だから貴族は無理って言ってるじゃないか
サラはマリアに目配せし、ゆっくりと身体を起こすのを手伝ってもらった。すかさず背中にクッションがあてがわれる。
「私はこれまで何度も申し上げてきたはずです。普通の貴族女性として生きて行くのは嫌だと。転生者として同胞を求めるリヒトの好意でさえ、受け取れば評判に障るなど馬鹿馬鹿しいにも程があります。そんなことで簡単に傷がつく評判なら、商人として表舞台に立った瞬間に満身創痍でしょうね」
「これまで通り、商人の顔はソフィアに任せればいいじゃないか。少しずつ肉体年齢を上げれば、よく似た親戚で通るだろ? ゴーレムもいるんだし」
「そして自分を偽って窮屈な貴族令嬢の仮面を被れと仰せですか?」
「僕はサラに貴族女性として生きて欲しいと願っているわけじゃない。ただ、僕の娘として安心して暮らして欲しいだけだ」
「お父様…いえ、いまは伯父様と呼ぶべきでしょうか…すでに私が平穏に暮らす道は断たれました。私が自重せずに立ち回ったことが原因ではありますが、社交の場に私を引っ張り出したことで片棒を担いだ自覚くらいはお持ちください」
そこまで言ったところでサラが咳込み、慌ててリヒトが駈け寄ってサイドテーブルに置かれた湯冷ましをカップに入れてゆっくりとサラに飲ませた。
「サラお嬢様、いきなりは無理です。今も身体強化の魔法を使って話をしてる状態なんですから」
「うん、興奮しすぎたかも。ちょっと静かに話すことにするわ」
その様子を間近で見守っていたスコットとブレイズは、甲斐甲斐しく振舞うリヒトに焦燥感を抱きつつも、普段は驚く程パワフルなサラが弱々しい風情であることに胸を痛めた。目を覚ましさえすればいつも通りの元気なサラに会えると信じていた二人は、このままサラが儚くなってしまうのではないかと不安になった。
「リヒトさん、サラはまだ寝てないとダメなんじゃないの?」
「オレたちはここにいない方がいい?」
「もう少し休んでいた方が良いのは確かですが、さすがに10日も目を覚まされなかったのですからサラお嬢様も寝るのには飽きているんじゃないですかね」
リヒトが答えるとサラもニコリと微笑みかけ、スコットとブレイズの手を順番に軽く握った。それでも二人の表情は暗いままだ。
「私は大丈夫だからそんなに心配しないで。もう、十分すぎるくらい寝たし、久しぶりにあなたたちの顔が見られて嬉しいわ」
ブレイズはサラの顔を覗き込み、次いでグランチェスター侯爵とロバートを交互に見遣った。
「どうしてサラが嫌がってることをやらせようとするの? だからサラは倒れちゃったんでしょう?」
「お前たち、そろそろサラから離れろ。家族で話し合いが必要みたいだ」
二人の父親であるジェフリーが近づいてきて、サラのベッドから引き剥がそうとしたが、二人は頑として動こうとしない。
「僕は離れないよ。サラの味方だから」
「オレもサラを守るよ」
「コラ! お前たち!」
だが、ジェフリーの大きな声は、今のサラには少々ダメージが大きかった。頭がズキズキと痛みだす。
「すみませんジェフリー卿、少々お静かに願えますか? 頭に響いて」
「こ、これは失礼」
「それに、この二人にも聞いていて欲しいので暫くここに居させてあげてください。少し話を戻しましょうか、ロブ伯父様」
「まだ僕は養女にする気満々なんだけどな」
ロバートは困ったような顔をしてサラを見つめた。
「誤解しないでいただきたいのですが、祖父様や伯父様が嫌いになったとか、そういうことではないのです。先程も申し上げたように、私は商人として生きるため、普通の貴族令嬢として生きることはできません。それは『グランチェスターのために生きろ』という領主様の命令に従えなかったことでも理解していただけるでしょう」
「そうだね。仕方がないのはわかってる」
「ですが私が私らしく生きれば、普通の貴族女性が気にするべき”評判”は決して良い物にはならないでしょう。そんな傷物令嬢を野放しにすることは、これからアストレイ子爵となる伯父様の評判にも障ることに繋がります。それなら私は平民として生きて行くべきだと思うのです」
「良かったよ。僕たちが嫌いになったんじゃなくて。サラは僕たちのことが心配なんだね」
「ちょっと寝込んだくらいで伯父様や祖父様を嫌いになったりはしませんよ。そもそも、倒れたのは伯父様のせいじゃありませんから。まぁ別に祖父様のせいってわけでもないんですけど。知恵熱みたいなものだと思ってください」
「うん、だったらやっぱりお父様って呼んでくれ。僕はサラを貴族女性にしたいから養女にしたわけじゃないし、家のために生きてくれとも言わない。まぁそこは父上とは違うところかな」
すると今度はサラの方が困った顔でロバートを見つめ返す。
