つ者
落ち込むジルバフックス男爵にゲルハルト王太子への献上品を持たせて送り出すと、ソフィアは疲労感を感じてソファにへたり込んだ。
「ソフィア様大丈夫ですか?」
ダニエルが慌てて駈け寄ってきた。
「さすがに今日はハード過ぎだわ。午前中からずっと忙しかったし、大立ち回りする羽目になるし、最後は精神的に疲れた」
ひとまずソフィアはただの疲労であることを確認すると、ドアの外にいた28号に声を掛けて飲み物を持ってくるよう指示した。
「確かにゲルハルト王太子は気の毒ですね。彼自身が悪いわけじゃないですから」
「疲れていたとはいえ、ジルバフックス男爵に対しても言葉を選ぶべきだったわ。そもそもの原因はオーデルが妖精に依存し過ぎたことにあると思うの。初代のロイセン王が言うように『人の営みは人の力で成す』って大切なことよ。これほどたくさんの妖精がいるアヴァロンだって妖精で支えられているわけではないわ。彼らは気まぐれですもの」
ソフィアの発言にダニエルは苦笑を禁じ得なかった。なにせ目の前の女性こそ、妖精の力を存分に振るっているのだから。
「それをソフィア様がいうのはとても不思議ですけどね」
「私もそう思う。実際、妖精の助けが無かったら、沿岸連合と戦えるようになるまでにかなり時間が必要だったはず。周到に用意してきたあちらからしてみれば酷い話よね」
「ですが、こちらの準備が整う頃には、おそらくロイセンは…」
ソフィアはダニエルの視線を受け、少し困った顔をして小さく息を吐きだした。
「ロイセンという国が無くなることは考えにくいけど、傀儡の国王と政権が生まれていた可能性が高いわね。ゲルハルト王太子も無事ではなかったと思うわ。でも、それはそれで人の営みの一つよ。善悪や正義で語るようなことでもないし、もしかしたら交易で栄える沿岸連合に支配されるほうが、ロイセンの国民が豊かになるかもしれない」
「そうかもしれませんね」
「実際、沿岸連合は交易している多くの国で影響力を高めているわ。当然、たくさんのお金を注ぎ込んでるから豊かになる人たちもいる」
「それでもソフィア様はゲルハルト王太子を助けるのですよね?」
いきなりソフィアはくすくすと笑い出した。
「ダニエル。残念だけど私はそんなにいい人じゃないわよ。それに”助ける”って言い切れるほど傲慢でもないつもり。別にロイセンを助けようと思って動いてるわけじゃないわ。今回はこちらが巻き込まれたからやり返すだけ。沿岸連合がグランチェスターを巻き込んでいなければ、気の毒だと思いながらも静観してたと思うわ」
「助けを求められてもですか?」
「自国の状況もまともに把握できていない無能者に手を貸すことになるわ。投資しても回収できる見込みが薄いもの」
「鉱物資源はありますから代金は回収できるのではありませんか?」
「ダニエル、ロイセンから採掘できる鉱物資源が何で、それぞれがどれくらい採掘できるか知ってる? もちろん、それらの用途や加工にどれくらい手間がかかるのかも」
「それは…」
「数年前の情報で良ければ、ある程度わかりますよ」
そこに飲み物を持った28号が入ってきた。
「あなたたちが把握してることはわかってるわ。いつもありがとう」
「どういたしまして。お疲れの様子でしたので疲労回復のブレンドにしておきました」
「ありがとう」
「他に御用はありますか?」
「私のブレインストーミングに付き合ってくれるかしら」
「承知しました」
ソフィアは姿勢を正した。魔法でチョークを操作し、壁に作り付けられた黒板に文字を書き始める。
「いくつか気になっていることがあるの。まずは沿岸連合が最終的にロイセンをどうするつもりなのかってこと」
「ロイセンの王制を維持しつつも沿岸連合に有利な条約を締結するというのが、マギの予測です」
「うん。私もそれには同意する。でも、ここまで手間をかけて沿岸連合が手に入れたいモノはなにかしら」
マギの予想はソフィアの考えと一致する。だが、動機が今一つわからない。
「鉱物資源があるというだけでもメリットなのでは?」
控えていたダニエルも口を挟んだ。
「うーん。鉱物資源って簡単に言うけど、多種多様よ。専門家が見ないと、どんな鉱石なのかわからないしね。採掘がどれくらい大変なのか、質はどの程度なのか、どういう加工をすればいいのか、そもそも何に使えるのか……考えればキリがない。今のアヴァロンはロイセンや沿岸連合ほど専門家を抱えていないのよ。だからある程度加工された金属を輸入することが多いわ」
