新しいエルマ
リヒトやアメリアが繰り返し『大人しくしていろ』と言うので、目覚めてから5日間もサラは乙女の塔に籠っていた。
商会の仕事をしようとすれば、マリアがとても怖い顔で資料を部屋から持ち去ってしまう。さすがに商会を放り出すわけにはいかないと説得し、ソフィアのゴーレムが閉店後に乙女の塔まで報告しにやってくることだけは見逃してもらっている。
もっとも、これはソフィアとトマシーナの魔力を補充するついででもある。サラが目を覚ますと、リヒトはお役御免とばかりに魔力の補充係をサラに戻した。
むにょんっと2体のお胸に触って魔力を補充しつつソフィアからの報告を聞き、必要があれば指示を出す。また、緊急時はトマシーナ経由で連絡してもらうことになっているが、今のところ、まだ緊急連絡がきたことはない。
『うーん。ソフィアゴーレム…優秀過ぎる』
3日目に入って退屈しきったサラは、ベッドの上でゴロゴロしながらロバートの書いた本を読んでみようと思い立った。ソフィアの姿の時に、見本として初版を1冊ずつ献本されていたことを思い出したのだ。そのまま持って帰ると色々問題になりそうだと思ったので、空間収納の中に放り込んでそのまま忘れていた。
サラは本を取り出して読み進めてみたが、読んでいるうちに何となく居心地が悪いことに気付いた。
『…ダメだ。ヒーローがヒロインを溺愛し過ぎてる。なんだろう…この乙女的な思考が行き過ぎちゃった小説は!』
作者がロバートであるにもかかわらず、内容はどちらかというと女性向けの小説に近い恋愛小説であった。確かに子供が読むには少々過激な描写はあるが、基本的にヒーローはヒロイン一筋で糖分多めの内容になっている。
『うーん。コレはTL小説だわ』
小説としての完成度はそれなりに高い。宮廷のドロドロした駆け引きだったり、国家的な陰謀だったりと舞台や設定を変え、当て馬のキャラクターも魅力的であった。お陰で人気のある当て馬が主人公のスピンオフ作品も多い。
『お父様に悪役令嬢モノを書かせても面白そう。乙女ゲームみたいな発想はないだろうから、定番のタイムリープかなぁ』
とはいえ、1冊読んだだけで胸焼けするくらい糖分を過剰摂取した気分になったので、ひとまずサラは本を空間収納に放り込んでベッドの上で起き上がって胡坐をかいた。貴族の令嬢としては褒められた姿勢ではないが、そもそもベッドでゴロゴロ本を読んでいる時点でアウトだろう。
『あ、そういえばリヒトがストレージの中身を無属性魔法で把握できるって妖精たちに言ってたよね。リヒトが出来るなら私にも出来るでしょ』
ふと妖精たちに教えられてたことを思い出したサラは、さっそく自分の空間収納の内容を把握する魔法をイメージしてみた。数分間試行錯誤した結果、サラは目の前にゲームウィンドウのように、ストレージの中身を一覧表示させることに成功したのだ。
『あ、できた。でもなんかごちゃごちゃしててわかりにくいなぁ。それに、空間収納の時間経過とかが全然わかんないや』
サラは脳内で一覧表をイメージした。空間別や、種類別などさまざまな視点で一覧表示できるように魔法を改良したのだ。ついでに分析しやすいように検索や抽出といった機能も付けておく。
抽出条件もいろいろ試したくなったので、収納されている各アイテムには分類するための「種類」や「品質」といった属性のほかにも、「いつ収納されたか」「どこで収納されたか」「収納されてからどれくらいの時間が経過しているか」などの属性もどんどん追加していく。特に空間ごとに時間の進み具合が違うため、空間収納の中でどれくらい時間が経過しているのかは重要である。
『おお、なかなか使い勝手良くなったかも。うん、この表示ウィンドウも大きさを可変にしてみよう。あ、比較のためにタブで表示切り換えられると便利かも…』
