もうちょっとなんとかなりませんか?
本邸にあるグランチェスター侯爵の執務室では、グランチェスター侯爵の他にエドワードとロバートが待っていた。
「おはようございます。祖父様、伯父様、お父様」
「もう身体の方は問題ないのか?」
「はい。ご心配おかけしました。もう大丈夫です」
ふとサラが執務室内を見回すと、いつもなら侯爵の近くで執務をサポートしているリチャードとヘンリーの2名が不在であった。
「今日は側近のお二人はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、王都に行く準備のため二人とも他の場所に行っておる」
「いつ発たれるのですか?」
「明日の朝の予定だ」
「エドワード伯父様もご一緒ですか?」
「そうだ。だが、明日は私だけだ。リズと子供たちはもう少しこちらに居るだろう」
「クロエとクリスはともかく、アダムは当分こちらでしょうね。来年の社交は諦めた方が良いかもしれません」
「聞いている。まぁ致し方あるまい。よい師に出会ったことを喜ぶとしよう」
「コーデリア先生でフォローしきれない分については、トマス先生もサポートしてくださるそうなので、今はアダムの基礎となる部分を強化していくしかありません。こればかりは一朝一夕で何とかなることではありません」
「そうだろうな」
エドワードは息子を心配する普通の父親の顔であった。
「アダムのアカデミー入学については、それほど心配しなくても良いかと。本人に告げるつもりはありませんが、おそらく今のアカデミーはグランチェスター領に対して何らかの配慮を示すはずです」
「確かにそうかもしれないな。あれ程の騒ぎを起こせばそういうこともあるだろう」
「個人的にはクリスの方が心配です」
「クリスの方は成績も上々だと聞いているが」
「そうですね。彼の年齢を考えると恐ろしく能力は高いです」
「良いことではないか」
ここでサラは少しだけ説明に詰まった。自分という例が身近にいるせいで、クリストファーの特異性が大人たちに伝わっていないということに気付いたのだ。
「彼の能力は極めて高いです。ただ、一方でその能力を隠そうとしているのも事実です」
「隠す?」
「クリスは自分が次男であるが故に、アダムよりも目立ってはいけないことに気付いているのだと思います。私が王都のグランチェスター邸にいた頃、クリスの特異性にはまったく気付きませんでした。正直言えば、何も考えていない愚鈍な少年だと思っていました」
「確かに私も最近になってからクリスの変化に気付いたが…」
「クリスの自我がいつ頃芽生えたのかはわかりません。ですが、かなり早い段階だったことは間違いないでしょう」
「そういえば言葉を覚えるのが早い子供ではあったな」
「おそらく、その頃にはアダムと自分の立場の違いを理解していたと思います。そうでなければ、10年も周囲に気付かれなかったことの説明がつきません」
グランチェスター家の男性たちは揃って怪訝な表情を浮かべている。
「どういうことだ?」
「私の前世では、クリスのような子供をギフテッドと呼んでいました。『天賦の才』を持って生まれた子供と言う意味ですね」
「それほどの能力なのか?」
「クリスはトマス先生が実施したテストで、いくつかの問題を”意図的に”間違えて提出していました。自分が目立たないような工作をしていたということです」
「なぜそんなことを?」
「自分の方が優れていることでアダムを刺激しないためでしょうね。平穏な家庭であり続けるために、クリスは空気を読んだのだと思います。私に対するイジメについても、彼は積極的に参加していません。ですが、アダムやクロエに逆らって波風を立てるより、二人に追随することを選んでいます。まぁ卑怯者の誹りは免れませんけどね」
「本当に子供たちがすまないことをした」
エドワードはサラに心の底から謝罪した。
「その件は許さないと決めているので、これ以上謝罪される必要はありません。だからといってすべての付き合いを断ってしまうほど狭量でもないつもりです」
「なるほど。お前は大物だな」
