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グランチェスター侯爵襲来

その日は珍しく、ロバートも一緒に朝食のテーブルに着いていた。


「サラ、父上がこの城に来るらしい」

「遅かれ早かれお越しになるとは思っておりました。いつでしょうか?」

「予定では明後日だそうだ」

「では、侯爵閣下が滞在されていらっしゃる間は、サラさんと私は執務室に行かないようにするわね」


当然サラも"普通"の貴族の常識は理解しているので、レベッカと目を合わせて頷いた。


「本来なら堂々と君たちの働きぶりを父上に説明すべきだとは思うけど、さすがに理解してもらうのは難しそうだよなぁ」

「それは仕方ないことだと思います。祖父様にバレて禁止を言い渡されるより、知られていないうちにこっそり終わらせる方が良いと思います。言うことを聞かなかったわけではないので!」

「サラ、貴族的な言い逃れが上手くなってきたね」

「レベッカ先生の薫陶(くんとう)の賜物です」

「サラさん、物凄く人聞きが悪いから止めてくださるかしら?」


レベッカは貴族的な微笑みを貼りつけているが、よく見ると蟀谷(こめかみ)には青筋が浮いている。


「も、申し訳ございません」


慌ててサラは謝罪した。


「とはいえ、私たち抜きで祖父様に状況説明は可能ですか?」

「私はともかく、サラさん抜きでとなると、ロブはきっちり全体を頭に詰め込む必要ありそうね」

「幸い、もうすぐ今期の帳簿は付け終わる。決算の準備も順調だ」

「よかった順調なんですね。では祖父様には今期分の『貸借対照表』と『損益計算書』をご覧いただきましょうか。決算処理前ではありますが、グランチェスター領の経営状況が把握できるはずです。執務メイドに手伝ってもらえれば、今日か明日には何とかなるかと思います。レベッカ先生、申し訳ないのですが書類の準備ができるまで、授業をお休みさせていただけますか?」

「仕方ないわね。でも、侯爵閣下がいらっしゃる間は、執務をお休みしてお勉強しましょうね」

「できれば魔法がいいです!」

「サラさん、子供みたいね」

「はい、子供です」


実際にサラは8歳の子供なのだが、レベッカやロバートを含め、周囲は事実を忘れてしまいがちになる。主な原因は、仕事中のサラが『頼れる先輩のオーラ』を出しまくっていることにある。おかげでサラの子供アピールは執務室の鉄板ネタだ。


「執務メイドたちのおかげで過去分の書類仕分けもほぼ終わったわ。さすがに過去の帳簿と照会する作業は彼女たちの手には余るから、他の方にお願いしないといけないのだけど、ロブはやれそう?」

「そこは他の文官に任せるかな。父上に状況を説明する内容を頭に叩き込まないといけないから。本当はサラに依頼したいところだけど、父上がいるときはさすがになぁ」


『すっかり私を文官の頭数に入れてるわね。臨時のお手伝いのはずなんだけどなぁ』


「伯父様、今期の決算が終わったら、私は執務から手を引きますよ?」

「え?」

「本来は私のお仕事ではありませんもの。もちろんわからないことがあればお答えしますし、どうにもならないときはお手伝いもします。ですが、私は文官ではありません」

「いや、しかし」

「私も同じよ。今はサラさんのガヴァネスとしてお手伝いをしてるだけですもの」

「そんなぁ。レヴィまで僕を見捨てるのかい!?」

「本来あるべき形に戻るだけのことよ」

「祖父さまの帰領は、良い契機になりそうですね」


レベッカとサラは揃って優美に微笑み、ロバートの懇願を有耶無耶にした。




朝食後、身支度を終えてレベッカやマリアと共に執務棟に向かうと、執務室のメイドたちが連れだって執務室の扉の前で困惑していた。


「皆さま、どうされたのですか?」


サラが声を掛けると、執務メイドを取りまとめているイライザが振り向いて答えた。


「グランチェスター侯爵がお越しになっているのです」

「え、明後日の予定ではなかったのですか?」

「はい。私共もそのように伺っておりましたが、つい先程ふらりと単騎で入城され、そのまま執務室まで直接お越しになられたようでございます」


グランチェスター侯爵は朝に到着し、騎乗したまま執務室まで来たようだ。執務棟の前庭では、鞍を付けたままの大きな黒鹿毛が草を食んでいる。


『あのあたりの芝生食べちゃっていいのかなぁ?』


サラが暢気に馬を見物していると、レベッカは貴族家の令嬢らしく「それで、あなた方は侯爵閣下にお茶も出さず、ここで何をされているのですか?」とメイドたちに状況説明を促した。

