美容部門と服飾部門の立ち上げは不可避
「サラ、そろそろ本題に入るべきだろう。あまり時間も無いことだしな」
「確かにそうですね。まず、ソフィアの邸を構える土地ですが、乙女の塔の敷地に隣接する森を少々お譲りください」
「さすがにグランチェスター城の周辺地域を、グランチェスターに縁のない商人に下げ渡すことはできん。功臣というわけでもないからな。それともソフィアはグランチェスターの家臣になるか?」
グランチェスター侯爵はニヤリと笑ってサラに問いかけた。
「たとえグランチェスターであっても、特定の貴族家に仕える立場にはなりたくありませんね。商売に支障がでます」
「そう言うだろうとは予想しておったよ。故に私は、サラにあの土地を譲ろうと思う。サラが所有する土地を誰に貸し出すかは自由だが、土地を譲渡するのであればグランチェスター家の当主の許可が必要になる誓約をしてもらうことになる。それでも構わないか?」
さすがにグランチェスター城に隣接する土地であるため、おいそれと血族以外の人間に譲渡することが難しい。そのため、グランチェスター侯爵はソフィアではなく、自身の孫であるサラに譲る形をとることにした。既に乙女の塔の敷地や建物を譲渡しているため、周囲を納得させやすいというメリットもある。
「私の方は問題ありません。ですが、タダで貰うのも気が引けますから、グランチェスター家への貸付金と相殺する形でお譲りいただくことにしましょう。もっともあれはソフィア商会からの貸付ですから、私が返済した形をとっておきます」
「……サラ、お前の個人資産はグランチェスター家よりも多いのではないか?」
「私が把握しているグランチェスター家の資産だけでも、まだ私より多いです。ですが、グランチェスター家の財宝は、目録すら見る権限はありませんから把握しておりません」
これはサラの大嘘である。セドリックを通じてバッチリ確認済みであり、中には偽物やガラクタも含まれていることを承知していた。そして、サラの”個人資産”は確かにグランチェスター家よりも少ないが、これにはソフィア商会の資産は含まれていない。
「まぁ良い。確かにソフィア商会の貸付金と相殺してもらえるのであれば、かなり楽になることは間違いない。なにせしっかり利子をとられているからな」
「あれでも利率は最低水準ですから、かなり良心的なんですけど」
この話を脇で聞いていたエドワードとロバートは、ソワソワしながらサラに質問した。
「なぁ、サラ。ついでに私の借金を…」
「まったく関係ないので減りません。頑張って返済してください」
「それじゃぁ僕のシュピールア代金は?」
「見栄っ張りの結果なので、きっちり耳を揃えて支払ってください。1ダルたりとも値引きしません」
よく似た兄弟は揃ってサラの前に撃沈した。
「ですが、きちんと財政を見直せば小侯爵家の借金はすぐに返せますよ。こちらの見込みでは3年くらいですね。腹黒いクロエのお陰で服飾費は大幅に削減されますよ。まぁ問題はエリザベス伯母様ですが…」
とサラが発言したところで、執務室のドアがノックもなく突然バンっと音を立てて開き、そこには鬼気迫る形相をしたエリザベスが立っていた。肩で息をしていることからも、彼女が走ってきたことが予想できる。
その後ろからパタパタと駈けてくる女性の足音も聞こえることから、おそらくエリザベスの侍女かメイドだろう。
「サラ! どういうことなの!?」
「いきなりなんでしょう?」
今の状況でエリザベスがこれほど取り乱す理由は一つしか思い浮かばないが、ひとまずサラは知らぬ存ぜぬを決め込んだ。
「私の美容担当メイドにしたことよ! なんなのアレは!」
「新製品開発の被験者になっていただきました。何か問題が発生したのでしょうか?」
「何かではないわ! 今朝から大騒ぎになってるのよ。しかもあの子だけじゃなく、何人もいるようじゃないの!! しかも、全員があなたの塔に手伝いに行った人間じゃない。言いなさい。一体、どんな新製品なの。何をしたらあんな風になるの!」
エリザベスは足早にサラに近づき、その両肩に手を乗せてガクガク揺さぶった。
「伯母様放してください」
「いいから、白状しなさい!」
「は、はなして…」
この状況にグランチェスター家の男子三人は慌てふためき、エリザベスを取り押さえようとした。
「エリザベス、何をしておる」
「リズ! やめるんだ」
「オレの娘から手を離せ」
だが、エリザベスの耳にはまったく入っておらず、駈け寄ったエドワードとロバートの手も払いのけ、なおもサラを揺さぶり続けた。
「いい加減にしろ、このアホ女!」
ブチきれたサラは風属性の魔法でエリザベスを1メートルほど吹き飛ばし、そのまま土属性の魔法で拘束した。それでも、五月蠅く騒ぎ立てたため、収納に入っていた布で猿ぐつわをかませる。
