大人しく殴られているわけにはいかない
「小麦の話が出ましたので、本題に入りますね」
「まだ本題ではなかったのか」
「はい。残念ながら。私の妖精から報告されていたはずですが、小麦の備蓄は補填済みです。というか横領された分よりも多いので。倉庫は満杯です。在庫の内訳については書面にして執務棟に送ってあります」
「うむ。知っておる」
「内訳の明細は確認済みだよ」
グランチェスター侯爵とロバートが頷いた。
「まぁそうですよね。アンドリュー王子に小麦はたっぷりあるって報告させたそうですしね」
「知っているとは思っていたが、隠さないのだな」
「そういう無駄なことに時間を使うのはやめました」
「なるほど」
「横領は他家に知られたくないですし、大量の小麦を何処から持ってきたのか探られるのもイヤなので、これらはグランチェスター領にタダで差し上げます。若干後ろめたくはありますが、帳簿を改竄してもともと備蓄があったようにしておくのが賢明だと思います」
「それは助かる」
サラは妖精から報告された内容を記載した紙を取り出し、真剣な表情を浮かべた。
「実はグランチェスター領から備蓄用の小麦が失われているという噂も流れていたらしいのですが、アンドリュー王子の報告で立ち消えになったそうです。おそらく、この噂はシルト商会が意図的に流したものでしょう」
「然もありなん」
「アヴァロンがロイセンに対する小麦輸出に踏み切ったことは、沿岸連合側でも把握済みでしょう。小麦を高値で売るつもりだった沿岸連合の商人たちは、自分たちの思惑が外れて焦っていると信じたいですね」
「だとすれば気持ちのいい話だ」
「ですが、彼らはグランチェスター領の小麦の在庫をかなり低く見積もっているはずですから、それほど大量の小麦は用意できないと高を括っています。当然ですよね。グランチェスター領の横領を裏で操り、備蓄用の小麦まで持ち出した張本人たちですから」
「なるほど。盗んで売り飛ばしたヤツラからしてみれば、僕たちの倉庫に入りきらない程の小麦があるなんて思わないよね」
グランチェスター家の男子たちは、全員ニヤニヤとした笑顔を浮かべている。
「ですから、シルト商会を始めとする沿岸連合の息が掛かった商会は、アヴァロン国内の小麦を買い付けようとすることが予想されます」
「自分たちでも大量に小麦を持っているのに?」
「それでも彼らにはまだ資金の余裕がありますから、ロイセンに買われる前にアヴァロンの小麦も買い占めようとするのではないかと。その後は値段を吊り上げ放題ですから。とはいえ、今年はグランチェスター領以外でも小麦は豊作でしたから、複数の商会が手を組まないと買い占めるだけの資金は捻出できないでしょうけど」
「それは、たくさんの商会がアヴァロンの小麦を買い付けに来るってことかい?」
「私の予想に過ぎませんが、そうなるのではないかと。おそらく一時的に小麦の価格が跳ね上がることでしょう」
「ほう…」
執務室内に不思議な静寂が訪れた。皆、サラの発言の続きを待っていた。
「本来であれば、ソフィア商会でも莫大な利益を得たいところではありますが、今回はちょっぴりの利益で我慢することにします」
「というと?」
「今現在、国内で一番小麦を持っているのは、間違いなくソフィア商会です。正確に言えば私個人でしょうね。帳簿に載せられない小麦を大量に所有していますから」
さすがにサラだけで、向こう5年分のロイセンの小麦需要を賄えるとは言わない。だが、大量に小麦を持っていることはこの部屋にいる皆が理解していた。
「まぁそうだろうな」
「ですからソフィア商会は、小麦の値段が限界まで吊り上げられるまで、小麦を売らないことにします」
「王都や他領の商会が儲けることになるがいいのか?」
「とても悔しいですが、今年は諦めることにします。やらなければならないことがありますので」
「やらなければならないこととは?」
「もちろん、売られた喧嘩を買うに決まっているではありませんか。小麦でガチの殴り合いをするつもりです」
「なんだと!?」
グランチェスター侯爵は椅子から立ち上がり、エドワードとロバートも険しい表情を浮かべる。
「意図したつもりはありませんでしたが、大量の小麦の在庫と言う武器を手に入れた以上、この機を逃すつもりはありません。本来はロイセンへの工作なのでしょうが、巻き込まれたグランチェスター領は大損害です。領主は殺されかかり、罪人とはいえ領の文官たちも殺されました」
「なっ!?」
「横領がバレて逃げ出した文官たちは、口封じのために全員殺されました。捕らえられて黒幕の正体が明らかになるのを避けるためでしょうね」
「そうか…あいつらは皆死んでしまったのか。悪いことはしたけど、代官や会計官は僕らの親戚だったし、文官たちも昔から知ってるやつらばかりだったのにな…」
ロバートが哀し気に言葉を漏らすと、その肩をエドワードがポンっと叩いた。
「そうだな。私も残念だよ。彼らにはちゃんと罪を償って欲しかった」
息子二人の様子を横目で捉えつつ、グランチェスター侯爵はサラに問いかけた。
「それで私は何をすればいい?」
「この戦で真っ先に犠牲になるのはアヴァロンの民たちです。小麦の価格が跳ね上がってしまうため、日々の食費に困窮することになるでしょう。そうなれば、国王陛下はグランチェスターに対して小麦を放出するよう申し付けるはずです」
「そうであろうな」
「ですから事前の根回しが必要になります」
「どういった?」