するとイライザは困惑した表情を隠さず「実は私共は侯爵閣下から人払いされております」と答えた。


「祖父様が人払いをされたのですか?」

「然様でございます。正確に申し上げますと、文官の方々に『執務室に女を侍らせるなどふざけておるのか』と一喝され、私共に『茶などいらぬ。貴様らのような酌婦紛いのメイドなどいらぬ。出て行くがよい』と仰られたのでございます」

「なんですって!」


サラは言葉を失った。グランチェスター侯爵は執務室の超優秀秘書たちを、その仕事ぶりすら見ずに侮辱して追い出したということだ。真面目に仕事をしようとしていた彼女たちは理不尽な言葉の暴力にさらされたのだ。サラはブチキレた。


鼻息も荒く執務室に突撃しようとしたが、レベッカがサラを引き留めた。


「サラさん、まずは深呼吸をなさってください。今のあなたには優雅さが足りません」

「こんな時にまでお説教など!」

「こんな時だからこそ冷静にならなければなりません」

「できません!」

「いいえ、必ずそうしていただきます。侮辱された彼女たちのためにも、サラさんは優雅に振舞わなければならないのです。貴族には貴族の流儀があり、女性には女性の戦い方があります。ここで粗暴な態度をとってしまえば、侯爵閣下はあなたのことを下町育ちの下品な女としか扱いません。言葉に耳を傾けることすらせず追い出すでしょう」


レベッカはサラの前にしゃがみこみ、目線を合わせてにっこりと大変優雅に微笑んだ。


「私も侯爵閣下の言葉には憤りを覚えております。私たち女性陣がここで成し遂げたことは誇るべきことです。理解するだけの視野を持たない相手など、こちらから憐れんで差し上げればよろしいのです。余計なモノをぶら下げているからといって、優れた能力を持っているとは限らないということに気づいていらっしゃらない気の毒な方なのです」


なんとレベッカは、まだ幼女であるサラの前で微笑みながら猛毒を吐いたのだ。驚きのあまり、サラは急速に頭が冷えていった。


「レベッカ先生のおかげで冷静になれました。ありがとう存じます。まさか毒を吐きつつ、下ネタまで交えるとは思ってもみませんでした」

「え、それはちょっとひどくありません?」

「だってその通りですもの。それとも、修辞学の授業をおさらいしたほうがいいでしょうか?」


それまで周りでオロオロしていたメイドたちも、二人のやり取りにこらえ切れず、くすくすと笑いだした。


「サラお嬢様、私共のために憤っていただき感謝いたします。私共は高いご身分の方々から見下されることには慣れておりますので、それほど気分を害してはおりません」

「そうなのですか?」

「はい。どちらかというと、ロバート様や文官の方々が、侯爵閣下にきちんと説明できるのか、資料を過不足なく用意できるのかといったことが心配で…」

「なるほど。確かに心配になりますね」

「サラさんとメイドたちで文官を甘やかすから」

「レベッカ先生だって、伯父様をかなり甘やかしてましたよね」

「だって計算が遅いんですもの!」

「きっと余計なモノをぶらさげているせいですわね!」


これには全員が我慢できずに、大きな声で笑い始めた。


『間違いなく作業効率はダダ下がりでしょうね』

実際のところ、サラはこの世界の一般常識に照らして「酌婦」が侮蔑を意味していることを認識してはいますが、それが卑しい職業だとは欠片も思っていなかったりもします。

下町で育ったら、近所の農家のお姉さんが夜には酒場で働くとか普通にありますので。

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「きっと余計なモノをぶらさげているせいですわね!」 女性のは、弓を引くときに邪魔になりますね。
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