踊るソフィア
商業ギルドを後にしたソフィアは、そのまま乙女の塔へと直帰することにした。
元の予定ではソフィア商会に戻るつもりであったのだが、背後から不穏な気配がしたため、グランチェスター城内に向かう方が良いだろうというダニエルの判断である。
しかし、グランチェスター城の敷地に向かう森の道に入る寸前、周囲を10人程の男たちに囲まれた。そこらの破落戸よりも不穏な雰囲気を纏っているため、もう少し凶悪な行為…たとえば殺人などを生業にしているのかもしれない。
「やっと姿を見せたようですね」
「そのようですね。何とも気の毒…もとい無謀な」
ソフィアとダニエルは暢気に会話を交わした。今日のソフィアは会議に出席するためにドレスを着る必要があった。仕方なく、乗馬もできる簡素なドレスとサイドサドルを利用している。デュランダルはゴーレムのサラと一緒に乙女の塔に戻っているため、今騎乗しているのは別の軍馬である。ダニエルも同じくグランチェスター家の牧場で育った軍馬を使っており、不穏な連中を振り切ることも可能ではあったのだが、二人は敢えて隙を見せて誘い出すことにした。
この作戦をソフィアが提案した際、護衛であるダニエルはソフィアの意見に反対したが、そもそも自分と同じくらい腕の立つ主人に強く言われれば否と言えるはずもなかった。
男たちはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべてソフィアたちに近づいてきた。
「すいませんねぇ。私どもの主がそちらのお嬢さんに用があるようでして」
「あなた方の主がどなたなのかは存じませんが、私に用があるのでしたら書面にて予約していただけるようお伝えください。私も暇ではありませんので」
「そういうわけにもいかないんですよ。うちの主はせっかちでして、少々手荒な真似をしても構わないとのことなんで」
「なんとも無粋で頭の悪そうな方ですわね。顔を洗って……えっと、あなた方は臭うので全身湯浴みをされてから出直してくださいませ。できれば頭皮もきちんと洗った方が良いと思いますよ。脂っぽいまま放置しておくと抜け毛の原因になるそうですから。既に頭頂部の方が薄くなられているようですし」
言葉を発していた男は少々心当たりがあったのか、一気に血が上ったらしい。
「五月蠅い。誰がハゲだ」
「いえ、まだ薄毛ですね。時間の問題だとは思いますけど」
「グダグダ言わずにこっちに来やがれ。連れてくる前に少々乱暴しても構わないとの命令だからな。少々楽しませてもらうかもしれんが命は取らないでおいてやるよ」
「はぁ。そうですかぁ」
ダニエルは騎乗したまま大剣をスラリと抜いた。
「ソフィア様、少し後ろに下がっていただけますか? この汚らしい輩の相手をソフィア様にさせるのは大変忍びないです。本当に臭いので」
「構いませんけど、そこにいる方々の背後にも隠れている人たちがいるようですが、そちらはどうします?」
「状況に応じてでしょうかね。一応、私でやれるとこまではやりますよ」
「隠れてる方々の方が、こちらの臭いハゲたちよりは清潔そうです。たぶん隠密行動のために体臭を消さないといけないんでしょうね」
「誰が臭いハゲだ!」
「あぁ、これは失礼いたしました。不潔な薄毛の男性でしたわね」
「ごちゃごちゃ五月蠅い! お前らこいつらを捕まえろ。護衛は殺しても構わん」
男たちは一斉にダニエルに飛び掛かった。だが、ダニエルは大剣を軽々と振り回し、すべての攻撃を軽くいなした。
「ふむ…薄々気づいていましたが、こちらは弱すぎですね。本命は隠れてる方でしょう」
「あぁ、薄毛だけに?」
「ソフィア様、わざわざソコを拾います?」
「さっきから人の気にしていることをチクチクと! お前、性格悪いって言われないか?」
「いい性格をしていると皆様褒めてくださるのですが」
「それは褒めてねぇ!」
ソフィアが不思議そうな表情を浮かべて首を横にかしげると、苛立ったように薄毛の男が反論した。男は、そのままダニエルを躱してソフィアに近づこうとしたが、ダニエルの大剣の腹で吹っ飛ばされた。
「行かせるわけないだろう。お前ら大概阿呆だな。弱すぎなんだよ」
ダニエルが男たちの相手をしていると、不意にソフィアの背後の森から黒っぽい装束の男たちがワラワラと出てきた。既に手には抜き身の短剣のような武器が握られている。