「小侯爵夫人が淑女としての嗜みも忘れて何をしているのですか!」
すると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。振り向くと、部屋の入口手前にクロエがカーテシーの姿勢で立っており、ドアが全開になっているにもかかわらず、きちんとノックして入室の許可を得ようとしていた。
「クロエか。よくわからない状況ではあるが、ひとまず入るがよい。ついでにドアを閉めてくれ」
「承知いたしました。祖父様」
クロエは扉をきちんと閉め、優雅な足取りで母親の傍に立った。
「お母様、取り乱したら得られるものも得られなくなりますよ。ひとまず落ち着いてくださいませ」
娘の態度に理性を取り戻したエリザベスは、こくこくと頷いた。
「ごめんねサラ。ちょっとお寝坊しちゃって、お母様のフォローが遅れちゃったのよ」
「何があったの?」
「あなたが昨日の帰り際にメイドたちに口止めしたんじゃない。『他の人に秘密を洩らしたら、二度と被験者にはしない』って」
「そういえば言ったわね」
「だけど、あの顔の変化をお母様が気にしないわけないでしょう? だからメイドに詰め寄ったわけ」
「要するに、一夜にして若返った美肌のメイドに何があったのかを尋ねたけど、『申し上げられません』と頑なに口を閉ざしたってことでいいのかな?」
「そうなることくらい予想しなさいよ」
「予想はしたわよ。だけど、メイドを使いに寄こして私を呼び出すくらいだろうって思うじゃない」
クロエの説明を聞いて、サラは呆れたようにエリザベスを見遣った。
「乙女の塔に行ったことすらメイドたちが口を閉ざしたから、他のメイドたちが事件の捜査をするみたいに朝から彼女たちの動向を嗅ぎまわって大騒ぎしてたのよ。その間、お母様はずっとイライラしていて、美容担当メイドに鞭まで振るおうとしてたらしいわ」
「暴力振るったの?」
「他のメイドに押さえつけさせて、鞭を振るうふりをしたみたい」
「悪いけど、そういう脅しをするだけでも十分暴力よ」
「そうね。言い訳はしないわ」
クロエがしょんぼりと肩を落とした。
「でも、安易に被験者を増やした私にも責任があるわね」
「私はなんとなく予想できてたから、フォローするつもりだったんだけど…ごめんね。昨夜遅かったからぐっすり寝ちゃってた」
「クロエが悪いわけじゃないよ」
サラは拘束されて床に転がされているエリザベスにそっと近づいた。
「今から拘束解きますけど、もう暴れたり騒いだりしないでくださいね? 分別くらいお持ちになってくださいませ」
エリザベスが首肯したことを確認し、サラはするすると拘束を解いた。
「ごめんなさい。みっともないところをお見せして」
「まったくです。そんなことより伯母様、夫と舅と小舅の前でなかなかのやらかし具合ですけど大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょう」
「取り乱しすぎです。クロエにまでこんな顔をさせるなんて。後でメイドたちにもきちんと謝ってくださいね」
サラはエリザベスをソファに座らせ、男性陣が見守る目の前でエリザベスの肌を若返らせた。空間収納から手鏡を取り出して、そっとエリザベスに渡す。
「なんだそれは!」
「り、リズ? なんか結婚する前の君みたいになってるよ?」
「うぉっ。妖精の恵みがリズにもあるのか?」
『ふむ。男性もこういう反応するのか。なかなか面白いわね』
「伯母様、ご満足ですか?」
「え、ええ。まさかあなたの魔法だったとは思わなかったわ。てっきり新しいソフィア商会の商品なのかと」
「現段階では私の魔法でしか実現しませんが、この効果を持つ魔法薬を開発しているんです。彼女たちはその実験に被験者になってもらいました。ですが、美肌になった後にどのような影響がでるかは未検証です。ただ…」
「ただ?」
「開発者の一人は、その原料のせいで貴族が引くレベルで高価な商品になると申しております」
「貴族でも引くレベル…」
エリザベスの顔が引き攣った。
「それに、こうやって肌が若返っても、何もしなければ肌は再びダメージを受けていきます。若返らせるだけでずっと綺麗でいられるわけではないのです。その肌質を維持する他の商品も開発しなければならないでしょう」
「ものすごくお金をかけて肌が若返っても、それを維持するのにもすごくお金がかかるってこと?」
「わかりやすく言えばそうです。それに万人が同じ肌をしているわけではありませんし、魔法に異なる反応を見せる方もいらっしゃるでしょう。ですから、肌の若返りの美容液を一般販売することはありません。ソフィア商会の専門家のカウンセリングを受け、その後のケアまでできる状態でしか提供しないつもりです」
「も、もし王妃様に販売するよう申し付けられたら?」
「グランチェスター領にあるソフィア商会までお越しくださいと申し上げるしかありませんね」
