人は退屈すると娯楽を求める
目を覚まして5日目の朝、サラは退屈に耐えきれず朝の診察を終えたアメリアに『外に出たい』と訴えた。
「身体は順調に回復してるようだし、ふらついたりしないなら散歩くらいは大丈夫よ」
「秘密の花園行きたいな。蜜蜂さんたちに会っておきたいし」
「では私と一緒に行きましょうか。そろそろ植物図鑑のイラストを完成させちゃいたいの」
「残りは何種類なの?」
「10種かな。今日の午前中にはスケッチし終わると思う。説明文の原稿はもう出来てるから、本当にあと少しって感じ」
「ハーブティのブレンドとか化粧品の開発で時間取らせちゃったよね。早く完成させたかったでしょうに」
「それはそれで楽しかったから良いんだけど…」
「けど?」
「この図鑑…書き終わったらアレクサンダー師に監修をお願いしようと思っていて、その…初稿をお渡しするときに、私の気持ちも師に打ち明けようかなって思ってて……そしたら、なんか勇気がでなくて後回しにしてたというか………」
「!?」
「ちょっと、そういうことは早く言ってよ!! 最優先事項じゃない!」
恥ずかしそうに俯いたアメリアを視界に入れつつ、サラは急いで近くにいたマリアを呼んだ。もちろん、マリアもこの会話は聞いていたので、いち早く反応する。
「今日の午後、本邸も含めて美容系のメイドを乙女の塔に集結させて。一緒にクロエも呼んで貰えると嬉しいわ」
「サラお嬢様、集落の女性たちやデザイナーの少年も呼びましょう」
「そういえば、私って彼に会ったことないのよね。すごくお世話になってるのに名前も知らないままだったわ」
「あちらが遠慮されているようです。貴族のお嬢様に直接お会いするのは無理だと思われているようですね」
「なるほど。だけど、いつまでもそうしているわけにはいかないわ。彼には貴族女性の衣装も手掛けてもらわなければならないもの。他に予定が入っていないなら、一緒に呼んで頂戴。おそらくクロエも喜ぶはず。それとトマシーナに急いでここに来るように伝えて」
「承知いたしました」
マリアが部屋を出ていくと、数分も経たないうちにトマシーナがパタパタと階段を上がってきた。
「サラお嬢様、お呼びでしょうか」
「アメリアの植物図鑑の校正と写本をお願い。正式に出版するときは校正も専門業者の手を借りるつもりだけど、初稿だから体裁を整えるだけで十分ね」
「承知しました。まだ本邸に留まっているゴーレムたちを使っても良いですか? 仕事が捗りますので」
「構わないけど、彼らは土属性のゴーレムのままで大丈夫?」
「校正だけなら大丈夫です」
「修正箇所はマギで共有しますので、視覚情報があれば問題ありません」
「写本用に手は足りる?」
「植物図鑑の巻数次第です」
「アメリア、何巻にする予定?」
「可能であれば5冊にしたいわ」
「だそうよ。トマシーナだけで写本可能?」
「念のためアシスタントとして肉体を持った子を2体付けてください。写本と紙綴じさせます」
すると、アメリアが会話に割り込んだ。
「えっと、校正と写本はとっても助かるんだけど、最後の紙綴じは自分でやらせて。実は、綴じ紐は既に用意してあるの。集落の女性の中に組紐の得意な人がいて教えて貰ったの。おまじないみたいなものだから」
「そうだったんだ。わかったわ」
「では、紙を揃えて穴あけまでに留めます」
「じゃぁ、アメリア最後のスケッチをしにさっそく行こうか!」
「ところでアレクサンダーさんにはいつ言うの?」
「え、まだわからないよ。まだ師のご都合を伺ってないし」
「トマシーナ、薬師ギルドにゴーレムを使いにやって、アレクサンダーさんの予定を確認しておいてくれる?」
「アポイントメントは取りますか?」
「どうするアメリア?」
「………お願いします」
退屈していた反動もあって、サラはアメリアの告白イベントに超ノリノリであった。
「ところで場所はどうする?」
「乙女の塔や薬師ギルドだと他の人の目が気になっちゃうかな? アレクサンダーさんのお家…は、さすがに未婚の女性が一人で行くのはダメか」