「家のために生きられない私を養女に迎えることは、これから新たな貴族家を興される伯父様には不利になるとは思わないのですか? 王室や他の貴族家から伯父様に圧力をかけたりするかもしれません」
「構わないよ。全力で守るから。あー、でもどうしようもなかったらサラに泣きつくかも」
するとロバートはふぅっと息をゆっくりと吐きだし、そしてにんまりと笑顔を浮かべた。だが、ロバートの横にいたグランチェスター侯爵は、不機嫌さを隠さない表情を浮かべ息子であるロバートを見つめた。
「お前も領主になれば、そのように暢気なことは言っておれないと思うがな」
「いいえ父上。小さいとはいえ私も領主となることが決まっているからこそ、サラに無理強いすることを恐れます。父親としてサラを愛していますが、為政者の視点でもやはり同じ結論を出すでしょう。サラがいなくなるだけでも十分な損失でしょうが、敵となればこれほど恐ろしい相手はおりません。自らドラゴンの尾を踏みに行くのは愚か者のすることです。なにより、サラの自由な発想から生み出される新たな産業は、我々の想像を遥かに超えるでしょう。私はエルマブランデーを最初に口にしたときの衝撃を忘れられません。私ならそうした将来に領主として投資したいと考えます」
「なるほど慧眼だな。……やはり私はあまり領主には向いていないのかもしれん」
「父上、サラのような娘が特殊なだけかと」
「確かにそうかもしれんな」
グランチェスター侯爵は椅子の背もたれに身体をあずけ、ロバートの発言について思考し始める。
「でもさ、ロバート卿がサラに貴族女性として生きることを望んでないって言うなら、サラの評判もそんなに気にする必要ないよね。なのにどうしてリヒトさんに『周囲に誤解を招きかねない』って詰め寄ったのかわからないよね」
「ブレイズ、それはロバート卿が面白くなかっただけだと思うよ」
「え、ただのヤキモチ? それってオレたちと一緒だよね」
「そうだね」
「まぁ…認めたくないが事実だな」
スコットとブレイズはロバートに容赦がまったくなかった。ロバートも苦い顔をして認めるしかなかった。
「あら、あなたたちヤキモチ焼いてたの?」
「さすがに二人にしかわからない言葉で会話されるのはキツイよね」
「リヒトさんばっかりズルい!」
『ふむ…この辺りでちゃんと転生者について説明しておくべきかもしれないなぁ』
「そっか。いい機会だから転生者についてあなたたちにも説明しておくね」
「サラ、それは我らグランチェスター家の者にきちんと説明しておくべき内容だ」
「あぁそうかもしれませんね。少なくとも転生者に無条件に従うというのは止めておいた方が良いでしょうから」
グランチェスター侯爵に指摘され、改めてサラは転生者がどういう者なのかを彼らに説明することにした。
「この世界にいる転生者は、別の世界で生きていた頃の記憶を持ったままこの世界に生まれてきた人のことです。グランチェスターの始祖のカズヤも転生者でした。始祖の孫の代でカズヤを神聖視するようになったみたいですが、転生者はグランチェスター家だけに生まれるわけではありません。ですから転生者に無条件で従うという家訓は無くした方が良いと思いますよ」
「それは以前にも聞いたな。実際にリヒトさんという実例を見た以上、家訓は変えざるを得ないな。グランチェスターにだけ伝わる切り札だと思っていたのに残念だ」
「まぁお気持ちは理解できないことも無いのですが、遺伝するような資質ではありません」
サラは淡々と説明を続ける。
「ご存じのように私とリヒトは転生者です。神の気まぐれで元の世界からいきなり切り離され、この世界を彷徨う異邦人です。魂だけが拉致され、この世界に連行されたということです」
補足するようにリヒトも声を上げる。
「それでも前世の記憶を引き継いでいなければ、理由の分からない喪失感だけで済んだのかもしれません。ですが、幸か不幸か私たちは前世の記憶を持っています」
「運よく私は家族から愛されて育ちましたが、リヒトは違います。今の記憶を持ったまま、赤子として森に捨てられる自分を想像してみてください。かつての家族や友人…同胞を恋しく思うのは当然だと思われませんか?」
「そんな! リヒトさんは捨て子だったのか!?」
ロバートは驚いたような声を上げた。
「はい。私は赤子の頃に森に捨てられ、命の危険に晒されて前世の記憶が戻り、魔法も発現しました。今のサラお嬢様以上に外見と中身が一致しない子供でしたね。薬師をしていた老婆に拾われるまで、赤子が一人で森の中で生きていました」
「そうか…僕はなんて酷いことを言ってしまったんだ。リヒトさん、本当に申し訳ない」
「謝罪されるようなことではありません。実際、私はこの世界で妻と子供を得ていますし、子孫の数も多いです。ただ、それでも自分は異邦人という気持ちが拭えないままなのはどうしてなんでしょうね」