朝の身支度
目を覚ましてから6日目の朝、やっとサラは自由に動けるようになった。念のため部屋で朝食を摂った後にアメリアとリヒトの診察を受け、体調に問題が無いことを確認した後は、マリアも心配そうな表情を浮かべることなくサラの身支度を手伝った。
「サラお嬢様、今日のご予定はグランチェスター侯爵との面談でしたっけ?」
「ええ。数日中に祖父様は王都に向かわれるから、その前にお会いしておきたいの。午前中にお時間を割いてくださるそうよ。アカデミーへの対応も話し合っておかないといけないでしょうね。その後の昼食は本邸で済ませるわ。祖父様から誘われているのよ」
サラの髪を梳き終えたマリアは、サイドの髪を複雑に編み込んでハーフアップに仕上げつつ、今日のサラの予定を確認していく。
「昼食後はソフィア商会に行かれるのですよね?」
「あまり気乗りはしないのだけど、商業ギルドから呼ばれているのよ。さすがにゴーレムで対応は無理だから、私が行くしかないわ」
「小麦の買い占めの件を責められるのでしょうか?」
「領主が決定したことに文句を言うほど愚かではないと思うけど、嫌味くらいは言われるでしょうね。私が倒れてる間にポチたちがやってくれたことに気付かれた可能性もあるけど、セドリックが何も言ってこないところを見ると多分違うわね」
完成したヘアスタイルを確認するため、マリアはサラの後ろで手鏡を翳す。
「こうして結い上げても、ソフィア様に変わられたら解かれてしまうのですよね」
「ごめんね。折角やってくれているのに」
「いえ、解かれてしまうことそのものは構わないのです。ただ、どれだけ複雑に編み込んでも、サラお嬢様は魔法で同じように結い上げてしまわれるので、お仕事を取られてしまっているような微妙な気分になるんです」
サラはマリアの持った手鏡に映ったバックスタイルを、前面のドレッサーの鏡面で確認してマリアに頷いた。
「メイドの矜持に傷をつけるつもりはないんだけどなぁ。それに、一度はこんな風に結い上げてもらわないと、やり方がわからないから魔法を使って再現することもできないわ」
「つまり、新しい髪形を考える仕事が残ってるということですね?」
「そうなるわね。あとはコーディネイトじゃないかな。ある程度は自分の趣味を反映するだろうけど、商会長らしいスタイルや令嬢らしいスタイルって提案してもらった方が安心できるもの」
「そういうことでしたら、ソフィアにも美容担当の使用人をつけるべきでしょうね」
「ソフィアはジェフリー邸に間借りしてることになってるから、なかなか難しいわね。早めにソフィアの自宅を確保しないと。今日はその話も祖父様とするつもりよ」
「確かに。そろそろジェフリー邸から引っ越さないと、結婚の噂が出回りそうです」
「もうとっくに噂になってるわ」
「ソフィアの姿でも、ジェフリー卿を熱い眼差しでご覧になるからではありませんか?」
マリアは呆れた声を出しながらも、手際よくサラの着替えを手伝い続ける。さすがにグランチェスター城の本邸にある侯爵の執務室ともなれば、たとえ家族であってもラフな姿で出入りすることはできない。パニエを履かせてから上にスカートを重ね、ボディスの部分も仕上げていく。
「だってジェフリー卿はカッコいいじゃない」
「ジェフリー卿はお嬢様には年上過ぎだと思います。私はスコット様の方が良いと思います。よく似ていらっしゃいますから、きっと将来はジェフリー卿のような美丈夫に成長されると思いますよ?」
『あれ? マリアはもしかしてスコットに好感を持ってる感じ? そういえばこの二人って同じ年なのよね。仕事してるからマリアの方が大人びて見えるけど』
「それにしても、サラの姿ならこんな風に布製の柔らかい下着で済むけど、ソフィアだとぎっちりコルセットするのが憂鬱なのよね。身体を締め上げるのは何度やっても好きになれないわ」
「だったら締め上げなくても美しく見える下着を開発して、ソフィア商会で販売してくださいませ」
「それは、ファッション革命も必要になる難しい問題よ。まぁもう少し下着を何とかしたいのは事実だけど」
サラは自分が今履いているかぼちゃパンツにウンザリしていた。まだ子供なので可愛いと言えないことも無いのだが、気分が盛り下がるデザインであることは間違いない。なお、ソフィアになれば、紐パンかズロースの二択だ。
「下着なんて見せる物じゃないんですから、清潔ならなんでも良くありません?」
「とっても重要な問題よ。下着が違えば気分も変わるわ。なんなら私の仕事の効率も左右するくらい違うんだから」
「はぁ、そういうものなんですね」
マリアは最後に幅広のリボンをサラのウェスト部分に巻き、背中側に大きな蝶結びを作った。ズレないよう見えない部分にいくつかピンを打って固定して完成だ。実はこのピンはサラがテレサに指示して作らせた『安全ピン』である。その他にもカギホックなど細かいパーツをテレサの伝手を使って作らせており、デザイナーのルーカスに渡している。
『ファスナーも作りたいけど、あの構造をこの世界の鍛冶師さんたちが作れるかしら? まぁ最大の問題は私がアレの設計図っぽい物を描き起こせないってことなんだけど』
サラは漠然と覚えていた金属製のファスナーの構造を思い出し、仕組みを図で描き起こそうとしたことがあった。だが、絵心の無さが災いし、その絵を見たテレサは動物の背骨を描いたのかと質問したくらいである。
「ところで、今日はゴーレムのソフィアは出勤しないのですか?」
「仕事はうんざりするほど溜まってるから、午前中はゴーレムのソフィアに執務をお願いするつもり。ソフィア商会の執務室で入れ替わるわ」
「本邸から直接ソフィア商会に向かわれるのですか?」
「一度戻ってくるわ。デュランダルで行きたいのよ。倒れてから一度も乗ってないしね。デュランダルに忘れられてなきゃいいけど」
「たぶん大丈夫だと思いますよ。ブレイズ様が話しかけて、ご自身の愛馬のアルヴァと一緒に走らせていらっしゃいました」
「それはデュランダルも喜んだでしょうね」
「まさにアルヴァの尻を追いかけていたそうですよ」
「そうだと思ったわ。あの子、女好きだから」
「でも、スコット様の愛馬のディムナに邪魔されて不機嫌だったそうです」
「あはは。目に浮かぶわね。デュランダルは併せ馬でディムナに負けたことがあるから敵愾心が凄いのよ」
「人間みたいで面白いですね」
「当然よ。馬だって生きてるし個性があるもの」
サラはマリアの方にくるりと振り向いて微笑んだ。
「ありがとう。マリアのお陰で身支度は完璧ね」
「これが私の仕事ですから。でも、ソフィア商会に行く前には戻って着替えですよね」
「そうね。このドレスじゃ馬には乗れそうにないわ」
「乗馬服になさいますか?」
「どうしようかな。少し駆けさせたいからサイドサドルじゃない方が良いんだけど…」
「そういえば、ルーカスがソフィアの騎士風衣装を見て、サラお嬢様用にも騎士風の乗馬服を作ってますが、そちらになさいます?」
「また変わったものを作るなぁ。でも、面白そうだから今日はそれを着ようかな」
「承知しました。では、着替えを用意してお戻りをお待ちします」
そして、サラは本邸で待つグランチェスター侯爵の元へと馬車で向かった。今日の馭者はマリアではないメイドが務めることになったが、マリアも乗馬や馬車を馭する訓練を開始しており、馭者もマリアが務めるようになる日も近いかもしれない。




