トニアとの話し合い
目覚めてから4日目、部屋で朝食を摂っている時にトニアの来訪が告げられた。ゴーレムたちにトニアを通す許可を出し、メイドに迎えに行かせた。リヒトとアメリアが許可を出さないため、今日も自室での接見である。
「お加減が悪いことを存じ上げず、大変ご無礼をいたしました」
「もうほとんど回復しているんですけど、周りが過保護で」
恐縮するトニアに、サラはやや苦笑気味に微笑んだ。そこに、マリアが切り分けた新しい品種のエルマを運んできた。
「今日は、これらの話ですよね?」
「その通りでございます。これらは新しい品種のエルマだと伺いました。試食してみたところ、それぞれに特徴があってとても美味しゅうございました。正直申し上げますと、私どものエルマよりも味が良く、とても悔しい気持ちになりました」
「実はちょっとズルをしているんです。そのエルマは植物を司る妖精が作り出した品種なのです」
「もしかして、先日私どもの農園にお越しになった犬のような妖精ですか?」
「あら、ポチはそちらにもお伺いしていたのですね」
「お嬢様の魔力が溢れそうだから、エルマを実らせて良いかと聞かれました。こちらも断る理由はありませんので、1年分のエルマを収穫させていただきました。このエルマでエルマ酒を仕込んでおきましたので、後程サラお嬢様に献上いたします」
「そんな、こちらが勝手に実らせたのに」
「ポチ様は、寿命で枯れそうなエルマの木をご覧になり、ミケ様を呼んで一緒に回復してくださったのです。私がグランチェスターに来る前からある農園の象徴のような木でしたから、家族や従業員たちは皆喜んでいるんですよ。他にも苗木を収穫可能な成木にしてくださるなど、たくさんの奇跡を起こしてくださいました。せめてこれくらいのお礼はさせてくださいませ」
『奇跡…確かに妖精の魔法は奇跡だよね』
「ポチ、ミケ、いるなら出ておいで」
サラが空中に向かって呼びかけると、2匹は勢いよく飛び出してきた。相変わらずポチは身体が重そうだが。
「ハーラン農園でも大活躍だったみたいね。ありがとう」
「どういたしまして」
「あなたたちがあの時実らせたエルマで作ったエルマ酒を頂けるんですって。あなたたちは呑み助だから喜ぶんじゃないかと思って」
「やった!」
「嬉しいぃぃぃぃ」
2匹はトニアの上をくるくると飛び交い、トニアの上にキラキラした光の粒を落とした。
「えっ!」
「トニアさん大丈夫です。それは妖精の祝福です。ちょっとしたおまじないくらいの効果しかありませんが、きっと良いことがあるはずですよ」
「なんて有難いことでしょう!」
トニアはうっとりと妖精たちの落とす光の粒を見つめていた。
「光が雪のように降るのですね。もうじきグランチェスター領も雪が降ることでしょう」
「実は私はグランチェスターで冬を越すのは初めてなのです」
「そうだったのですね。王都と比べるとかなり積もりますよ」
「開拓地の方はどうなのかしら…」
「開拓地というと、領の南端ですか?」
「正確に言えば、南端よりもかなり北東のあたりです。本当の南端には樹海が広がっていますから」
グランチェスターの南端は、アヴァロンにとっても西南端にあたる。その付近は樹海が広がっているため隣国との国境線は曖昧で、開拓して有効な土地を拡げればアヴァロンという国の拡大にも繋がる。
より正確に言えば、500年程前に地方の小さな伯爵家に生まれたヘンリーという少年が、アクラ山脈付近の土地を開拓したことでアヴァロンの国土を拡大し、その土地をグランチェスター領として当時のアヴァロン国王から拝領したのだ。このヘンリーこそ、前世でカズヤとして生きた記憶を持つグランチェスターの始祖である。
グランチェスター領は王都を中心としたアヴァロンの主要地域よりもかなり標高が高く、開拓した後もさまざまな苦労があった。冬季は雪で閉ざされてしまう地域も多く抱えているため、グランチェスター領が豊かになるまでには多くの苦労があったそうだ。だが、カズヤはそうした困難をゼンセノキオクで乗り越えたのだそうだ。
