身も蓋もない
階下に降りていくと、アダムを除いたグランチェスターの子供たちがパンケーキを前にはしゃいでいた。
甘いものがあまり好きではないトマスはキャレルで読書していたが、サラが降りてくるのを見て立ち上がり、恭しく挨拶した。
「サラお嬢様、お加減はいかがでしょうか? さすがに親族でもない男性がお嬢様の私室を訪ねるのは憚られるので、お会いできる日を心待ちにしておりました」
「心配かけてごめんなさい」
「こうしてお元気な姿を拝見できて本当に良かったです」
ふと見回せば、ジェインや子供たちも全員頷いていた。
「ふふっ。今日のおやつはパンケーキなのね」
サラがにっこり微笑んでテーブルにつくと、マリアが焼きたてのパンケーキを運んでくる。
「ポチがたっぷりメープルウォーターを持ってきてくれたから、ハンナがメープルシロップにしてくれたんだ」
目の前のパンケーキにたっぷりシロップを掛けながら、ブレイズが嬉しそうに答えた。ハンナとは乙女の塔の料理人だ。まだ22歳と若いのだが、3歳の娘を育てるシングルマザーである。
既に食べ始めていたクリストファーは、口の中のパンケーキを飲み込んでからサラに声を掛けた。
「もう身体は大丈夫なの?」
「本当は昨日くらいから大丈夫だったんだけど、リヒトとアメリアがなかなか部屋から出してくれなくて」
「薬師の言うことはちゃんと聞いておけよ」
「うわ、クリスが年上のお兄さんっぽいこと言ってる」
「忘れてるかもしれないけど、サラはまだ8歳だからね? どんな記憶を持っていても揺らがない事実だ」
「はーい。クリスお兄様」
「でもまぁ無事で何よりだよ」
「本当よ。凄く心配してたのよ!」
クロエとクリスは二人でサラを覗き込んだ。こういうところは姉弟でよく似ている。
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「まぁサラの場合は倒れなくても心配だけどね。暴走するから」
スコットがニヤニヤ笑いながらハーブティを口に運ぶ。
「まったく否定できないわ」
「じゃぁオレも一緒にサラと暴走しようかな」
「へ?」
突然のブレイズの発言に驚いたサラは、パンケーキにナイフを入れた姿勢のまま固まった。
「どうしたのいきなり?」
「サラが倒れてる間に考えてたんだよね。サラに何かあるたびに心配して待ってるくらいなら、オレも一緒に暴走したほうが面白いかなって。オレも早くサラと同じくらい剣と魔法を使えるようにならないとな」
すると、クロエがいきなり立ち上がり、やや反り気味の姿勢でブレイズに向かって叫んだ。
「ちょっと、ブレイズ。サラの価値は魔法や剣じゃないわ。お金よ!」
クロエは鼻息荒く、わざわざ腰に手を当ててブレイズを指差している。
「うん、クロエ…たぶんあってるとは思うんだけどさ、なんかこう身も蓋もない感じするのは私だけかな」
パンケーキを切り分けていたサラは、クロエの発言に小さくため息をついた。
「なによ。あってるなら良いじゃない」
「グランチェスター侯爵直系のご令嬢が『お金』って堂々と叫んじゃっていいの? 私と違ってクロエは王子妃を狙ってるんでしょ? しかも、アンドリュー王子は王太子の長男なんだからさ、ゆくゆくは王妃になることを目指してるわけよね?」
「サラ、一国の王妃ともなれば、優雅に微笑んでるだけで済むわけないじゃない。言葉にはしなくても、予算を考えずに浪費する王妃とかあり得ないわよ」
「クロエは短期間に随分変わったわねぇ」
「誰かさんがお父様を金袋で殴りつけるのを目の前で見ちゃったからだと思うわ」
「人聞き悪いなぁ。実際には魔法で顔をちょっとだけ切っただけじゃない。しかも光属性の魔石も渡したでしょ?」
「その後、お父様に借用書を書かせて、しかも血判を捺させたじゃない」
「魔法で縛る契約書なんだから仕方ないでしょう」
実は借用書を書いたのはエドワードだけではない。資産はソコソコ持っているが現金の少なかったグランチェスター家も、ソフィア商会から現金を借入しているため、グランチェスター侯爵自身がこの契約を受け入れた。
なお、ロバートも気前よくゲルハルトへの手土産としてシュピールアを大量購入したが、代金が未払いになっている。請求書を突き付けた時に顔が青褪めていたので、そろそろ契約書を用意したほうが良さそうだ。