ぶつぶつと呟きながら、サラは魔法をさらに魔改造していく。ちなみに、この魔法についてはリヒトも同じような魔改造を施している。ただし分類方法はサラとはかなり異なっており、こちらはいかにも研究者らしい魔法に仕上がっていた。
空間収納を把握する魔法の魔改造が概ね納得いくレベルになったサラは、自分の空間収納の中にとんでもない量の農作物が収められていることに気付いて頭を抱えた。
『これ、向こう5年どころじゃないわよ!』
妖精たちはその5年間の間にも、グランチェスターを始めとするさまざまな地域から小麦が収穫されることを綺麗に忘れていたに違いない。この小麦を市場に出してしまえば、一気に値崩れしてしまうだろう。
『仕方ない。飢饉に備えて私が抱えておくか。時間は止まってるから、劣化もしないし丁度いいわ』
また、ポチが作ったエルマをひとつ取り出したサラは、水魔法と風魔法で洗浄と切り分けを行い、土属性の魔法で作り出した皿に並べる。さすがに丸齧りは行儀が悪いかなと思ったからなのだが、そもそもベッドの上で胡坐をかいている時点でアウトだ。
『あ、このエルマ甘くてすごく美味しい。お酒にしちゃうヤツは、もっと堅くて酸味がある種類だけど、これって前世で食べてた高級リンゴっぽい味がする。蜜もたっぷりだ。あれ、こっちのエルマはまた別の種類だ』
ポチは複数の品種のエルマを作っていたらしい。
『うーん…前世のリンゴみたいに自家不結実性があるのかな?』
「ポチ、近くにいる?」
「いるわよー」
空中からポチが飛び出してきた。
「エルマが3種類もあるのは、1つの品種だけだと実が付きにくいってこと?」
「うん。その通り。だから開花時期の同じ品種を複数植えてあるのよ」
「受粉はどうしたらいいの? 人の手でやらないとダメ?」
「あぁ、秘密の花園にいる蜜蜂を連れて行くといいかも。あの子たちは人の言ってることがわかるし、余った蜂蜜も気前よく分けてくれるから」
「そうなんだ」
「なんならロイヤルゼリーも分けてくれるよ」
「それは女王様の物じゃないの?」
「あの子たちは前世のサラみたいに働くのが大好き過ぎて、ウンザリするくらい出来ちゃうんですって」
どうやら秘密の花園にいる蜂たちは、ワーカホリックらしい。
「新しいエルマの花から採れた蜂蜜も収納の中にあるはずだから、後で味見しておいてね」
「それはありがとう」
「お礼は蜂たちに言ってあげて」
「そうするわ。ところでポチ、ちょっと太った?」
「失礼ねぇ! サラの魔力が飽和してるだけよ。使い道がないまま抱えてるんだもの!」
「あ、そうなんだ。ごめん」
「本当に、凄い量の魔力が溢れてたのよ。凄く大変だったんだからね!」
「じゃぁ暫くは魔力要らないね」
「これ以上もらったら、弾けちゃいそう!」
「何か植物作っちゃえばいいのに」
「これ以上やると生態系に影響がでそうなのよね」
「そっか…」
「他領や他国でやることも考えたんだけど、勝手にやったら迷惑かもしれないし」
「確かにそうだね。じゃぁお父様とお母様が正式に結婚したら、アストレイ子爵領でなんかやろうか。来年にはなんかできると思う」
「それは面白そうね。仕方ないから、それまでぽっちゃり体型のままでいるわ」
「これはこれで可愛いわよ」
「それ、あんまり嬉しくない…」
ポチはやや不満そうである。
「でもさ、このエルマって凄く美味しいよ。高級品として王都で販売しようかなって思っちゃうくらい」
「喜んでもらえて良かった。いくつかの品種を掛け合わせて新しい品種を作ってみたの」
「そうだったんだ。なんか凄く良い感じ!」
なお、先程食べたエルマとは別の品種には、実が締まっていて酸味が強く、香りが良いものもあった。サラはこのエルマでジャムやパイを作ったらよいのではと考えた。小麦はうんざりするほどあるので、パイでもパンでも材料確保には苦労しないだろう。