こうした歴史を持つが故に、グランチェスターは開拓者を優遇することでも知られる領地でもある。中には他領で食い詰めた農民が勝手にグランチェスターの開拓地に移住しているケースもある。
アヴァロンでは、国民が勝手に他領に移住することは違法である。その理由は『人頭税』にある。アヴァロンの国民は10歳になるとアヴァロンの国民として登録され、住んでいる地域の領主に毎年一定の人頭税を納めなければならない。つまり、領民は領の収入源であり、他領に移住されることは損失なのだ。
もちろん税金を徴収する以上、外敵から領民を守る、飢饉のときには領民に食糧を支給すること、犯罪者を取り締まることなど領主には領民を守るさまざまな義務が課せられている。もし領民が領主に不当な扱いを受けている場合には、その旨を訴えでることのできる機関が王都にはある。国王に直訴することも可能だ。
こうした理由から、他領への移住はきちんと届出を提出し、転出元と転入先の領の許可を得なければならない。届出書には移住の事由を記載しなければならず、『結婚』や『家族との死別』などは比較的認められやすい。だが、農業に従事している領民が『離農して他領に移住する』と書いても認められることはほぼない。
本来、勝手に他領に移住した農民は、アヴァロン国民としての国籍を持たない。本来であれば土地を開拓しても、自分の土地として登記することができない。また、領主の保護対象でもないため、不当な扱いを受けても訴え出ることはできない。
ところがグランチェスター領には、『他国からの移民を受け入れる』という名目により、土地を開拓したものがアヴァロンの国籍を持たない場合、新たに領民として登記できるという法律がある。
このグランチェスター領の独自ルールは、たびたび他領との揉め事を引き起こすことでも知られている。なぜなら農民が勝手に離農する場合、ひとつの集落が丸ごと移住してしまうことも少なくないからだ。20年程前には、村人が全員移動してしまったこともあったらしい。
だが、こうした開拓民の暮らしは決して楽なものではない。成功する保証もなく、国籍を持たないために犯罪に巻き込まれても助けを求めることすらできない。にもかかわらずグランチェスター領に移住する者が後を絶たないのは、元の暮らしがそれ以上に過酷だったということなのだろう。
「開拓地付近でそれほど雪が降るという話は聞いたことがありません。この地域よりも気候は温暖なのではないでしょうか」
「そう、それならいいのだけど。あの地域は、災厄に見舞われてしまったから」
「災厄でございますか?」
「ええ、栽培していたライ麦が病気にやられてしまったの。実る前にすべてを刈り取って焼却せざるを得なかったの。そうしないと、グランチェスター領で栽培している小麦にも影響が出る可能性があったから。でも、その事実を告げた時の彼らの顔が忘れられないわ」
「それは…お気の毒などという簡単な言葉で片付けられる話ではありませんね。農業に従事する者として胸が痛みます」
トニアは沈痛な表情を浮かべてサラの話に聞き入る。
「もちろん祖父様は彼らに補填をしたし、代替の作物も植えたのよ?」
「それは不幸中の幸いですね。領主様は慈悲深くていらっしゃる」
「ソフィア商会としても、開拓地に支援の小麦を送るつもりよ」
『なにせ、たっぷりあるもんね』
「私にも何か助けられることがあれば良いのですが…」
「もちろんあるわ。だって、このエルマは開拓地で収穫したのだもの」
「まぁ、なんということでしょう!」
サラはトニアにニンマリと微笑んだ。
「サラお嬢様、もしかして私の同情心を煽りました?」
「ほんのちょっぴりだけ。でも、ライ麦の病気のことは事実よ」
「そんなことで嘘をつかないことは承知しています。ということは、開拓地はポチ様の手がかなり入っているのですね?」
トニアの発言にポチとミケが反応した。