「はぁ…」
ダニエルがポカーンとした表情を浮かべる。
「たとえばダニエルが持ってるような大剣を作るのに適した金属だとして、その鉱石からどうやって加工したら剣にできるのかを知る必要があるってことなの。どんな設備が必要で、どんな燃料を用意すればいいのかがわからないと、剣にするまでにどれくらい費用がかかるかわからないでしょう? 大剣の適正価格ってどれくらいかわからないけど、妥当な価格で大剣を売るつもりなら、鉱石をいくらで買えばちゃんと儲けが出るのかを考えないと売買できないのよ」
「他にも、加工する職人にはどんなスキルが必要で、それができる人はどれくらい存在しているのか、彼らの工賃はいくらなのか。加工にどれくらいの時間が必要なのかといった要素もありますね。もちろん流通経路や在庫を抱えるリスクなども検討すべきでしょう。武器や防具に関するマギの需要予測精度は、まだあまり高くありませんが」
ソフィアが説明すると、すかさず28号が補完してくれる。
「すみません。商人の仕事をちょっと舐めてました」
「えー、これくらいで弱音吐くの? これから燃料価格の相場について話そうと思ってたのに」
「勘弁してください」
ニヤニヤ笑いながらソフィアはダニエルを揶揄った。
「そのあたりは沿岸連合に専門家がいるはずだから、鉱物資源が目当てでもおかしくは無いんだけど…それだと一部の商会しか儲からないと思うの。でも、沿岸連合って名前の通り複数の小国が寄り集まってるわけでしょう? 1つの国の中でも利権関係で揉めるのに、連合の人たちが一部の商人だけしか儲からないようなことをするかなぁ」
「鉱物資源だけでなく人的な資源、主にロイセンの軍事力が目当ての可能性が高いとマギは予測しています。つまり他国の侵略です」
「それって、お金と食糧を出す代わりに戦争に行けってこと?」
「はい。そして最初の攻撃対象は高い確率でアヴァロンです」
「確かにその可能性は高いかもしれないわね。国力が衰えつつあるとはいえ、ロイセンはもともと軍事国家だもの。マイアーのような戦争屋が武力を行使しないことの方が不思議だと思ってたのに、なんでそこに思い至らなかったのかしら。アヴァロンはロイセンへの工作に巻き込まれただけじゃないわ。沿岸連合はアヴァロンごと手に入れる気なんだわ」
ソフィアの思考を書き留めるため、チョークがカツカツと音を立てて黒板に文字を記していく。
「もちろん、アヴァロン以外の国も対象になるでしょう。ロイセンを傭兵として利用するだけでもメリットではありますが、侵略に失敗した場合でも責任をロイセンに押し付けて自分たちは知らぬ存ぜぬを通すこともできます」
「それくらいのことは考えてそうね」
「武器や防具を自前で用意できそうなところもメリットでしょう。職人を派遣する必要はあるかもしれませんが、それこそ鉱物資源が豊富な土地ですから」
「そこまで都合良くいくかしら?」
「全部が上手くいく必要はありません。どれかだけでも十分に儲けがでます。既にロイセンに食糧を高く売りつけることには成功していますしね」
ソフィアと28号の会話を聞いているダニエルは、その内容に慄いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。さっきからもの凄く怖い話をしてますよね」
「そうね。なかなか怖いシナリオよね。確率も高いから恐怖も倍増だし」
「なんで平然としていられるんですか!」
ソフィアは嫣然とダニエルに向かって微笑んだ。
「失敗させる気満々だからだけど? 今のうちに好きなだけ捕まえてもいない獲物の毛皮の数を数えていればいいわ」
「ですが、この件は侯爵閣下、いえ国王陛下にもお伝えすべきではありませんか?」
「いつかは話すべきではあるけど、まだ証拠が足りないわ。今、報告したところで、調子にのった商人風情の戯言だと思われてしまいそう。だけど…」
ソフィアはチョークを元の位置に戻し、深刻な表情を浮かべた。
「沿岸連合にとって私やソフィア商会ってものすごく邪魔よね?」
「間違いなく邪魔でしょう。ロイセンを自分たちの都合で動かせるようにすることが前提の計画ですから。ただ、取扱商品の付加価値がとても高いので、ソフィア商会が抱えている製造方法などのナレッジは沿岸連合の商人たちも欲しがるでしょう。乙女たちが狙われる可能性も高いと思われます」