『あ、バターとか砂糖が要るか。個人的にはシナモンとかバニラを探したいところね』
「ねぇポチ。次は砂糖の原材料と、各種スパイスが欲しいわ。それと油が採れる植物!」
「サラは相変わらず欲張りねぇ。アヴァロンは国内でビートを栽培してるから、砂糖を作ってる領はあるはず。さとうきびの栽培は、かなり南側じゃないと無理じゃないかな。他の植物については、それぞれ植生とかあるから一概には言えないわ。でも、私がドドーンっと作るんじゃなくて、ちゃんと農家の人が作って維持していくことを考えないとダメなんじゃないの?」
「それは、その通りだけどさ…」
「サラが食べた新しいエルマだって、これからエルマの木を大事にしてくれる人がいないと収穫できないんだよ。放置しておくだけで美味しい実が生ると思ったら大間違いよ」
「うん。それはわかってる」
「サラがちゃんと理解してくれていて良かったわ。まずは、私が作り出したエルマの木をどうやって維持するか方法を決めてから、次のことやろうね」
「ソ、ソウダネ」
いつものように暴走しかけたサラを、ポチはやんわりと窘めた。
『そういえば更紗の頃にも、こんな風に私を窘める先輩や上司がいたなぁ。一人で先走るなってよく言われたよね』
だが、実際のところ、暴走のように見える更紗のパワフルな仕事は詳細なデータに裏付けられており、決して勢いだけで動いているわけではなかった。彼女が常にトップクラスで居続けた理由は、上司が休めと苦言を呈するくらい調査に時間をかけた結果でもあった。
そんな更紗を気に入っている取引先は多く、彼女を指名するケースも少なくなかった。ある時、同期の男から人前で『女の武器が使えるヤツは得だな』と嫌味を言われたことがあった。だが、更紗は相手に向かってニンマリと笑いかけ「あら、あなたの男の武器はトイレでしか役に立たないってこと? それはお気の毒」と返した。
その場を大勢の人間が目撃しており、翌日からその男は「小さいヤツ」と呼ばれるようになった。ナニが小さいのかはあまり重要ではないのだが、少なくとも人間として小さいことは間違いないだろう。
「ひとまず、トニアに相談するしかないわね。ハーラン農園から誰か開拓地の集落まで派遣してもらえると良いのだけど」
「専門家の意見は大事だと思うわ」
「あとでテレサに伝言をお願いすることにするわ。ついでだから新しい品種のエルマももたせようかな。トニアの意見も聞きたいし」
「いいわね!」
「蜜蜂には、ポチからお願いしてもらえる?」
「わかったわ。じゃぁ私はさっそくいってくるわね」
そう言い残し、ぽっちゃりした体型の割には素早い動きでポチは去っていった。
『うーん。まずは王室に新しいエルマを献上するか。どうせなら王族の誰かに名前を付けてもらえば箔がつくかもしれないわ』
その後、テレサを部屋に呼んだところ、丁度フランが実家に帰るのに合わせてテレサも訪問する予定であることを聞き、トニアへの伝言と新しいエルマの入った籠を託した。
一緒にフランの実家を訪問すると聞き、サラは『いよいよフランがプロポーズしたか!?』と一瞬期待したが、エルマブランデーやシードルで農園が潤っているため、追加の農具や設備を大量に注文したいという依頼だと聞いてガッカリした。
そしてその夜、テレサが渡したエルマを食べたトニアは、その味や食感に驚愕し、翌日の朝一番に息子の嫁と一緒に乙女の塔を訪れることになる。
「小さいヤツ」の話は実話です。
普段は温厚な女性なのですが、天気の悪い日に酷い片頭痛になることが多く、上司の許可を貰って早退しようとした時、わざわざ彼女の机までやってきて嫌味を言ったそうです。
なお、相手は小さいヤツと呼ばれましたが、彼女自身も「怒らせたらヤバいヤツ」と言われたそうなので、ある意味では両成敗かもしれません。
……ダメージは小さいヤツの方が大きいかもしれませんが(;'∀')b