あれ、暴走を止める人がいないぞ?
「私もサラお嬢様の暴走に付き合ってもいいかなと思い始めましたよ」
「ちょっとトマス先生、サラの暴走を止める側には立たないんですか?」
「立ちませんよ。なんなら私が先陣を切っても良いかなと思うくらいです。サラお嬢様の暴走は私の専門分野に近いです。こんなに面白そうなことを身近で体感できないなどもったいない。相手はシルト商会ですか? それとも沿岸連合ですか?」
スコットの制止などどこ吹く風といった風情で、トマスはサラに問いかけた。
「トマス先生、普段の穏やかな雰囲気はどうされました?」
「先程のお嬢様の発言を聞いて捨てました」
「拾ってこられた方が宜しいかと。社交界のご令嬢方が怯えそうなくらい怖い目をされてる自覚あります?」
「今の私は査察に向かう時のような顔をしているかもしれません。ですが、五月蠅いご令嬢が近寄ってこないのは素晴らしいですね」
「逆に危険な雰囲気を味わいたい女性にはモテそうです」
「それは面倒ですね」
『トマス先生…もしかして、これが本性だったりする!?』
「いずれにしても、いきなり敵の本拠地を叩くのは得策とは言えません。まずは兵糧攻めにされている味方を助けるところからでしょうね」
「それは結果的に本陣を攻撃するようなものだと思いますが?」
「どうでしょう。それで全体が揺らぐと思える程、私は楽天家ではないつもりですが」
「ふむ…」
「トマス先生、私は双剣使いなのです。今回の戦では右手に麦の穂を持つことになるでしょうが、左手には何を持ちましょうかね」
「魔石ではないのですか?」
「それは時期尚早です。下手をすれば自国の勢力も敵になりかねません」
「アカデミーのようにですか?」
「そうです。いろいろと様子を見てからにしないとアレは危険です。私はともかく、アリシアやリヒトの子孫たちが無事でいられない可能性があります」
トマスとのやり取りを、スコットとブレイズはぽかーんとした表情で眺めていた。
「クロエ、オレ、サラとトマス先生が言ってることが全然わからない」
「安心していいわ。私にもよくわからないから。クリスはわかる?」
「ある程度はね。要するにロイセンを助けて、ロイセンに高値で小麦を売ろうとしていた沿岸連合の商人たちを攻撃したいってことだろ。中心になって動いているのはシルト商会だから、トマス先生はシルト商会を狙うのかって聞いたんだと思うよ。魔石のことはよくわからないけど、危ない話みたいだね」
トマスはクリストファーに微笑み、「概ね正解です」と答えた。
「シルト商会…。お父様に借金させた奴らね? グランチェスター領の横領事件の黒幕でもあるって聞いてるわ。グランチェスター家の宿敵じゃない。ちょっとサラ、私にもできることある?」
「そうねぇあなたたち一家が社交界でうまく立ち回ってくれると、私は強い武器を手に入れられるかもしれない」
「あとは、ゲルハルト王太子を説得しないと。ちょっと面倒だけど」
サラがため息をつくと、スコットが真剣な眼差しでサラを見つめた。
「こういう話を聞いてると、騎士にも勉強が必要なんだってことがよくわかるよ。初めてサラに会った頃、サラは僕に呆れてたよね。なんか凄い恥ずかしくなってきた」
「うーん。実際にはそれほど大したことじゃないんだけどね。ただ、この戦いが拗れたときに、相手が武力を使って来る可能性を否定できないところがイヤかな」
「そんな可能性が?」
「無いとは言えないわね。まぁ、それでも金袋でぶん殴るつもりだけど」
「戦にはお金がかかるから、だね?」
「その通り。スコットは覚えていてくれたのね」
「サラと一緒に勉強した最初の日に言われたことだからね」
「オレも覚えてるよ。戦わないで勝つ方が、より価値が高いんだよね?」
「ええ、そうよ。可能な限り武力衝突は避ける方向で行くわ。それでも不可避だとしたら……私が火を吹いて敵を撃退っていうのはどう?」
「「「「洒落にならない!」」」」
子供たちは一斉にサラに反応した。
「やぁねぇ。ジョークよ」
「サラが言うとジョークに聞こえないのよ。沿岸連合を焼け野原にするのはやめてよね」
「しないわよ。貿易で栄えてて裕福な人たちが多い地域よ? 焼け野原にしたら潜在的な顧客が減るじゃない」
「うん。それ聞いたら安心した。沿岸連合は無事に残ることは間違いなさそう」
クロエはサラが金儲け相手を滅ぼす気が無いと聞いて、胸を撫で下ろした。
「できれば沿岸連合の体制そのものは維持して欲しいんだよね。構成メンバーには代わってもらう必要はあると思うけど」
「シルト商会の追放ね?」
「まぁそうしたいところだけど、そう簡単にはいかないと思うわ」
「どういうこと?」
「数年の時間をかけてイヤらしい戦いを仕掛けてきた相手だもの。そう簡単に倒せるとは考えにくいわ」