「前世には『それはそれ、これはこれ』という都合の良い言葉がありましたから」
「そうか」
サラはエドワードに向き直った。
「伯父様。王都に発たれる前に、一度クリスと二人で会話をしていただけないでしょうか。今も彼が自分の能力を隠しているのは、アダムのやる気を削がないためだと思います。それくらい彼は家族を愛しているのだと思います。……まぁ領主など面倒なことをしたくないという思いもあるかもしれませんが。いずれにしても、彼はその知能の高さや洞察力で、自分がどのように振舞うべきなのかを理解しているのです」
「だが、そんなクリストファーと私はなにを話せばいいのかわからないぞ」
「特別なことを話す必要はありません。ただ、伯父様はアダムだけではなく、クリスも愛しているということを伝えてあげてください。ギフテッドの子供の多くは早熟で、早期に大人と同じような思考力や判断力を持っています。ですが、その特異性から違和感や孤独感を抱えている子供も少なくないのです。どうかクリスが自分の能力を認め、自信をもって生きていけるよう見守ってください」
「子供たちを愛していることや、健やかな成長を見守っていることなどわざわざ言うまでもないと思っていたが…、きちんと言葉にすべきということだな」
「伯母様への愛も言葉にしなかったせいで、政略結婚だと思われていたではありませんか。子供たちなら自分の愛をわかってるって自信はどこから来るんです?」
呆れたようにエドワードを見つめたサラは、首を横に振った。
「その調子なら、クリスだけじゃなくて子供たち全員と個別に話した方が良さそうな気がしますね」
「そうするよ」
エドワードとの会話が一段落したところで、グランチェスター侯爵が割り込んだ。
「サラ、そこまでクリストファーの能力が高いなら、アダムではなくクリストファーを将来の領主にするのはどうだ?」
「祖父様、一体何を聞いていたのですか。領主の座を望まないからクリスは自分の能力を隠しているのです。アダムがやる気になっているのですから、アダムにやらせてあげれば良いじゃありませんか。わざわざ波風を立てる必要あります?」
「だが能力の高い人間が領主になるべきだろう?」
「クリスは確かに優秀ですが、本人にやる気がまったくありません。それより、以前から気になっていたのですが、祖父様は『領主の能力』にこだわりがあり過ぎませんか? なにか理由でもあるのでしょうか?」
サラは首を傾げて、グランチェスター侯爵を見つめた。
「私が領主に向いた人間ではないからだ。本来、領主になるのは兄上だったからな」
「あぁ、そんなこと仰ってましたね。でも、お兄様が儚くなってしまわれたのであれば是非もないではありませんか」
「そうだ。私は上から順番に巡ってきたために、グランチェスター侯爵となったに過ぎぬ。アカデミーを卒業後は近衛騎士となり、結婚後はグランチェスター騎士団の騎士となるつもりであった」
「そんなに領主がイヤだったなら、ジェフリー卿のお父様にでも譲れば良かったではありませんか。あるいは前ハリントン伯爵夫人であるお姉様が婿をとることだってできたと思いますが」
グランチェスター侯爵はしょんぼりと項垂れ、深い深いため息をついた。
「実は、グランチェスター家とエイムズベリー家の間に取り決めがあったのだよ」
「取り決め?」
「そうだ。隣接した領地を持つ両家は、長いこと領地問題で争っていた。そのため、王室が仲裁役となり、両家の争いを婚姻によって解決することになったのだ」
「いかにもありそうな話ですね」
「ノーラは、エイムズベリー家の長女でな、元々は小侯爵であった兄の婚約者だったのだよ」
「祖母様はもともと祖父様のお兄様に嫁ぐ予定だったということですか?」
「そうだ」
『あ、なんか話が見えてきた気がする』
「もしかして、祖母様と結婚したかったから領主になったのですか?」
「私が領主にならなければ、ノーラは弟の嫁になる。私はそれが耐えられなかった」
「えーっと…。お兄様の婚約者がずっと好きだったってことであってます?」
グランチェスター侯爵はこっくりと頷いた。