「そうよー。代替作物の種や苗を用意したのも私だし、未開拓の土地にエルマ畑を作ったのも私で間違いないわ。ミケにもかなり手伝ってもらったけど」
「うん、私も土壌を整えたり、若木の成長に力を貸したりしたわ」
「受粉には蜜蜂の力も借りているの」
得意そうな妖精たちの様子をみて、トニアは微笑んだ。
「妖精の力とは凄まじいですね」
「そうね、彼らの力は国の隆盛すら左右するわ」
「あら、私たちだけでは無理よ。あなたたち人間が私たちと友愛を結び、たくさんの魔力を与えてくれないと出来ないわ。つまりは人の望みの結果なのよ」
ミケがふんわりとサラの肩に降りてきて、ちょこんと座りながら説明する。
「でも今回、私はただ魔力が溢れちゃっただけよ?」
すると、今度はポチがテーブルの上に移動し、皿の上にあるエルマにちょんっと触れ、一切れを1輪の赤い薔薇に変えた。
「別に言われたままのことをするって意味じゃないわ。こんな風にお友達が喜んでくれることをしたいだけなのよ。サラならエルマを喜んでくれそうでしょう?」
「凄くうれしいわ。ありがとう」
「でも、私は創り出すことはできても、ずっと管理することはできない。この美味しいエルマをずっと食べるには、人の力が必要なの」
見事な連携プレイにトニアはため息をついた。
「要するに、私どもにエルマ栽培についての知識を求めていらっしゃるわけですね?」
「理解が早くてとても助かります」
「サラお嬢様でしたら、領主命令にすることもできたでしょうに」
「新しいエルマに興味を持って、自らの足で私を訪ねてきてくれるような人に助けてほしかったんです。領主から強制されるのと、自分たちにもプラスにしたいという気持ちをもってやるのとでは結果が違ってくるじゃないですか」
「なんとなく上手く嵌められた気もしますが、仰せについては承知いたしました」
「開拓地のエルマ畑の所有者は今のところ私ですけど、ハーラン農園が希望するのであればお手頃価格でお譲りしても良いですよ?」
「いえ、さすがに開拓地は遠すぎて、ハーラン農園にするのは難しいですね。ソフィア商会の直営として管理されることをお勧めします。最初の数年は、私どもの農園で働いている従業員を派遣しますが、開拓地で新たな従業員を探された方が良いかもしれません」
『ふむ…エルマ畑で働きたい人を募集する必要があるわけね』
「あ、トニアさん。新たな品種のエルマを挿し木されますか? 気候があちらと違うので上手く育つかどうかはわかりませんが」
「それはお手伝いしながら追々にですかね」
すると、ポチがトニアの膝にぽんっと乗り、彼女を見上げるように言った。
「エルマのことで困ったらサラに相談して。そしたら私にも伝わるから、力を貸してあげられるかも」
「ポチ様が力を貸してくださるのは心強いですね」
「トニアは心地よい魔力を持っているわ。あなたは自覚がないかもしれないけど、あなたの近くにはたくさんの妖精がいる。友愛を持たない妖精たちは曖昧な存在だけど、トニアの魔力を気に入った妖精たちがあなたとあなたの農園を見守ってくれているわ」
「まぁ、それは嬉しいですね」
「ふふっ。面白いこと聞いちゃった。妖精たちはあなたのエルマ酒が好きみたいよ。毎日酒蔵にグラスに注いだエルマ酒を置いてあげて。時々はエルマブランデーだと嬉しいみたい」
「まぁ! 必ずそうしますわ」
農園に戻ったトニアは、さっそく酒蔵の小さなテーブルの上にグラス一杯のエルマ酒を置いた。すると翌日にはすっかりグラスが空っぽになっており、グラスの脇には小さな魔石がひとつ置かれていた。
この習慣はハーラン農園に代々引き継がれ、ときどき気まぐれに置かれる魔石は、嫁いでいく娘や、嫁を貰うときのアクセサリーに加工されるようになった。
また、農園主の家族だけでなく従業員の家族も含め、ハーラン農園で生まれる子供たちの多くが妖精を視界に捉える能力を持つようになる。ただし、妖精と友愛を結べるほど大きな魔力を持つ子供が生まれてくるのは、100年以上先の話である。