この世界を旅する人々
食事を終える頃、リヒトが朝の診察にやってきた。
「どうやら元気になったみたいだね」
「まだ少し気怠い感じはするけど、身体強化しなくても何とかなってるわ」
「それはいいね」
「今日、リヒトは奥様のところに戻るんでしょう? 改めて聞くけど、あちらに住むつもりはないの?」
サラは首を傾げながらリヒトに尋ねた。
「まぁ確かに彼女は便宜上オレの奥さんなんだけどさ、実際には娘か孫みたいなもんなんだよ」
「それは聞いたよ。前の奥さんに似てるんでしたっけ?」
「ちょっとだけね。逃げ出すための口実ではあったけど、良くも悪くも名の知れた錬金術師の妻として知られたことで、やっと彼女は自由になったんだ」
「本当の夫婦になるつもりは?」
「うーん…向こうはどうかわからないけど、オレ的にはちょっと無理かなぁ」
「あんなに美人でセクシーな女性なのに!」
「そうなんだよね。そうなんだけど、なんか違うんだよ」
「まぁ夫婦のことに余計な口を挟むのはやめておくわ。二人にしかわからないことも多いだろうし」
「そんなに大層なもんでもないんだけどね」
そこでサラは顔を上げ、マリアとアメリアに声を掛けた。
「マリア、アメリア、申し訳ないのだけど、リヒトと転生者同士の話があるから、少しだけ席を外してもらえるかな?」
「ですがサラお嬢様、リヒト様は男性でいらっしゃいます」
「マリアまで普通の貴族令嬢のように扱わないでよ。すぐに済むからお願い!」
「仕方ありませんね。では終わったらベルでお呼びください」
「わかったわ」
マリアとアメリアが部屋を出ていくと、サラは声が漏れないよう部屋に防音魔法を展開した。
「随分慎重だね」
「リヒト、私は神に会ったわ」
「え? 倒れている間の妄想じゃなくて?」
「その可能性もないとは言えないけど、私の中の魂が実際に出会ったのだと感じているのよ。実は、私の魂は肉体に引きずられて疲弊していたんですって」
「あぁそれはそうだろうね」
「だから元の世界の神が、私の魂を調整してくれたの。お陰で前世の記憶はすっきり戻って、いろいろ安定したみたい」
「神ってあちらの世界の神に出会ったのか!」
「正確に言えば、こちらの世界の神と、あちらの世界の神と、それ以外の世界の神々かな」
「…愉快なような不愉快なような何とも言えない会合だね」
「あー、実際とっても不愉快で、とっても面白かったわ。まず、この世界の転生者たちは、あちらの世界の神にも無断で転生させられたことがわかった。要するに魂の拉致ね」
「それは何となく予想してた」
リヒトはため息をつき、サラのために用意されていたハーブティのボトルに魔法で新しい湯を注ぎ入れた。
「本来、転生するときには前世の記憶は消すものなんだけど、この世界の創世神は意図的にあちらの世界の魂を持つ転生者たちの記憶を消さなかったんですって」
「それはどうして?」
「この世界の文明や文化を発展させるためだそうよ。他の世界の魂を転生させるまで、この世界にはまともな文明や文化が無かったんですって。だからガイア…あ、これはあちらの世界の神ね…の創った魂を勝手に持ち出して、強引にこの世界に転生させたらしいわ。そうして古代文明が興った」
「ははぁ。かなりスケールのデカい話になったね」
「確かにスケールは大きいかもしれないけど、やってることは犯罪よね。それ以降もちょいちょい魂を拉致して転生させていたそうだから常習犯ね」
「酷いなこの世界の神は」
「まったくよ。だけど、そのお陰で向こうの世界に近い文明社会ができているし、あちらの動植物も勝手に持ち出しているから、植生もあちらと似ているわけ」
「なるほどね」
リヒトは自分用のカップを土属性の魔法で創り出し、先程お湯を注いだポットからハーブティを注いだ。が、ほぼ白湯だったらしく少しだけ顔を顰めた。
「リヒト、まだ早いわよ。もう少し待たないと」
「そうみたいだね」
「この前淹れた珈琲が収納の中に残ってるから飲む? もしかしたらリヒトがお代わりを欲しがるかと思って、あの時たっぷり淹れておいたのよ。時間が止まってるから、淹れたてのままよ」