「グランチェスター城の森に身を潜めるとは、なかなかですわね。それなりに罠も多いんですけど」
「お褒め頂き光栄です」
「それに清潔なのが素晴らしいですね」
「先程ソフィア様が指摘された通り、身を潜めるのに体臭は邪魔になるのです」
「頭髪も布で覆われているせいで状態がわかりませんね」
「あ、私はフサフサですよ。父も祖父もハゲではありませんでした」
「それは良かったですね」
「だから、お前らは髪の話をやめろ!」
先程の男は、こちらの会話が聞こえていたのか、ダニエルと戦闘しながら叫んだ。
「あら、ダニエルを相手にしながら余裕あるわね」
「ちなみに一応言っておきますが、そちらの臭いハゲと我々は無関係です。一緒にされるのはイヤだなぁと思いまして」
黒装束のリーダー格の男が応えた。
「なるほど。ではこちらはこちらで踊るといたしましょう」
いつの間にかソフィアの手元にも双剣が握られていた。
「ふむ…気配から只者ではないと思っていましたが、双剣使いですか」
リーダー格の男がソフィアに襲い掛かると、背後から複数人の黒装束たちが連携するようにソフィアに迫った。
「皆様、素晴らしい連携ですわね」
「個の強さも重要ですが、我らは連携によって何倍もの強さを実現しております」
「なるほど。面白いですね」
ソフィアは防戦一方で、ひたすら黒装束の男たちの攻撃を剣で受け止めていた。本当に大勢が同時に攻撃を仕掛けることは物理的に難しいため、彼らは絶え間なく立ち位置を入れ替えるように動き、連続して素早い攻撃を仕掛けている。
「実に華麗でいらっしゃる。主があなたをお連れしろという理由がよくわかります。ですが我らを傷つけるのを恐れているようでは勝てませんよ」
「まぁか弱き乙女に酷なことを仰いますのね」
「か弱きですか…それはそれで違うような気もいたしますが…」
やや呆れたような相手をいなしつつも、ソフィアの視界の隅ではダニエルが先に襲い掛かってきた男たちを制圧したことが見てとれた。ソフィアは空間収納から掴んで取り出す余裕がなかったため、倒れ伏している男たちの上空から、バサリと丈夫な縄をダニエルの前に落とした。
「ダニエル、縛り上げておいて」
「承知しました。ところで、そちらのお手伝いは必要ですか?」
「縛り上げてからでいいわ。それまでは踊っておくから」
「承知しました」
ダニエルは黙々と襲撃者を縛り上げていく。
「もしかして、我々のことをダンスのパートナーと勘違いしていらっしゃるのですか?」
「パートナーというには少々人数が多いと思うの。群舞って感じですもの」
攻撃をいなしながら、息ひとつ乱すことのないソフィアに、黒装束の男たちも焦りを見せ始めていた。
「いやぁ、お前たちはソフィア様にダンスを申し込んで断られている男たちにしか見えないがね。格が違うことにまだ気づいていないのか?」
「そこの男どもならいざ知らず、我々を雑魚扱いなさるのですか?」
「そうよね。ダニエル、彼らに失礼よ。とても上手な踊り手じゃないの」
慣れた手つきで男たちを縛り上げたダニエルは、抜き身の大剣をぶんぶんと振り回しながらソフィアに近づいてきた。
「ソフィア様、こちらは終わりましたがどうしますか?」
「もう少し踊っていたかったのだけど、まだ仕事もあるから適当に切り上げるわ」
「私も手伝いますよ」
「うーん。ダニエルだと相手を昏倒させちゃうからなぁ。馬で引いていけないから面倒で」
「馬の後ろに数珠繋ぎして歩かせるのは酷だと思うのですが」
「別に疾駆して引きずるわけじゃないんだから良いじゃない」
ダニエルとソフィアの不穏な会話に、黒装束の男たちの頭に血が上った。
「そろそろ遊びの時間を終わりにしたいんですがね」
「そうね。残念だけど私もそうすべきだと思うわ」
ソフィアは身体強化の魔法を使った。実は、これまで魔法を使うことなく動いていたのだ。
「むぅ!」
黒装束の男たちはソフィアの纏う雰囲気や動きが大きく変化したことに気付いた。
「ソフィア様、手足を切り落とすのはやめてもらって良いですか?」
「ダメなの?」
「アレやっちゃうと、心の方が治らないヤツも多いんですよ」
「うーん。武器を持って人に襲い掛かる癖に、自分がやられたら壊れちゃうわけ? 自分も同じ目に遭うことがあるって気付かないのかしら?」
「ソフィア様、似たようなことをさっき商業ギルドでも言ってましたよね」