「王室の仲裁で両家の婚姻が決まり、顔合わせのためにノーラとその両親がグランチェスター城を訪れたんだ。私はまだ14歳でノーラも10歳だった。兄上はすでに19歳だったから、兄上の目にはノーラが子供にしか見えなかったらしい。わかりやすいくらいガッカリしてたからな」
「そのくらいの年齢なら仕方ないかと」
「お前に求愛してるトマス・タイラーも19歳だと思ったが?」
「それは特殊な例です。私も受け入れていませんし」
サラがキッパリと言い切ると、なぜかロバートが嬉しそうな表情を浮かべた。
「だが兄上と違って、私の方は…」
「一目惚れですか?」
「彼女の蒼い瞳から目を逸らせなかった。サラ、お前の瞳と同じ色だったよ。金色の髪も輝いていて、ノーラにだけ光が射しているようにすら見えたよ」
『なんか詩的な表現だなぁ。このままポエム語っちゃうのかしら?』
「それ以降も関係を深めるため、ノーラは頻繁にグランチェスター城や王都の邸を訪れた。もちろん兄上に会いに来ていたのだが、彼女と会話したり食事をしたりする時間はとても楽しかった。外見だけではなく中身も素晴らしい女性だと思い知るたびに私の胸は痛んだ。彼女は兄上の婚約者で、私の想いは口にすることすら許されん」
「まぁ確かに口にしたら大問題ですよね。父さんがエリザベス伯母様を好きっていうよりも大事になりそうです」
これにはエドワードが複雑な表情を浮かべた。
「そうして3年が過ぎた頃、二人の兄上が相次いで病で亡くなってしまったんだ。言ってみれば繰り上がりだな」
「つまり、祖父様は自分が領主に向いていないことを知りつつも、祖母様と結婚したいからグランチェスター侯爵になった、と」
「そうだ。だから領民たちには申し訳なく思っているし、私なりに努力してきたつもりだ。側近のリチャードとヘンリーの手を借りて、やっと何とかなっているといった状態なのだよ。だが、私は小麦の横領を見抜くこともできず、暴動も孫の力を借りてやっと鎮圧するといった有様だ。そんな私が、次期領主のエドワードに偉そうに領主教育などできる気がしなくてな」
「え、そんな理由で伯父様に領主教育をしなかったんですか?」
「エドワード、すまない。決して放置しようと思っていたわけではない。私が領主の座を引いても、側近たちがいれば滞りなく執務を継承できるなどと安易に考えていたのだ」
ここに至り、サラは完全に呆れ返った。
「祖父様、正直な感想を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「うむ。構わん」
「初めから優秀な領主になれる人などいません。お兄様が相次いで亡くなられたことはお気の毒だと思います。それに理由がなんであれ、領主になってから頑張ってこられたのではありませんか。どうしてその姿を次期領主となる伯父様にも見てもらわないのですか?」
ふっとグランチェスター侯爵は苦笑を浮かべた。
「私の取り組みなど失敗の歴史ばかりだ。参考になどならん」
「ですが、それを失敗だと知れば、伯父様は同じ失敗をせずに済むではありませんか。結局のところ、祖父様は”ええ恰好しい”なのです。自分の格好の良い部分しか子供たちに見せたがらないのですから。領主としての祖父様は、泥臭く足掻き、悩み、時には失敗したのでしょう。深く傷ついたこともあったかもしれません。ですが領民に寄り添い、より良き領にするために努力されてきたこともお認めになるべきです。伯父様も祖父様の姿を見れば、一緒に領内のさまざまな課題に取り組もうとなさるでしょう。それこそが真の領主教育だと思いますが、いかがでしょうか?」
「そう…かもしれんな」
「私にも父上の執務を手伝わせてください」
「僕は領地でもうちょっと代官を務めるよ。まぁ結婚後は自分の領地も見ないといけないけどね」
サラは執務室にいる三人のグランチェスター男子たちをぐるりと見回し、そして堪えきれずにくすくすと笑い出した。
「本当にヘタレはグランチェスター男子のお家芸ですね。もうちょっとなんとかなりませんか?」
「ならんな」
「ならないね」
「うん、こればっかりはどうにも…」
ダメダメであった。