綺麗になる魔法
ハンナは困った顔をして、サラとクロエに話しかけた。
「お嬢様方、またメイドの方々や先生方にお叱りを受けてしまいますよ。厨房までお越しにならずにお待ちくださいませ」
「あら、今のメイドたちはアメリアに掛かりっきりで、私たちのことなんて気にしてないわ」
クロエはシャーロットを抱えたままハンナに応じ、サラも先程のクロエと同じようにシャーロットの頬を指先でふにふにと触った。
「やっぱり肌質はこのくらい若々しい方が良いわよね!」
「サラ、どうしてシャーロットを前に考えることがソレなのよ」
「だって触り心地が最高なんだもの」
「それは間違いないわね」
ハンナの注意など右から左といった風情ではしゃいでいるサラとクロエのことを、リヒトは食事をしながら観察していた。そして食事が終わると、少しばかり呆れたように声を上げた。
「サラお嬢様、今日はアメリアを着飾らせる日じゃなかったんですか?」
「着飾らせるわけじゃないわ。彼女が本来持ってる美しさを引き出してるの」
「よくわかりませんが、少なくともシャーロットは関係ないのでは?」
「何を言っているのかしら。このスベスベでぷにぷにのもっちりお肌に近づけることが、美しさの基本に決まってるじゃない。あなた前世で何を研究していたの!?」
「ヒトの免疫細胞だけど?」
「あ、うん。真面目に答えて欲しかったわけじゃなかったんだけど…」
「だろうね」
リヒトが冷静に返すとサラも少しだけ大人しくなった。
「クロエお嬢様も、シャーロットを構いたいのはわかりますが、ハンナさんの仕事を邪魔するべきではありません。今日はエイヴァさんが不在で、彼女は一人でみなさんのスコーンを焼きながら夕食の支度をされているのです」
「まぁ、それは気付かなかったわ。ハンナ、ごめんなさいね」
「私もごめんなさい」
クロエとサラは素直にハンナに謝った。クロエはシャーロットも大好きだが、その母親のハンナのことも気に入っているのだ。
「大丈夫ですよ。いつもシャーロットに良くしてくださっているので、お嬢様方には感謝するばかりです。それにしてもメイドさんたちがお忙しいなら、お茶はどうされますか? スコーンが焼きたてなのですが」
「シーナなら動けるでしょうから、彼女に運ばせましょう」
リヒトは立ち上がって廊下まで歩き、少し大きな声でトマシーナを呼ぶと、食べ終わった食器を自分で洗い場に運び、そのまま洗い始めた。
「リヒト様! そんなことをなさる必要はございません。私が洗っておきますので、どうかそのままにしてくださいませ」
「いや、もう終わるから大丈夫です。スープボウルと皿だけですからね」
さくっと皿洗いを終えたリヒトは、そのまま布巾で食器を拭こうとしたが、さすがにハンナはそれを許さなかった。サッと布巾を取り上げて、手際よく食器を片付けてしまった。
「リヒトっていろいろ手際が良いわよね」
「一人で過ごしてた時間が長いからね」
「でもさ、私たちが厨房に直接来ることより、リヒトが食器を洗う方がハンナには負担が大きそうよ? 職業意識が強いからリヒトにお皿を洗わせたことに自責の念を感じてそうだし、なにより男性が苦手なのに慌てて布巾を取り上げるくらい近づいてるんだけど」
「あ!」
今は微妙に距離を置いた位置に立っているハンナは、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「本当にリヒト様は全然怖くないんです。でも近づくと身が竦んでしまって…どうしてこんなことになってしまったんでしょう。早く治さないと皆様にご迷惑ばかりお掛けして……」
リヒトはニコリとハンナに微笑みかけ、少しだけ後ろに下がった。
「ハンナさん、あなたが気にすることはなにもありません。身体と同じように心も傷を負うんです。無理をしても傷が悪化するだけです。今は自分を労わってあげる時期ですよ」
それを見ていたサラは、リヒトの代わりにハンナに近づいて両手をそっと握った。
「傷が治る時間は人それぞれ違うと思うの。だからゆっくりで大丈夫。それに、ここはゴーレムに守られた乙女の塔だもの、誰もハンナを傷つけたりしないから安心して」