「王室に小麦を無償で献上することを事前に約束してしまうのです。この分は私の個人在庫から負担します」
「それで?」
「事前に小麦の値段が跳ね上がる情報を共有し、民が困窮したら値上げした商家や商会を非難する声明を出すよう王にお願いしてください。同時に困窮する民たちを憐れに思った国王陛下は、国の蔵を開けて無償で小麦を配給するという筋書です。国民からの支持を集める絶好の機会ですから、一緒に踊ってくれると思いますよ」
「お前…王室も巻き込むつもりなのか」
「小麦で戦を仕掛けられた以上、既に王室も当事者です。なんなら王太子妃が簡素なドレスに前掛けをつけて参加するとか、麗しい王子が沿岸連合による小麦買い占めが原因であるとか演説してもいいですね。沿岸連合から輸入される品物の不買運動まで持っていければ最高です」
ふと、サラはしょんぼりと肩を落とした。
「ですが、私はこういう工作はあまり好きじゃありません。真っ先に巻き込まれるのは無辜の民ですから」
「確かにそうだね。そう思うと、本当に僕たちは戦を仕掛けられたんだなってことがよくわかるよ」
ロバートも同意する。
「被害を最小限に抑えるため、取り急ぎソフィア商会は複数の小さな直営店舗をあちこちに開業しようと思います。王都はもちろんですが、希望する領があればそちらにも出店すると多くの貴族家に手紙を送りました。狩猟大会のお陰でソフィア商会の出店を望む領も多いので丁度いいかもしれません。ソフィア商会は、良心的な価格でグランチェスターの小麦を小売りします。転売を避けるため一人当たり購入できる量を制限しますけど」
「ソフィア商会の評判も跳ね上がりそうだね」
「結果的にはそうなるでしょう。採算度外視に見えますから。ただ、こうした動きをどれくらい隠しておけるかが、勝負の分かれ目になりそうですね」
大人たちとサラの会話を黙って聞いていたクロエがふと声を上げた。
「ねぇサラ。ソフィア商会がしていることをギリギリまで隠しておきたいのよね。小麦を運んでいることがバレない方が良いんでしょう?」
「そうね。できるだけ時間を稼ぎたいわ。まぁ小麦の小売りを開始してしまえば、隠せるはずもないのだけどね」
「だったら私とお母様が手伝えると思うわ」
「どういうこと?」
「私とお母様は、ソフィア商会との強力なコネクションがあることをアピールすることで社交界での影響力を高めようとしてるし、今のところ順調よ」
「それは良かった」
「だから、ソフィア商会が店舗をオープンするたびに、ソフィアと一緒にお祝いに駆け付けようと思う。そこにサラも参加すればいいんじゃないかな。貴族女性が社交のために移動するときは、大量の荷物と一緒に動くのが普通なのよ。ソフィアも領主の一族に贈り物くらい持参するでしょう?」
「確かにそうね」
「小売りするくらいの小麦なら紛れ込ませてもバレないだろうし、サラも一緒なら空間収納で運ぶでしょう? 最初は華やかに貴族向けに見せかけたら、相手は油断すると思うんだよね」
「クロエの言いたいことはわかるわ」
「途中で売るモノが変わっても、『可哀そうな領民を見捨てられませんでした』って言えば良いと思う」
「ふむ…。だとしたら店員は現地の領民を積極的に採用すべきね。彼らの家族や知人を救いたかったって理屈が通せそう」
するとエリザベスが困ったような顔をした。
「クロエ…いまから社交のスケジュールを練り直すのは大変なのよ」
「お母様、サラにお肌を綺麗にしてもらっただけでは足りませんか? サラがこんなに頑張っているのはグランチェスター領とアヴァロンのためです。本当なら小麦を高値で売って儲けたっていいはずなのに、サラは無償で大量の小麦を手放すんです。次期侯爵夫人としてやらなければならないことを見極めるべきではありませんか?」
どうやらクロエは本気で王子妃を目指すべく、志を高く持つようになったらしい。以前のいじめっ子だったクロエとは別人である。エリザベスも娘の迫力にたじたじになっていた。
『お、おう。なんかクロエがカッコよくなってないか? ぶっちゃけると、私は小麦が余ってるから上手く活用して沿岸連合をぎゃふんと言わせたいだけなんだけどなぁ』
「あ、祖父様。忘れるところでした」
「なんだ?」
「ゲルハルト王太子にも根回しが必要です。焦ってロイセンが小麦を高値で買い付けてしまわないよう、予定していた金額で必要量をソフィア商会が販売することを確約しておいてください」
サラは空間収納から約定が記載された書状を取り出し、グランチェスター侯爵に手渡した。
「承知した。この書状は預かっておく」
グランチェスター侯爵は書状の中身を確認し、保証人として自身も署名すると、くるくると紙を巻いてから蝋で封緘した。
「いよいよ戦争か」
「はい。戦争です」
「負けるわけにはいかぬな」
「そうですね。私たちは巻き込まれた被害者ではありますが、ただ大人しく殴られているわけにはいきません。まずはきっちりお返ししましょう」
「ハリントン領に行くのも、戦争の一環なのか?」
「もちろんです。武器は多い方がいいですから」
「そうか」
こうしてグランチェスター侯爵との会談が終わった。気付けば昼食の時間をかなり過ぎており、商業ギルドとの約束の時間も迫っている。サラは昼食を抜くべきか一瞬躊躇したが、執務室での会談が長引いていることを察した使用人たちは、サラが手早く食事を済ませられるようサンドイッチを用意していた。
『さすがグランチェスター本邸の使用人たちだわ。超優秀ね』