「あら、自分がやったら相手だって返してくるって言うのは基本じゃない。どうしてそんな簡単なことがわからないのかしら。まぁ、そういう意味では、この人たちが私を襲ってるのは、私がやったことが返ってきてるだけなんでしょうけど」
「間違いなくそうですね。あ、それと服に返り血が飛ぶとメイドさんたちの洗濯が大変になると思いますよ」
「あぁ確かに血は落ちにくいものね。じゃぁ私もダニエルと同じように意識を刈り取ることにするわ。悪いけど手伝ってくれるかしら」
「承知しました」
ソフィアはこれまでよりもキレのある動きで相手の懐に飛び込み、次々と相手を昏倒させていく。簡素ではあるがドレス姿であるため、その姿は本当にダンスのステップを踏んでいるかのようである。戦っている男たちでさえ、その動きに目を奪われ、つい見惚れてしまいそうになる。
一方のダニエルは大剣を軽々と扱い、ソフィアのステップに合わせるように周囲を取り囲む男たちを制圧していく。強面でガタイの大きな男のわりに、ダニエルの動きは繊細で正確に相手の急所を攻撃していた。
「まさか…手を抜かれていたとは…あり得ん…」
「ごめんなさいね。あなたたちの動きを少し見ていたかったの。あ、誤解させて申し訳ないんだけど、あなたたちの身体をサクッと切り落とすくらいだったら普通にやるわよ?」
「か弱い乙女はどこにいかれたんでしょう?」
「それは乙女の秘密ってことにしておいて」
ソフィアはそう言い放つと、最後の一人となったリーダー格の男にニッと笑いかけ、ジャンプしながらハイキックで相手の蟀谷を強打する。男はそのまま横に吹っ飛んで動かなくなった。
「あー。ソフィア様、ドレスでソレはやめた方が良いと思いますよ」
「あら見えちゃった?」
「いえ、見えそうで見えない感じが逆にヤバいです」
合計すると20人は超えていそうな襲撃者を昏倒させた二人は、息を乱すことも無く緊張感のない会話に終始している。もちろん、ダニエルは襲撃者たちを縛り上げており、ソフィアは木属性の魔法を使って植物の蔓で拘束している。
「ちょっと人数多すぎない?」
「別の団体らしいですから致し方ないかと。それにしてもソフィア様はモテ過ぎじゃありませんか?」
「まぁ騎士団に引き渡して事情聴取してもらうことにするわ」
ソフィアはゴーレム用のオカリナを取り出し、特殊な曲を奏でた。すると、10分ほどで乙女の塔から初号と弐号がやってきた。ゴーレムは事情をなんとなく察していたのか、乙女の塔にあった一番大きな荷車を引いてきていた。
「初号、この方々を騎士団本部に突き出したいんだけど、思いの外人数が多くて困ってるの。どうしたらいいかしら?」
「荷車で2回往復すればいいだけですよ。弐号が見張りをするので、私が往復してきます。騎士団本部に伝えることはありますか?」
「うーん、黒装束の集団と、そっちのなんか臭い人たちは別の集団らしいわ。全員にきっちり事情聴取をして、雇用主を明確にして欲しいって伝えて。報告は乙女の塔に送って貰えるようにお願いしてね」
「承知しました」
ソフィアが騎乗しようと馬に近づくと、ダニエルが手を貸した。別に一人でも騎乗はできるのだが、こういうところはいかにも元騎士らしい。
「あ、そうだ初号、ついでにマギ経由で28号に今日はソフィア商会に戻れないって伝えてくれるかな。今日は面談の予定も入っていないはずだから大丈夫だとは思うんだけど」
「承知しました。ちょっと待ってくださいね」
「28号によると、ソフィア商会の方にアポイントなしでジルバフックス男爵が訪問してきてるらしいですよ」
「え、そうなの? 先触れ無しで来るなんて何かあったのかしら…。それならソフィア商会に戻るわ。ダニエル申し訳ないけど、もう一度ソフィア商会に向かうわね」
「はぁ。それは構いませんが、あの男ですか…」
どうやらダニエルはジルバフックスがあまり好きではないらしい。
「お仕事なんだから仕方ないわ」
「承知しました」
こうしてダニエルとソフィアは、もう一度ソフィア商会へと馬首を巡らせた。
晩秋というより初冬とも呼ぶべき時期であるため日は西に傾いており、既に濃紺と夕暮れの赤が不思議なグラデーションを描くような時間帯であった。
ふとソフィアは考えた。
『グランチェスター領だけでも主要な街道には街灯のような設備があったらいいのに』