うっかり火を吹く
うっかり設定集の方に投稿してしまいました。
「伯母様とクロエもいることですし、ソフィア商会の商品について少しお話しておきますね。おそらくうんざりするくらい聞かれると思いますから」
「そうでしょうね」
「美容部門はなるべく早めに充実させるつもりですが、こちらの準備が間に合いません。今しばらくは、既存のハーブティ、ハンドクリーム、リップクリーム、ボディクリームのみの販売とさせてください。基礎化粧品はなるべく早めに用意する予定ですが、今は新規顧客を受け入れられません」
「社交の本格的な開始は来年の春先だから、それまでに少量でもいいから基礎化粧品を用意できないからしら?」
「今の段階では何とも言えません。量産できる体制にないのです。狩猟大会でお渡しした基礎化粧品のサンプルですが、あれはちょっとだけ私の魔法でズルをしているんです。でも、ソフィア商会の商品とするのであれば、私という魔法使いを必要とせずに生産できるようにしなければなりません。それが新たな産業を興すということですから」
エリザベスとクロエはぽかんとした顔をした。
「産業を興す?」
クロエがサラの言葉を繰り返す。サラはクロエと目をあわせてこっくりと頷いた。
「産業って言うのは、人が生きて行くために必要な何かを作り出すってことよ。今のグランチェスター領の主な産業は小麦の生産ね。もちろんエルマもそうよ」
「それは分かるわ」
「ソフィア商会はグランチェスター領のエルマに目をつけて、そこからエルマブランデーやシードルを作ることにしたわ。だから、普通にエルマを王都に運んで売るよりも、沢山のお金を稼ぐことができるようになった。つまり、既存のエルマ生産に新たな価値を創造したってこと。これが産業を興すってことね」
「うん」
「当然だけど、これらの商品を提供するには、エルマ農家で働く人、エルマ酒を作っていた人、エルマブランデーを作る人、シードルを作る人、これらの商品を運ぶ人、そしてソフィア商会で働く人が必要になる。そういう人たちは、今まで稼ぐことのできなかったお金を稼げるようになるわ」
「えっと…もしかしてガラスの瓶を作る職人とかもそう?」
「その通り。そして、新しい収入源ができた人たちは、そのお金を使うようになる」
「もしかして、そのお金で他の物を作ってる人たちも儲かるようになるってこと?」
「クロエは理解が早いね。ちなみに”モノ”だけとは限らない。たとえば、休みの日にお芝居を見に行くとか、旅行したりしてお金を使うかもしれないでしょう? 要するに新しい産業を興せば領が豊かになるし、もっと言えば、税収が上がって国も潤うことになるってこと」
「なるほど理解したわ!」
「ふふっ。この辺りのことはちゃんと覚えておいてね。未来の王妃様」
クロエはきらきらと目を輝かせてサラに詰め寄った。
「サラって商会が儲かることしか考えてないのかと思ってた!」
「まぁお金儲けは好きだけど、稼ぎ方ってものがあるのよ」
「だからサラしか作れないモノを作っても意味がないって言ったのね?」
「私しか作れないモノっていうのに価値があることは知ってるけど、私は職人になりたいわけじゃない。作るのは他の人に任せて、私は商品を売ってお金を稼ぐのよ」
「その割にはサラしか作れないモノが多すぎない?」
「それは認める。でも、最終的には他の人でも作れるようなところまで持っていくことが重要だと思ってるわ。たとえば今回の美肌の魔法だけど、今は私しかできない。けど、魔法を解析して同じ効果を発揮する魔法薬を作ろうとしてるわ。ただ、この商品には純粋な魔力を注ぐ必要があるから、どうしても魔力を誰かから吸い上げないといけないのよ。だから貴族でも引いちゃう程高いの」
この説明をきいて、後ろにいたエリザベスが身動ぎした。サラが美容液の値段を吊り上げたのは需要に対して供給が追い付いていないだけだろうと思い込み、原価がそれほど高いとは考えていなかった。稼げるうちに稼いでおこうという商人らしい理由だと思っていたのだ。まさか純粋な魔力を成分にしなければならないとは思っていなかった。
「あれ? でも、シュピールアは? アレは他の商会は真似できないって言ってたけど」
「あぁシュピールアは、魔法陣が暗号化されているから真似できないのよ。開発に費用が掛かってるから暫くは技術を独占するつもりだけど、理論だけならそのうち公開するかもしれない。そしたら他の人がアリシアとは違うアプローチでシュピールアを作るかもしれないわね。もっと安くて高性能な商品が出てくるかもしれないわね」
「ソフィア商会はそれでいいの?」
「市場には健全な競争も大切よ。じゃなきゃ商品が進化しないもの」
「ソフィア商会の商品が売れなくなっても平気なの?」
「平気なわけないじゃない。悔しいから、もっと凄い物を作るって思うのよ。そうやって商品は進化するのよ。とはいえ、同じようなモノを簡単に作れるなら作ってみたらいいとは思ってるけどね」
「作れるものなの?」
「うーん、乙女たちやリヒトに勝つのは容易じゃないでしょうね」
「それって事実上無理じゃない?」
「わからないわよ? 世界は広いもの」
そして、この少女二人の会話にグランチェスター男子の三人は唖然としていた。領主一族として産業が重要であることは理解していたが、サラのような広い視野では捉えていなかった。
