お掃除と探検
塔の正面玄関の扉は蝶番がさび付いていたらしく、鍵を開けてもギシギシと音がするだけでまったく動かなかった。男性陣が協力して押してみたが、古い木製の扉の方が壊れてしまいそうだったため、フランが荷馬車から道具箱を持ち出し、蝶番ごと扉を外すことで解決した。後で修理もしてくれるらしい。
広い玄関ホールには、家具らしきものが何もなくガランとしていた。古い建物ではあるがガラス窓があり、木製の雨戸が取り付けられていた。雨戸の方は取り換えた方が良さそうだが、今のところ割れている窓ガラスは無さそうだ。
「蒸留釜は実験室にあるそうなのですが、実験室は複数あるようなので、どこにあるかまでは正確にわかりません。資料室と図書室が3階にあり、パラケルススの寝室も同じ階にあったそうです。居間や食堂は2階にありますが、キッチンは1階のようですね」
イライザは塔の見取り図の写しを取り出し、辺りを見回しながら説明を始めた。
「使用人部屋もありますか?」とテレサが質問すると、イライザは見取り図を確認して「4階から上は使用人に割り当てられていたようです」と答えた。
それを聞いてサラも見取り図を覗き込む。
「あら浴室もあるのですね」
「主人用の浴室が2階に1つ、使用人用の浴室が地階に2つありますね。おそらく男女で分けるためでしょう。それとは別に客室が5つ用意されており、それぞれに小さな化粧室と浴室が備えられております」
客室を5部屋と言わないのは、それぞれに寝室、居間、侍女や侍従のための小さな部屋が用意されているためだ。
「ひとまず、順番に見て回りましょうか」とレベッカが提案する。
「では、私たちは掃除に取り掛からせていただきます。もし優先して片付けたい部屋がございましたら、お声がけください」とイライザが応じた。今日はマリアもお掃除要員である。
さっそくメイドさんたちは、するすると動き出した。パタパタと窓を開け放ち、荷馬車から次々と掃除用具を取りだして持ち場に散っていく。メイドたちが乗ってきた荷馬車の御者とその横に座っていた少年は、それぞれ桶を2つ持って井戸へと水を汲みに向かっている。どうやら彼らもお掃除要員のようだ。
ドアを外したフランは、「蒸留釜見つけたら教えてくれ」とテレサに声をかけ、ドアの修理を始めた。
『みんな手際いいなぁ』
メイドたちの作業を横目で見つつ、サラはレベッカと3名の新しい仲間および保護者2名を引きつれて、塔の探検を開始した。
順番に見て回ろうにも、塔の内部はかなり広いため、まずは資料室と図書室のある3階へと上がることにした。メイドたちもその行動は予測済みであったらしく、3階には多めの人数が割り当てられていた。
1階から3階は非常に天井が高いようで、階段を登るのも一苦労であった。ただ、緩やかなカーブを描く階段を登っていると、窓から差し込む日差しのラインがキラキラと光って綺麗だった。
『待った! これは埃が舞ってキラキラしているだけだ!』
よく見ると、そこらじゅうでメイドと下男がパタパタとせわしなく動き周り、ゴミを次々と運び出しつつ、経年劣化でボロボロになったカーテンやリネン類を回収している。
3階に到着すると、イライザが報告にやってきた。
「お嬢様、図書室と資料室は内部で繋がっておりました。というより、資料室は図書室の一部という使われ方をしていたようですね」
「確かに書類、資料、書籍の分類って難しいよね」
資料室側の扉から中に入ってみると、丸まった羊皮紙が無造作に棚に突っ込まれていた。板の表紙を付けて紐で括られたものも積みあがっている。
壁という壁に書棚が作りつけられ、図書室との仕切りも天井まである書棚であった。ところどころに明り取りのための小さな窓はあるが、書棚に直射日光が当たらないような配置になっている。壁や天井には、燭台ではなく魔石ランプが置かれているところから、おそらく夜でも資料の読み書きができるようになっているのだろう。
北側の壁にある書棚の下部は引き出しになっており、引き出してみると中には未使用な魔石がいくつも入っていた。他にもなんだかわからない標本やサンプルがゴロゴロと納められているのだが、見ただけでは正体が何かはさっぱりわからない。
「テオフラストスさん、アリシアさん、こちらの標本のようなものってなんだかわかります?」
「こちらは鉱石類ですね。隕石も含まれているようです」とテオフラストスが答えると、横にいたアリシアは「父さん、こっちには化石だわ」と答えた。
テレサも「これはアダマンタイトだ。こんなに大きなものはなかなか見ないんだが」と、標本棚に興味津々である。
アリシアやテレサはともかく、テオフラストスまで一緒になってキラキラと目を輝かせている。よく見ると、控えめながら、アレクサンダーやアメリアまで一緒になって、標本棚をみているではないか。