「アレクサンダー師の家には住み込みの弟子が3名居るし、メイドも下働きもいるから二人っきりってことにはならないと思う」
「それ、逆に人の目が多いじゃない!」
「できれば乙女の塔の図書館に招待しても良い? アレクサンダー師もテオフラストスさんのように自由に出入りできないことを嘆いてるから」
「あぁなるほど。でも告白は別の場所で二人きりの方が良くない?」
「それなら秘密の花園の東屋を使っても良いかな」
頻繁に利用するため、秘密の花園の東屋は新しく建て替えられている。なお、お茶会などで利用しやすいように簡易的な水場も近くに用意されている。また、逆方向に歩いていくと、木陰には男女別のお手洗いも用意されている。
「そうね、植物を見てもらうついでもあるだろうから、良いんじゃないかしら。リヒトにもその時間に立ち入らないよう伝えないと」
東屋の近くにはリヒトが眠っていた地下室への入り口があるため、フラフラとリヒトがそのあたりを歩いていることも多いのだ。無粋なおじいちゃんに乙女の告白を邪魔させるわけにはいかない。
「そうと決まればアメリアはスケッチに行って」
「サラも一緒に行くんじゃなかった?」
「いま、それどころじゃなくなったから大丈夫。私抜きで効率よく仕上げてきて!」
「そうなのね。わかったわ」
アメリアはサラの診察セットを片付けて、着替えるために自室へと引き上げた。
部屋に誰もいなくなったことを確認すると、サラは防音魔法をかけてからセドリックを呼び出した。
「サラお嬢様、どうされましたか?」
「アレクサンダーさんの身辺を探ってきてくれるかしら」
「アメリア様のお師匠ですね。具体的に何をお知りになりたいのですか?」
「付き合ってる女性がいるかどうか、これまで付き合った女性に無体なことをしてないか、隠れた借金はないかとかそういう諸々のこと」
「要するに結婚相手の身上調査ですか?」
「そういうこと」
すると、執事姿のセドリックは恭しく頭を下げてから顔を上げ、ニッとサラに微笑みかけた。
「それくらいでしたら調べるまでもありませんよ」
「どういうこと?」
「薬師アレクサンダー。32歳、独身。生まれたのは王都で、両親と兄夫婦は王都にある大きな薬問屋を経営しています。アレクサンダー自身は11歳でアカデミーに入学し、16歳で卒業しています。卒業後は王都の薬師の元で働き始め、17歳の時に兄が結婚したのを期に家を出て一人暮らしになりました。どうやら兄嫁が初恋の相手だったようですね。一人暮らしを始めてから数人の女性と付き合っていますが、誰とも長続きしなかったようです」
「ほほう。兄嫁が好きとか、うちの父さんみたいだな」
「アーサー様はエリザベス様が初恋だったようですから」
「きっと若い頃の伯母様は可愛かったんだろうね」
サラはふとこの世界の実父を思い出してしみじみしてしまった。なお、前世の父はお世辞にもイケメンとは呼べない熊っぽい雰囲気のおじさんだった。母はわりと美人だったので、若い頃はきっと美女と野獣だったに違いない。どうやって口説いたのかは聞いたことがないので謎のままだ。
「まぁそれはともかく、アレクサンダーさんはその後どうなったの?」
「20歳の頃、師匠にあたる勤め先の薬師と揉めて王都を出ました。自分を雇ったのが実家から安く原材料を仕入れるためだったと知って激高し、そのままという感じです」
「どういうこと?」
「アレクサンダーの両親は、アレクサンダーに黙って薬師の元に行って薬草などを原価で卸す代わりにアレクサンダーを雇うように提案したんですよ。兄もその事実は知っていたようですね」
「え、そんなことしなくてもアレクサンダーさんは優秀な薬師でしょうに」
「おそらく有名な薬師の元で修行すればアレクサンダーのためになると思ったのでしょう。ですが、アレクサンダーはその屈辱に耐えられなかった。そのまま王都を後にしてグランチェスターに移住しました」
「なるほどね」