サラの後ろからシャーロットを抱えたクロエも近づいてきて、ハンナに優しく声を掛ける。
「もちろんロティだって安全よ」
「あんぜん!」
「本当にここは平和で幸せな場所ですね」
シャーロットはニコニコ笑いながらクロエの発言を繰り返し、それを見ていたハンナは娘に柔らかく微笑んだ。
そこにトマシーナが到着し、無事にスコーンを始めとするお茶のセットが2階へと運ばれて行った。
「ハンナ、ロティもお茶に連れて行っていいかしら?」
「ご迷惑ではありませんか?」
クロエの申し出にハンナが心配そうに答える。シャーロットはまだハーブティが飲めないため、お茶の席に連れて行っても邪魔になるのではと考えたのだ。
「大丈夫よ。それに、きっとサラがまたエルマジュースを出してくれると思うの」
「あら、クロエったら鋭いわね。私が寝込んでる間に収穫された新種のエルマのジュースがあるのよ。すごく甘いから、シャーロットも気に入ると思うわ」
「え、それ私も飲んでみたい」
「じゃぁ上に行きましょう。リヒトはどうする?」
「お腹はいっぱいなんだけど、そのスコーンなら入る気がするね」
「あはは。お茶でいいの? 珈琲もあるけど」
「スコーンにはお茶だろう。紅茶もあるかい?」
「あるわよ。そろそろマリアが降りてくると思うから、彼女に淹れてもらった方がいいわ。私が淹れるよりも美味しいのよね。同じようにやってるはずなのに」
トマシーナに続いて4人が2階に上がると、丁度アメリアがメイドや集落の女性たちを従えるようにゆっくりと3階から降りてきた。
その様子にリヒトは目を見張った。アメリアが美しくなることは予想していたが、今のアメリアはリヒトの予想を遥かに超えていた。
「え、整形?」
「リヒト…この世界にまだその技術はないわ」
「どんな魔法使ったの?」
「私は光属性の治癒魔法と水属性の魔法でお肌を若返らせただけ。あとは美容担当メイドの技術のなせる業よ。私の魔法より凄いかもしれない」
「ほへー、マジですげぇ」
「ですって、アメリア。リヒトが口を開けっ放しにするくらい綺麗みたいよ」
するとアメリアは薄っすらと頬を染めて小さく微笑んだ。
「本当なら謙遜すべきなのでしょうけど、自分でもびっくりしてるので素直に誉め言葉として受け取っておきます。サラお嬢様の魔法も凄かったですが、メイドの皆様の本気に驚愕しているんです」
背後に控えていたメイドが歩み出て、現在のアメリアの状態についてリヒトに説明した。
「それほど特殊なことをしているわけではありません。目元を少しだけ強調し、唇にも不自然でない程度に軽く赤みを差しました。あとは、若い女性らしい可憐さを際立たせるために、ほんの少しだけ頬にも色をのせたくらいです。メイクとしては必要最低限のレベルなのですが、これまでアメリア様は素顔のままで過ごされることが多かったため、差異に驚かれているのでしょう」
「それにしても、びっくりするくらい綺麗なお嬢さんになったよ」
リヒトは感心しきりで、アメリアの周囲をウロウロしてさまざまな角度から眺めた。
「サラお嬢様の魔法で肌が補修されたことも大きいです。アメリア様は野外で過ごされる機会が多いため、どうしても日焼けによるダメージが隠せていなかったように思います」
「なるほど。確かにすっぴんで外にでたら、帽子を被っていても日焼けしちゃうかぁ」
「ですがサラお嬢様が肌を修復してくださったため、アメリア様は赤子のように美しい肌に戻っております。本当に透明感のある素晴らしいお肌なので、ほんの少しだけ白粉をはたく程度に留めております」
するといきなりリヒトが立ち止まって説明しているメイドを振り返った。
「待って、その白粉って何でできてる?」
サラ、アメリア、アリシアは、リヒトが何を心配しているのかを理解した。
「大丈夫。鉛白は使ってないわ。私がいるんだから許可するわけないじゃない」
「だけどさぁ、オレが王都にいた頃、どんなに注意しても女の子たちは鉛白入りの白粉を使うのをやめなかったからさ。そのせいで死んだ子も多かったんだ」
リヒトは過去を思い出してしょんぼりとした。