『そんなに面白いのかしら?』
専門知識があるわけではないので、なんとなく彼らの熱意に付いていけていないサラは、彼らを置いてレベッカと二人で図書室の方に向かうことにした。
「こ、これは!」
資料室と図書室の仕切りにも作り付けの書棚が使われているため、その向こう側にぐるりと回り込むと、その先には圧巻の景色が広がっていた。
図書室は2階から3階の中央部分が吹き抜けになっていた。床から天井まである書架がいくつもあり、2階部分にはいくつかの扉が見える。それは図書室などという規模ではなかった。
「レベッカ先生、これは図書室ではなく図書館だと思いませんか?」
「ええ、私もそう思うわ。本邸の図書館よりも規模が大きいわね」
「こんな場所を閉鎖しておくなんて、とんでもないことだわ」
装飾的な柱や作り付けの書架は、長い年月を経て艶やかな飴色になっている。
「どんな木材を使うと、こんなに美しい柱にできるのでしょうね」
触ってみると滑らかな手触りであったが、まだ掃除前だったことから、サラの手はバッチリ汚れてしまった。このままでは本を触ることはできそうにない。ちょっと顔をしかめると、近くにいたメイドが心得たように水差しと洗面器を差し出した。
「サラお嬢様、こちらで手を洗ってくださいませ。ハンカチと手袋もご用意がございます」
「ありがとう」
2階部分に降りて扉を一つ開けてみると、そこは実験室だったようだ。部屋の中央に木製の大きな作業机が置かれ、実験道具が乗っていた。壁側にも書き物机が置かれて、その脇には書架もあったが、ここには資料は残っていなかった。
『パラケルススの資料は隠されていたんじゃなくて誰も整理しなかっただけだったのかもしれないわね』
他にも実験室と思われる似たような部屋が3つほどあり、そのうち2つに蒸留釜が置かれていた。そのうち1つは、更紗のいた世界ではポットスチルと呼ばれる単式蒸留釜のように見える。2メートルほどのそこそこ大きなモノなのだが、何を蒸留していたのかはわからない。もう一つは、小さいが複雑な水蒸気蒸留装置のように見える。いずれも銅のような金属製に見えるのだが、実際には専門家に見てもらうべきだろう
ひとまずサラは吹き抜けの広い部屋まで戻り、「蒸留釜ありましたよー」と大きな声で皆に声を掛ける。
すると、資料室にいた5人がゾロゾロと図書館に移動し、先程のサラとレベッカのように驚いて辺りを見回しはじめた。
「ここ、凄すぎます!」アリシアが興奮して叫ぶと、アメリアも「素晴らしいですね」と感動で目を潤ませている。無言の保護者2名も、心なしか鼻息が荒そうだ。
しかしテレサは図書館に驚きつつも、蒸留釜が気になって仕方ないらしい。そして兄弟子にも知らせるべく、サラよりもさらに大きな声で「おーいフランーーーーー。蒸留釜あったらしいぞー」と叫んだ。
すると「いまいくー。何階だー」という返事があった。
幸い2階部分にも出入口があったため、サラもそちらの扉を開けて「フランさーん、こちらからお入りください。2階でーす」と声を掛けた。
これらのやり取りをみたメイドたちは、優先順位を図書館と実験室に切り替え、人数の割り当てを変更したらしい。よく見ると執務室のメイドさんではない人や、先程はいなかった下男も混ざっているので、気付かないうちにヘルプを呼んだに違いない。
やってきたフランは、蒸留釜を見るなり「これは手入れが必要ですね。分解してから工房に持ち帰って、洗浄と整備をしたいです」と言い出した。
しかし、これにはテレサが真っ向から反対した。
「ちょっとフラン。サラお嬢様から蒸留釜の仕事を依頼されたのは私よ。仕事を横から奪うようなことしないで頂戴!」
「これは俺のひい爺さんが作ったんだぞ」
「そんなこと関係ない。そもそもフランは私の付き添いでしょ」
『あ、ちょっと面倒なことになってきたぞ』
「お二人とも落ち着いてください。まず私が依頼したのはテレサさんですので、蒸留釜に関するお仕事は彼女にお任せしたいのです。そもそもフランさんには、他にもお仕事があるのではないでしょうか?」
「ほら見なさいよ」
「でもテレサさん。私は知識のある先達の意見を聞くことも大切なことだと思うの。まずはテレサさんのお父様の工房に運んで、テレサさんの作業をフランさんに監修していただくのはどうかしら?」
「俺はそれでもかまいません! この蒸留釜がどうなるのかをこの目で見れれば満足です。もちろん料金も必要ありません」
「もちろんフランさんにも監修料はお支払いします。グランチェスターは職人への報酬を惜しむような吝嗇ではありません」
『仕事には正当な報酬があるべきだもの!』