「移住してすぐにアレクサンダーは、肩こり、筋肉疲労、神経痛、リウマチなどの痛みに効果のある軟膏を開発し、それが爆発的に売れました。王都で師匠にあたる薬師と揉めたのも、この軟膏の開発者を誰にするかで揉めたからだったようです。アレクサンダーはレシピを明かさないままグランチェスターに移住し、今でもレシピは明かさず、自分の工房でしか製造していません」
「そうだったんだ」
「グランチェスター領の騎士団でも大量に購入しています」
「それで大きな邸宅があるわけね」
「おそらく薬師としての実力は、薬師ギルドのギルド長よりも上だと思いますが、アレクサンダーは先人としてギルド長をきちんと立てているようです。後進育成にも熱心ですし、アメリア一家からは、相場より少し高めに薬草を購入したりしています」
「それはわかったけど、一番大事なのは女性関係よ! あれ、男性が相手の可能性もあるのかな?」
セドリックは少しだけため息をついてサラを窘めた。
「サラお嬢様はせっかちですねぇ。順番にご説明しますよ」
「はぁい」
「グランチェスター領に移住したアレクサンダーは、最初は賄いつきの下宿に住んでいました。この下宿を経営していた未亡人と親密だった時期もありましたが、彼女がすぐに別の若い男性に興味を示したようで関係は終わっています」
「おおう。なんか若い青年が憧れる展開だねぇ」
「その後は特定の女性とお付き合いしている形跡はありません。仕事に成功したことで、お金を目当てに近づく女性が鬱陶しかったようです。まぁ花街にはときどき行っていた形跡がありますね。指名した花のリストも必要なら用意しますが?」
「うーん。一応貰っておくわ。アメリアには見せないかもしれないけど。何かしらトラブルが無いとも言えないでしょうし」
「まぁ遊び方は綺麗ですから、それほど心配はないと思います。もっとも、花が本気になってしまった可能性までは否定できません」
「それね…どっちかっていうと、それはお父様の方が心配だよ。たぶんお母様も心配してると思う」
「なるほど。では、ついでにそちらも調べておきます」
「よろしくね」
『うーん。三十路の男性としては健全っていえるかも』
「そういえばアレクサンダーさんは、アメリアさんの成功をどう思ってるのかしら」
「純粋に喜んでいるみたいですよ。ギルド関係者と飲みに行ったときには『やっと彼女の実力を理解してもらえた』って周囲が辟易するまで繰り返し言ってたそうですから」
「あはは。それはいい師匠ね」
「それとアカデミー関係者が乙女の塔で騒ぎを起こした時は、アメリア様を心配して馬を飛ばしてグランチェスター城までやってきて門番に止められていました」
「狩猟大会中は特に警備が厳しいものね。でも、どうしてアレクサンダーさんがそのことを知ってたの? 箝口令が敷かれてたはずなのに」
「アカデミー関係者の方に知り合いが居たんです。マッケラン教授と一緒に王都に連行された錬金術師の一人が、アレクサンダーの友人だそうです。その友人は『教授の命令で仕方なく乙女の塔に行くことになったが、ヤバい予感がする』と伝えていました」
「あらら。それは心配かけちゃったわね。それに教授たち以外のアカデミー関係者は、なんともお気の毒なことだわ。あとでフォローしておかないと」
「王都で取り調べが終わった後、3名の教授以外は全員釈放されていますよ」
「それは良かった」
『実際のとこ、アレクサンダーさんはアメリアのことどう思ってるんだろう。優秀な弟子だと思ってることは間違いないだろうけど』
「ねぇセドリック、アレクサンダーさんはアメリアが好きだと思う?」
「妖精に尋ねることではありませんね。好意はあると思いますが、その種類はわかりかねます」
「だよねぇ」
「ですが間違いのない事実がひとつだけあります」
「それはなぁに?」
「サラお嬢様は完全に部外者です。あまり干渉されませんよう」
セドリックの指摘が正論過ぎて、サラはそれ以上何も言うことができなかった。
セドリックに正論を吐かれるとか…(;'∀')