「これはソフィア商会がもうすぐ出す新製品。アメリア渾身の力作で、きっちり本人が美しくなっているから説得力も倍増って感じね。とはいえ、アクラ山脈まで雲母を取りに行ける冒険者を雇うのが大変だから安定供給は難しいわ。でも頑張って価格を下げて、粗悪な化粧品を駆逐する気満々なの」
「サラ、ちょいちょい知識チート使ってるよね」
リヒトが呆れたような声を上げると、サラはリヒトを睨み返した。
「ちょっと失礼なこと言わないで頂戴。さっきも言ったでしょ。これはアメリアの力作。彼女の功績よ。ついでに言うと、雲母からマイカを取り出すようなメモを書いたのはリヒトで、アメリアのヒントになったらしいわ」
「え、オレのせい?」
サラとアメリアは無言で首肯し、アリシアは苦笑して高祖父の様子を眺めた。
「それに知識チートってことなら、魔石研究とかマギの研究とか書き散らかしたのもリヒトじゃない。乙女の塔に来たアリシアは、嬉々として研究を引き継いでるわよ。私だけが暴走してるみたいに言うのはやめて欲しいわ」
「ソウデシタネ」
「私はすごく楽しいわ! パラケルスス最高!」
アリシアは実にイイ笑顔を浮かべている。マッドサイエンティストの笑顔である。
「一応聞いておくけど、リヒト好みのドールってどんな造形なの?」
「それは墓場まで持っていく秘密かな」
「だったらメモしておくのやめなさいよ」
「日本語だから大丈夫かなって思ったんだよ」
「同胞を求めてたのに?」
「ははは。矛盾してるよね」
などとサラとリヒトがくだらない話をしていると、アメリアの足下にシャーロットがとてとてと歩み寄った。
「アメリアおねーたん、すごいきれー」
「ありがとう。シャーロット」
「ねぇ、ロティもおおきくなったら、きれーになるまほーつかえるようになる?」
「きっと使えるようになると思うわよ。私も化粧品を開発して、綺麗になれる魔法のお手伝いをするつもりだもの」
「じゃぁ、ロティはおかーさんをきれーにする。おかーさん、ロティがうまれるまえはもっときれーだったんだって。だけど、おとーさんがいたいことをいっぱいしたから、おかーさんはむかしみたいにきれーじゃなくなったんだって」
このシャーロットの発言は、周囲にいた全員に大きな衝撃を与えた。ハンナが夫からの暴力から逃げてきたことは知っていたが、幼いシャーロットでさえも母親が父親から傷つけられてたことを気に病むほど、彼女たちの置かれた環境は酷いものだったのだろうと再認識させられた気分であった。
「シャーロットはいい子だね。将来は乙女の塔で働く?」
サラはシャーロットに近づいて頭を撫で、少し屈んで目線の高さを合わせた。
「ロティはおかしつくるひとになる! おみせやさんでおかしをつくってうるのー」
「そっか。シャーロットの夢はお菓子屋さんなんだね。じゃぁ私が全力で応援しちゃう」
「サラおねーたんも、おかしすき?」
「大好きよ! だからいっぱい美味しいお菓子を作ってね」
「わかったー」
そこにクロエも近づいてきて、再びシャーロットを抱え上げた。
「もちろん私もロティを応援するわ。だけど、いまはハンナが焼いてくれたスコーンを一緒に頂きましょう。ねぇサラ。今日は特別にメイドやそちらの女性たちもみんなで一緒に頂きましょうよ。ちょっとお行儀が悪いかもしれないけど、立ったままでも良いわ!」
だが、クロエの発言を聞いたリヒトは、やや芝居がかった口調でクロエの意見に反対した。
「麗しいご婦人方を立たせたままにしておくことなどできません。クロエお嬢様、どうか私に椅子とテーブルを用意するようにお申し付けください」
「え、ええ。じゃぁリヒトさんお願いできるかしら?」
「かしこまりました」
リヒトはきょとんとしたクロエに微笑むと、土属性の魔法を発動して、大きなテーブルと人数分の椅子を次々とつくりだした。
テーブルと椅子の用意が整ったのを確認したサラは、今度は自分の番と言わんばかりに、目の前に大量のグラスやティーカップを作り出し、新種のエルマを山盛りにした籠と、同じエルマから搾ったエルマジュースがたっぷり入った瓶を並べた。
もちろん、この様子を見ていたシャーロットは大はしゃぎである。
「それじゃさっそくお茶会をはじめましょう!」