「不敬だと罰を受けるかもしれないわよ?」
「でしたら喧伝して回ります。『王妃様は自分の美肌を維持するために、嫌がる幼女を王都に拉致した』と。うっかりしたら、幼女の生き血の風呂に浸かる王妃様の絵姿がばら蒔かれるかもしれませんね」
にっこりとサラが微笑むと、周囲の大人とクロエは一斉に引いた。
「考えることが怖い!」
「たとえ話なのに信憑性があるではないか。王妃殿下はそのようなお方ではないぞ?」
エドワードとグランチェスター侯爵は、慌ててサラにつっこんだ。
「些細なジョークです」
「ブラック過ぎる!」
「やだなぁ。本当にそんな風に拉致されたら、王城が無事なわけないじゃないですか」
「そっちの方がずっと怖いよ」
ロバートも黙ってはいなかった。
「サラ…王城を吹き飛ばすんだったら、アンドリュー王子だけは守ってね?」
「クロエはブレないわね」
「だって、王子がいなかったら王子妃になれないじゃない。それに、王城壊したのがサラなら、サラが再建するでしょう? なんなら乙女の塔みたいなトイレとお風呂つけてよ」
「今後、王城を吹き飛ばす機会があったら考えるわ」
すっかりサラに慣れてしまったクロエはとても強かった。ジョークであることがわかっているので、安心して言葉遊びができるのだ。
「まぁ、そんなわけで伯母様。まだ開発中ですが、ソフィア商会は今後ますます美容部門や服飾分門に力を入れていくという宣伝をよろしくお願いしますね? そうして頂けるのであれば、今回の施術はサービスしておきます。でも次回からは有料ですから、伯父様とお話合いをなさってから決断してください。ドン引きするくらいの金額になるので」
「わ、わかったわ」
「それと、どうしても急ぎで施術したい方がいらしたら料金をお伝えください」
サラはエリザベスの耳元でそっと金額を呟いた
「えっ! そんなに高いの!!!???」
「施術するのは名高き錬金術師のパラケルススです」
「悪魔に魂を売っても若返りしたがる女性がでそうで怖いわ」
そこにエドワードが近づいてきてエリザベスの肩をポンっと叩いた。
「リズ、君が聞いた金額がいくらなのかはわからないが、悪魔に魂を売るのが女性だけとは限らないことを覚えておいた方がいい」
「そういうものですの?」
「無論、若く美しくありたいという気持ちは男性にもある。だが、それ以上に支配層の人間は、自分の老いを見せることを嫌うんだ。いつまでも若く精力的であることを見せつけ、自分の支配力は低下していないことを示したがる」
『な、なるほど。その視点はなかったわ。美容部門恐ろしく儲かりそう』
「それで伯父様は若返りたいですか?」
「うーん。できれば今のリズの横に立っても違和感がない自分になりたいかな」
「あ、僕もレヴィとの結婚式ではもう少し若くなりたい。実年齢はそれほど差がないのに、見た目はおじさんが少女を嫁にしてるみたいだからね」
「言っておきますが、若返るのは肌だけです。最近ちょっぴり出てきたお父様のお腹は引っ込みませんよ?」
「ちょっと! なんで知ってるんだよ」
「見たらわかりますよ。執務が忙しいのはわかりますが運動不足です。なんなら、私と一緒に剣術の稽古をします? 明日の朝から再開するつもりなので」
だが、この台詞に反応したのはグランチェスター侯爵であった。
「ほう、サラは明日から剣術の稽古を再開するのか。だったら、出立前に少しだけ私と手合わせしようではないか」
「私は構いませんけど、忙しいのに大丈夫ですか?」
「はは。後で側近たちに文句を言われるかもしれんな。だが、まだ一度もサラの剣の腕前を見ていないのだ」
「わかりました。それなら、明日の朝は騎士団本部に行きます」
「そうか。楽しみにしておこう」
「仕方ない、僕も久しぶりに剣を振り回すか」
「ロバート…お前、何年ぶりだ?」
「一応、貴族子弟として最低限の訓練はしてましたよ。ジェフや父上と一緒にしないでください。エドもやるか?」
「言っておくが、私は王都の邸で父上と一緒に剣術訓練しているぞ」
「え、そうだったの?」
「だからお前のように腹は出ておらん」
涼しい顔でエドワードが言ってのける。
『確かに伯父様っていい身体はしてるんだよね。なるほど祖父様と一緒に訓練してたのか。なのになんで執務は一緒じゃなかったんだろう。不思議な親子だよ』
などとつらつら考えつつも、サラはエドワードとロバートの肌を若返らせた。グランチェスター侯爵にも施術するかを聞いてみたが、「私は自然のままで良い」とのことだったのでこちらには何もしていない。
なお、この施術により今シーズンの社交界には大きな嵐が吹き荒れることになる。もちろんサラはそうなることを予想していたが、そんな予想など鼻先で笑い飛ばせるほどの暴風雨に襲われることを、この時のサラはまだ知らない。