「あ、欲しい!」
リヒトは手元にあった微かにハーブの香りがする白湯をカップごと消し、サラから手渡されたマグを受け取った。
「話を戻すけど、この世界の神であるマルカートは、たまたま自分があちらの世界に遊びに行ったときに身体から離れた魂を持ち出しているみたい。まぁ『遊びに行ったとき』の滞在時間は神のスケールだろうから、どれくらいの長さなのかはよくわからないけどね。それでも、リヒトを通り魔に襲わせたりはしてないはずよ。もしそうなら、ガイアが黙ってるとは思えないもの」
「そうなんだ。オレはこの世界の神のことちょっと疑ってたんだよね」
「それを書いたメモは読んだわ」
「あぁそうだよね。そうじゃなきゃオレを起こせるはずないか」
リヒトはマグに入った珈琲を、ブラックのままコクリと飲んだ。朝に珈琲を飲むだけで、リヒトは前世の自分を思い出して胸に鈍い痛みを感じた。
「でも、あなたに色々研究させて文明を発展させたいという意図はあったみたいね」
「ははは。オレのことよく知ってるとしか言えないな。だとすれば、サラはなんで拉致されたんだ?」
「子供の頃の習い事のお陰で、ちょっとだけ音楽の素養があったかららしいわ。それなら音楽家を拉致すればいいのにって言ったら、たまたま遊びに行ったら私の魂が身体から離れたって言われたわよ。もうほとんど事故だと思わない? 実際交通事故で死んだんだけどね。でもね、私が乗ってたタクシーの運転手も一緒に亡くなってるんだけど、彼は最期に『お母さん助けて』って言ったから、可哀そうになって向こうに残したって言うのよ。おかげで、もっと腹が立ったわ」
「それは不運としか言いようがないな」
「でしょう? だからね、私はこの世界で生きるのに飽きたら、ガイアを呼んであちらの輪廻に戻してもらう約束をしたの」
「そうか。うん、それはいいね。できればオレもそう在りたい。オレもガイアに会いたいな」
「うん、そういうと思った。だからいつか生きるのに飽きたら、あちらに戻りましょう。一緒に戻っても良いし、どちらかが先になっても良いわ。飽きるまでは思いっきり楽しめばいいと思う。マルカートはこの世界を変えることを望んでいるのだから丁度良いわ」
「だから目覚めてすぐに好きなように生きると言い出したのか」
「うん。その通り。ねぇリヒト。私たちにはちゃんと還る場所があるのよ。彷徨い人なんかじゃなくて、この世界に遊びにきただけの旅人なの。いろいろ働きながらになるから、ワーキングホリデーみたいなものかも。私たちは一人じゃないし、もう孤独でもないわ」
見ればリヒトは静かに両目から涙を流していた。
「オレも帰れる…いや還れるんだ。あの世界にもう一度…」
「ええ、そうよ」
「彷徨い人じゃないんだな」
「当たり前じゃない。私と同じ旅人よ。いっぱい観光しましょうね」
「ひとつ我儘なお願いを聞いてくれるかな?」
「なぁに?」
「キミを抱きしめさせてくれ」
「いいけど、この身体だと、抱きしめるっていうより抱き上げるって感じになるわよ?」
「うん。それでもいいよ」
サラが椅子に座るリヒトに近づくと、リヒトは手に持っていたマグをテーブルの上に置いてサラを膝の上に抱え上げ、そのままぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。暗闇をずっと歩いていたオレの光になってくれて。輝かしい月の光を見つけた気分だよ」
「どういたしまして。頼りない旅のお供だけどよろしくね。それと、私は暴走しちゃう癖があるから、ときどきは私を引き留めてね」
「ん…努力はするけど、引き留められる自信はないかな。オレは見た目よりずっとおじいちゃんだからね」
「私だって見た目通りの子供じゃないわよ?」
そしてサラとリヒトはお互いの目を見つめて同時に言った。
「「見た目は子供、頭脳は……」」
二人とも途中で台詞を止めるところまで同じだったため、お互いを見て噴き出すように笑い出した。
サラ:頭脳はおばちゃん?
西崎:え。おっさんの間違いじゃ?