特にエドワードは最近まで「金を稼ぐのは卑しい商人がすること」と思い込んでいた。実際、そういう考え方をする貴族はアヴァロンに多い。アヴァロンの産業の中心は農業であり、土地を所有する貴族たちにとって収入とは領地から自然に入ってくるものなのだ。
実際のところ、グランチェスター侯爵やロバートも大差ないレベルであった。職人たちの手によって工業製品が製造されていることは知っていても、それが領の産業の中心になるとまでは考えていない。
ソフィア商会が新たな商品を出してきたことにしても、価値ある商品を販売する商会を領内に抱えていることで、アヴァロン国内におけるグランチェスター家の価値が高まるという意識しかなかった。故にその商品は誰が製造するのかといった視点をまったく持っておらず、サラが一人で黙々と作り続けても不思議に思うことは無い。
また、新たな産業を興し、市場を開拓するということは、新たなステークホルダーを生み出すことでもある。そのためにも領民たちの教育レベルを底上げすることが急務だとサラは考えていたが、学園創設に熱心なレベッカでさえ、そこまで考えて動いているわけではないことにも気付いていた。
『そろそろ他領も巻き込まないとね』
「エルマブランデーなどの酒類ですが、もともとは王都でソフィア商会の直営店を開店させるつもりでした。ですが、こちらも供給が追い付かないので後回しになりそうです。とはいえ、王都に店舗を開店するのは必須でしょうね。注文の受付も必要でしょうし」
「まぁそうだろうな。だが、王都で商売をするのであれば、商業ギルドとの関係改善をはかっておいた方がいい。一等地の土地や建物はギルドに制御されているからな」
「そこも悩みどころですね。今の商業ギルドと手を組んでも良いことがあるんでしょうか」
「もしや小麦を抱えたまま放出しないつもりか?」
「小麦がなくて困るのはソフィア商会じゃないですからね」
「お前は…まったく」
グランチェスター侯爵はサラを見つめて、ゆっくりと息を吐きだした。
「いずれにしても、酒類についても美容関連商品同様に供給不足であることを強調してください。こちらも社交シーズンまでにもうちょっと何とかしてみます。言っておきますが、どちらも私の魔力を使わないと無理なので、個人的にはとっても大きな損失です」
「そうか。わかった」
グランチェスター侯爵が頷くと、クロエが不思議そうにサラに尋ねた。
「でもさ、サラ。さっきの説明からすれば、働く人にお給料出さなくて良いんだから原価は安くなるんじゃない?」
「あのねクロエ、私の時間をソフィア商会の別のお仕事で使えば、商会はもっと収益が上げられるかもしれないってことを忘れないで。あるいは、8歳とは思えないくらい夜遅くまで働けってことなのかしら?」
「あはは。それは関係者に怒られそう」
「クロエに渡すドレスやアクセサリーを手配する時間が失われるかもよ?」
「それはすごく大問題。サラの時間はとても貴重だわ!」
クロエは突然真顔で言い切った。清々しい程に自分の欲望に忠実である。
「そうだ祖父様。ハリントン伯爵家と交流したいのですが、機会を作ってもらえませんか?」
「なに?」
「ワインで有名な領ですからね。酒類を販売するソフィア商会としても見過ごせません」
「ふむ…姉上とハリントン伯爵の両名に手紙を送っておくくらいはできるが、私は一緒に行けそうにないな。どうせあちらに訪問する形が良いのだろう?」
「葡萄畑見たいですからね」
「ソフィアも一緒に訪問するのか?」
「商談はソフィアにやってもらわないといけないですからね。一緒になると思います」
「だが、ロバートとレベッカは結婚の準備で忙しいのだがどうしたものかな」
グランチェスター侯爵が困った様子を見せると、エドワードとエリザベスが同行を申し出た。
「では私とリズが付き添っていこう。久しぶりに伯母上に会いたくもあるしな。今年は狩猟大会にお越しにならなかったので少し気になっていてな」
「確かにエレナ様にお会いできませんでしたね」
「私は一度王都に向かうが、用事はすぐ終わるので1週間後にはハリントン領に行けるぞ。サラはリズと一緒にハリントン領に向かえば、現地で私と合流できるだろう」
「サラが行くなら私もいく!」
「それならクリスも連れて行きましょう。アダムはおそらく勉強のために残るでしょうが、一応声はかけておきます」
「ありがとうございます。伯父様、伯母様。それにクロエ」
「たまには役に立っておかないとな」
エドワードは苦笑しながらサラを見つめ、次いでエリザベスとクロエにも目を向けた。
「護衛もきちんと同行させるように……サラには要らないかもしれないが一応」
「はい。護衛の方に守っていただければ、うっかり襲ってきた相手に火を吹くこともないと思います!」
最近安定のドラゴンジョークなのだが、なぜかエドワードは真顔で真っ青になった。
「そうしてくれ。葡萄畑を焼け野原にするのだけはやめてくれると助かる」
ジョークが不発に終わったので、サラは素直にエドワードに頷いた。スベったネタを説明するほど恥ずかしいことはないので、そのまま何事もなかったように流したのである。