もふもふは最高
次にサラが目を覚ましたのは翌日の早朝だった。
眠っている間にグランチェスター領は晩秋というよりも初冬と呼ぶべき時期に差し掛かっており、部屋の中にいても吐く息が白くなった。身体強化の魔法を使わずとも身体を普通に動かすことができたため、サラはゆっくりと身を起こした。
さすがにベッドから出ると激しい運動をした後のような倦怠感に気付いたが、歩けない程でもなかったので、ゆっくりと窓際まで歩いて外の景色を眺めた。
サラの部屋からはグランチェスター城外の森と、その先にある領都の街並みが見下ろせる。空は紺に明るめの紫が混ざり始めたような色をしており、煮炊きをする煙が立ち上っている様子が窺えた。
狩猟大会に訪れた貴族家も既にグランチェスターを離れており、王族たちも既に王都に戻っている。グランチェスターの本邸やジェフリー邸では、既に使用人たちがパタパタと動き出すような時間だが、乙女の塔はまだ静けさに包まれていた。
アリシアとアメリアは身の回りのことはほぼ自分たちでやってしまうため、メイドの手を借りる必要がない。こうした事情から乙女の塔に人間のメイドは5名しかおらず、そのうちの一人はマリアなのでサラの専属である。残りの4名が塔全体の管理をしているのだが、下働きに相当する仕事や図書館の司書は3体のゴーレムがやっている。
実はマリア以外のメイドは全員イライザの手下なので、それなりに戦闘能力を持っていたりする。最近ではマリアも侍女教育の傍ら、護身術を習い始めているらしい。主人であるサラがソフィアとして活動していることが多いため、マリアは比較的自由になる時間が多いのだ。
とはいえ、サラが倒れている10日間は看病のためマリアも忙しく立ち回っていた。これほど眠っていたにもかかわらず、すぐに動ける身体を維持できていたのはマッサージなどで筋肉を動かしていてくれたマリアやアメリアのお陰である。もちろん指示したのはリヒトで、アメリアはこうした看護術についても細かくメモをとっていた。近い将来、この技術も書籍化されるだろう。
マリア以外のメイドたちも、リヒトという男性の客人が起居していたため慌ただしく働いていた。なお、主人であるサラと男性の医師が二人きりになるという状況は決して訪れなかった。常に”戦闘能力を持った”メイドが傍らに控えていたのである。
ふとサラの背後から、とんっと軽い音がした。少し前から魔法の気配には気付いていたため、サラが驚くことはなかった。
「おはようセドリック」
「おはようございますサラお嬢様。お身体の調子はいかがですか?」
ゆっくり振り返ると、背後に20匹近い仔豹を従えた執事が胸に手を当てた姿勢で頭を下げていた。
「気怠い感じがするくらいかしらね。でも、身体を動かしておかないとね」
「あまりご無理をなさいませぬよう」
「わかっているわ」
サラは部屋全体を防音の魔法で包み込んだ。
「報告を聞くわ。10日分たっぷりと。それにしても眷属が増えたわねぇ。もう個別に名前を付けるのは無理ね」
「すべて私だと思って頂ければ」
「それを一番認めたくないわ」
サラが窓際から離れてライティングビューローに近づくと、セドリックは机の天板を引き出し、傍らに置かれていた椅子をセットする。サラがゆっくりと椅子に腰かけると、すかさずセドリックは近くに置かれていたブランケットを膝に掛ける。
「あなたって本当に優秀な執事っぽい振る舞いをするから驚くわ。胡散臭いけど」
「お褒め頂き光栄に存じます」
「まぁいいわ。さっそく報告して頂戴」
サラは引き出しから紙を取り出し、ペンとインクも用意した。
「まずサラお嬢様が倒れた直後から、サラお嬢様は膨大な魔力を漏洩させました」
「あー、やっぱりそんな感じだったかぁ」
「魔力を暴走させるわけにはいかなかったので、私ども妖精たちがお嬢様の魔力を引き出しました」
「それで眷属がそんなにたくさん? そういえばポチにもいっぱいいたよね」
「はい。私の眷属は18匹、ポチの方は10匹おります」
「どうせセドリックの眷属たちは、各地に散らばって情報収集しているのでしょう?」
「仰る通りです。新たに増えた者たちは、主に沿岸連合の国々で活動しております。狩猟大会に紛れ込んでいたマイアーはアヴァロンの出国に成功し、現在はサルディナにいるようです」
「わかったわ。マイアーからは目を離さないでね」
「承知しております」
セドリックの背後に居た仔豹のうちの1匹がサラの前に進み出て、ちょこんと姿勢よくお座りした。
「あなたが報告してくれるのは何処の情報?」
「アヴァロン王宮です。昨夜、ゲルハルト王太子からの請願を受け、アヴァロン国王は今後5年間に限り、ロイセンへの小麦輸出を許可しました」
「あら、予想よりもあっさり許可を出したわね」
「この決定には、アンドリュー王子がグランチェスター侯爵からの書状を持って帰ったことが大きく影響しています」
「祖父様からの書状?」
「今年は豊作でグランチェスターの小麦には余裕があり、備蓄されている小麦の量も豊富なので問題ないと言う内容です」
「え、豊作なのは確かだけど備蓄はほぼ空っぽだったはずだけど」
「…現状の小麦備蓄は例年比160%です。既に備蓄倉庫は満杯で、ソフィア商会の倉庫をグランチェスター領が借りている状態です」
「はい?」
「備蓄と見做されていない小麦は、そもそもソフィア商会が買い上げたものですから、そちらもソフィア商会の倉庫に収められています。それでも入りきらなかった分は、勝手ではございますがサラお嬢様の空間収納の中に私どもが格納いたしました。ロイセンが必要とする小麦の5年分に相当します」