「そんなに強敵?」
「間違いなく、ヤバいヤツだと思う」
サラはソフィアの姿でシルト商会のマイアーに会ったときのことを思い出した。
『私はあの男が怖いわ。物理的に戦えば自分の方が圧倒的に強いはずなのに、理屈じゃない部分で私はあの男が恐ろしい。でも、だからこそ戦いの相手として不足はないって思ってる自分もいるわね…』
「なんにしても、これからサラが暴れるってことだけは理解した。しかもトマス先生も協力する気満々で、我が家の宿敵と戦うわけね」
「まぁ簡単に言っちゃうとその通りかな」
「私も全面的に協力するわ!」
「ありがとうクロエ。じゃぁ、まずは王子の婚約者になろうか」
「そんなに簡単にはなれるわけないでしょ!」
「簡単じゃなくても、なってもらわないと困る。ついでにゲルハルト王太子の花嫁選びにも協力して、クロエはその女性と仲良くして頂戴。既にクロエが親しくしてるご令嬢の中にロイセンの王太子妃になりたい人がいるなら、ソフィア商会が全面的にバックアップしてもいいわ」
「サラが何を考えてるのかわからなくて凄く怖いわ」
「あら、わかりやすく権力にすり寄る構図じゃない」
「だってサラには必要ないでしょう?」
「私にはそうかもしれないけど、グランチェスターには必要よ。ソフィア商会にも悪い話ではないわ。もちろん、家のためにクロエに望まない結婚を押し付けるつもりはないわ。でも、クロエはアンドリュー王子に嫁ぎたいんでしょ? だったら利害は一致するじゃない」
サラがとても真剣な眼差しでクロエを見つめていたため、クロエはそれ以上何も言えなくなった。
だが、その沈黙を破ったのはクロエの傍らに居たジェインであった。
「クロエお嬢様。もし、お嬢様が本気で王子妃を目指されるのであれば、私では力不足です。グランチェスター侯爵閣下をはじめ、小侯爵閣下も小侯爵夫人もクロエお嬢様を王子妃の候補とは考えていらっしゃらないはずです。そうでなければ、私をガヴァネスとして雇用することはなかったでしょう」
「ジェイン先生に不足など!」
クロエが慌ててジェインに声を掛けた。
「いいえ、クロエ。ジェイン先生は確かに素晴らしい教師ではあるけど、王子妃候補の教育は難しいわ」
「サラまでそんなこと言うの!」
「あのねクロエ、ジェイン先生に不足があると言う話じゃないの。ただ、専門分野ではないというだけ。たとえばトマス先生は数学が得意だけど、淑女教育は無理でしょう?」
「確かにそうね」
「それに、正式な社交界デビューまでにシャペロンも決めないといけないわ。教育者として一番の適任はレベッカ先生だけど…引き受けてくれるかは五分五分ね」
「レベッカ先生は私が嫌いなの? 確かに私はいじめっ子だったけど…」
途端にクロエが顔を曇らせて俯いた。心当たりがあるだけに、刺激されるとあっさり落ち込んでしまうのだ。もっとも、これはクロエの罪悪感によるものなので、大いに反省しているということでもあるのだが。
「そうじゃなくて、レベッカ先生は自分の結婚と学園設立で大忙しだから時間取ってもらえるかなぁって」
「そっか…嫌われてるんじゃなくて良かった」
サラはクロエの様子を見て、慌ててフォローした。
「それでしたら、私でカバーできる部分は私が担当しますので、レベッカ先生でなければならない部分だけをお願いする形ではいかがでしょう?」
「女性教育はわかりませんが、私でもできることがあればお手伝いいたします」
ジェインが提案すると、トマスも同意した。
「それじゃぁ後でレベッカ先生に相談してみましょう」
「ありがとう。サラ!」
「お礼を言われることでもないわよね。ある意味、あなたを政略結婚の道具にしようとしてるわけだし」
「貴族令嬢だものそんなの普通よ。だけど、ハゲでデブで口が臭いオッサンに嫁ぐのと、恋い慕う殿方に嫁ぐのでは幸福の度合いが違う!」
「あ、そ。なんだろう…クロエって楚々とした貴族令嬢のイメージをぶち壊すよね」
「サラにだけは言われたくないわ」
「だから私に貴族令嬢は無理って繰り返し言ってるじゃない」
「本当よね。大人たちは全然わかってないわ。グランチェスター特製の巨大猫を被っても、ドラゴンの尻尾は隠せないのに」
サラとクロエは顔を見合わせながら、くすくすと笑い始めた。
「なんかさ、私クロエのことが好きになったみたい」
「凄い偶然ね。私もサラのことが好きだわ。他の貴族令嬢とは全然違うもの」
だが、従姉妹たちが麗しく友情を確かめ合っている横でトマスは真剣に考えていた。
『小麦以外の戦略物資とはなんだろう。魔石ではないと言い切っている以上、サラお嬢様は別の何かを考えていらっしゃる…』
だが、トマスが正解にたどり着くには、もう少しの時間が必要であった。