要するにグランチェスター家はどっぷり首まで借金漬けなのだ。資産を売ってしまえば簡単に返済できるのも事実だが、あまり派手に資産を処分していることが他家に漏れれば侮られかねない。小麦の収穫を終えているため、グランチェスター領としての収入は得ているが、グランチェスター家の財政事情は決して良い状態とは言えない。
「でも、エドワード伯父様の借金は、3年くらいで返せるわよ」
「え、そんなに収入ないよね?」
「支出を抑えれば大丈夫。どうせ服飾費はソフィア商会の宣伝費だって主張して、こっちに回すつもりなんでしょう? 伯母様とクロエの服飾費を削減したらかなり支出は減るわよ」
「えへへ、バレた?」
「まぁ、こちらとしても社交界で商品を紹介してもらえる機会はありがたいから、それは構わない。他にも伯母様が化粧品やハーブティを優先的に確保出来るよう配慮するし、伯父様にもエルマブランデーやシードルを特別枠で確保できるよう努力はするわ。あまり沢山は無理だけど。それだけでも社交界に大きなインパクトは与えられると思う」
「ねぇ。ドレスは?」
「よっぽど気になってるのね。王都の流行の情報とも擦り合せが必要よ。いきなり奇抜な衣装を着るわけにはいかないでしょう?」
「そうだけどさぁ。なんかサラの着てるドレスって独特で素敵なんだもん」
「それはありがとう。でも、彼のデザインが洗練されてくるのは、これからだって言ってたわよ」
「誰が?」
「本邸の服飾担当者と、伯母様とクロエの衣装を担当してる使用人。クロエがデザイン担当の子に勉強させろって言ったんじゃない」
「そういえば言ったわぁ」
「針子の女の子たちも城の服飾担当者のアシスタントを始めたらしくて、ドレスの仕上がりが早くなったみたいよ?」
実は女性たちの集落にいた針仕事が得意な女の子たちが数名、城に居る服飾担当の使用人たちから教育を受けているのだ。
「どうして女の子たちの教育も一緒に始めたの?」
「デザインを担当してるのは少年よ? 女性の採寸はできないわ。それに、彼にはソフィア商会の服飾担当を任せるより、独立して欲しくて。そうなったら腕のいい針子が必須だと思うのよ」
「なるほどねぇ。まぁ社交界に影響力が持てて支出も抑えられるなら、我が家には良い話ってことよね」
「ちゃんと支出を抑えられるなら、ね。そういえばクロエは会計を学びたがってたよね? 本格的な社交シーズンはもう少し先だし、それまでクロエはトマス先生から会計の基礎を習っておくのはどうかしら。収入と支出を自分の目でチェック出来るようになるわよ。貴族令嬢には不要な知識かもしれないけど、将来の王妃には必要かもしれないわ」
サラのすぐ脇に立っていたトマスは、クロエに向かって微笑んだ。
「それはちょうど良いですね。来年には学園にも会計の授業枠を設けるつもりなので、クロエお嬢様にはテストケースになっていただきたい」
「あまり時間はないから基礎だけ学ばせてください。本格的に社交シーズンに入ると、王都から離れられなくなっちゃうので」
「承知しました。では、後程ジェイン先生と相談してクロエお嬢様のカリキュラムを決めておきます」
「クロエがやるなら僕も学んでおきたいな。確実に将来のためになるだろうし」
クリストファーも手を挙げた。
「そうですね。クリストファー君は、ロバート卿のような代官になる可能性が高いですから、学んでおいて損はないと思います」
「どうせなら、スコットとブレイズもやっておいたら?」
「え、なんで? 僕は騎士を目指してるんだけど」
「オレは魔法剣士かな」
サラはにんまりといった笑顔を浮かべ、ブレイズに向かって話しかけた。
「ブレイズは私と一緒に暴走するんでしょう?」
「そのつもりだけど」
「だったら、最低限のお金の流れを把握できる能力は必須よ。じゃないと私が何をやってるのかすら理解できないかもしれないわ」
「え、そうなの?」
ブレイズが動揺し始めた。よく見ればスコットも同じようにおろおろしている。そんな二人に向かってクロエは吐き捨てるように言った。
「だから言ったじゃない。サラの価値はお金にあるって。あなたたち、脳味噌まで筋肉でできてるわけじゃないでしょう?」
相変わらずクロエは大変に辛辣であった。