「もしかして、私が溢れさせた魔力で小麦を作ったの?」
「無断で申し訳ございません。大量に魔力を消費する方法として、即座に思いつくことがそれしかなかったのです」
「代替の植物はどうしたの?」
「土地を拓きました」
「もしかして、麦角菌騒動のあったあのあたり?」
「はい。隠しておくことは難しいと考えましたので、ポチが現地に着いた直後に、代表者であるジェイドと妻のエルザの前に姿を現し、『サラお嬢様の要請に従って開拓地を魔法で拓く』と宣言しました」
「よく納得したわね。土地を開拓するのは、自分たちが土地を所有するためでしょう?」
「グランチェスター侯爵の命により、今回開拓した土地は10年間格安で貸し付けることになりました。収穫物は借主の物になるだけでなく、税金はかからないという特別措置がとられています」
「土地の賃貸料金だけ払えば丸儲けってこと?」
「その通りです」
「10年後はどうするの?」
「開拓した土地は開拓者が所有権を持ちます。つまり、サラお嬢様が所有者と言うことになります。グランチェスター侯爵は『サラの土地なのだから、サラが好きなようにすれば良い』と仰せでした」
サラは軽い頭痛を感じつつも、目の前の紙に報告内容を書き付けた。動揺しているせいで若干文字が乱れている。
「まぁ小麦問題が解決したのは理解したわ。ポチが作った小麦の正確な量を種類別に報告できる子はいる?」
するとセドリックが紐で綴じた紙束を差し出した。
「トマシーナが書いた報告書がありますので、後程詳細をご確認ください」
「あ、そ」
サラは報告書を受け取って机の上に置いた。
「実は小麦を作り過ぎたと気付いたポチは、エルマも増やしています」
「えーっと…それは実だけ?」
「開拓した土地の一部がエルマ畑になっております。気候が少し違うためハーラン農園で栽培されているエルマとは品種が少し異なるそうです。既に3回ほど収穫した実がサラお嬢様の空間収納にありますので、気が向いたら味見して欲しいとのことです」
「そのエルマ畑の管理は誰がするの?」
「ひとまずジェイドに任せていますが、できればエルマに詳しい専門家を寄こして欲しいという要請を受けています」
「仕方ないわね。後でトニアに相談しに行きましょう。ところでどれくらいの広さなの?」
「……ハーラン農園より大きいです」
「はぁ!?」
サラは紙に『トニアにエルマ農園について相談』と書き出す。
「あ、他にもポチはリヒトと話して、サラお嬢様が喜びそうな植物をいくつか作って空間収納に放り込んでいるそうです。それとリヒトは、『ストレージの中身を把握する無属性魔法くらい彼女ならすぐに使えるようになるさ』と笑っていました」
「あー、うん。なんか使える気がするよ。そっちは後で試しておくわ」
「それでポチはどうしてるの? 昨日、寝る前に見かけたけどあまり話をしなかったから気になってて。ミケもどうしてるのかしら」
サラが声を上げた次の瞬間、ぽぽんっとポチとミケも姿を現した。
「あ、良かった。二人とも元気だったのね。
ポチはとんでもない量の植物を作ったみたいね」
「眷属も動員してバタバタだったわよ。サラったら、凄い魔力なんだもの!」
「ごめんね。迷惑かけて。小麦は魔力枯渇を覚悟してたけど、目が覚めたらできてるとか最高ね。他にもたっぷりいろんなことがあってビックリよ。いっぱいありがとう」
「どういたしまして。お陰でサラの魔力量がとんでもないことになっちゃった」
「まさかドラゴンを超えるとはね」
ふわりと浮かんでいるポチの頭をなでつつ、サラはミケにも声を掛けた。
「そういえばミケも大丈夫だった?」
「私はあんまり眷属を増やしたりするのが得意じゃないから、代わりにエルマブランデーの熟成をすすめておいたわ。出荷できる状態にしておけば、次の樽を仕込めると思って。ちゃんとトニアにも説明してあるから大丈夫よ。魔力暴走を抑えるためだって言ったら、急いで全部の蔵を開けてくれたわ。それと、ポチが魔法で追加のエルマを実らせたから、今頃は急いで次の仕込みをしてるはずよ」
「後でトニアにもお礼とお詫びをしないとね」
「あ、それと2樽だけ30年の物を作っておいたわ。ロバートとレベッカの結婚式用にと思って」
「うーん。さすがミケね。呑み助の気持ちをよくわかってる!」
「ウィルに見つからないように、サラの空間収納の中に入れておいた」
「あはは。そのあたりもよくわかってるってわけね」
「私だけちょっぴり味見したけど。すっごく美味しいわ!」
『うん、ミケのこういう性格は凄く好きかも』
サラはポチとミケをギューッと抱きしめて呟いた。
「あなたたちのことが大好きよ。また会えてよかった」
「うん、私もサラが大好きよ」
「もちろん私もよ」
すると横にいたセドリックが咳払いをして、自分の存在をアピールした。
「お嬢様、私にはやってくれないんでしょうか?」
「うーん。さすがにちょっとねぇ…」
サラが困ったような表情でセドリックを見上げると、セドリックは心得たように眷属と同じ仔豹に姿を変えてぴょんっとサラの膝の上に飛び乗った。
「相変わらずあざといわねぇ」
「そんな私のことを嫌いじゃないのは存じてますから」
「否定できない自分が憎いっ」
膝の上のセドリックを思いっきり撫でまくったサラは、満足した表情でボソリと呟いた。
「もふもふ最高!」