「だよねぇ。護衛は増やさないとダメだわ。今日みたいな刺客だか誘拐犯だかわからない輩がこれからもいっぱい出そう」
「護衛にもゴーレムおすすめですよ」
28号は心なしか嬉しそうに発言した。
「もしかしてマギってゴーレムが増えるのを歓迎してる?」
「情報は多い程良いですから」
「なるほどね。でもゴーレムにあまり戦闘させたくないから人間の護衛から選ぶことにするわ」
「残念です」
だが、ここで強く頷くべきダニエルは、先程の衝撃からまだ立ち直っていなかった。
「ちょっと、ダニエル大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもしれません。正直言うと、今、この時点において、そこまで想定できる人物はグランチェスター騎士団にはいないと思います。おそらく侯爵閣下や王室関係者でも難しいのではないでしょうか」
「そうでしょうね。私たちとは情報の量も質も違うもの」
「なぜ、ソフィア様は為政者ではないのですか?」
「為政者になるべくして生まれた人間ではないもの。それに私はグランチェスターのお家騒動を望まないし、ましてや覇道を歩む気もないわ」
「ですがあなたは力をお持ちでいらっしゃる!」
「力を持つ者は弱者を守るべきだとか、騎士道精神っぽいこと言わないでね。それを言った瞬間に、あなたを解雇することになるから。私は神ではないのだから、すべての人は救えない。領民を守るのは領主の役目、国民を守るのは国王の役目よ」
『正直、この世界の神が人間を守るとは欠片も思えないんだけどね…さすがに言えないわ』
「でも確かに、ダニエルのように考える人は多いんでしょうね」
深く長いため息を漏らし、ソフィアは窓の外に目を遣った。冬至が近づいているため、日が落ちる時刻はとても早い。ガラス越しの空はすっかり夜の色になっており、前世とはまったく違う位置でキラキラと輝く星が見えた。
ソフィア商会の本店に使っている窓ガラスは、透明度が驚く程に高い。この窓ガラスだけは職人ではなくサラが魔法で作り出している。この窓を目にしたシンディをはじめとするガラス職人たちからは、何度も作り方を聞かれている。しかし、イメージだけで作り上げているため、サラ自身も作り方を答えられないのだ。
「すっかり遅くなっちゃったわ」
「乙女の塔にいるトマシーナにはソフィア様の予定を伝えていますので、あちらも状況は把握しています」
「連絡してるとは言え、乙女の塔にあまり遅くに出入りすべきじゃないわね。そろそろ帰らないと」
ソフィアは静かに立ち上がった。ダニエルがエスコートのために近寄って手を差し出したが、ソフィアはその手を取ることなく一人で歩きだした。
「ダニエル、今日はもういいわ。帰りなさい」
「いえ、乙女の塔まで送らせいただきます」
「結構よ。今のあなたに護衛されたくはないわ」
「また襲撃されるかもしれません!」
「だとしても私が困らないことをあなたは知っているわ。私は力を持っていると言ったのはあなたでしょう?」
ダニエルに言葉を掛けながら、ソフィアは同時にダニエルを魔力で威圧した。強いプレッシャーに膝を屈しそうになりながらも、ダニエルは必死に耐えた。
「まだ解雇する気はないけど、今日は一人で帰るわ。私と28号のブレインストーミングの内容が気に掛かっているようだし、あなたは騎士団本部のジェフリー卿に報告してきなさい。 ジェフリー卿からグランチェスター侯爵閣下に上奏してもらえばいいわ」
「ですが!」
「ダニエル、これは命令よ。もう行きなさい」
「……承知しました。明日、またお迎えに上がります」
ダニエルは冷や汗を流しながら、それでも必死に威圧に耐えて反論した。だが、それすら素気無く断られると、諦めたように部屋を出ていった。
「よろしかったのですか?」
「構わないわ。ダニエルが領の騎士団にいた頃と同じ気持ちで私に仕えているのであれば、一緒にやっていくことはできないもの。彼が騎士として生きていきたいのなら、騎士団に戻るべきだと思うの。怪我はすっかり治っているのだし、ジェフリー卿ならダニエルを受け入れてくれるはず」
「そういうものなんですか。人間の心の動きはなかなか理解できません。予測するのも難しいです」
「人類としてのプライドを守るためにも、正確に予測されないことを願うばかりだわ」
「えっと、ソフィア様は人類のカテゴリーで正しいのでしょうか?」
「マギってそんなジョークも飛ばすのね」
「いえ、本気で質問しております」
「そっちの方がタチ悪い!」